#6 みなさん大丈夫ですからね!賠償訴訟やる、解体する〈22年1月テキサス州編〉
ウクライナの攻撃先はピンポイント!戦争をしなかったのはトランプ大統領だけ!アメリカ全土でマ〇ク着用義務なし…ぜひ知ってください。
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2022年2月18日マイク・クインシーのハイアーセルフからのメッセージ
今経験している対立が、ようやく最終的な平和的解決をもたらすでしょう。そして、これが死や破壊を伴う行動を避けたいという意思の表れにもなっているので、これで武力行使を必要としない、より賢明な紛争解決の方法が始まります。また、これが未来への布石となり、波動の高まりと共に、地球に平和が訪れ始めます。あなた方の歴史は、大きな犠牲を伴う戦いや戦争の連続であり、これによって引き起こされた甚大な損害を修復するという代償の上に成り立ってきました。私達は、今回のいさかいが戦争の脅威と実行の最後の機会となるという点について、かすかな希望以上のものを抱いています。今後は常識の方が勝り、紛争に目星をつけることができるはずです。
地球上の大多数の人々は、平和が続き、戦争がなくなり、安全に楽しむことのできる生活が送れることを祈っています。トラブルのない充実した生活を送りたいという共通の願いで人々が結ばれる様な生活のことです。そうでなければ、戦争の惨禍が繰り返され、人々の住まいや生活は破壊され続けるでしょう。平和を望むのか、それとも戦争を望むのか、あなたも経験上ご存知のはずですが、戦争の被害から回復するには長い時間がかかるのはもちろん、費用もかかります。さらに、人的被害は国家としての将来の展望にダメージを与え、その損失から立ち直るには長い時間がかかるものです。
お互いに協力し合うことの良ささえ分かれば、今の問題は早く乗り越えられる筈です。そうすれば、あなた方は導入が待たれるあらゆる利点を備えた新時代に進むために必要な変化を反映した社会の再構築に、十分に集中することができます。そこには、あなたがまだ経験したことのない、未来への推進力となるものがたくさんあり、現在の問題は容易に克服することができ、ご自身のためにより多くの時間を割くことができるようにもなります。
もし、違う道を歩んでいたらどうなっていたかと考えるよりも、どうか、非常に多くのものを与えてくれる未来のことの方を考えてください。今までの経験は決して無駄にはなりませんし、新しい生き方にもすぐに馴染むことができます。実際、あなたは人生をより楽しいものにしてくれる変化を歓迎するでしょう。また、いずれ宇宙の家族にも紹介されますし、彼等はあなたが理解や能力を高め、彼等の一員となるのを待っています。そのレベルに達するには時間がかかりますが、道は広く開かれており、あなたがそこに足を踏み入れるのを待っています。
皆さんは、様々な国で様々な宗教を信仰する人生を経験してきました。その結果として、成長し他の人々のやり方や信念を理解し、お互いを受け入れてきた兄弟姉妹であることを現実に思い出してください。これらの全てが、知識を豊かにし、理解を深め、今のあなたを作っています。実際に体験するというのは素晴らしいもので、忘れることがありませんし、他の人が人生をどう見つめ、物事にどう反応するかについての、あなたの見通しと理解を形成します。あなた方の多くは、数多くの人生を経験した上で、人が現在に至るまでにそれぞれが抱き続けてきたであろう動機に対して、理解の念を持てる様になりました。
あなたが高次の波動に上がるまでは、本当の人生を生きたとは言えないでしょう。なぜなら、あなたが人生として知っているものとは、あまりにも違って、それは刺激的で素晴らしく、言語では十分に表現できない、あなたがこれまで夢見た以上のものだからです。あなたは喜びと調和に包まれ、すべては完璧な形で姿を現します。動物たちもまた、野生的な一面が全ての生命体に対する優しく心地よい態度に取って代わり、調和して暮らします。愛が溢れ、自然は全てと調和して生きています。聖書に「ライオンは子羊と寝る」とあるように、他者を捕食する動物がいなくなり、全てが愛と平和のうちに存在するようになります。実際、あなたはこのような変化の初期段階を、既に見始めているのです。
