真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

木下医師が糖尿病がなくなるローカーボ食を広めるとの意見に、令和の虎で切れて退室 「医者としてここには居られない」虎が退室する理由とは。美味しいローカーボで心身共に健康な世界を実現したい

2023-10-22 21:39:43 | ONEメッセージ

Ray:人の弱みにつけ込んだ商売・詐欺は、金融・保険・教育・福祉など社会システム全般!

つまり囲われた家畜状態!

木下医師が糖尿病がなくなるローカーボ食を広めるとの意見に、令和の虎で切れて退室 「医者としてここには居られない」虎が退室する理由とは。美味しいローカーボで心身共に健康な世界を実現したい


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師尊老大人曰~苦難の降臨は、まさに重生の能量(エネルギー)を強化する―

2023-10-22 20:32:10 | 師尊老大人・月慧師母

 師尊様は弥勒浄土10800年の道統の師です

苦難の意味は、死地に置かれた後に生きることである。重生とは、一つの脱胎換骨(完全に新しくかえること)の蛻変であり、さらに全く新しい姿で無数の生命を養育することである。

人はもし死ぬような過程を経験しなければ、生きることの貴さを体得できない。

経に言う・・『一人一人がみな死の味わいを受けて、復活の日に、あなた達ははじめて完全な報酬を享受できる。火獄から遠く離れる事ができ、楽園に進入するものは、すでに成功しているものである。今世の享受は、ただ虚幻の享受でしかない。』

末日の死は、新世の誕生のために準備をすることである。

いわゆる死とは、人心が作用して変化をおこした一切の情識慾念を死なせて、さらに本心が作用して生発するべき一切の理性道愿とすることである。これをもって重生の重要な案内板とする。

本当の苦難は、決して劫難からくるのではなく、人が乱世の中で、どのようにして互いに対応するのか、どのようにして互いに護念するのかである。

イエスは言った・・『わたしは真にあなたに言う、人がもし重生しなければ、神の国を見ることはできない。』

ニコデモは言った・・『人はすでに年をとった者が、どのようにして重生することができるでしょうか?どうして再び母の胎内に入って生まれてくることができるでしょうか?』

イエスは言った・・『わたしは真にあなたに言う、人がもし水と聖霊から生まれなければ、神の国に入る事はできない。肉体から生まれる者は肉体であり、霊から生まれる者は霊である。』

私は言った・・『あなた達は必ず重生しなければならない。あなたは不思議だと思ってはいけない。』

何のために重生するのか。決して義を行う事を重視し、名を立てることを重視し、施捨を重視することを経由するのではない。
このようなステップを経過すれば、神に召され悦ばれると思う、
そうではない。

重生とは 上帝の導きをかりて、神に対して、自分に対しての真実の面目を確実に自分に認識させることである。

ゆえにここで言うと、人がもし重生しなければ神の国に入ることはできない。必ず重生しなければならず、あなたは拒絶や逃避するわけにはいかない。

ただ完全に 上帝の改造に預け(託して)、 上帝の賦与を信じれば、すっかり新しくなることができる。


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“性の率うこれ道と謂い”~清静な観察と理解のはじまり

2023-10-22 16:45:48 | 道すなわち真理

5次元も陰陽界であり、時・空間です。人類・宇宙の当面は、3次元~5次元が一体となる変化に対応できるよう、自らのエネルギー・フィールドをマスターした意識状態を維持する方法を思い出し始めます。あらかじめプログラミングされた計画であり、天の恩恵による必然的変化です。キリスト意識でいう神の幕屋が降りる1000年王国の顕現です。

より高次元への進化のために、今は内外とも一つの出発点となるステージが構成される段階です。行き着く先は、地球と人類の一人一人に天命として隠されてきた永遠の進化の軌道を明らかにし、すべての神の子が霊の根源(ふるさと)に帰還することです。その目的のため、創造主の天命を承け、この聖なる戦いのために人類ひとりひとりに賦与された至宝があり、それを「道」といいます。その鍵となる秘法は聖人から聖人に以心伝心で伝承されてきました。

