『タケカズ少年のプロ野球コレクション』(その27)は、南海ホークス(現福岡ソフトバンクホークス)河西選手の野球カード。
解像度が低くて判りにくい野球カードなのだが、野球場のスタンドからあふれた観客がフェンスなどお構い無しにグラウンド内に座り込んでいるようにも見える。
何だか凄い状況が背景として写っているようだ。
さて、この「南海 河西中堅手」について調べてみると、河西俊雄(1920年~2007年)氏は右投げ右打ちの外野手で、兵庫県姫路市出身。
1946(昭和21)年にグレートリング(→南海ホークス:1947年6月1日~1988年→福岡ダイエーホークス:1989年~2004年→福岡ソフトバンクホークス:2005年~現在)に入団し、1946年から1948(昭和23)年まで3年連続で盗塁王を獲得したようなので、このカードの構図には納得だ。
(^_^)
生涯記録(1946年~1955年)は、出場試合771、打数2524、安打652、本塁打11、打点183、打率.258、出塁率.323、盗塁233(成功率79.3%)。
グレートリングが"26-0"で圧勝した対ゴールドスター戦(1946年7月15日/高岡工専グラウンド)では、"1番センター"で先発出場し、1試合6盗塁を記録したようである。
現役選手時代の背番号は、27(1946年~1950年途中)→18(1950年途中~1952年)→31(1953年~1955年)。
プロ野球が2リーグに分裂した1950(昭和25)年シーズン途中に、大阪タイガース(現阪神タイガース)へ移籍したらしい。
それにしても、プロ野球の興行が球場だけではなく、グラウンドでも行われていたとは面白い。
解像度が低くて判りにくい野球カードなのだが、野球場のスタンドからあふれた観客がフェンスなどお構い無しにグラウンド内に座り込んでいるようにも見える。
何だか凄い状況が背景として写っているようだ。
さて、この「南海 河西中堅手」について調べてみると、河西俊雄(1920年~2007年)氏は右投げ右打ちの外野手で、兵庫県姫路市出身。
1946(昭和21)年にグレートリング(→南海ホークス:1947年6月1日~1988年→福岡ダイエーホークス:1989年~2004年→福岡ソフトバンクホークス:2005年~現在)に入団し、1946年から1948(昭和23)年まで3年連続で盗塁王を獲得したようなので、このカードの構図には納得だ。
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生涯記録(1946年~1955年)は、出場試合771、打数2524、安打652、本塁打11、打点183、打率.258、出塁率.323、盗塁233(成功率79.3%)。
グレートリングが"26-0"で圧勝した対ゴールドスター戦(1946年7月15日/高岡工専グラウンド)では、"1番センター"で先発出場し、1試合6盗塁を記録したようである。
現役選手時代の背番号は、27(1946年~1950年途中)→18(1950年途中~1952年)→31(1953年~1955年)。
プロ野球が2リーグに分裂した1950(昭和25)年シーズン途中に、大阪タイガース(現阪神タイガース)へ移籍したらしい。
それにしても、プロ野球の興行が球場だけではなく、グラウンドでも行われていたとは面白い。