平和はやってきますが、まずは人間が兄弟姉妹と戦争することの不条理さを理解するところから始めなければなりません。各国が共通の目的のために団結すれば、どれだけ進化が早まるかを考えてみてください。2回の世界大戦、あるいは冷戦を含めると3回の世界大戦の後、あなた方は変化の時を迎えています。ですから、このことを受け入れた上で、永遠の平和をもたらす変化を導入するのです。武力で思い通りにしようとする古いやり方は永遠に終わりました。もし、権力者達が今こそ地球に平和が訪れる時であるということを受け入れないのであれば、受け入れることのできる魂達にその役目を代わって貰えばいいのです。
私達は、あなた方が「皆一つ」であること、過去に何度も人生を共にし、より大きな存在への道のりの石を敷いてきたことを何度も伝えてきました。私達は、あなたの準備が整ったときにお手伝いしますし、多くの偉大な魂たちが既にあなた方と共にいます。彼等は、あなた方全員にとっては得るものしかない高いレベルへの進化を加速させるために、彼等が提供できるものを明らかにする適切な時期を待っています。また、あなた方が恩恵を受けてきた偉大な発明家の一人が、以前よりも更に進んだ段階へと導くために、再びあなた方と共にいます。 彼の名前はテスラです。
このように、私たちは「あなたには、近い将来たくさんの楽しみが待っていますよ」とお伝えする事で皆さんの手助けをしています。これでは、まるで放任されているかのように思えるかもしれませんが、これもある時点までは本当です。とはいえ、私達は常にあなたの行動を見守りつつ、皆さんの自由な選択権を侵害することなく、正しい方向に導こうとしています。私達は、あなたが正しい方向に進んでいくことを、あなたと同じくらい強く望んでいます。人類には常に計画があり、あなた方の成功は、そうでなければ得られなかったはずの多くの機会を開くための目標地点を既に通過しました。
真実であることはすんなり受け入れられるでしょう。もし、真実であるかどうか疑わしい場合は、一旦脇に置いてください。後に真実に目覚めるときが必然的に来ますから。そして、試行錯誤の末に、正しいボタンが押された時、あなたは間違いなく真実を見極められるようになります。ですから、あまり堅苦しく考えず、他の考え方も受け入れるようにして下さい。そうでないと、せっかく前進できるチャンスの時に行き詰ってしまうかもしれません。祈りを通して、または自分に合った方法を通して、自分の中にいる神を見つけると光の道をうまく進むことができます。
今日も愛と祝福をここに留めておきます。煌めく光があなたの完成への道のりを明るく照らしてくれますように。このメッセージは私のハイアーセルフ、私の内なる神から頂きました。全ての御魂は神の御魂と繋がっています。
愛と光の中で
マイク・クインシー
訳:NINA
Ray:地球人類にとって、教育の崩壊を立て直す時期が来ました。
真の学問と学の階級
學問の道は極めて広泛で奥深く、一生かかっても極めつくされるものではありません。
これを会得するのに、平易な物もあれば困難なものもあり、滑らかなものもあれば険しいものもあります。何れも努力を必要としないものはありません。
學問は人に及ばないものであるが、又人より失い易いものであります。
ちょうど逆水に船を漕ぐようで、進まなければ即ち後退してしまいます。
限度が無いから自分の程度が分かりません。
學問は真理に近づく道でありますから分野や性質が違っても完成への到達点は一つであります。
人によって道程の差異はあっても、極めるのに純粋性がなければなりません。
頭脳・性別によって早晩の別はあっても、熱意が欠ければ不可能です。
孟子は「学問への道は放蕩化・散漫化した心を収めることに外ならない。」といわれました。
堕落・怠惰した心に鞭を加えて、奸巧なく精勤し完成にいそしむことです。
いかなる道であっても、習い學ばなければ成就できません。
老子は、「わたしは聖人ではない、學んで知ったのである。」といわれました。
