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仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

古い絵はがき(その2)増毛停車場

2013年03月18日 | 明治 大正 昭和のコレクション
古い絵はがき(その1)増毛市街ノ一部】のつづき
2012(平成24)年の春に我が家の押入れで発見した古い絵葉書2枚目は、"増毛停車場"(Masuge station)と書かれたモノクロの絵はがき。
"増毛停車場"とは現在の"JR増毛駅"のことで、当時は"国鉄増毛駅"。
現在は無人駅になってしまったが、『新増毛町史』(平成18年刊)によると、かつての増毛駅には貨物線、4番線、5番線、引揚線、荒荷線等の構内線350mほどがあったようである。
モノクロの絵はがきなのでいまひとつ分かりにくい画像なのだが、駅舎の辺りには列車から降りたらしい沢山の人達の姿が見える。
そして、ちょうど貨物列車が1両停車していていることから、1番ホームに停車しているらしい列車の先頭車両が隠れてしまっているのが残念である。
増毛町に至る鉄道が開通したのは、1921(大正10)年11月5日のことであるが、この絵はがきが大正時代の開通当時の撮影なのか昭和になってからのものなのかは不明。
また、一緒に発見した絵はがき【増毛市街ノ一部】と同様、裏面には日本語で"郵便はかき"、フランス語で"CARTE POSTALE"、英語で"MADE IN JAPAN"と印刷されている。

つづく

古い絵はがき(その1)増毛市街ノ一部

2013年03月17日 | 明治 大正 昭和のコレクション
2012(平成24)年の春に我が家の2階の押入れを整理した際、"支那事変従軍記章之證"や"大東亜戦争 陸軍作戦記録画集"等と一緒に数十枚の古い絵はがきを発見した。
カラーの物も数枚含まれていたのだが殆どはモノクロの物で、それらは東京や札幌の風景を撮影した写真を使っている絵はがきだった。
そして、その中に僅か3枚ではあったものの増毛町の風景写真を使用した絵はがきがあり、その一枚が本日の画像【増毛市街ノ一部】と書かれた絵はがきである。
撮影された日付が記されていないことから、いつの頃の撮影なのかは不明。
日本語の文字が右から左に書かれているので、昭和20(1945)年以前だろうとは思う。
"A part of street at Masuge"と英文も書かれているのだが、"適性語"についてはいつ位から使わなくなったのかが不明なので、漠然と第2次世界大戦開戦以前の物だろうとは考えるものの、やはり撮影の時期を特定するのは難しい。
左下には"増毛井狩書店発行"とある。

つづく

死神博士

2012年12月08日 | 明治 大正 昭和のコレクション
『少年少女 譚海』(躍進六月号)で一番気になったのは、高木彬光(作)・伊勢田邦彦(絵)の『死神博士』という"長編怪奇探偵小説"。
扉絵は「これは読みたい!」と思わせる何とも素晴らしいものだった。
(^_^)
物語は、「K大学医学部・外科部長の柴山金一博士は帰宅途中に誘拐され、目隠しのうえ連れて行かれた謎の場所で手術を強要される。それは、若い男の死体から脳髄を取り出して蝋人形に入れ替えるというものだった。手術後に自宅へ帰された博士は、ついさっき自分が手術をしていたその死体が門に寄りかかっているのを見て気を失うが、翌朝眼を覚ました病院では脅迫状が届く。そして、その脅迫状には・・・」という内容で、扉を含める13ページ。
結構な量の挿絵も入っていることから、文字数はあまり多くはなかった。
しかし、読んでいくうちに段々と面白く思えてきて、さらに続きが読みたくなってきたほどの展開であり、とても濃い内容だった。
(^。^)
この号は連載第2回とのことだったが、その後どのくらい連載が続いたものなのだろうか。
物語の続きがとても気になるのだった。

