【時事(爺)放論】岳道茶房

話題いろいろだがね~
気楽に立寄ってちょ~

11/9中日春秋

2010年11月09日 | コラム
11/9中日春秋

 面白い小説とは、物語の展開に読者を引き込み、急いで結末が知りたいと思わせるような作品だろう。ページを繰る手を止めさせない、英語でいえば、ページターナーだ。

 ところが、残るページが少なくなると逆に読む速度を落としたくなる本もある。退屈なのではない。その逆だ。素敵な物語であればあるほど、読者は読み終えたくないという気持ちに駆られる。読み続けることの愉楽を手放したくなくなるのだ。

 何かの完成、目標の達成、ゴールへの到着…。どれも、それを成し遂げたところに喜びがあるのは当然だろう。けれど、ゴールとは、ゴールに向かって進むプロセスが「終わる」ということでもある。

 目標達成で虚脱状態に襲われるバーンアウト(燃えつき)症候群は極端にしても、実は、結末でなく、過程にこそ喜びがある、ということは少なくない。<目的地に到着するより、希望を抱いて旅し続ける方がいい>とは以前にも紹介した英語の諺(ことわざ)だ。

 だから、中日ドラゴンズファンは喜んでいい。「リーグ優勝したうえで、日本一」の夢がかなわなかったおかげで、その夢を、まだ見続けられる。ロッテファンも、日本一になってしまったからって落胆することはない。そちらには「リーグ優勝したうえで…」の夢が、まだ残る。

 プロ野球シーズンもついに幕。読み終えずに済んだ物語の続きは、また来年だ。

11/9編集手帳

2010年11月09日 | コラム
11/9編集手帳

 何年か前、第一生命保険『サラリーマン川柳』の優秀作に感心した覚えがある。〈喜ぶな上司と野球にゃ裏がある〉。一昨日、一句をかみしめた。上司ではなくて、野球のほうである。

 あと3人を料理すればロッテに歓喜の胴上げが待つ九回裏、中日がそれを許してくれない。和田一浩選手の三塁打が出て同点、延長戦へ。前夜も延長十五回を引き分けている。テレビ桟敷にいて疲れたのだから、選手たちは心身くたくただったろう。

 “死闘”が誇張に聞こえなかった今年のプロ野球・日本シリーズ、最後はロッテが延長十二回で決着をつけ、日本一に輝いた。

 格別のスター選手がいたわけではない。ベテランも若手も高校球児のように目の色を変え、実況アナウンサーの言葉を借りれば「誰を褒めたらいいのか分からない」総力戦の面白さであっただろう。息の詰まる上司ならぬ、息詰まる一投一打こそがプロ野球の醍醐味(だいごみ)と改めて知る。

 開幕前は「リーグ3位のチームが日本一になっても、なんだかなあ…」と、幾らかモヤモヤした気持ちがあったことを白状しておこう。威風堂々、文句なしの日本一である。

11/9余録

2010年11月09日 | コラム
11/9余録 ロッテの新伝説

 ロッテが本拠とした1980年代の川崎球場には多くの「伝説」がある。トイレも男女共用だった球場の老朽化と、ガラガラな客席にまつわるものだ。来日外国人選手は球場を見て2軍の練習場と勘違いした。

 客の不入りはそれこそお笑いのギャグの格好のネタになり、ホームランの際に客席に投げ入れるマスコット人形を1組の親子が三つ手に入れたという話もある。人けのない外野席では、客同士がキャッチボールをしたり、卓をかこみマージャンをする光景も見られた。

 そんな時代のロッテでプレーした2人--ロッテ・西村徳文監督と中日・落合博満監督の対決となった今年の日本シリーズだ。結果は「和」をスローガンにパ・リーグ3位のロッテを率いた西村監督が、「オレ流」野球でセ・リーグを制した中日の落合監督を降した。

 クライマックスシリーズ(CS)の出場切符すら、シーズン最後の3試合で辛うじてもぎ取ったロッテである。そこから連続逆転勝利や、がけっぷちでの3連勝で日本シリーズ進出を決め、最後はシリーズ史に残る連夜の延長戦を戦い抜いての日本一の奇跡だった。