孔子は、「わたしは、生まれながらにして道を知り物識りになったのではない、ただ古の道を好んで黽勉(勉強)怠らずして、ついに求め得ただけのものである。」また、「わたしは、何でも知っていると人は思っているらしいが、別に何でも知っている訳ではない。
ただどんなに卑しいつまらぬ人でも誠意をもって聞く時、袋の底を叩いて中のものをすべて外に出し尽くすように、その善悪・陰陽・因果その他何でも両端から説き質して本当のことを懇切に教える。
それで教えを受けた人にとって、私は何事も知り尽くしているように見えるかも知れないが、ただ自分としての誠意をもって教えているだけである。」と謙遜されました。
學問の大事は博く学ぶのと、深く思考することです。
大事なことを忘れず、変わらない熱意をもって追求して已まず、積極的に勉強して気を散らさず、日々発奮して気を換えてなりません。
何れの學問を極めるにしても、自己完成の學を好むものにして始めて出来るものです。顔回(孔子の弟子)の「學を好み、怒りを遷さず、過ちを再びとしない」態度は典型的であります。
一人一人の霊気によって頭脳も違います。これを孔子は、人間の天禀には四通りの等差がある。第一は、生まれながらにしてあらゆる徳義を知り尽くしている者があるが、これが最上級である。(恐らくは聖人がこれに当る)
第二は、学びてこれを知る者が次であり、
第三は、初めは學に心坐さず、いよいよ行き詰まって困ったあげくに苦しみ苦労して学んでやっとわかる者はその次であり、
第四に、行き詰まって困りながらも学ぶことを知らず、苦しんで学んでも大事なことの分からない人、学ぶ気のない人は、更にその下である。
と、四段階に別けて論じられました。
學問は中道の道に達してこそ円熟が得られます。
中道の道に反した學問の存在はあり得ません。
孔子は、子路に六言六蔽を引用し學問の重要性を説かれました。
つまり學には仁、知、信、直、勇、剛の六つの徳目があり、學を好まない為に生ずる六つの弊害が起こることを知らしめたのであります。
一、仁徳・美徳を好むことは極めてよいことであるが、學をこのことをしないと、愚の弊に陥り陳腐します。
お人好しの行き過ぎは愚かであり、人に欺かれます。
愛着に溺れると反って人間を害毒します。
二、知を好んで、それと共に學をしてよく磨くことをしなければ、空想・妄想家になり、一人合点して取り留めのないことを考えます。
行いに締りがなく、ただ徒に高きに馳せ、広きを喜ぶ弊に陥ります。
三、信を好んで學を好まないと條理を弁えず、真実の信を弁えなければ、只徒に盲信してその言葉を守り、間違った約束を守って悪い仲間に落ち入り、物事を傷り害う弊害に陥ります。
四、直を好んで學を好まないと、人間を相手にして人間以上のものを求め、相手に無理を強要し、相手を生かさずに傷つけ責めるのを急ぐあまり、狭くてゆとりのない窮屈な弊害に陥ります。
五、勇を好んで學を好まないと、物事の道理が分からなくなり、乱暴・我儘になります。
徒に人に加える方面にのみ働くから、その末は、叛乱さえも起こすに至る弊害に陥ります。
六、剛を好んで學を好まないと、物事の道理が分からず偏見・狂気になり、落着するところを失って、徒に力を振り回す狂者の弊害に陥ります。要するに六者は美徳ではあるが、その美徳を全うする為には、広い見識を立てる為の學が必要であることを教えたものであります。
これによっても如何に學問を積むことが肝要であるかが想像されましょう。
學問家とは、傲慢・不遜の態度をさしているのではなく、學問臭いところがないのが真の學問であります。學の階級は継ぎの五通りの段階に区別されます。
すなわち変化學、認識學、治平學、理数學、性心學であります。これを説明しますと、
一、変化學
これは、通常の社会人が知っている狭義的な変化學ではなく、極めて広い範囲の意味を含んでいます。
すなわち神から与えられた宇宙・万象すべての物質が人間の頭脳の機知変化によって一つの物体、一種の利用価値のあるものに創り出されることを変化學といいます。
自然的形体から人為的加工体に造り換える學問であります。
一脚の机をもって例えると、机の本質も元は樹木で、人間の加工によって変化したものであります。
