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台風17号接近

2012-09-28 12:06:35 | 宮古島にて

 またまた台風ブロウを。 台風17号が先島地方に接近しています。 今日朝は現場に行き、台風対策、と言っても昨日夕方やったので大丈夫かの見回りに行きました。 無事でした。

 お客さん(国営事業所)の所に行くと、数人が詰めているのみ。 実はこの事業所は平良港ターミナル内にありますので、帰りにターミナルを覗きました。 ここは主に伊良部島行きの船乗り場です。

 薄暗い待合室の乗船切符売り場はシャットダウン。

 当たり前ですが、高速船・フェリーとも朝から全便欠航だそうです。 だからお客さんもいないガラン状態。

 外に出てみると風は強いですが、防波堤のおかげでまだそんなに波は立っていません。 でも船は1隻も浮かんでいません。 

 ところで、なんで今の時間にのんびりとブログを更新しているのかと言えば・・・11:14頃、宮古島地方に暴風雨警報が発令されました。 

 なので、ロ-カルルールにより、会社はお休みとなります。 今回の台風はひょっとすると宮古島直撃(台風の目に入る)かもしれません。 強風は明日まで続くでしょうから、週末は家で何をやってましょうか? 古いビデオでも見ようかな・・・

 

 


不発弾調査

2012-09-26 18:16:30 | 宮古島にて

 この人(私の会社の人)は何をやっているのでしょうか? 手にはル-プ状の型枠のような・・・これは磁気探査と呼ばれる調査(探査)です。 手に持っているものは「電磁石」で、金属物を探っています。 平面的に測定しているので「水平探査」と呼ばれるものです。 物理探査をやっている会社ではご存じの調査法です。

 実はボーリング調査という地面に穴を掘る作業前に地下に不発弾が埋まっていないかを探っているのです。 沖縄県は先の大戦によって多くの不発弾が埋まっています。 過去において地面を掘っていて不発弾に当たり、爆発でなくなった人達が何人もいます。 数年前にも糸満市で不発弾爆発により作業員が亡くなっています。

 不発弾はどれくらい埋まっているのか? 沖縄総合事務局では過去の発見記録をデータベース化して公開しています。「不発弾 磁気探査 沖縄県」で検索すると、その地図化したデータベースを見ることができます(利用規程に同意してからアクセスできます)。

 1例として、私が那覇に住んでいた場所の近くの「那覇新都心」付近では、

 赤点が不発弾の発見箇所です。 赤点が四角く描かれているのはおそらく、爆弾の集積地だったと思います。 ここは前回ブログで紹介した「旧米軍牧港住宅地」跡です。 ほとんど赤点だらけで、どこに不発弾があっても不思議ではありません。 これは見つかった地点をあらわしているので、まだまだたくさん埋まっていると考えて下さい。 那覇市内では今でも大型爆弾が発見され、自衛隊による不発弾処理がよく行われています。 その時は半径数百m範囲は立入禁止となり、住む人達は避難させられます。 

 ちなみに、宮古島の私が住んでいる久松付近は、

 見にくいですが、転々と見つかっています。 でも、那覇市内に比べればまだまだ開発が進んでいないところですから・・・ 旧日本軍の飛行場だったと思われる現宮古空港は多く見つかっています。 

 

 沖縄では地面を掘削する場合、必ず磁気探査を実施しています。 その費用は全額国が負担します。 また、沖縄県は「広域探査発掘促進事業」として、毎年数十億円の事業費を用いて、本島・離島で調査を行っています。 しかし、不発弾が無くなるまでには何十年かかるかはわかりません。 まさに戦争の後遺症を未だに引きずっていると言ってよいでしょう。

 


那覇市の変化

2012-09-24 18:46:08 | 沖縄本島にて

 前回ブログの1週間前の9月6日にも那覇に行きました。 まったく、宮古島に引っ越したとたんによく行っています。 この時、時間があったので県庁前の「パレットくもじ」にある「那覇市歴史博物館」に行きました。 以前、那覇市の歴史で交通変更「730運動」などのイベントを紹介した場所です。

 6日は休館日。 しょうがないからイスに腰掛けて壁を見ると、那覇市の空中写真(全3枚)を飾っていました。 懐かしいなとばかりに部分的に何枚か写真撮影。

 まず、1982年(昭和57年)の那覇市泊周辺。 ごみごみした町中に対し、右上には広々とした土地が・・・ ここは「米軍牧港住宅地」と呼ばれていました。 このころ少しずつ返還されていましたが、まだまだ。 那覇市内の密集地に比べて贅沢に土地を使っていたことがわかります。 ちなみに赤線はモノレール計画路線。

 続きまして、1993年(平成5年)の同場所。 米軍住宅は全面返還され、跡地は白くなっています。 これは区画造成されたからです。

 最後に1994年(平成6年) あんまり時間差はないけれど、区画造成地ははっきりしてきました。 ここは今、「那覇新都心」として整備されています。 私が朝散歩していた公園も見えます。 ちなみに赤丸印は私がこの前まで住んでいた場所を示したものでした。 黄色線は現在のモノレール路線です。

