仁左衛門日記

The Diary of Nizaemon

タケカズ少年のプロ野球コレクション(その21)タイガース藤村

2013年05月07日 | 明治 大正 昭和のコレクション
『タケカズ少年のプロ野球コレクション』(その21)は、大阪タイガース(現阪神タイガース)藤村選手の野球カード。
仁左衛門は、テレビ時代劇『新・必殺仕置人』(1977年)において寅の会元締・虎を演じた俳優としての姿を見た記憶がある程度で、現役時代の活躍はマッタク知らないのだが、調べてみると、藤村富美男(1916年~1992年)氏は右投げ右打ちの三塁手(広島県呉市出身)で、この度国民栄誉賞を受賞した松井秀喜(1974年~)氏などはその足元にも及ばない素晴らしい選手であり、同時受賞の長嶋茂雄(1936年~)氏が少年時代にそのプレースタイルにあこがれたというスーパースター、【ミスタータイガース】なのだった。
大阪タイガースの創設時(1935年)に投手として入団した藤村選手は、日本職業野球連盟主催による【第1回日本職業野球リーグ戦・甲子園大会】(1936年4月29日~5月4日)での第1戦・対名古屋金鯱軍(1936年4月29日/阪神甲子園球場)で初先発して1安打完封勝利を飾り、タイガースの初公式戦で勝利投手となってもいるようで、投手として登板試合76、34勝11敗(完投14、完封4)、投球回数345.1、勝率.756、防御率2.35、奪三振183(奪三振率4.77)の生涯記録を残している。
打者としては、首位打者(1950年)、本塁打王(1936年秋・1949年・1953年)、打点王(1944年・1947年・1948年・1949年・1953年)のタイトルを獲得し、なんと、サイクルヒットを2回(1回目:1948年10月2日/対金星スターズ/甲子園球場、2回目:1950年5月25日/対広島カープ/阪神甲子園球場)も達成させているのは素晴らしい。
選手兼監督としても活躍したようであるが、出場試合1558、打数5648、安打1694、本塁打224、打点1126、打率.300、出塁率.374、盗塁103(成功率72.5%)という生涯記録を残しており、1リーグ制最後の1949年シーズンにはMVPを獲得、引退後の1974年には野球殿堂入りを果たしている。
戦前はもちろん、戦後も"物干し竿の藤村"として、"赤バットの川上"、"青バットの大下"と共に一時代を築いた選手であるのだが、戦争に巻き込まれさえしなければ、もっともっと素晴らしい記録を残していたに違いない選手の一人だろう。
背番号10はタイガースの永久欠番になっている。
つまり、タイガースの「10」は、藤村選手ただ一人しか背負ったことがない背番号なのである。