参考(孔子、中庸)   

天の命ずるこれ性と謂い、性の率いるこれ道と謂い、道を修めるこれを教えと謂う。道は須臾も離れるべからざるなり。離れるべきは道にあらざるなり。

天の命ずる天とは唯一絶対の創造主のことです。創造主の命(人の存在の意義)、つまり創造主の分霊(性)を具えた存在、この存在が人類です。魂の核、絶対愛と表現している「純粋な霊」がもともと具わっているのは創造主より付与された、と表現されています。

性の率うこれ道と謂い:性に伴って率いてきたのを「道」といいます。つまり創造主は今日のため、私たちが使命を果たすために「道」を伴わせたのです。

道を修めるこれ教えと謂う:「道を修める」という表現は、今日の時期までは一般公開されない時期だったので「修める」と文章上で表現されています。実際は「道は得て」「修める」もので、道(真理)を伝えてきたものを教といいます。

なぜ性に率いられているのに、あらためて得る必要があるのか、一人一人には役割や縁があって、ブループリントを実行に移すための絶妙な計画に沿って、外側から個々の縁に応じて扉をあける鍵(神聖な法)があります。

5次元世界でも、さらに感性を高めこの道を求めるための殿堂が設けられています。(参照「シリウスの超叡智」パトリシア・コーリ著) この超次元の学びの関門を超えることができたマスターは、更に高次元へと進化します。

今、3~4次元で「道」を得る機会が与えられているのは、天地創造主の限りない恩恵です。それによって地底のアガルタやレムリヤ、そして宇宙の同胞がこの「道」を求めるため人類と同行するときが訪れ、人類の目覚めを急速に促すことができます。この地上に最後まで残り、すべての性命を救済する志を持った勇者達によって、宇宙人類すべての生命が5次元を超える永遠の旅立ちの機会を得ることになります。宇宙の平和も同時に進行し、霊のふるさとに回帰するため、黄金の羅線循環が構成されます。

自由意思によって5次元に上がったものは、さらなる殿堂で高度な学びを得る機会があります。現実の世界に居て、肉体を持ったまま次元上昇することができるのは、3~5次元を自由に移動するためだけではなく、最も重要なことはこの肉体をかりて創造主のこの至福の恩恵を受けることができるからです。肉体を得ていることは魂のシェルターのみならず、その「時」や「土地」とともにこの世で最も尊い宝の一つなのです。人類の意識が高まれば高まるほどこの「道」の降臨という恩恵の価値を理解できるようになり、進化が早まり神殿文明が発展してゆきます。

古代から綿々と続いている、古くて新しいタイムライン(温古知新:古きをたずね新たなることを知る)

静かな湖面に小石を投げ入れると波紋が起ちますが、小石が湖水に吸い込まれる時には一旦表面の水を中に引き込み、もどる力が波紋をたてます。人類は長い間戦争に明け暮れ、自然災害を引き起こしてきました。それがちょうど表面の水を中に引き込んだ状態だとすると、今は元にもどる力が波紋をたてている時期です。この波紋はすべてが一体となるため、光の波動が繰り返し押し寄せ人類を軸に大宇宙の聖なる調和を発進している様子です。

下図に表したように「気天界・象天界・地獄界」という輪廻によって運ばれてきた大宇宙の仕組みが、地獄界が消滅し、気天界と象天界が融合する過程で、進化に必要な「人間の尊厳を回復する」段階に入ってゆきます。それは湖面が静かに月を映しているように、古代からもともとあった営みで、人びとの生活に根ざした真の心の表れです。

※   グレオ暦のその時(紀元前18世紀)、湖底から盤銘(湯の盤銘:湯王が「日に新たなり・・・つねに進歩している。」という戒めを刻んだ石盤)が浮上し、水面を大きく揺らしました。