躍進六月号の目次

2012年12月05日 | 明治 大正 昭和のコレクション
画像は、1950(昭和25)年発行の雑誌『少年少女譚海(たんかい)』(躍進六月号)の目次。
この目次を見てみると、「怪奇探偵・死神博士」、「科学小説・宇宙魔球人」等の連載と「野球実話・涙のホームラン」、「活劇小説・赤い白鳥事件」といった読み切りの小説が約20編掲載されているようで、その他に連載漫画もいくつかあるようだった。
また、背景には野球選手やボール、バット、グローブのイラストが多用されているのだが、どうやらこの1950年というのはプロ野球が2リーグ制に分裂した年のようで、一気に増えた球団の球団旗も描かれていた。
少し気になったので本文226ページの「プロ野球の旗自慢」という記事を読んでみると、
「ジャイアンツの旗はエビ茶色で真ん中に角ばった形でGの字が白く浮かんでいる。どうだい一番歴史の古い巨人らしくていいだろう。あのGの字のガッチリした隅っこには藤本、川上、千葉、青田がデンと構えているようだ」
「新球団の国鉄スワローズのはかわいらしいな。ブルーの旗は青空のようだ。その中央に特急"つばめ"が今にも飛び出しそうじゃないか。フレフレ、スワローズ」
阪神の旗見たかい。黄色に四本の黒縞。とらの模様みたいだけど、あれは阪神電車の線路だよ。左のすみのマークは、とらが眼をランランと光らせてほえている。藤村選手のホームランがあの中からとびだすんだ」
「中日ドラゴンズの旗もいさましいな。全体が黄色のとこに黒い龍が四本足でふんばっている。あれは坪内、杉浦、西澤、杉山の四人の強打者だ」
「毎日オリオンズの三色旗。巨人の古くさいのとはくらべものにならないよ。べにあか、白、うす青とかがやくオリオン星座の星三っ。あれは阪神から移った若林、別當、土井垣かな。それとも湯浅監督、荒巻、戸倉かな。どんなもんだい」
「近鉄パールスは濃い紺色に白い真珠の玉がとびちっている。一ッ、二ッ、三ッ、四ッ・・・やぁ、大きな真珠が十五、中型が十八、小さいのが十五で、全部で四十八個か。あの中に法政からの関根、明治大学の寶山、立教の五井、島方がいる。大きいのは森下かな。今年の森下はとても打つからな」
「白地に緑の鷹が羽ばたいている南海の旗はアッサリしててぼく好きだな。山本監督のようだ。今年のホープは早稲田大学から入った蔭山だよ。きっと大きく羽ばたくぜ」
「新球団の西鉄クリッパースは飛行艇という意味だ。上の段が濃い紺色で下の段が黄色の二色。西日本鉄道の西の字が車輪のように白で浮いている。武末投手と巨人からの川崎投手がガッチリ構えている」
「松竹ロビンスの真っ赤な色はどうだい。眼が覚めるようだろ。そして"こまどり"すなわちロビンスの英語が紺色に、しりあがりに書いてあり、左の上に緑色で松竹のマークが入っている。去年まではBの字の上にこまどりが一羽とまっていたんだが、今年からRの上に松と竹のマークが増えた。松と竹は縁起がいいからね」
「大洋漁業ホエールズの旗はカルタみたいだね。白地に赤のマルは。あの"マルは"って何のマークか知ってるかい。あれはね、大洋漁業という鯨をとる会社の社長が林兼という人で、林のはの字だよ。白は清純、清くてまじりっけのないこと。赤は愛情団結を表したものなんだ」
「廣島カープは一番派手だろう。紺十二本、白十一本の中にカープ(鯉)の英語がまるで緋鯉が踊っているように書いてある。石本かみなり監督の顔がCの字に出てるね」
「西日本パイレーツは海賊軍という意味だ。紺の地色に西日本の頭文字Nが白で抜いてある。しかも骨のような書き方であれは海賊がしゃぶる肉の骨みたいだ」
「大映のマークは大の字を模様組みのようにしたものだ。しかもバットの中に星が一つ。すなわち大映スターズだ」
「阪急ブレーブスは勇士の横顔が書いてある。あの顔は浜崎監督に似ているって評判だよ。今年の阪急は大勢選手を引き抜かれたんで勇士が口をあけて怒ってるんだ」
「東急フライヤーズはスマートそのものだね。紺と朱の二色で近衛兵が持つ旗のように三角型になっているのはここだけだ。上品なのが狙いなんだ」
という15球団旗の説明がされていてナカナカ面白く、阪神タイガースの球団旗の黒い縞が実は線路だったとは初めて知ったし、現役時代を知らない選手の名前が沢山書かれていたりして、時代を感じたのだった。
ちなみに、この年に初めて開催された【プロ野球日本選手権シリーズ試合】いわゆる"日本シリーズ"は、パシフィックリーグ優勝の毎日オリオンズがセントラルリーグ優勝の松竹ロビンスに4勝2敗で勝利し、日本一に輝いたたようである。

少年少女 譚海 (躍進六月号)