茶碗の元は粘土であり泥であったが、人間の手によって型作られ、それを炉に入れ焼かれることによって成り立ったものであります。
一組の機械も同じことで、元はただの鉄や鋼にすぎませんが、人間の精密な研究と努力とによって組み立てられたものであります。
数種の物質を応用加工して一個の生産機に造り換えるには、多大の精神力と代価を払わなければなりません。
数多い試験と失敗を繰り返してから漸く成功します。
また、性能の低いものから性能の高いものへ、粗末劣悪の品質から優良精密の品質へと改革・改良していくには相当の努力を必要とします。
生産の遅い、旧い悪い形のものから理想的な新しい良い型のものへと造り換え、自動大量生産化していく、これらの能力を有している人を発明家、又は學士・博士とも言います。
工学、農学、建築、物理、化学などはこの中に含まれます。士とは、成功者対する美称であり、學とは、浅きから深きへ、悪しきものから好きものへ、不理想から理想へ、工夫改善することで、博とは広く見聞や研究をされた意味を表します。
二、認識學
これも広義的に説く認識學であります。
すなわち宇宙間、上は日・月・星座星雲の天体から、下は河川・山岳・海洋の一切、中は動物・植物・鉱物の動・不動の形物に至るまで如何なる品名と性質を有しているか、その形態の状態とによって、どの地方に生産・発生されるか、どうして始まり、どのような経過を辿り、如何なる結果に終わるかなどを詳細に解明する學問であります。
また、天地・気候・年代・潮流とどんな連携をもっているかが認識でき、そして人間に有効であるか否か、応用できるか否かなどを見極める學問です。
一つの薬物がどれ位病体・病状に影響するか、薬効の正確な判断は難しいことであります。一つの薬品が化合して何種もの物品の製造に役立つかを知ることも容易なことではありません。
生物・天文・歴史・地理・考古・医学等はこの中に含まれることになります。
これらの能力を有している人を見聞家と称し、あるいは博士とも言います。
三、治平學
これは、徳を以て世の中を和合させ、統治する學であります。
我々によって発明・製造された一切のものは、人類が享受する為に為されたはずであり、人々の便宜を図り、人々の幸せを思うがために尽くされたものであります。
例えば花壇を造園するのも、人々に鑑賞させ楽しませるが為であり、一つの機械を発明するのも、我々に利用させ生活をより良く向上させるが為で、飛行機・気車・電車・船舶・自動車等の発明も、目的は人間の心を快適にさせ満足させるが為に追求されているに他なりません。
人間最大の希望は永遠に争いのない、苦のない、不便のない、太平の幸福にあります。
人間の本質は、決してそれを悪用して人類滅亡や幸福を脅かすことなく、又不幸、貧困、戦乱、災禍のない理想的な世界の実現を希望しています。
しかし、有史以来の世界は、時には乱れ、時には治まり、不正常であります。
人類の熱望するところの幸福の為には、昔から沢山の立派な英雄・豪傑や政治家が現れて暴虐を除き、善良な民を安護してきました。
禍や災難を治めて平和たらしめ、天下の同胞が一方の塗炭の苦しみから解脱せしめ、不安恐懼のない安居楽業の生活を享受させました。
範囲の広い幸福を計った人ほど人から崇拝敬慕され、これらの能力を有している人を治平家、または英雄と称されます。
文学・教育・法曹・政治・経済等はこの中に含まれます。
四、理数學
この理数學も現代社会の知っているところの狭義的なものではありません。
広義的理数學は、天地の開闢を知り、日月の盈虧を計り、陰陽の消長、寒暑の往来、世道潮流の変化、時運の変遷を理数の上から計算して悟得する學問のことであります。
人心の善悪を弁別でき、時勢の推移を見通し、事の成敗、過去・現在・未来を的確に判断・計議できる能力を有している人を知識家と称し、また賢人とも称されます。
易学・哲学・心理学・預言者などはこの中に含まれます。
五、性心學
この性心學も現代社会で知っている所の性心學ではなく、むしろ現代社会の知らない性心學であります。
これは、先天・後天の在り方、宇宙森羅万象を含む一切の有形無形のものの創造理を悟り、それに通ずる學であります。
