西のつぶやき

日々考える事

自衛隊ヘリによる災害状況視察、議員の視察について

2012-07-28 11:49:55 | Weblog
7/28
 7月24日に自衛隊ヘリによる災害視察に参加した。
 熊本市方面は、現場に出向いていたが、阿蘇方面は行くチャンスがなかったので、いい機会を得た。
 ヘリコプターに搭乗するのははじめてであり、高所恐怖症の私としては少し不安があったが、想像以上に快適なフライトであった。
 
 さて、上空から見る阿蘇の被災状況は、広範囲にわたり、土砂崩れの爪痕を見て、改めて自然災害のエネルギーのすさまじさを感じた。

 来週31日には、県議団で被災地の現場視察に行くことにもなっているが、阿蘇地域振興局の担当者からは、災害発生以降、国会議員や関係議員の視察対応で、時間がとられてしまうという声を聞いている。

 国会議員や大臣の視察は災害救援法の適用や、激甚災害指定のためにやむをえないが、今回の大規模災害については、その他の関係者の視察は控えてほしいのが、現場担当者の本音だろう。

 実は、この点について昨日の九州自治体議員連合会の会議でも話題となった。
大分県からは、選挙前のパフォーマンスで視察に入るのは大変迷惑だったという意見が出た。鹿児島県では、議員の視察については、議長名の派遣によることとする検討を始めているという。議員個人の活動としてするのではなく、議会としての災害対応をとるべきだということである。別の議員からは、議員個人が行っても、即解決する案件は少ないが、被災にあった方の意見を聞いて回ることが重要だという意見も出た。

 最後に、ベテラン議員からは、「地元議員は何があっても一番に駆けつけなければ選挙には勝てない」という一言で会場から苦笑が出て議論はひとまず終えたが、議員の視察は現地の救済のために行われるべきで、現地の人の迷惑になってはいけないと思う。災害対策のマニュアルの中に、この点も少し盛り込む必要があるのではないかと考える。

中国広西壮族自治区およびベトナム視察

2012-07-22 11:05:40 | Weblog
7/22
 
 冒頭、大豪雨により、被災を受けられた方々にお見舞いを申し上げ、救援や復興等に頑張っておられる担当者の方々そしてボランティアで活動をされている方々に心から敬意を申し上げます。

 7月17日から21日まで、中国およびベトナムを訪問してきました。訪問団団長の蒲島知事や幸山市長が災害対策のために参加辞退をされるなかで、私も大変心苦しいものを持っておりましたが、外交日程を変えることもまた大変相手国に迷惑をかけることになりますので、心を熊本に残しながらも参加しました。

 今回の訪中の目的は、熊本県と姉妹提携をしている、広西壮族自治区との交流30周年を記念し、新たな経済交流を促進する覚書の調印式や議員同士の意見交換のためです。
 日本の熊本県だけではなく、広西自治区は世界各国との経済交流を進めており、当日も7カ国との経済交流促進の調印式を行いました。
 その首都南寧市は大変な大都市であり、熊本市と姉妹提携を結んでいる桂林市や、八代市が姉妹提携をしている北海市を含んでいる広西壮族自治区全体では人口5000万人を超えており、この地域と熊本県が経済交流を進めることは、大きな外貨を得るビッグチャンスだと考えます。

 この交流大会に参加した県民は150人を超え、行政、議会、青年団体0b、北部国際交流会、日中協会、マスコミ等様々な団体が参加しており、熊本県と広西壮族自治区との関係は大変すそ野の深いものを伺わせます。

 4泊5日の日程で、参加各団体はチャーター便と交流会だけが共通で、それ以外はそれぞれの関係市との交流を深めたところです。

 また、県議会議員団は国境を超え、ベトナムのハノイまで視察に出かけました。ここでは、日本大使館と合志市に本拠地を構える合志ベトナム工場を視察しました。
 ベトナムは広西壮族からバスで約7時間の近い距離にあり、熊本県のアジア戦略のこれからのターゲットにもなるところです。
 ハノイ市内は日本の40年代の高度成長期直前の感じであり、町中に若者があふれ、大変活気があります。国民の平均年齢が28歳という数字がそれを裏付けています。

 町の活気を見ながら、改めて日本という国が高齢社会になっていることが分かります。ただ、この国も急速に高齢化を迎えるらしく、日本が30年近くかかった高齢社会が15年くらいで訪れるだろうという予測が立っており、いずれの国も社会の成熟と同時に、高齢社会という問題を迎える事が分かります。

