なんでしょね~?笑
「自分」
と言う言葉・・・
本当にそれは「自」であり「己」なんだろうか?
少し昔に、大会の懇親会で同席になった
「自称:偉い人」
の会話には、
・Jの有名選手やOBの名前が多数でる。
・その人達との昔話が多い
・その人の武勇伝が多い
ん~。
非情に無機質で無意味な時間でした。笑
なぜならそれは、
「その人の話ではないから・・・」
まぁそういう有名人の話を欲しがる人もいますがね。
やっぱ酒の席と言うか、お話しできる環境で
他人の武勇伝で鼻高々になってる人は
面白くない・・・
子供の会話でも見受けられる時がある。
・兄ちゃん凄い話
・父ちゃん凄い話
・自分のモノ自慢話
予備軍?笑
要は「自分が凄い」と言えますか?と・・・
↑で言うとすごいのは、
兄ちゃんであり、父ちゃんであり、稀少なモノであり。。。
悪く捕えると、単なるナルシストで嫌がられますが。爆
他人の服で着飾って、
オレってカッコいいでしょ?
ってないかなと。
はたまた、スタイリストさんに着せられた服で
「自分の好み」
となれますか?
まぁまだまだ少年期の間は、自分探しと言うか、
人格形成の時期なのでね。
んでもその「中」の所を表に出す子もいれば、
内に隠す子もいる。
それはいつ出てくるか解らないし、
ずーっと出ないかも知らん。
んでも大半の子は、出すが出すまいが、
「核(コア)」は持っている。
持っている子は「待つ」事で可能性は高まる。
持って居ない子は先ず「種まき」をしなければ
ならない。
ここ数年はその「種まき」に時間を費やされるなぁ・・・と。
そのコアってのは一変すると、物凄く厄介で、
面度くさくて、大人の目線では手間になったりする。
まぁ忙しい時代ですからね。
隣の子と同じ事をさせて、成績も普通で、
健康であれば、無難で楽。。。
んでもそれで、そのコアの部分が薄れていっているので
あれば問題かなぁ。。。
毎度だが、
低学年時の「やんちゃ」が、そのまま残らないかなぁ・・・笑