画像は読売ジャイアンツの川上一塁手(右)と青田外野手(左)2ショットの野球カード。
『タケカズ少年のプロ野球コレクション』は、1948(昭和23)年か1949(昭和24)年の姿を記録した野球カードがほとんどだと思われるのだが、このカードがどちらのシーズンなのかは特定できない。
しかし、1リーグ制時代のものであることは間違いがないところである。
写真中心近くの「4」という数字の意味は両選手の背番号でもなく意味不明。
もう一枚だけ「5」という数字が書かれたものがあったのだが、そのほかには見受けられないので、カードによくある通し番号ということでもないらしい。
ジャイアンツの先発メンバーを見ると、1948年シーズン前半には「3番青田、4番川上、5番千葉」という打順もあったが、後半と翌1949年シーズンの打順は「3番青田、4番川上、5番平山」でほぼ固定されていたようで、戦後1リーグ時代のジャイアンツ(東京巨人軍/1946年、読売ジャイアンツ/1947~)の、
1946年=2位・105試合64勝39敗2分=勝率.621
1947年=5位・119試合56勝59敗4分=勝率.487
1948年=2位・140試合83勝55敗2分=勝率.601
1949年=1位・134試合85勝48敗1分=勝率.639
と記録されている成績から、この写真の頃のジャイアンツの強さはほぼ安定していたものだったのだろうと想像できる。
『タケカズ少年のプロ野球コレクション』は、1948(昭和23)年か1949(昭和24)年の姿を記録した野球カードがほとんどだと思われるのだが、このカードがどちらのシーズンなのかは特定できない。
しかし、1リーグ制時代のものであることは間違いがないところである。
写真中心近くの「4」という数字の意味は両選手の背番号でもなく意味不明。
もう一枚だけ「5」という数字が書かれたものがあったのだが、そのほかには見受けられないので、カードによくある通し番号ということでもないらしい。
ジャイアンツの先発メンバーを見ると、1948年シーズン前半には「3番青田、4番川上、5番千葉」という打順もあったが、後半と翌1949年シーズンの打順は「3番青田、4番川上、5番平山」でほぼ固定されていたようで、戦後1リーグ時代のジャイアンツ(東京巨人軍/1946年、読売ジャイアンツ/1947~)の、
1946年=2位・105試合64勝39敗2分=勝率.621
1947年=5位・119試合56勝59敗4分=勝率.487
1948年=2位・140試合83勝55敗2分=勝率.601
1949年=1位・134試合85勝48敗1分=勝率.639
と記録されている成績から、この写真の頃のジャイアンツの強さはほぼ安定していたものだったのだろうと想像できる。