 いろいろなものが見えてきた視察で、このブログですべてを記すことはできませんが、2点だけ伝えたいと思います。
 1点は中国の外交対応の一端です。本来、蒲島知事や馬場議長が出席の予定だったのですが、災害のため急きょ出席できなくなり、副知事、副議長が団長という形になりました。そのためか、県と広西自治区の交流会では、中国側は郭主席の出席が見送られただけでなく、各団体の参加者もすべて副○○という肩書の方であったこと。
 一方で、帰国時には、被災地の熊本県に対して30万ドル(2400万円)の義捐金を決定したことなどです。

 2点目はベトナムの件ですが、日本政府はODAで、大変な経済支援をしています。2011年で27000億円。このため大使館は、日越(ベトナム)の関係は大変な良好であるという説明をわれわれにしました。しかし、通訳や現地の声を聞くと日本がベトナムに対して経済協力をしているという事情はあまり知られていない。バイクのホンダ、車のトヨタ、スズキはよく知っているが・・ということでした。これは、日本からベトナムにわたった経済協力のお金が、ベトナムの隅々に行きわたっていなのではということです。ベトナムは社会主義国ですから、政府の上層部でその資金が止まっているのではと想像したくなります。政府が強い権限を持っていることが分かります。

 この点は、合志技研の担当者も言っていましたが、最初の進出契約では合意できる内容であっても、生産が軌道に乗ってくるといろんな税金をかけてきたり、嫌がらせをされる。それをクリアするためには政府役人との強いパイプをもっていることだ。ということでした。ここに外交の難しさと海外進出の難しさを見たと思います。やはり、日本はある意味、安全で、優しい国なんだと思います。

 その他いろいろ学んだことなどありますが、今回の訪中、訪越が熊本県のさらなる経済発展につながる大きな分岐点になればと考えます。

集中豪雨災害2

2012-07-16 17:19:01 | Weblog
7/15
 本日は松野代議士、福永市議とともに龍田の被災地を訪れた。
(龍田支所ではボランティア受け入れの対応に追われていました。)


 昨日と比べて、片付けも相当進んでいるとはいえ、相変わらずすさまじい水害であったとが感じられた。
 片づけには、ボランティアが連日駆けつけていただいている。昨日今日と280人ずつぐらい来ているとのこと。今日は雨も上がって、作業ははかどっているようだが、本部テントには熱中症になったかたが、医者の診断を受けている姿が何人も見受けられた。

 また、現場入り口は、警察により交通止めにしていた。ボランティアの車は、龍田支所で受付したそこに停車してもらい、そこから現場までピストン輸送をするようにしてあった。現場はトラック等の作業車以外は乗り入れ禁止としており、建設協会の協力のもとがれき処理車がフル回転をしていた。昨日指摘した点が早速生かされていた。

 代議士とともに住民の意見を伺ったが、堤防のかさ上げや、住宅の床下の泥排出に対する対応が強く要望された。代議士も、激甚災害指定地の対象になるよう答えていた。火曜日には国会で災害特穂別委員会が開催されるので、その中で対応したいといことであった。


 阿蘇地方では20名を超える方が亡くなり、土砂崩れも大変な状況であるため、報道がどうしてもそちらに集中するが、龍田地区も死亡者が出なかったのはある意味奇跡であり、災害状況は各地の被災地と変わらない様子であることを是非とも伝えたい。
(大木が家に突き刺さっています。隣の空き地は家もろとも流れてしまっているのです。)

 ただし、今回いろいろ対応をしなければならない中で、熊本市が政令市になったことにより、県からの支援というものはなかなかできないもどかしさも感じる。こういうところから、政令市の県議はいらないのではという意見が出るのもある意味仕方がないのかもしれない。でも、地元の県議として、地域住民の声を拾い上げ、県政や県議会の中で反映させていくことは絶対重要なことであり、そういうことをきちんと積み重ねていかないから、政治不信につながっていくのではないかと思う。

 一日でも早い被災地の復興を願い、国・県・市町自治体がしっかりと支援をしていく体制を早急に示していかなければいけない。

集中豪雨災害

2012-07-14 17:22:41 | Weblog
 すさまじい豪雨だった。自分は12に日から宮城県に行っていたため、被害の出た状況を映し出すテレビを見ながら、大変なことになったと思った。一刻でも早く被災地に赴かなくてはと思った。
 早速、龍田陣内の現地を訪れたが、それはそれはひどい状況であり、昨年の東北地方の津波被害を彷彿させるような光景だった。
宮城県のがれき処理状況を見てきたばかりだったので、熊本でもおんなじ状況をみて、そう錯覚するような感覚に陥ったのだと思う。


