風邪と自殺と沖縄と
五月の連休前後からずっと、風邪が流行っているらしい。
知人の大学教授によると「教室中、咳だらけ」だそうだし、友人の開業医も「このところ風邪の患者が多い」と言っていた。私も風邪でせっかくの連休をフイにした。
それなのに、新聞には風邪のニュースが載らない。テレビも報じない。とすると、風邪の流行は私の周辺に限った現象なのだろうか。
作家の山口瞳に同じ思いのエッセーがある。自分の体調がよろしくない。微熱が続き、楽しみにしていた旧制中学の同期会にも出られなかった。そう前置きして、
〈私の知っている人だけで風邪っぴきは十人を下らない。これはもう社会現象だと言っていいと思うが、新聞は少しも騒がない。新聞社はどこそこの小学校で学級閉鎖があったとか何とかにならないと教えてくれない〉
指摘されればその通りだと、現役記者の頃を思い出して私はうなだれる。
風邪が流行っていると知っていても、役所が患者数をまとめて発表するまでは、マスメディアはほとんど扱おうとしない。「発表」という後ろ盾があって初めて原稿を書く。私にも覚えがある。
「発表ジャーナリズム」である。
昔々「ジャーナリズムはセンセーショナリズムだ」と解き明かした評論家がいた。ご当人は新聞記者出身だったから、言葉にはいささかの信憑性(しんぴょうせい)があった。
「犬が人を噛んでもニュースではないが、人が犬を噛んだらニュースである」と定義づけた人もいた。この人も元新聞記者だった。
そうした見方からすれば、ふつうの風邪の蔓延(まんえん)は特段のニュースではなかろう。風邪だけで死ぬ人は滅多にいない。
しかし「風邪は万病の元」でもある。あらゆる病気の元と言えなくもない。油断するな用心せよ、と昔の人は教えた。なんの風邪ぐらい、と強がって痛い目に遭った人は多い。そこまで行かずとも、仕事にも家事にも支障を来す。
かりに風邪が流行しているとすれば、そのニュースは人びとにとって有用なはずだ。
警察庁の発表によると、昨年1年間の自殺者は3万2845人で、前年比前年比1.8%増。12年連続で3万人を上回った。
ただし、有名人の自殺や練炭を使った自動車内での集団自殺などは別として、一つひとつの自殺のニュースは、ほとんど新聞に載らない。自殺は警察庁が数字を発表した際に、まとめ記事として扱われる程度である。
けれども、3万人の死は山口瞳の言葉を借りれば「これはもう社会現象だと言っていい」。同じ昨年1年間の交通事故による死者は、警察庁によれば4914人(事故から24時間以内に死んだ人の数)だ。自殺者の方が6.7倍も多い。
駅のアナウンスが「人身事故のためダイヤが乱れております」と伝える。ほとんどの乗客は「人身事故とは自殺のこと」と知っている。男かしら女かしら、どんな事情だろう、急いでいるのに迷惑だ、などと思う人もいるだろう。
しかし、たいていの場合メディアは報じない。
もちろん、プライバシーの問題はある。遺書でもない限り、自殺した原因がすぐにはわからない、といった状況もある。
3万件をはるかに上回る自殺をいちいち報じていたらきりがない、という考え方もある。なにより、交通事故と違って警察がデータを積極的には発表してこなかった経緯がある。
だからといって、マスメディアが日々起こっている「社会現象」に触れなくていいものかどうか。3万2845人という数字は、単なる積算の結果ではあるまい。3万2845人の生と死が、そこにはある。いまの社会の姿を映す鏡、という見方も成り立つ。
1日の各紙朝刊には〈首相退陣論強まる〉=日経新聞、〈首相退陣要求強まる〉=読売新聞、〈首相退陣論が噴出〉=朝日新聞といった大見出しが躍っていた。マスメディアも多忙を極めている。
さなか、私が選者を務めている「朝日川柳」に、こんな投句があった。
〈紙面からもう沖縄の記事が消え〉
