仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

箱根関所

2013年11月22日 | おでかけ
十国峠】のつづき
正午近くになって【国指定史跡・箱根関所】に辿り着いた。
(^_^;)
ここは、"箱根関跡保存整備事業"として1999(平成11)年から2年をかけて跡地一帯の発掘調査を行なったうえで構造物を復元し、2007(平成19)年から公開しているとのこと。
十国峠を越えた我々は、"京口御門"と呼ばれる門から関所の中へと入った。
というか、そちら側が出入口。
(^。^)
関所が機能していた江戸時代は全国に53箇所あまりの関所が設けられ、そのうち中山道の木曽福島(長野県)、碓氷(うすい/群馬県)、東海道の新居(静岡県)、箱根(神奈川県)の4箇所は規模も大きく、最も重要な関所であったらしい。
"箱根関所"が現在の場所に置かれたのは江戸時代初期の1619(元和5)年のことといわれているとのこと。
関所では江戸に入ってくる鉄砲と江戸から外に出て行く女性を厳しく取り締まったそうで、"入鉄炮出女"との言葉もあったようだが、箱根関所の場合は「入鉄炮」の検査は行われていなかったものの「出女」には特に厳しく、女性の身体的特徴を専門に検分する"人見女"という女性の役人が常駐していたとのことである。
我々は、役人を模した人形が置いてある"面番所"の前を通り、今度は"江戸口御門"を通り抜けて"箱根関所資料館"まで行ったのだが、そこで箱根関所のアイドルだという"おたま"というのが気になった。
どうやらこれは、1702(元禄15)年に(伊豆の実家が恋しくなって奉公に出ていた江戸のおじさん宅を抜け出したものの通行手形を持っていないことから山を抜けようとして)関所破りの罪で捕まり、獄門(さらし首)になってしまった実在の女性"おたま"をモデルにしているらしい。
江戸時代の死刑制度について調べてみると、武士に対しては切腹または斬首という刑があり、武士でない階級には(重い順に)鋸挽(のこぎりびき)、磔(はりつけ)、獄門(斬首刑・重)、火罪(かざい/火あぶり)、死罪(斬首刑・中)、下手人(斬首刑・軽)という6種類の刑があったらしく、おたまは「斬首後の首を刑場に3日2夜晒される」という3番目に重い方法で処刑されてしまった人。
女の子だったとはいえ、そのような悲しい最期を迎えてしまった人をアイドルキャラクターのモデルにしてしまう発想には少し違和感を覚えた。
つづく