すべての物体は、この定理・定数の範囲から出ません。
物事の終始本末を悟り、万古不易の真理を定義し、由来と未来の理を確立して人類を苦の因果の梱縛から脱せられる法を参悟する學であります。
霊の浄化、心の洗浄法を会得することは至難の業であります。
どんなことでも、根本原理を追求して至らねばなりません。
この原理は、千秋万古を経て真であり、常に不変の存在であり、如何に攻撃打倒しようとしても不動体であり、どんな強力な力でも覆すことはできません。
この真理を求め、これを掌握し、大霊に融合する「道」を得た人、それに到達した人こそ最高の學を修得する人と言えます。
前記の仕事を為し得られる人、または、これらの能力を有している人を知慧者と称し、あるいは聖人とも称されます。
神學・宗教學はこの中に含まれ、老子・孔子・釈迦・観音菩薩・達磨大師・キリスト・マホメッドなどはこの域に達せられた方々であります。
我々が学んでいる「道」は、すなわち性心學であり、最高位にあたる貴い存在であり、學の五階級の中でも第一等に算えられますが、さらに性心學は五段階に別けられます。
【粗理】=あらいり
聖人は、幽玄なる奥理を人に説明するのに、人によって法を説く関係上、 普通一般の人に説くのを主旨とされています。
これは、因果応報の的確と、宿業罪業の報復を「瓜の種には瓜の実、豆の種には豆の実」と述べられています。
すなわち善を為せば善の果を得られ、清白の行いがあれば清白の報いがあり、時期が到来すれば必ずその報いが来るという平易な理であります。
一般人はこのような啓発によれば一番目覚め易いからであります。
【細理】=こまかいり
聖人が程度のやや高い知識層に説く主旨であります。
聖人は、人々に道徳・倫理の根本を教え、義理と人情の必要を説き、禮教・仁愛の大事を納得させました。
社会は、天下の人の社会であって、自分1個人の社会ではないから、相互の親愛がなければなりません。
だから生きている以上は、人を愛し、世間の危機を救い、己の態度と行為を正しくし、意を誠にし、心を正し、身を修め、家を斎へ、国を治め、天下を平和にする順序を明らかに知り、対人関係に必要な孝・梯・忠・信・禮・義・廉・恥を具備することを教え、人格・教養・道徳を円満に修める為、必要な理を教えるものであります。
【微理】=かすかなり
聖人が程度の一番高い知識層に説く主旨であります。
聖人は、聖書・経典を根本にして宣揚し、人々に聖人と凡人、仙人と俗人、仏と衆生の元は完全に一体であり、同様であることを示した理であります。
我々の元は一様に、天地創造神・造物主から賦与された霊を持ち、父母から生育された身体を有し、天地から扶養されて生活していますが、ただここに迷いと悟りによって天淵の差に別れてゆくのであります。
この理をいち早く悟ることを教えたのが微理であります。
もし、明師から真傳心法の伝授を受けることができれば、人々は皆聖賢仙佛に成れましょう。
ただ、切実な決心があるか否かによって分別されていくだけであります。
この理を悟って偉大なる決意を持てば、万古流傳の名声を獲得できることは言うまでもありません。
【玄理】=おくふかいり
博く千経萬典を覧て、自己の真霊をますます深い玄理に結びつけて、日夜修行煉磨することであり、自己の霊光をいよいよ純熟に仕上げてゆくのを参玄と言います。
【妙理】=たえなるり
ここに到達した人は、もう一宗一派の所説に偏狭することはありません。
最高の真理を掌握し、態度は超然として深い妙理のみを悟得師、自分の真なる智慧を発揮して不変不易の理想境界へ至ろうとします。
これを「妙を悟る」といいます。
まず、妙を悟ってこそ「道の真諦」を発揮でき、輪廻と煩悩、因果と恐懼を脱れて人々に人生の最高幸福を悟らしめることができ、この工夫に到達できる人の學は最高至極と言えます。
以上が性心學の大切を述べた論説で理論上,學問の根幹をなしているものであります。
以上
2022年2月25日ジュディノート、愛国者、自由、新時代、光の時代、黄金時代、風の時代、日本が好き、旅が好き、自然が好き、花が好き、リアリスト、ふしぎちゃんるな愛と光のメッセージを送ります