 昔と様変わりしたのは、ロッテの「26番目の選手」であるスタンドのファンの声と手拍子の怒濤(どとう)のような応援である。地上波テレビ中継のない試合もあるのが話題となった今シリーズだったが、第7戦の地上波中継は関東と関西地区でも20%を超える視聴率となった。

 リーグ3位チームが日本一になるCS方式は違和感もある。だがCS方式でなければ知りえなかった興奮を教えてくれたロッテ全員野球の粘りだった。2010年版新伝説の大団円だ。

11/8中日春秋

2010年11月08日 | コラム
11/8中日春秋

 日露戦争で最大の激戦地となった中国・旅順の攻防戦で、日本軍は約六万人の死傷者を出した。作戦を担った乃木司令部が、歩兵をロシアの要塞(ようさい)に繰り返し正面突撃させた結果である。

 作家の司馬遼太郎さんは『坂の上の雲』を書くとき、昭和十年代の陸軍大学校の教授内容を調べて驚いたという。旅順での攻撃の失敗を認めようとせず、「成功」とするような雰囲気があったからだ。

 司馬さんは、戦史から学ばない陸軍が昭和十年前後に日本を支配した時、「日本そのものを賭け物にして“旅順”へたたきこんだというのもむりがないような気もするのである」と指摘している(『ある運命について』)。

 大国ロシアを破った日露戦争の実態は、薄氷を踏む勝利だった。それを知らされていなかった国民は講和条約で賠償金も取れないことに激怒、焼き打ち事件まで起こす。

 成功体験は独り歩きをする。それは、戦後の検察組織に共通していないだろうか。ロッキード事件やリクルート事件は、政官財の癒着に切り込んだ輝かしい実績だが、大阪地検の押収資料改ざん事件を考えると、栄光の陰に腐敗の芽はひそんでいなかったのか、と思う。

 事件を受け設置された検察の在り方検討会議の初会合が今週開かれる。取り調べの全面可視化や特捜部の存廃が焦点だ。議論を大阪という一地域の不祥事に矮小(わいしょう)化しないことを望む。

11/8余録

2010年11月08日 | コラム
11/8余録 ハンカチ王子

 「まだまだ野球選手として、人間として未熟だと思っています。大学の4年間を通じて成長していけたらいい」。夏の甲子園優勝投手、早稲田実業の斎藤佑樹投手が大学進学を表明したのは4年前の秋だった。

 高校の講堂で行われた記者会見。「ハンカチ王子」として甲子園でさわやかな印象を振りまいた斎藤投手は会見終了後、自分のイスばかりか同席した校長や野球部監督のイスも元通り並べ直した。自然に出た、さりげない仕草が斎藤投手の好感度をより高めた。

 早大1年の春から開幕投手を任され、昨年11月には野球部第100代の主将に選ばれた。東京六大学リーグ戦は通算31勝15敗。4度のリーグ優勝に貢献し、期待通りの実績を残した。先月28日のドラフト会議で日本ハムの1位指名を受け、いよいよプロ野球に挑む。

 ファンの注目は高校3年の夏の甲子園決勝、再試合までもつれた駒大苫小牧の田中将大投手との対戦だ。一足早くプロ入りし、この4年間で楽天のエース格に成長した田中投手と、今度はプロの舞台で勝負する。果たして大学での4年間が「回り道」だったのかどうか。

 田中投手だけではない。今年、沢村賞を獲得した広島の若きエース、前田健太投手や巨人の坂本勇人選手ら同学年の選手たちもプロの世界で中心選手としての地位を築いている。高校では頂点に立った斎藤投手を、「ハンカチ世代」の先輩プロたちが手ぐすねを引いて待つ。

 就職氷河期に、いまも就活に駆け回る大学4年生は少なくない。同世代の若者たちに勇気と元気を与えることができるか。選手として、人間として成長した斎藤投手を早く見てみたい。