人間の尊厳を回復し、霊のふるさとに還る、ためのプログラムは、「縁」という微妙な心に通じる機会として訪れます。その鍵は名付ければ「道」という印象で感じることができます。清静な「道」です。しかし、くれぐれも、その訪れには仮もあり偽もあります。謙虚であり誠であるものです。

《図の解説》

A:  2013年4月29日にウーテが「過去の伝統的な道における個別のイニシエーションの状況で起きていたことは、いずれ遅かれ早かれ世界規模で起きるでしょうし、人類を高次元に先導する宇宙的なイベントとしても起きるでしょう・・・人類がそれを望むならば」

弟子状態にある人類~ウーテ・ポゼッガ・ルーデル:Mutual Aid Japan (goo.ne.jp)

というメッセージの意味も含まれます。

この「道」は、1920年代に一般に公開され、縁ある人に人から人へと伝えられています。5次元を経過せずに即7次元に至ります。古来「解脱」や「超生了死の法」と言われてきました。

B: 功徳を積んで5次元に上昇したものが、修道の機会を許されて新世界の殿堂で道を求めることができる。これは中国古代の「状元」のように極めて厳正な試験がある。

C: まだ地獄に残っているものが、象天界の子孫の功徳によって道を求めることができる。

以上の印象では、物質経済中心の時代にあって、政者によって改ざんされた「道」の本質を知ることは甚だ難しく思いますが、一方で科学技術の発展はめざましく、さらに宇宙から高度な技術がディスクローズされると、過去の解釈を遥かに超越した世界が顕現します。双方について人類はまだ白紙の状態ですが、ライトワーカーやウエイシャワーの貢献者・勇者は準備が整ったという布告です。

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禅に秘められた次元を超えた奥義【日本古傳の秘儀、一厘の仕組み、〇チョンの秘儀!】一なる真理の伝承~達磨大師、神光と問答す・・・

2023-10-22 16:42:58 | 道すなわち真理

洛陽は当時仏教の最も盛んな都で、ここに名僧・神光(後の禅宗の初祖、慧可)が在住して経典を講じ説法すること四十九年間、人天百万の聴講があると聞いて、大師は神光を救おうと思いました。

ひそかに聴衆の一人に身をやつして法座のそばに参りました。
果たして、聞きしにまさる雄弁で、これを言葉で形容すれば「天より花が乱れ落ち、地より金蓮が湧き出で、泥牛が海を越え、木馬が風にいななくが如し」という状態でありました。

それほど神光の説法は抜群で大衆の心を掴んで離しませんでした。
大師は、道脈が神光にあることをただちに察し、これに道を与えねばとの心から、神光の前に姿を現わされました。

神光は説法を終えて気がつくと、目の前にひげ面で色黒の目はギョロリとした一風変わった姿の僧侶がいるので、その人に向かって問いました。
神光「老僧は何処から来られたのですか」
大師「遠くないところから来ました」
神光「遠くないところと言われましたが、今まで見たお顔ではない。何処の生まれですか」
神光は敏い人ですから、人天百万の弟子があっても毛色の違った大師にはすぐ気がつきました。

大師は前と同じように人を食った言い方で、「暇がないからここに来たことはない。ある時は山に登って霊薬を採取し、またある時は海に入って珍寶を採取して一座の無縫塔を修造している。まだ功果が完成していないので今日は間をみてここに来た。あなたの慈悲深い経文を講ずるのを聴きたいと思う。」

神光は、大師の言葉を聞いて心中不可解な感じがしましたが、根が真摯で率直で徳の高い方でありましたので、「お経を聴きに来た」との言葉に早速経典を出して展下、一生懸命に説法し出しました。

大師は腕組みをして、黙然として神光の説法を聴いていましたが、終わるの待って、
「あなたが説かれたのは何ですか」と聞きました。

全く聞いていないようなので驚いた神光は、
「私が説いたのは法であります」
大師「その法はいずこに有りますか」
神光「法はこの経巻の中にあります」
大師「黒いのは字であり、白いのは紙である。その法は一体いずこかに見ることができましょうか」
神光「紙の上に載っている法は正しい法であります」
大師「文字の法に何の霊験がありますか」
神光「人間の生死生命を解脱させる法力が潜んでいます」

