前回ブログの1週間前の9月6日にも那覇に行きました。 まったく、宮古島に引っ越したとたんによく行っています。 この時、時間があったので県庁前の「パレットくもじ」にある「那覇市歴史博物館」に行きました。 以前、那覇市の歴史で交通変更「730運動」などのイベントを紹介した場所です。
6日は休館日。 しょうがないからイスに腰掛けて壁を見ると、那覇市の空中写真(全3枚)を飾っていました。 懐かしいなとばかりに部分的に何枚か写真撮影。
まず、1982年(昭和57年)の那覇市泊周辺。 ごみごみした町中に対し、右上には広々とした土地が・・・ ここは「米軍牧港住宅地」と呼ばれていました。 このころ少しずつ返還されていましたが、まだまだ。 那覇市内の密集地に比べて贅沢に土地を使っていたことがわかります。 ちなみに赤線はモノレール計画路線。
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続きまして、1993年(平成5年)の同場所。 米軍住宅は全面返還され、跡地は白くなっています。 これは区画造成されたからです。
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最後に1994年(平成6年) あんまり時間差はないけれど、区画造成地ははっきりしてきました。 ここは今、「那覇新都心」として整備されています。 私が朝散歩していた公園も見えます。 ちなみに赤丸印は私がこの前まで住んでいた場所を示したものでした。 黄色線は現在のモノレール路線です。
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では、こちらは1994年の写真。 世界遺産「首里城公園」です。 そのそばには沖縄県立芸術大学の名前も。 首里城正殿をはじめ、しっかりきれいに出来上がっています。 モノレールも現終着駅「首里駅」で停まっています。 今後は延長され、浦添市役所前を通り、沖縄自動車道「西原IC」までの路線計画が決定しています。
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では1982年の写真を。 首里城はありません。 何やらパラパラと建物とグラウンドらしきものが・・・これはかつての「琉球大学」です。 県立芸大のあった場所はかつての「男子寮」でした。 私の母校です。
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現在琉球大学は西原町・北中城村にまたがる広いキャンパスに移っています。 しかし、私は主に首里キャンパスで過ごしました。 研究室も卒業1ヶ月前に新キャンパスに移ったくらいで、ほとんど首里キャン育ちです。 首里城再建のため、私のキャンパスはなくなってしまいました。 世界遺産になった首里城を見るたびになんか(母校が無くなってしまった)複雑な思いがします。