西のつぶやき

日々考える事

3.11忌まわしき東北大地震、福島原発事故

2012-03-11 17:36:36 | Weblog
3/11
 昨日から、3.11一周年ということで、地震に関する特番、津波被災地の現状、被災された家族の状況、原発の被災を受けた地域の切々たる訴え、原発の際の政府の取った行動等が一斉に取り上げられ、報道されている。

 何度見ても、津波等自然災害の恐ろしさを実感し、原発の放射能がいかに危険なものであるかをまず、感じる。自然の前に人間は無力であり、(堤防等自然災害から身を守る努力を否定しているわけではありません)、原子力の陰には『放射能』という、今の人類ではどうしても管理しきれない恐怖の実態がある。

 今日は、各地で原発反対集会や津波災害に対する鎮魂の行事が開催された。私も白川公園で開催された脱原発集会に出かけた。
 様々な団体の長からの意見はもっともであった。しかし、一番印象に受けたのは「なんでもなかった一主婦が、原発の悲惨さを訴える場に駆り出されることになってしまった。なんでもない暮らしを望んでいたのに、それを一瞬で奪った放射能漏れ事故。現在は熊本で何とか生活をさせてもらっているが、佐賀、鹿児島にも原発があり、日本中どこに行ってもまた原発の恐怖が襲ってくるのではないかという恐怖に脅かされている」という発言された方の意見は胸に刺さった。

 この一年間、政府も国会も東電も原発放射能漏れ事故の終息に努めてはいるだろうが、被災者には元の生活には戻れないという現実を受け入れるしかない。
 災害を受けた地域の悲惨な状況も、今は、マスコミで取り上げられているが、また、時がたてば取り上げられる機会は減っていき、国民の意識も薄れていくのだろう。
 でも、これは決してほっておけないことなのだ。脱原発をして、再生可能エネルギーを主エネルギーに転換し、産業を変えていかなければならない。ドイツでもイタリアでもやっている。日本でできないはずがない。しかも、日本は、長崎、広島、ビキニ環礁そして福島と4回も放射能に被災した国民だから、一番に取り組まなければならない国だ。

 しかし、政府は経済界のほうばかり見ている。本当に国民のための政治ができているのだろうか。できていないから、東北の復興も遅れているし、高齢化社会の中でのお年寄りの不満、国際社会の中での農家の不満、就職がない若者の不満、200万円以下の所得に苦しむ非正規労働者の不満、声が出せない児童虐待を受けている子供たちの不満などたくさんの声があるのだろう。

 企業が日本経済を牽引していることはよくわかる、企業のおかげで、ゆとりと豊かさを感じる日本になったのは事実である。しかし、発展の陰には大きな犠牲があるのも自事実である。企業は経済にとって大事ではあるが、国民あっての国であろう。国民の生活が良くならなければ国は成り立っていかないし、国民が企業の犠牲になってはいけない。

 同様に自然災害は、ある意味、人知を超えた想定外なことを引き起こすことは当たり前である。だからと言って、何もしなくていいわけではない。今回、地震想定の見直しが行われている。これから起こるかもしれない最悪の地震を想定して、少しでも被害が少なくなるようにすることは人間の力でもできる。国も企業も、国民もその費用負担を惜しんでいたら、また悲惨な被害を受けることになる。今回の事例を他山の石とせず、しっかりとした教訓にしていかなければならないと思う。

 いろんなことを考えさせられた1年であるが、きょう3.11に報道される様々な映像等を見ながら、あらためて国民を守る政治は何なのかを考えてみたい。