西のつぶやき

日々考える事

菊池養護学校卒業式

2012-03-14 09:37:49 | Weblog
3/13
 本日は、菊池養護学校の中学部・高等部卒業式に参加しました。
 普通高校の卒業式には議長代理で各議員も出席していますが、養護学校には要請がないので自主的にということになります。
 
 この学校は、大津養護学校もそうですが、生徒が多く集まりすぎて、教室が足りないということで、保護者から現地視察と施設の改善要望がなされていたところで、民主県民クラブとして、視察をし県教育委員会に改善を申し入れをした経緯がある学校でした。

 また、一昨年まで私は北部中学校のPTA会長をしていましたが、卒業生が何人か入学をしていたので、その卒業を見送りたいという思いもあり参加をしたところです。

 養護学校の生徒は、身体的精神的な様々な障害を抱えた子どもなので、高校、中学の卒業式のシンとした雰囲気はありませんが、一人一人が、卒業式に真剣に参加していたことが、嬉しく思いました。車いすの子、介添えがなければ歩けない子、精神的に落ち着かない子様々ですが、共に学んだ仲間と一緒に卒業できることに、興奮し喜んでいる様が参加している私たちにも幸せをもたらしてくれたように感じました。

 ただ、挨拶の中にもありましたように、卒業した後、どう社会に溶け込んでいくかという大きな課題があります。保護者の皆さんも一時も目を離せない子どもたちの行く末を心配だろうと察すると胸が苦しくなります。

 本県は『障害もある人もないひとも共に暮らすくまもと県づくり』条例がいち早くできたことは、大変良かったと思いますが、これから、本当に県民あげて障害のある人を支えていく運動を広げて行くことが大事だと思います。

 熊本市でも養護学校に通う生徒が大変増えている現状を踏まえ、特別支援の学校を建設する事になりましたが、学べる機会を増やしてあげることは一歩前進だと思いま。次はその卒業生が働ける場所を確保すること。そして保護者が安心して子ども任せられる受け入れ施設を作っていくことだと思います。

 国のほうでは、だいぶ内容が後退した改正障害者自立支援法案の閣議決定がなされたようですが、障害者の自立を促す方向性はよしとしても、その自立をしっかり支えられる環境整備をしなければ、弱者切り捨てに結びつくおそれがありますので、私たちもしっかり法案の中身注視していきたいと思います。

 この世に生れてきた人はみんな平等ですし、少しでも幸せを感じる社会の建設を目指さなければならないと思います。

3.11忌まわしき東北大地震、福島原発事故

2012-03-11 17:36:36 | Weblog
3/11
 昨日から、3.11一周年ということで、地震に関する特番、津波被災地の現状、被災された家族の状況、原発の被災を受けた地域の切々たる訴え、原発の際の政府の取った行動等が一斉に取り上げられ、報道されている。

 何度見ても、津波等自然災害の恐ろしさを実感し、原発の放射能がいかに危険なものであるかをまず、感じる。自然の前に人間は無力であり、(堤防等自然災害から身を守る努力を否定しているわけではありません)、原子力の陰には『放射能』という、今の人類ではどうしても管理しきれない恐怖の実態がある。

 今日は、各地で原発反対集会や津波災害に対する鎮魂の行事が開催された。私も白川公園で開催された脱原発集会に出かけた。
 様々な団体の長からの意見はもっともであった。しかし、一番印象に受けたのは「なんでもなかった一主婦が、原発の悲惨さを訴える場に駆り出されることになってしまった。なんでもない暮らしを望んでいたのに、それを一瞬で奪った放射能漏れ事故。現在は熊本で何とか生活をさせてもらっているが、佐賀、鹿児島にも原発があり、日本中どこに行ってもまた原発の恐怖が襲ってくるのではないかという恐怖に脅かされている」という発言された方の意見は胸に刺さった。