読者とは鋭く、油断ならない存在である。
いまは建て替えられたが、東京・有楽町の東京宝塚劇場は、敗戦から1955年までの9年余、「アーニー・パイル劇場」と呼ばれていた。進駐軍が接収し、米軍兵士の専用劇場で日本人客は入ることを禁じられた。
パイルは従軍記者だ。1945年4月、沖縄戦で日本軍の銃撃を受け、死んだ。最期の地、伊江島に、いまも碑が立っている。〈歩兵第77部隊は仲間アーニー・パイルをここで失った〉。功績を記念し、その名が占領地日本の劇場に付けられた。当時、そうした例は珍しくなかった。むろん、現在はない。
と書きたいけれど、現在もある。沖縄に、いくつもある。普天間基地の移転問題で紙面に繰り返し登場した「キャンプ・シュワブ」が典型例だ。アルバート・シュワブは米海兵隊の上等兵。沖縄本島での激戦で、彼は日本軍の機銃掃射の弾幕をものともせず突進。日本兵12人を殺し、敵の機銃陣地を破壊した。英雄シュワブの名が、基地の名になった。
シュワブの隣のキャンプ・ハンセン訓練場も、海兵師団の司令基地であるキャンプ・コートニーも、すぐ南のキャンプ・マクトリアスも、沖縄戦で戦功をあげた兵士の名にちなむ。米軍の内部文書がそう記している。
『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』(梅林宏道著、高文研)を読むと、こうした事実が詳述してある。その一節。
〈沖縄の基地を考えるときに重要なのは、米軍が激しい戦闘の末に占領し、それが今日まで続いているという事実だ〉
〈戦勝者がそのままそこにいるのが現在の沖縄の姿である〉
風邪も自殺も、マスメディアの手から漏れがちである。
性格はずいぶんと違うけれど、沖縄の問題も漏れがちである。
投句からもう1句引く。日米共同声明が主題だ。
〈共同と言うが降伏文書なり〉
2010年06月02日 新聞案内人
栗田 亘 コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」
五月の連休前後からずっと、風邪が流行っているらしい。
知人の大学教授によると「教室中、咳だらけ」だそうだし、友人の開業医も「このところ風邪の患者が多い」と言っていた。私も風邪でせっかくの連休をフイにした。
それなのに、新聞には風邪のニュースが載らない。テレビも報じない。とすると、風邪の流行は私の周辺に限った現象なのだろうか。
作家の山口瞳に同じ思いのエッセーがある。自分の体調がよろしくない。微熱が続き、楽しみにしていた旧制中学の同期会にも出られなかった。そう前置きして、
〈私の知っている人だけで風邪っぴきは十人を下らない。これはもう社会現象だと言っていいと思うが、新聞は少しも騒がない。新聞社はどこそこの小学校で学級閉鎖があったとか何とかにならないと教えてくれない〉
指摘されればその通りだと、現役記者の頃を思い出して私はうなだれる。
風邪が流行っていると知っていても、役所が患者数をまとめて発表するまでは、マスメディアはほとんど扱おうとしない。「発表」という後ろ盾があって初めて原稿を書く。私にも覚えがある。
「発表ジャーナリズム」である。
昔々「ジャーナリズムはセンセーショナリズムだ」と解き明かした評論家がいた。ご当人は新聞記者出身だったから、言葉にはいささかの信憑性(しんぴょうせい)があった。
「犬が人を噛んでもニュースではないが、人が犬を噛んだらニュースである」と定義づけた人もいた。この人も元新聞記者だった。
そうした見方からすれば、ふつうの風邪の蔓延(まんえん)は特段のニュースではなかろう。風邪だけで死ぬ人は滅多にいない。
しかし「風邪は万病の元」でもある。あらゆる病気の元と言えなくもない。油断するな用心せよ、と昔の人は教えた。なんの風邪ぐらい、と強がって痛い目に遭った人は多い。そこまで行かずとも、仕事にも家事にも支障を来す。