 では、こちらは1994年の写真。 世界遺産「首里城公園」です。 そのそばには沖縄県立芸術大学の名前も。 首里城正殿をはじめ、しっかりきれいに出来上がっています。 モノレールも現終着駅「首里駅」で停まっています。 今後は延長され、浦添市役所前を通り、沖縄自動車道「西原IC」までの路線計画が決定しています。

 では1982年の写真を。 首里城はありません。 何やらパラパラと建物とグラウンドらしきものが・・・これはかつての「琉球大学」です。 県立芸大のあった場所はかつての「男子寮」でした。 私の母校です。 

 現在琉球大学は西原町・北中城村にまたがる広いキャンパスに移っています。 しかし、私は主に首里キャンパスで過ごしました。 研究室も卒業1ヶ月前に新キャンパスに移ったくらいで、ほとんど首里キャン育ちです。 首里城再建のため、私のキャンパスはなくなってしまいました。 世界遺産になった首里城を見るたびになんか(母校が無くなってしまった)複雑な思いがします。

 


飛行機が出るよ~

2012-09-20 18:34:44 | 沖縄本島にて

 ここ数週間、何をバタバタしていたのか慌ただしくてブログ更新をほったらかしていました。 久々にいじくっても新ネタ無し。 そこで先週那覇に行ったので、その帰りのネタを・・・

 先週土曜日(9月15日)は台風16号沖縄本島に接近。 那覇空港は大混雑でした。 内地便・離島便は大騒ぎ。 その内地便で。

 大阪関西空港行き11:25発が11:35になってもまだ搭乗していない人がいるため出発できない。 しかも飛行機まではバスで行かねばならない。 11:38にこの人がチェックイン。

 慌ただしくバスに乗っていきました。 アナウンスがあり、「最後の搭乗客の案内が終わった」とのこと。 お兄さん・・・迷惑かけちゃいけないよ! ただでさえもごった返している空港で、いつ何時天候が急変するかもわからないのに。

 案内するお姉さん達も仕事とは言え、ご苦労様です(でも困ったちゃんお客であっても嫌な顔をしないところはプロです)。  でもどうなんでしょうか? これがあのだだっ広く搭乗口が数え切れないほどあるような(迷路のような)羽田空港だったら・・・。 私が完全に迷ってしまったら、搭乗口にたどり着けないような気がします。 「タッチアンドゴー」とか「15分前に・・・」に甘えたらひどい目に遭うでしょうね。 やっぱり、最低30分前には搭乗口前に。 小心者の私はそう思います。

 さて、宮古の家に着いたら・・・風は強いですけど、青空が見えました。

 今回の台風16号は沖縄本島地方に大被害を与えましたが、宮古島はそれほどでもなかったみたいです。

 


モノレールにて(これってどう思います?)

2012-09-07 18:15:23 | 沖縄本島にて

 役所の打合せ検査で本島に来ました。 2週間ぶりの那覇です。 那覇ではビジネスホテルに泊まります。 つまり、前の会社(福岡)の沖縄出張と同じ条件になりました。 飛行機の時間も余裕ありますし、のんびりとモノレールに乗って・・・

 外の風景を撮ろうとデジカメ出して、外の風景をパチリ・・・・車内ではこんな風景が見られましたのでパチリ。

 観光客らしい夫婦が赤ちゃんをあやしながら外の風景を見ています。 子供も喜んで笑っています。 ほほえましい風景ですね。 But、子供が乗っかっているところは”荷物置き場”だよ。 しかも、モノレール車内はほぼ満員で大きい旅行鞄を抱えたお客さんもたくさんいます。 うぅ~ん、かなり迷惑ですね。 この人達は地元の電車・バスでも同じことするんだろうか? 多分しないと思います。 旅先だからできるのではないでしょうか。

 話は変わって、”日本最南端の鉄道駅「赤嶺駅」”をすぎると、自衛隊の基地が見えます。ここは「航空自衛隊那覇基地」の正門。

 かつて、お仕事で基地内に入場したことがあります。 どこの基地でも同じですが、夕方5時、国旗を降ろすときにラッパが鳴ります。 ラッパ演奏中は車両を止めます。 そういえば、基地内でいつもきびきび動いていたのは”警ら隊”の人達だったような記憶があります(自衛隊員が全員きびきびしているとは限らない)。 

 モノレールが大きくカーブするところに、モニュメントがあります。

 前に紹介したかもしれませんが、かつての戦闘機・練習機が置いています。 モノレールから見ると、ほとんど”プラモデルの世界”と思ってしまいます。 以前からここにありましたが、モノレール開通後にファントムF4(右奥)が追加されたような記憶があります。 ファントムもいつの間にか現役引退していたのですね。