すでに現場では、泥掻き、家財の搬出などが、多くの手で行われていた。作業をしている方は、家族はもちろん、知人友人、さらには、ボランティアの方やハウスメーカーの方も建築主のために手伝いにやってきていたようだ。
 また、がれき処理には、重機と併せて市の委託業者の車がひっきりなしに動いて、どんどん搬出していた。が、あと23日は搬出にかかりそうな感じだった。がれき搬出が終わったのち、家屋の復旧に移ることになるので、やはり数カ月は復旧までに時間がかかると思われた。

 ただ、作業の合間に話を聞かせていただいた中で、今回の復旧作業が22年前の災害時の時に比べて行政の取り組みが遅い。という不満が聞かれた。
 また、避難勧告が遅く、逃げ出すのが精いっぱいだった。前回被災した時は消防団等が早めの周知をしていたが・・ということであった。

 早速、本部テントの職員の方々や指令本部となっている北部土木センターとその点について話をしたが、結果は次のようである。

 確かに復旧に時間がかかっているが、前回は今回と比べて土砂流量が少なく、ローダーで道路の道路をいっぺんに排出する作業ができたが、今回は、土砂の量が相当多いことと断続的に雨が続くため、土がゆるくローダーですくいあげても、周りからすぐ柔らかい土砂が流れ込んでくるため、作業がはかどらないという。また、皮肉なことだが、お手伝いをする方が車で乗り付けてくるので、大型の作業車が入れず、そのことも作業の遅れになっているようだ。現在では、龍田小学校グランドを開放しているので、お手伝いの方はその駐車場を利用してほしいということであった。

 市当局も大変頑張っているが、現地の人までその対応が十分伝わっていないもどかしさも感じた。また、がれき処理あたっては、熊本市の北部、東部、南部のクリーンセンター職員が休日返上で行動していることも、この画面を借りてお伝えしたい。
 北区の植木区役所にも赴いたが、市の職員はもちろんのこと、国交省の職員も参加して、対応にあたっておられた。龍田地区の現状を報告し、一刻でも早く復旧できるように要望を伝えたが、今回の災害は、熊本市でも全域に被害が起きており、職員の数が足りないので、民間にも応援を依頼して最大限の努力をしているという区長の言葉もあり、応急的な対応としては現状やむなしの感だった。

 最後に植木町田底地区の被災現場にむかったが、その地区もやがて1.5から2メートル近く浸水した地区であり、家屋の片づけにてんてこ舞いしていたが、意外とかたずいている感を受けたので、地域の方に尋ねると、地元の若手消防団が大型ごみの搬出を手伝ってくれたとのこと。また、災害時も前日から待機をしており、明け方6時ごろから避難勧告で回ったため、出水前に避難ができたことなどを話してくれた。このことを聞いて改めて消防団の活躍と存在の素晴らしさを感じた。私も地元の分団長をしており、消防団の活躍を嬉しく思った。

 今回の災害の反省が今後行われると思うが、現在進んでいる防災計画は本当に機能しているのか、自治会や消防団等の地域力の差が防災や復旧のカギとなること等をしっかりやってもらいたいと思う。

宮城県の震災がれき状況を視察してきます。

2012-07-11 17:45:38 | Weblog
7/11
 ここ二三日、梅雨の中日というか天気が良かった。今年の梅雨は大変長く、雨量が多い。全線もまだ南下しておりあと一回は、梅雨の末期の大雨が降るのだろうか。
 いい天気を利用して、朝の辻立ちを3日ほど行った。6月議会の報告と国政に対する思いを述べること30分程度。この辻立ちも続けて6年になるが、何回やっても恥ずかしいものだ。とくに話す内容がまとまっていないときには、言葉が出ないこともあり、ますます上がってしまうこともしばしばだ。
 逆に言うと、そうならないような話しぶりに持っていく話術も身についてくるので、これもやはり修行の一つだと思う。

 さて、明日から、1泊2日で宮城県に視察に行ってこようと思う。内容は震災がれきの状況だ。政府は広域処理を全国にお願いしているが、放射能汚染を危惧する市民の反対運動がおこり、国民の絆か脱原発かの国論を2分するような課題となってしまった。

 被災地への協力は誰も惜しむことはないであろう。しかし、危険性を伴うがれきの広域処理化については様々な疑問がある。いろんな県民の声が私にも届く。そんな中で、本当に広域処理が必要なのかやはりこの目で確かめなければ、県民への報告ができないと感じて、急きょ視察することにした。

 宮具県の県議にも協力を頂くことになった。大変お忙しいと思われるが、いろいろ意見を伺ってきたいと思う。そして、帰ってきた後は、現地の生の声と現状を県民の皆様に報告して、がれき処理の広域化問題について理解を深めていきたいと思う。