かりに風邪が流行しているとすれば、そのニュースは人びとにとって有用なはずだ。
警察庁の発表によると、昨年1年間の自殺者は3万2845人で、前年比前年比1.8%増。12年連続で3万人を上回った。
ただし、有名人の自殺や練炭を使った自動車内での集団自殺などは別として、一つひとつの自殺のニュースは、ほとんど新聞に載らない。自殺は警察庁が数字を発表した際に、まとめ記事として扱われる程度である。
けれども、3万人の死は山口瞳の言葉を借りれば「これはもう社会現象だと言っていい」。同じ昨年1年間の交通事故による死者は、警察庁によれば4914人(事故から24時間以内に死んだ人の数)だ。自殺者の方が6.7倍も多い。
駅のアナウンスが「人身事故のためダイヤが乱れております」と伝える。ほとんどの乗客は「人身事故とは自殺のこと」と知っている。男かしら女かしら、どんな事情だろう、急いでいるのに迷惑だ、などと思う人もいるだろう。
しかし、たいていの場合メディアは報じない。
もちろん、プライバシーの問題はある。遺書でもない限り、自殺した原因がすぐにはわからない、といった状況もある。
3万件をはるかに上回る自殺をいちいち報じていたらきりがない、という考え方もある。なにより、交通事故と違って警察がデータを積極的には発表してこなかった経緯がある。
だからといって、マスメディアが日々起こっている「社会現象」に触れなくていいものかどうか。3万2845人という数字は、単なる積算の結果ではあるまい。3万2845人の生と死が、そこにはある。いまの社会の姿を映す鏡、という見方も成り立つ。
1日の各紙朝刊には〈首相退陣論強まる〉=日経新聞、〈首相退陣要求強まる〉=読売新聞、〈首相退陣論が噴出〉=朝日新聞といった大見出しが躍っていた。マスメディアも多忙を極めている。
さなか、私が選者を務めている「朝日川柳」に、こんな投句があった。
〈紙面からもう沖縄の記事が消え〉
読者とは鋭く、油断ならない存在である。
いまは建て替えられたが、東京・有楽町の東京宝塚劇場は、敗戦から1955年までの9年余、「アーニー・パイル劇場」と呼ばれていた。進駐軍が接収し、米軍兵士の専用劇場で日本人客は入ることを禁じられた。
パイルは従軍記者だ。1945年4月、沖縄戦で日本軍の銃撃を受け、死んだ。最期の地、伊江島に、いまも碑が立っている。〈歩兵第77部隊は仲間アーニー・パイルをここで失った〉。功績を記念し、その名が占領地日本の劇場に付けられた。当時、そうした例は珍しくなかった。むろん、現在はない。
と書きたいけれど、現在もある。沖縄に、いくつもある。普天間基地の移転問題で紙面に繰り返し登場した「キャンプ・シュワブ」が典型例だ。アルバート・シュワブは米海兵隊の上等兵。沖縄本島での激戦で、彼は日本軍の機銃掃射の弾幕をものともせず突進。日本兵12人を殺し、敵の機銃陣地を破壊した。英雄シュワブの名が、基地の名になった。
シュワブの隣のキャンプ・ハンセン訓練場も、海兵師団の司令基地であるキャンプ・コートニーも、すぐ南のキャンプ・マクトリアスも、沖縄戦で戦功をあげた兵士の名にちなむ。米軍の内部文書がそう記している。
『情報公開法でとらえた沖縄の米軍』(梅林宏道著、高文研)を読むと、こうした事実が詳述してある。その一節。
〈沖縄の基地を考えるときに重要なのは、米軍が激しい戦闘の末に占領し、それが今日まで続いているという事実だ〉
〈戦勝者がそのままそこにいるのが現在の沖縄の姿である〉
風邪も自殺も、マスメディアの手から漏れがちである。
性格はずいぶんと違うけれど、沖縄の問題も漏れがちである。
投句からもう1句引く。日米共同声明が主題だ。
〈共同と言うが降伏文書なり〉
2010年06月02日 新聞案内人
栗田 亘 コラムニスト、元朝日新聞「天声人語」