11/8編集手帳

2010年11月08日 | コラム
11/8編集手帳

 ある国が急成長すると、周囲から警戒の目で見られるのが歴史の常なのかもしれない。20世紀初頭の西欧では、勢いを増す米国やドイツが異質な国と見られていた。

 20年前のバブル時代には、世界を席巻するジャパン・マネーが脅威と受け止められ、日本異質論が喧伝(けんでん)された。しかし、世界には多様な文化があり、国や民族にはそれぞれの個性がある。特定の国を安易に「異質」と決めつける議論は慎むべきだろう。

 とは言え、最近の中国はどうか。尖閣諸島沖の漁船衝突事件に対する手荒な報復措置などに「理解を超えた国」という印象を抱いた人も多かったことだろう。日中共同世論調査で、中国を信頼できないと答えた日本人は87%に上った。

 「論語」には「貧しくても諂(へつら)わず、豊かでも驕(おご)らないのはいかがでしょう」と孔子に弟子が問うくだりがある。「どちらもよろしい。だが、貧しくても道義を楽しみ、豊かでも礼儀を好む方が上だよ」と孔子は答える。

 そんな礼節を重んじる文化に日本人は敬意を抱いてきた。ところが、国が豊かになるや無理難題を押しつけてきた。その豹変(ひょうへん)ぶりに驚きを禁じ得ない。

11/7中日春秋

2010年11月07日 | コラム
11/7中日春秋

 稲刈りの終わった田んぼはどこかさみしい。<物の音ひとりたふるる案山子(かがし)かな>凡兆。旧暦の十月十日(新暦の十一月十五日ごろ)、長野地方などでは田から案山子を引き上げ、庭先にまつる「案山子揚(かかしあげ)」の風習がある。いまも続けている農家はどれぐらいあるだろうか。

 今年の猛暑はキノコの豊作という意外な恩恵をもたらしてくれたが、稲の生育を直撃した。最も品質の高い「一等米」の比率は全国平均で64・4%。二〇〇〇年以降で最低だ。

 稲は昼と夜の寒暖の差がないと、おいしいコメができない。今年の夏は夜も気温が下がらなかったために、米の粒が小さかったり、白く濁ったりする高温障害が起きたという。

 知り合いの宇都宮市の専業農家に聞くと、夏の高温と害虫の大発生で収穫はかなり落ちた。さらに米価の値下がりが追い打ちになった。「コメ農家はやる気を失ってますよ」と言葉に力がない。

 農家にとって気が気でないのは、米国や豪州が貿易自由化を目指す環太平洋連携協定(TPP)の行方だろう。関税が撤廃されると、工業製品が安く輸出できる半面、食料自給率が40%から14%まで下がるとの試算もある。

 政府は交渉参加は明言せず、各国と協議を始めるという。菅直人首相が参加検討を表明したのは一カ月前。日本の経済、農業を激変させるテーマである。もっともっと熟議を重ねたい。

11/7産経抄

2010年11月07日 | コラム
11/7産経抄

 開いた口がふさがらないとはこのことだ。尖閣沖の中国漁船衝突事件を撮影したビデオ映像流出の感想を記者から聞かれた民主党幹部は、「倒閣運動だろう」と怒りに満ちた口調で口走ったというのだ。

 政治主導を掲げる民主党は、自民党と「癒着」していた霞が関の役人たちの言うことを聞かないのを美徳としてきた。これを逆恨みした一部の公務員が民主党政権を打倒しようとビデオ映像を流出させた、と言いたいのだろうが、こうした事態を招いた自らのミスや愚行への反省がまるでない。

 尖閣ビデオにしてもさっさと公開しておけば、こんな大騒動にはならなかった。菅直人首相や仙谷由人官房長官らは、非公開にすることで中国に配慮したつもりだったのだろうが、そんな程度で恩義を感じるような相手ではない。

 案の定、中国外務省は「日本の行為自体が違法であり、ビデオ映像でこうした事実の真相は変えることはできない」との談話を出した。不正常な形で映像が明るみに出たために、海千山千の相手につけいるすきを与えただけだ。