そこで大師は言葉をついで、
「今あなたが説いたとおり、法が紙の上に載っていて、それが人の生死輪廻から救う効験があるとすれば、今私は紙の上に美味しそうな餅(菓子)の絵を書いてあなたの空腹を満たしたいが如何ですか」

神光は驚いて、
「紙の上に書いた餅がどうして空腹を満たすことができましょうか」
大師「然り、紙上に書いた餅は空腹を満たすことができないと言うのであれば、あなたが説かれたところの紙上に載っているところの仏法が人の生死を救い輪廻を解脱させ涅槃の境地に至らすことができるのですか。あなたの説かれていることは元来無益です。その紙の巻物を私に渡しなさい。焼き捨ててしまいましょう」

神光は顔色を変え声を荒くして
「私は経を講じ、法を説いて無量の人々を済度しています。どうしてそれを無益と言うのか。汝は仏法を軽賤しているのか、仏法を軽賤した罪は甚だ重いことを知らないのか」
大師「私は決して仏法を軽賤していません。あなたこそ仏法を軽賤しているのです。あなたは全く仏の心印・心法を極めていないので、ただいたずらに経典や説法に執着し、その字句や題目に囚われ、偏った法の解釈をしているだけであって結果的に見てあなたは本当の仏法が明らかに解っていないのです」

神光は大師の理論を聞いてすこぶる不愉快となり、
「私に法が分からないと言うなら、どうぞあなたが私に代わって台に登り法を説いてください」神光は吐き捨てるように言いました。

大師「私に説く法はありません。ただ言えるのは一の字のみです。私は西域からわざわざこの一の字を持ってきました。
神光「その一の字とは何ですか」
大師「その一の字は須弥山を筆とし、四海の水で墨をすり、天下を紙としてもこの一の字は書き写すことができず、又この一の字の形を描くことは出来ません。形も影もないから見れども見えず描けども描くことができないのです。もしある人がこの一の字を識り、一の字を描くことができれば、その人は生と死を超越することができます。本来形象はないが春夏秋冬の四季を通じて常に光明を放つことができます。この玄中の妙、妙中の玄を知り得る人があれば、まさに龍華会において上人に会うことができます。

神光は大師の言葉が理解できず、怒りが爆発しそうになりました。
大師はつづいて偈をつくりました。
「達磨、もとは天外天より来る。仏法を講ぜずともまた仙となる。
 萬巻の経書、すべて要とせず。ただ生死一毫の端を提る。
 神光、もと好く経を講ず。智慧聡明にして広く人に伝う。
 今朝、達磨の救いに逢わざれば、三界を超えて生死を了え難し。
 達磨西より来りて一字もなし。全く心意に憑りて工夫を用う。

 達磨宝鑑より・・・


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弥勒真経~五、雲雷戌己の土に震い開けば 天下の神鬼(しんき)も安寧(あんねい)ならず

2023-10-22 16:40:44 | 弥勒真経 解釈

雲雷とは明師(めいし)の鍵を言い、戌己(つちのえつちのと)の土(とち)とは玄関のことであり、震い開けばとは点破(てんぱ)することである。

つまり、三期の世に明師が現れ雲雷一閃(うんらいいっせん)、霹雷(へきらい)すれば六万年間縛られていた鎖(錠前)に震いちぎれて、古い真人(本性)が出現する。

天下の神鬼(しんき)も安寧(あんねい)ならずとは三界の神鬼諸霊(甄姫諸霊)も恐れ驚くことである。

一点を点破された者は静かに深く宮中(玄関)に坐(ざ)して微動だにもしないが、明師の鍵を受けないものはすべて天宮(理天)に帰ることを許されない。

この句は三期末劫、天盤が変動する時には天下の神鬼も安間(あんかん)としていられなくなることに言い及んでいる。

続く


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