 この一年間、政府も国会も東電も原発放射能漏れ事故の終息に努めてはいるだろうが、被災者には元の生活には戻れないという現実を受け入れるしかない。
 災害を受けた地域の悲惨な状況も、今は、マスコミで取り上げられているが、また、時がたてば取り上げられる機会は減っていき、国民の意識も薄れていくのだろう。
 でも、これは決してほっておけないことなのだ。脱原発をして、再生可能エネルギーを主エネルギーに転換し、産業を変えていかなければならない。ドイツでもイタリアでもやっている。日本でできないはずがない。しかも、日本は、長崎、広島、ビキニ環礁そして福島と4回も放射能に被災した国民だから、一番に取り組まなければならない国だ。

 しかし、政府は経済界のほうばかり見ている。本当に国民のための政治ができているのだろうか。できていないから、東北の復興も遅れているし、高齢化社会の中でのお年寄りの不満、国際社会の中での農家の不満、就職がない若者の不満、200万円以下の所得に苦しむ非正規労働者の不満、声が出せない児童虐待を受けている子供たちの不満などたくさんの声があるのだろう。

 企業が日本経済を牽引していることはよくわかる、企業のおかげで、ゆとりと豊かさを感じる日本になったのは事実である。しかし、発展の陰には大きな犠牲があるのも自事実である。企業は経済にとって大事ではあるが、国民あっての国であろう。国民の生活が良くならなければ国は成り立っていかないし、国民が企業の犠牲になってはいけない。

 同様に自然災害は、ある意味、人知を超えた想定外なことを引き起こすことは当たり前である。だからと言って、何もしなくていいわけではない。今回、地震想定の見直しが行われている。これから起こるかもしれない最悪の地震を想定して、少しでも被害が少なくなるようにすることは人間の力でもできる。国も企業も、国民もその費用負担を惜しんでいたら、また悲惨な被害を受けることになる。今回の事例を他山の石とせず、しっかりとした教訓にしていかなければならないと思う。

 いろんなことを考えさせられた1年であるが、きょう3.11に報道される様々な映像等を見ながら、あらためて国民を守る政治は何なのかを考えてみたい。

熊本高校卒業式

2012-03-01 13:21:44 | Weblog
3/1
 今日はあいにくの雨でしたが、各県立・私立高校の卒業式が挙行されました。
 私も議長代理で、母校熊本高校の挨拶をさせていただきました。
 思い起こせば33年前、卒業式を迎えたわけですが、当時を思えば、大学に合格するだろうかということばかり考えていたと思いますし、まさか、自分が母校の卒業式の挨拶をするとは考えてもいなかったと思います。

 そういう意味では、大変感慨深いものであり、このチャンスを与えていただいた議長に感謝申し上げたいと思います。卒業生の保護者には、同級生や県庁職員や近所の方も見受けられ、本当に身内のような卒業式に感じました。まだまだあどけなさが残る卒業生ですか、力強い旅立ちに心から祝福を送りたいと思います。

 さて、寒かった冬もようやく峠を越したようです。昨日は東京で大雪が降り、大変だったようですが、熊本は確実に春の息吹を感じます。梅の開花宣言もなされ、最近は裏山で鶯やメジロの鳴き声が聞こえるようになりましたし、先日は朝からコジュケイの鳴き声も聞こえました。また、我が家のシイタケの原木にも10個近く、シイタケが生えてきております。
 猫も盛りを迎えたようで、夜中にワーワー泣きまわっています。熊本は自然が豊かな地でありますが、これからも木々や小動物たちがしっかり生存できる環境を残していきたいと思います。

 ただ、スズメやヒバリ、ヒヨドリの姿は見かけません。最近これらの鳥が見られないことで、環境の異変か、もしくは天変地異があるのではと噂されています。海岸線沿いでは深海魚やクジラが打ち上げられているそうですが、自然のかすかな動きを見逃さないようにしないと、昨年のように東北大震災が襲ってくるかもしれません。

 3/11に被災を受けた方は忌まわしい日がやってくることに、怒りや悲しみをこらえきれないと思います。旅立ちの春であり、悲しみの春であることに複雑さを覚えます。
 

 明日は、議会も最終日を迎えますが、いよいよ知事選が3月8日に告示されます。熊本にも素晴らしい春をもたらすような知事が皆さんの投票によって選ばれることを心から祈念します。