 北朝鮮の影響下にある朝鮮学校へも高校無償化を適用する方針を文部科学省が決めたが、これまた大愚行のひとつだ。世界広しといえども、住んでいる国の歴史や政策をあしざまに教えている外国人学校に自国民の税金をつぎこむ政府など聞いたためしがない。

 きっと菅さんは、まっとうな日本人には厳しく、日本に厳しく当たる外国には優しい政権を目指しているのだろう。「右の頬(ほお)をぶたれれば、左の頬を差し出せ」と教えたイエス・キリストになったつもりかもしれぬが、国民にはいい迷惑だ。本当の倒閣運動が起こる前に身を引かれるようお勧めしたい。

11/7余録

2010年11月07日 | コラム
11/7余録 民主主義

 民主主義について、チャーチル英元首相が「最悪の政治形態」としたうえで「これまでに試みられてきた、他のあらゆる政治形態を除けば」と演説したのは、1947年11月だった。

 衆愚に陥るなど欠陥もあるが、人類が獲得した政治形態としてはベストである、というあまりにも有名な逆説だ。今、しみじみこの金言をかみしめているのは、中間選挙で大敗したオバマ米大統領ではないか。

 「チェンジ」を合言葉に2年間、経済危機を乗り切り、医療保険改革、核不拡散などいくつもの公約に粘り強く取り組んできた。それでも米国民からは「ノー」を突き付けられた。不況、雇用不安を解決できなかった、というのである。

 この選挙結果は、今後のオバマ政治を縛るだろう。核不拡散、温暖化防止など協調型政策は棚上げされ、経済政策も自由がきかなくなる。勝利した共和党に代替策があるとも思えないが、これが民主主義の宿命だ。オバマ氏も「われわれは2年間成果を上げてきたが、多くの国民がそれを実感できないと表明した」として責任を認めている。

 民意はかくも厳しい。ロシア大統領の北方領土訪問の背景には、2年後の選挙に向けた強さの演出があるというし、共産党独裁の中国ですら首脳が「もろい民意」に神経をとがらせているようだ。

 翻って我が国はどうか。1年前の民意に政治がちゃんと答えを出しているのか。オバマ氏を持ち出すまでもなく、現時点では「ノー」だ。ここは、チャーチルのもう一つの名言で行くのが賢明だ。「悲観主義者はすべての好機の中に困難をみつけるが、楽観主義者はすべての困難の中に好機を見いだす」

11/7編集手帳

2010年11月07日 | コラム
11/7編集手帳

 尾崎行雄は、政治の節目節目で心境を短歌に残している。1936年(昭和11年)に詠んだ一首。〈めでたかる此(こ)の議事堂にふさわしき議員を得るはいつの代ならん〉

 その年のきょう11月7日に現在の国会議事堂が落成した。白亜の殿堂を埋め尽くしたであろう祝賀ムードの中で独り、皮肉かつ冷徹な眼(め)を失っていない。さすがに憲政の神様と称(たた)えられる人だ。

 国会は約4年をかけて議事堂外壁の洗浄を進めてきた。その化粧直しが終わろうとしている。あとは中央塔を残すのみ。最近まで塔を覆っていたシートも徐々にはずされつつあり、議事堂全体が創建当時の美しさを取り戻す日も近い。

 外側はきれいになったとして、問題は内側だ。近隣諸国に対してあたふたするばかりの政府、疑惑を持たれた所属議員に国会での説明すらさせられない与党――。この際、中身も丸洗いしてくれよ、と思う人は少なくなかろう。

 第1回帝国議会の召集から数えると、今月は120年の節目でもある。咢堂(がくどう)翁に一首所望したい所だが多分、同じ歌を繰り返すしかないだろう。さて、ふさわしき議員を得るはいつの代ならん。