2012年11月30日 | 明治 大正 昭和のコレクション
今年になって【大東亜戦争 陸軍作戦記録画集】等の戦前の物と一緒に我が家で発見した雑誌『少年少女 譚海(たんかい)』(躍進六月号)。
タケカズ少年(仁左衛門父)がおそらく高校2年生の時に買った雑誌だろうと推測する。
いかにも古そうな表紙イラストだが、これは戦後の物で、いわゆるサンフランシスコ講和条約(1951年)締結前の物だからか(たぶん戦闘機のパイロットの)男の子はアメリカ軍をイメージさせる星のマークのヘルメットをかぶり、女の子は金髪である(航空自衛隊は1954年設立)。
本はB6版という小さめのサイズで、全392ページだった。
その392ページ目を見ると発行所は株式会社文京出版、昭和25(1950)年5月25日印刷、6月1日発行となっており、なんとも勇ましい表紙の絵は(目次に)小松崎茂「大空をゆく」というタイトルが書かれていた。
また、裏表紙の"定価八十円"と書かれている左隣には幾らか小さめの文字で"地方売価八十三円"とも書かれており、流通の末端に位置した増毛町や留萌市など、北海道あるいは日本全国の田舎の町では割高な価格で購入するしかなかったのだろうと推測したが、ただ、実際にこの"地方売価"で取引されていた範囲がどういった地域だったのかは定かではない。
さて、この本が発売された昭和25(1950)年頃の日本の物価について、『戦後値段史年表/週間朝日編』(2006年/朝日文庫)で調べてみると、
●サイダー・・・昭和24(1949)年・・・53円
●コーヒー・・・昭和25(1950)年・・・30円
●岩波文庫・・・昭和25(1950)年・・・30円
●理髪料金・・・昭和25(1950)年・・・60円
●クレヨン・・・昭和26(1951)年・・・50円(国産12色)
●週間朝日・・・昭和26(1951)年・・・25円(5月号)
等と書かれていた。
定価80円のこの雑誌は、特別に安い物というわけではなかったようだ。

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父が使っていた教科書

2012年09月26日 | 明治 大正 昭和のコレクション
2階の押入れを整理していた時に発掘した高校3年生用の古い教科書『新国語/ことばの生活3』(昭和26年/三省堂編集所編)。
A5版なので、現在の一般的な教科書より幾らかサイズが小さいようだ。
中身を少しばかり覗いてみると、この頃の国語は『ことばの生活』と『われらの読書』という2冊を併用して授業が行われていたらしいことが書いてあった。
また、この教科書に収められている諸作品には、教科書用として当用漢字、原題かなづかいを適用していることから多少手を加えているらしいことも書かれていた。
定価は24円。
書き込まれたメモによると、北海道留萌高等学校では昭和26(1951)年9月16日(月)の6時間目に松浦先生の国語の試験が行われたようである。
さて、仁左衛門父の試験の結果はどうだったのだろうか!?
(^。^)

大東亜戦争 陸軍作戦記録画集

2012年08月25日 | 明治 大正 昭和のコレクション
先日、我が家で【支那事変従軍記章之證】と共に【大東亜戦争 陸軍作戦記録画集】なるものを発見。
布で覆われた木箱の中に、解説書に記載がある23枚の戦争画と『アッツ島玉砕』との題名・説明文が書かれた戦争画1枚の計24枚が入っていた。
同梱の"解説書"によると、この画集は陸軍美術協会によって1943(昭和18)年9月29日に発行されたものらしい。
画像は、『山下・パーシバル兩司令官會見圖』(宮本三郎)、『硝煙の道』(猪熊弦一郎)、『コレヒドールきく高地』(田中佐一郎)の3枚。
洋画家・宮本三郎(1905年~1974年)の戦争画『山下・パーシバル兩司令官會見圖』は有名らしく、同年に帝国美術院賞(現日本芸術院賞)を受賞しているとのことである。

支那事変従軍記章之證

2012年08月24日 | 明治 大正 昭和のコレクション
数十年ぶりに我が家の2階の押入れを片付けたのだが、様々なものをゴミとして処分した結果、不燃ゴミの袋(40リットル)が26~27個にもなってしまったのには驚いた。
(^_^;)
その際に出てきた埃まみれになったボロボロの箱の中に【大東亜戦争 陸軍作戦記録画集】と、画像の【支那事変従軍記章之證】というものが入っていた。
調べてみると、"従軍記章"は、「日本が参戦した戦役・事変に関わった人物へ、その顕彰のために日本国から贈られたもので、軍功の如何や階級に関係なく広く授与された」のだそうで、その授与の際にはいわゆる賞状のようなものが一緒に渡されていたのだろう。
「第二百四十万六千百四十四號ヲ以テ支那事變從軍記章簿冊ニ記入ス」とも記載されていたが、"支那事変従軍記章"というのは相当多く授与されたものらしい。
今回、"従軍記章"そのものは出てこなかったのだが、授与の日付は"昭和15(1940)年4月29日"となっていた。
さて、これを授与されたのは仁左衛門の伯父・上○正廣氏で、伯父は仁左衛門が生まれる20年前、昭和17(1942)年6月27日に25歳(独身)で逝去していることから当然ながら仁左衛門とは面識はなく、古い写真でしか顔を見たことがない。
この"支那事変従軍記章之證"には、"陸軍輜重兵(しちょうへい)"と記載されているので、いわゆる後方支援部隊に所属していたということなのであろう。