西のつぶやき

日々考える事

ワンピース計画

2011-02-24 21:41:37 | Weblog
2/24
 今日は県議会本会議。補正予算の議決を行った。全会一致で決定した。景気対策をする一方で、経費削減に努め、最終的には49億円の増額補正となり、最終予算は7878億円となった。それでも、県のプライマリーバランスはとれて、県の貯金ともいわれる財政4調整基金も53億円から61億円まで積み上げることができた。
 蒲島知事をはじめ財政課および各課の努力により、景気対策の一方で、少しずつではあるが確実に財政再建が進んでいることをうれしく思う。

 さて、話は変わるが、私はワンピース計画を提唱している。すでに議会でも2度取り上げたが、熊本県出身の尾田栄一郎さんが作者であるマンガ「ワンピース」に関連した公園をこの熊本に実現したいという市民運動を応援している。

 辛島公園をワンピース公園にしようという運動を、NPO法人グランド12が取り組んでおり、それを支援している。著作権の問題もあり、なかなか実現までの道のりは遠いのだか、できるところからやろうということで、会も取り組んでいる。

 そんな取り組みの中で、合志市長も賛同していただき、3月26日には合志市御代志の文化ホールで、ワンピースの主人公の声優、田中真弓さんを審査員としたイベントが開催される。合志市は農業公園にマンガ関連コーナーを作りたいという構想がある。
 そして、3月27日には下通り商店街のアナウンスの声を田中真弓さんの声に変えるイベントが実施される。このことにより中心市街地の活性化に大きく寄与することだろうし、ワンピース公園の実現に一歩近づくものと考えている。
 グランド12の活動を、隣国の韓国からも視察に来た。これらもすでに新聞掲載されているので、参照にされたい。

 昨年「ゲゲゲの女房」の連続ドラマの影響もあり、ゲゲゲの鬼太郎の妖怪モニュメントを設置している境港市は370万人の観光客があった。もし熊本にワンピース公園ができれば、全世界から若者がやってくる。熊本の若者にも夢を与える。そして、経済が活性化していくと思う。

 さらにいうと、熊本にゆかりのマンガ家は26人以上いるといわれている。「ケロロ軍曹」「ゴクセン」「愛と誠」その他たくさんの著名なマンガの作家が熊本であることを、多くの県民は知らないと思う。
 そんな熊本出身で頑張っている人たちを盛りたてて、「熊本ってすごいマンガか多いんだねー」という風にならないかなと思う。そして、熊本をマンガの聖地に仕立てて、マンガ家新人の授賞式やマンガを志す若者に奨学金を出せるような仕組みができないものかと思う。

 まあ、先の話はあとまわしにして、まず、熊本にワンピース公園を実現にできるようにしっかり頑張っていきたいと思う。

 追申 天草市、上天草市、宇城市方面でも「ワンピース」に盛り上がっています。天草の海を『グランドライン』にできたらという構想があります。それも実現したら楽しいだろうなー。

バレンタインデー

2011-02-14 22:02:03 | Weblog
2/14
 今日はバレンタインデー。自分が小学生のころから流行りだしたと思うから、もう40年以上前からこの日が続いているのだろう。
 子どものころは、この日に、女の子からチョコレートをもらうかどうかドキドキしっぱなしで、テストの答案用紙をもらうときや通知表をもらうときのような気分だったのを覚えている。

 結局、なにももらえなかった自分を見て、かわいそうに思ったか、母が大きな板チョコを用意してて渡してくれたことを覚えている。懐かしい記憶だ。
 最近の子どもはどうなのだろうか。昔とは違うのだろうか。

 さて、今日はスタッフの女性陣からと妻と娘からチョコをもらった。義理と分かっていてもうれしいものだ。もう母もいないので、なにももらえなかったら、なにもないのである。だまって酒でも飲んで寝てしまったかもしれない。

 幸いなことに、今年ももらえた。妻に感謝。昔のドキドキ感はなくなったけど、十分幸せだと思う。娘からは手作りのチョコケーキだった。最近はチョコレートから進化して、チョコケーキやチョコを使った料理を送ることが人気となっているらしい。

 チョコレートメーカーからすれば、ちょっと困った現象かもしれない。でも考えてみれば、バレンタインデーにチョコレートをやるようになったのは、業界の作戦であり、よく50年近くも文化として根づいたと思う。これから50年後もチョコレートを渡す文化が残っているかははなはだ疑問である。そういえば、コーヒーやカカオ豆などは先進国だけではなく発展途上国も使用料が増大しているため、品薄になり高騰しているそうだ。

 50年後の今日は、「昔はチョコレートをもらえたいい時代だったなー」なんてことになっているかもしれない。まあ、そんなくだらないことを考えながら、今日は無事チョコをもらってコーヒーとともにありがたく頂いている。

初七日

2011-02-09 23:11:55 | Weblog
2/9
 今日は父が逝去して初七日だった。朝からお坊さんのお経を聞きながら、逝去からのあっという間の一週間だったと思った。
 そして、改めて父の大きな足跡を知らされたような気がする。いろんなところから父の生前の話を聞かされて、知らない部分を知って、驚くことばかりである。

 自分もおとなしい性格なのだが、あえて人前で言わなくても、日頃からきちんとしていればちゃんとみている人がたくさんいるのだと思った。

 父も人前でも言わなくても、いろいろボランティア活動をしていた。身寄りのないお年寄りにお弁当を配ったり等。ボランティアのついでに私の当時2歳位の息子を自動車に乗せていろいろ回っていた。子守と兼ねていたかもしれないが、私は単なる孫がかわいいからいろいろつれて回っていたかと思っていたが、弁当配りというボランティアをしていたと聞かされると、誤解をしていた自分が恥ずかしくなった、

 親の行為を監視する必要はないが、親というものはやはりえらいものだと改めて思う一週間であった。
 これから、法事を積み重ねていくにつれて、思い出も褪せていくのかもしれないが、しっかり父の足跡を心にとめて私は今後の人生を歩んでいきたいと思う。
 

PS 父の葬儀に際して、たくさんの弔電と過分なご香典を頂戴しましたことを、この場を借りてお礼申し上げます。

父旅立つ

2011-02-03 17:15:30 | Weblog
2/3
 今朝病院からの電話で目が覚めた。不安は的中し、すぐ病院に来てほしいとのこと。
 病院までは5分ぐらいのところであるが、駆けつけた時にはすでに呼吸はなく、心臓のみが動いてる状態で、やがて臨終を迎えた。
 寝顔はいたって穏やかだったのでほっとした。

 ここ3年間脳梗塞で倒れて以来、寝たきりの生活であった。おまけに嚥下がうまくいかないため、鼻からそして最近は胃ろうによる栄養補給であった。

 毎日、顔を見せ、洗濯物を回収するだけの看病しかできなかった。介護の大変さが思い知らされ、介護に携わる職員の親切さやきめ細やかな対応に頭の下がる思いばかりであった。そして、周りにはそんな患者さんがたくさんいるという現実を見てきた看病期間だった。
 いつのまにか、看病する者どおし会話をして、それぞれの家庭を話し合うようになる不思議な人間関係が出来上がった。

 実は、5年前にも母を亡くしたが、なぜか選挙になると肉親がなくなる。自分に課せられた業のようなものを感じる。

 少し選挙のことは忘れて、明後日の葬儀までは父との思い出に十分浸って、野辺送りをしたい。