11/6中日春秋

2010年11月06日 | コラム
11/6中日春秋

 『南総里見八犬伝』に、八犬士の一人、犬江親兵衛の持つ、「仁」の字の玉が不思議な“移動”をする話がある。

 玉を借り受けた主君は、その力で姫の病を癒やすため、姫の臥所(ふしど)の下に埋める。玉は<香匣(こうばこ)と、共に一個(ひとつ)の壺(つぼ)に納(い)れ、又その壺を瓶(かめ)に蔵(おさ)め>たうえ<土中を穿(ほ)ること三尺許(さんじゃくばかり)>というから相当念入りな封じ込め方だ。

 ところが、謀反に遭い、その玉の霊力を借りようと掘り出してみれば、ない。壺に自らつけた封印はそのまま。あら不思議、玉は封印を破ることなく移動し、親兵衛の懐に飛び帰っていた…。

 中国漁船衝突事件の様子を収めたビデオ映像も土中ならぬ、関係機関の金庫などに、しかと“封印”されていたはずである。ところが、あら不思議、「仁」の玉よろしく飛び去ったわけではなかろうが、インターネット動画サイトに流出してしまった。

 映像は公開すべきだ、いや非公開だと永田町で繰り広げられていた議論を、あざ笑うかのような漏洩(ろうえい)だ。どこかでコピーされたものか、その後、事件の映像が入ったDVDが捨てられているのが見つかった。

 最近も、国際テロに関する警視庁の内部資料らしき内容がネット流出したばかり。一体、この国の情報管理、“封印”はどうなっているのかと国民も諸外国もあきれていよう。まさか、これが、菅首相言うところの「オープンな政治」ではあるまい。

11/6編集手帳

2010年11月06日 | コラム
11/6編集手帳

 長州藩士で、のちに藩政改革に手腕を振るった人に村田清風がいる。青年のころ、初めて江戸に出たとき、富士山を見て詠んだ歌がある。徳富蘇峰『吉田松陰』(岩波文庫版)より。〈来て見れば聞くより低し富士の山 釈迦も孔子もかくやあるらん〉

 話に聞いて想像していたほどには、高い山でもないぞ。偉い、賢い、と言われるお釈迦さまや孔子さんも、実際はどうだったのだろう。何ごとも、自分の目で確かめるに限るのだな、と。

 百聞は一見に如(し)かず、という。清風の歌をもじるなら、〈見てみれば聞くより酷(ひど)しわが領海…〉だろう。

 ネット上に流出した海上保安庁のビデオ映像を見れば、尖閣諸島沖の漁船衝突事件は中国漁船の側に非のあるのは一目瞭然(りょうぜん)である。犯罪行為を裏づける証拠映像をお蔵に納め、国民の目に触れないようにする。逮捕・送検した中国人船長を処分保留のまま釈放する。日本政府による事実上の「証拠隠滅」「犯人隠避」を疑われても仕方がない。

 情報管理のゆるみは目を覆うばかりだが、それ以上に菅政権の希薄な領土意識が気に掛かる。〈…北方領土も かくやあるらん〉

11/6余録

2010年11月06日 | コラム
11/6余録 尖閣動画流出の怪

 豪メルボルンの聖パトリック大聖堂のバロン司祭は日ごろ聖堂前でスケートボードをする若者をしかっていた。ある日、彼がいつも通り注意すると、若者たちは司祭をからかったり、小突いたりした。

 若者らの挑発に激怒したバロン氏は、司祭が口にすべきではない汚い悪態を連発する。あまつさえ一人の頭をたたき、アジア系若者の目の細さをののしる人種差別発言まで口にした。一部始終はビデオで隠し撮りされ、動画サイト「ユーチューブ」で公開されたのだ。

 動画は世界中で評判となり、司祭は辞職を強いられた。無名の中年女性を一躍世界の歌姫にすることもあれば、まんまと若者たちが司祭を陥れることもあるユーチューブだ。しかし一国の政府が外交判断から非公開とした映像が全世界に暴露されたのは初めてだろう。

 尖閣諸島の中国漁船衝突事件を海上保安庁が撮影したとみられる動画が突然ユーチューブに投稿された。公開すべきか否かが論議となり、一部が国会で限定公開された問題の映像だ。しかも保管していたのは海保と検察庁という保秘には厳しいはずの国家機関である。

