真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

ほとんどの薬はその場しのぎ…どころか毒?知らないと怖い「薬」の基礎知識(日本初「薬やめる科」医師:松田史彦 Part①)

2023-10-25 18:57:06 | ONEメッセージ

ほとんどの薬はその場しのぎ…どころか毒?知らないと怖い「薬」の基礎知識(日本初「薬やめる科」医師:松田史彦 Part①)


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【深堀り】エゴを追い出したいときの世界の見方(気付くだけで充分です!)

2023-10-25 18:21:28 | ONEメッセージ

【深堀り】エゴを追い出したいときの世界の見方(気付くだけで充分です!)


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師尊老大人曰く:一即ち一切なり、一切即ち一なり

2023-10-25 17:04:31 | 師尊老大人・月慧師母

Ray:困難な時期はそのため、弥勒浄土に入るには、あなたの言動一切は、全てに影響を与えることを認識しなけければならない、というお話です。

師尊老大人曰く:

団体と一体となろうと思うならば、先に自身が自性を 以て実践の起点とし、率性を以て創造の誘導としなくて はいけない。

個人の私が本来の状態に戻ることにより、はじめて大体 にとけ込むことができる、亦、私によって大体を復活さ せることができる。

人は団体方式で仕事することができるが、団体方式で思 考することはできない ゆえに曰く・ ・一つの偉大な考えは、団体から生まれるの ではなく、個人からくるのである。

彼は組織内の他の人々を激励し、すべての偉大な考えを その他の人と一緒に履行していく。

このような表現の仕方は、尊大であるかもしれないが、 しかしこれもまた事実である。

いかなる成功者も、自身の体悟から発見して他人に影響 を及ぼし、一緒になって奮闘するのである。

ゆえに万物の源となるには、この自性、率性を基礎とす る。

自性とは、本来自ら具足し、本々清浄で、本より生滅な く、万法の真如を生むことができる 率性とは、乃ち性に循 したが い行うことである、是を道の普現 と謂う。

この二者に分別なし、 両者とも円明な佛性にしたがいて、 法身を荘厳にしている。

古德云う・ ・即心即佛(心こそ即ち佛である)、 此の心は本來佛であり、 迷ったがために衆生となった。

つまり迷覚の変である。

我が人は日々に現前を用い、 一念覚れば即ち佛となり、 一念一念常に覚れば、その名を常住佛という、 覚らなければ則ち永遠に迷途に堕ちる。

それはまるで、目がありながら暗室にいるが如く、 何も見ることができない。

謂わば、佛魔は即ち此の心、此の性の変によって形を現 れただけである。

若し、此の心、此の性に乱れがなけれ ば、どうして佛魔の相が顕れようか?

一即ち一切、一切即ち一とは、つまり心が一切の 源であり、一切は心の反射であることを言っている。

その顛倒の処は、本々有ったことに因って假(偽り)を 作したのではなく、本々無い習気に染められたためにそ うなったのである。

理体の上に於いては、本性は一如として変わらないが、 事体の上に於いては、人心の干渉と邪魔により錯誤が生 じる。

精微な量子学説の中で示されている、 物質上の実物とは、 ただ、 人類の意念によって造り出されただけにすぎない。

本当の実体は人の思想意念である。執着と差別の想いに 因る主観でコントロールされたことにより変化し、エネ ルギー上において雑質反応が出るようになった。

人類の実験で、鼻にチューブを入れて深く息をし、その チューブを雪の中に十分間置いておく、もしチューブの 色に変化がなければ、あなたの心が穏やかで落ち着いて いることを表している。

白く濁れば、あなたの心の中に やましいことがあることを表している。紫色に変化すれ ば、あなたがとても怒っていることを表している。

また、 チューブの中の紫色の氷を1~2ミリリットルほど抽出 してネズミに注射すると、ネズミは1、2分程で死んで しまう。

この実験をある人はこのように分析している・ ・人の感情 と思想意念は、自身のエネルギー転換に直接作用して異 なるミクロ物質の活動を生じさせることだけではなく、 それと同時に自身以外の物質のエネルギー転換にも作用 を及ぼす。 同時にこれは、 非有情物質にもそれらの情報を受け取り、 保存し、伝達する機能があることを説明している。

またこれにより、華厳経に示された 『万法は唯心より現れ、唯識により変化する。応 まさに法界 の性を觀ずべし、一切は唯心より造られる』の偈の涵義 を理解することができる。

修行者は、この時、必ずや天の性理に回帰し、ここから 新たに開拓する。


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弥勒真経~八、南北両極宗を連ねて緒(ちょ)なるも 混元古冊中央(こんげんこさつちゅうおう)に在り

2023-10-25 17:01:14 | 弥勒真経 解釈

南北両極とは世界のことである。この二つの極を枢軸(すうじく)として結ぶ南北東西の諸国に於けるすべての宗教・宗派は目下顕著に布教されているが、やがては祖師を認め信じ、根本の天道に帰り、ひとしく龍華大会(りゅうげたいかい)に赴かなければならない。