 映像公開を求める向きも、何者かによる国家的信用を失墜させるような暴露は薄気味悪く感じよう。もちろん責任重大なのは、映像を外交カードとして国民から預かっていた形の政府だ。「一体どうなっているのか」との不安は国民ばかりか各国政府も抱くところだ。

 流れた映像は明白に中国漁船の非を物語っていた。だが残念ながら世界の人々がユーチューブで見たのは、若者のワナにはまった司祭にも増してわきの甘い日本政府の実態ではなかったろうか。

11/5中日春秋

2010年11月05日 | コラム
11/5中日春秋

 「れ」。この文字を見て、何を思われるだろうか。多分、多くの読者は小欄筆者と同じだろう。特に何にも思わない。

 この『れ』を題にした子どもの詩を、作家の北村薫さんが『詩歌の待ち伏せ』の中で紹介している。<ママ/ここに/カンガルーがいるよ>。多くの読者は小欄筆者と同じだろう。一瞬、ウン?

 題と詩を目が何度か行き来して後(のち)、なるほど、その子には「れ」という文字の形がカンガルーに見えたんだ、となる。だが、本当はこう言うべきだ。その子は、そこにカンガルーを見ることができたが、私たちにはできなかった、と。

 ことほど左様に、大人には見えず、幼い子どもにしか見えないものがある。当然、十代の時にしか味わえない感覚も。そういう意味では、どんな本にいつ出会うかは重要である。

 筑摩書房編集部編『17歳のための読書案内』で、経済学者の岩井克人さんは、お薦めとして挙げた『ハックルベリー・フィンの冒険』など三冊をこう表現している。<若いときに読んでおかなければ取り返しがつかなくなる書物>

 確かに、ある年ごろでないとその養分を十分に吸収できない本というのは少なくない。若者よ、書店や図書館に急げ。こちらは<中年のうちに読んでおかなければ取り返しがつかなくなる書物>を読まないと。読書週間はあと数日。だが、読書の秋はもう少しは続くはず。

11/5余録

2010年11月05日 | コラム
11/5余録 新そばの季節

 「不許葷酒入山門(くんしゅさんもんにいるをゆるさず)」はニラなどにおいのきつい野菜と酒の持ち込みを禁ずる禅寺の掲示だ。だが東京の世田谷区にある浄土宗の称往院には「不許蕎麦入境内(そばけいだいにいるをゆるさず)」と記された碑が建っている。はて、なぜか。

 明治から昭和のそば打ち名人、村瀬忠太郎の書いた「そば通」によると、称往院は江戸時代の天明年間には浅草にあった。その境内にある道光庵(あん)の僧は信州は松本の出身でそば打ちがうまく、檀家(だんか)をそばでもてなした。その風味のよさはたちまち江戸中の評判になる。

 やがてそば好きがおしよせ、庵も代金をとるようになり、「日々群集」と記録される大変な騒ぎとなる。困惑した寺はついに「院の清規を乱す」と、先の碑を建てたというのだ。もっとも、道光庵は後に商いを再開したらしく、庵の名は他のそばの名店と並び称された。

 そば屋の名に「庵」をつけるのがはやったのは、この道光庵の繁盛に由来するという。こう聞けば昨今のそばやラーメンの繁盛店の行列を思い浮かべる方が多かろう。なるほど、グルメ情報に耳をそばだて、混雑もいとわず有名店に群がるのは先祖相伝の性癖らしい。

 評判の店ならずとも、そば屋には「新そば」のポスターが張られ、そば好きにはうれしい季節である。その道の通に言わせれば、風味ばかりでなく、色やつや、歯ざわりもやはり新そばは格別だという。「酒のあらたならんよりは蕎麦のあらたなれ」とは正岡子規の句だ。

 いや新酒もいいし、新米、新豆腐などの「新」も心を浮き立たせる秋である。グルメ情報に群がるのも悪くないが、どこか静かな店であらたまる季節の風味をじっくりと楽しむ一時もほしい。