このことは混沌元始以来のあらゆる古書冊子に記されているが、すべて中央に帰る、中心を統べる、中和に集まることを証明し解かれている。

中央とはもとより天道であり、玄関の寶蔵地(ほうぞうち)である。天下の万事、万有はことごとくここに帰らなければいけない。

続く


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天道推奨~(六)仏堂の役目と意義  完

2023-10-25 17:00:11 | 天道推奨

(六)仏堂の役目と意義

天道に於いて最も重んじている荷は、古来からの不立文字(ふりゅうもじ)心法であります。

この師資相承(ししそうじょう)の三宝得授(さんぽうとくじゅ)を行う儀式場が仏堂であります。

九分九厘まで天道の理を説明できても肝腎の秘伝は漏洩(漏らす)ことはできませんから、心有る人は仏堂に跪(ぬか)づいてこそ始めて神聖な法を得られるのであります。

仏堂の場所は本堂以外は殆ど各家庭に奉置(ほうち)され、二つの大きな御利益を齎(もた)らせて下さいます。

一つは衆生(ひとびと)を済度する一隻の法船としての役目を果たし、心から道を得たい方は此処(ここ)で荘厳(そうごん)なる儀式を挙行(きょこう)し、絶)た)ゆまない悪因果の輪廻に終止符を打って、自在の身にさせて下さいます。

もう一つは優先的にわれわれの家庭及び、隣近所を常に守護してくださる特典があり、一旦(いったん)、何か不祥事故が突発した場合には、未然に除去して頂けます。形式を重んじていませんので、堂内の装飾や設備は繫雑を(はん雑)を避けて簡素化されていますが、御降臨なされます神様は、無上最高の神、人類、万有、創造の神であらせられる、老〇(ラウム)様であります。

小さなわれわれの家庭一間にも斯様(かよう)な、至上無比の親神様をお祭り申し上げられますのも、時機に恵まれているからであります。

と云うのは、此の三宝は萬経(まんきょう)の中に蔵(かく)していない天機であって、授法(じゅほう)の感激的状景は未得道者の参列を許されません。人間だけではなく、われわれの肉眼に映らない一切の神格のない、気天神(きてんしん)や亡者霊、動物霊、畜生霊或いは邪神、邪霊の接近も拒絶しております。

仏堂で一番大事なのは、真ん中に安置申し上げているお天燈(ともしび)であります。

この天燈(おひかり)は、老〇(ラウム)様の御神体を象徴して普段は余り点(つ)けられません。

一度これを点(つ)けますと、忽ち、老〇(ラウム)様に通じる通天燈(つうてんとう)に変わります。

点灯中は、直径、百歩周辺には、神格の高い仙仏が常に固い守護陣となってくださいます。

例えば、弥勒仏、釈迦仏、孔子、老子、キリスト、マホメッド、観音様、達摩大師等の優れた神仏、聖者の方々であります。

これを見ましても、仏堂の持つべき意義と尊厳は実に甚大なものであることが分かります。

我々は毎日、このように堅固な保佑(ほゆう)の下に於いて、安心立命、無憂無愁(むゆうむしゅう)の生活が送られる訳であります。

仏堂の模様はわれわれが、勝手な創像(そうぞう)や設計に基づいて奉置(ほうち)するのではなく、すべて、老〇(ラウム)様のお指図に従うもので、弓長恩師(ゆみながおんし)又は子系師母(しけいしぼ)の御許可を受ければこそ効用と、霊験が得られるのであります。

開壇を許された幸運者は自動的に壇主となれます。開壇しなくとも特に熱心であり、且つその仏堂と縁故の有る人も壇主に任じられる場合があります。

勿論、壇主の資格者は、前世に数多くの積善と厚い祖先の余徳の然(しか)らしむ所であり、わけても佳(よ)い時期に世に生れ合わせた事に原因します。

人間界に一個所の仏堂を安置しますと必然的に、理天界に於いても高大な天院が設けられ、設壇者の不朽(ふきゅう)の號(ごう)も併せて白陽の青史に留まります。

従って挫折することなく、仏堂を何時までも保持できる人は、福が最も多い訳で洋々たる未来が約束されて目出度(めでた)い限りであります。

仏堂内は非常に静粛(せいしゅく)と清潔を重んじ、朝にお茶をお供えし、朝、晩に芳(かんば)しい、お香を献じて礼拝すればよいのであります。

平素、青果やお花、菓子類をお供えしてわれわれの真心を表せば結構であります。

献供(けんきょう)後のお茶や果物を御一家で召し上がりますと、言い知れない甘味、香味を味わうことができます。

老〇(ラウム)様や諸神聖の御恵みとわれわれの真心が加味されますから、一層、美味しく感じられ、心身の汚れと不純を一掃して下さる感が強いのであります。

憂欝(ゆううつ)や陰気に閉ざされている時は静かに仏堂にお這入(おは)りになって御覧なさい。

名状(めいじょう)し難い程の歓喜が生じ、すっかり爽快な気分に変わってしまいます。

不安や恐怖に取り憑(つ)かれた場合は天灯(ともしび)か祖師の顔をジッと仰いで御覧なさい。

間もなく落ち着きと勇気が得られることでありましょう。

雑念や煩悩に苦しまれている時等、暫く仏堂の前に跪着(ぬかづ)けば急(す)ぐにでも清静な心境となり、智慧心が湧いて問題は解決されます。

仏堂の持つ威光は冷淡の人を溶かし温和にし、無情残虐の人を化して慈悲仁愛に変わらせる程であります。

それは、偏(ひと)えに、老〇(ラウム)様の御神燈(ごしんとう)が有する摩訶不思議(まかふしぎ)の力の然(しか)らしめる所であり、一切の魔障(ましょう)と邪気を吹き飛ばして雲散霧消(うんさんむしょう)するもであります。

仏堂開設を所望(しょもう)の方は本堂へその旨、申し伝えれば適切なる指導を受けられるのであります。

実(げ)に縁は縁を結び、徳は徳を重ねて無限の進歩を遂げるものであります。

「若し成仏を想えば勤めて礼拝を要す。されば、常に聡明なる智慧心を持す。」(弥勒真経)


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