真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

朝の味噌汁に魔法の粉を混ぜるだけで肥満・高血圧・糖尿病予防!日本人のための最強食を教えます!【リンパケア 食事】

2023-10-06 20:18:41 | ONEメッセージ

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超古代文字カタカムナに隠された秘密!【カタカムナの語りべ 板垣昭子さん①】斎名智子 山本時嗣 カタカムナ 日本人 引き寄せ 大人の スピリチュアル earth 宇宙

2023-10-06 19:57:54 | ONEメッセージ

Ray:カムナが進化して「道と徳」になった、ではないですね! より7次元レベルの道徳を体得していないから4次元宇宙レベルの古い記号に感性を見出している段階です。

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【Ray:文王は天命が師儒僧侶にあった時代に道盤を掌った聖人!】【ゆっくり歴史解説】周王列伝 第1回 聖なる王 文王【周】ゆっくり中国古代史語り

2023-10-06 19:22:45 | 道すなわち真理

道盤統掌が文王の時代、3000年間釈迦牟尼仏が天盤を掌っていました。

因に文王の後、1900年から10800年間天命が火宅に降り、天盤を弥勒古仏、道盤を掌っているのは弓長祖です。

日本の大和朝廷統一の時代、縄文・弥生・古墳時代を通して「諏訪王朝」が存在し、全国各地に諏訪社またとして遺っています。

また「御柱祭」として世界中に伝承されています。

その道徳的(忠孝節義)を貫いた聖人が「文王」であった。

実を取った神仕組みが綿々と続いています。

「サンカ」の伝承もこの時代この地の遺産!

仏教伝来とともに聖徳太子によって神仏習合の基礎が築かれ、日本の歴史が温存された。

日本人の精神性は「侍(サムライ)」として「大和魂」として一般化されてきた。

「まぼろしの諏訪王朝」にはそのロマンあふれる歴史が詳らかに記録されています。

増澤光男著【まぼろしの諏訪王朝】 203頁

=汎謀曰訪。汎與訪雙声。方與旁古通用。薄也。洪範王于訪于箕子。晉語。文王諏於蔡原而訪辛君。韋曰。諏訪皆謀也。本釋詁。許於方声別之曰汎謀。从言。方声。敷亮切。十部。

=聚謀也。左伝。咨事為諏。魯語作咨才。韋曰。才當為事。按釋詁。謀也。許於取声別之曰聚謀。儀礼今文假詛為諏。大玄作(言奏:一体の字)。从言。取声。子干切。古音在四部。

概訳:「訪」とは、ひろく謀ることであり、「諏」とはおおぜいに謀ることであって、つまり諏も訪もともに謀るという意味なのである。相談してものごとを決めること。

師尊様曰く

弥勒浄土の一大性質は大乗(マクロ)であり、神を信じる本義は「信受真伝:真伝を信じて受ける」ですが、この「信」には、誠実の意味があり、根拠の意味があり、疑いない意味があり、敬い崇(あが)め奉るという意味があり、本当に確実という意味がある。

人々の願いのこの「信」はこれらの意義を包括していると雖も、しかし、その中で最も超越して且つ直入的な意味は、「信」は「同じである」ことである。

有識論者であるから神を信じる者というべきものでもない。

天と同心・同見・同行であってこそはじめて天を信じると言える。

故に、あの本々招かれてきた人、いわゆる天国の子はかえって門外に排除され、その基業をも失ってしまった。

しかし、元来人々には絶対排除されると思われていた人が逆に盛宴上の賓客と成った。

形勢が逆転されたのは、天国にはただ一つの等級しかないからであり、それはつまり「信」の等級である。

Ray:想うところ、信州・諏訪には「信」があり、それに基づく「和」がある。

周文王の聖なる「道」があった。

【ゆっくり歴史解説】周王列伝 第1回 聖なる王 文王【周】ゆっくり中国古代史語り


家人経(六)了

2023-10-06 19:11:27 | 家人経(家族経)

家人経(六)

若い人は、老人が古いとか保守的でなかなか通じないと思っていますか?

あなたも年を取ると同じになります。

あなたは真実の愛がわかっていない。

経験が少ない。

意見で争う必要はない。

なぜ親に反発するかと言うと、成長してくると年齢によって自我独立する心による。

年齢によって言ってもしょうがない。

しかしこの時まだ自我独立の考え方があり、歪曲した考えに固執してはいけない。

年寄りの痛い所の欠点をいちいち指摘する必要はない。

年輩者の考えを認めないから苦痛となる。

認めると言うことは、その時代の価値観を認めるということ。

違う時代に形成してきた価値観を認めるということ。

違う時代に形成してきた価値感を認めるということです。

全てを言うと、次の時代の為に模範を与えるのが年輩者の責任。

上の年輩者に慶びを与えるのは下の世代の責任。

師母様曰く

各家人には言い難いものがります。

皆には必ず心の思いがあります。

理解さたと思いますか。前提は素直に皆と共に行動しなければならない。

でなければ、この心霊世界はあなたを受け入れない。

交流とは理念の違う者同士が交わること。率直と忍耐を必要とします。

上帝のアレンジを得ようとすればすぐに得られるようにします。

故に学習は生涯の授業です。

仮に年寄りも若い人も、必ず正直に生きることが人間の根本出る。

地位が高いか低いかに関係ない。

仙仏様は何の問題を解決したわけではなく、交流で感受したことによってわかるはずです。

少しずつ改める事によって、家人世界が以前と異なる事に気が付きます。

今日は家人について、希望する心を話題にし、たくさん得られることが出来ました。

道理は聞く時も話すときも日常生活で生かしてください。

真理を実践できるなら、人に包容と微笑があるならあなたは既に上帝と共にいることになります。

それは感謝と「すみません」を言わなければならない。

チャンスを逃さないよう気を付けましょう。

あなたに成長できるような傷口を与えた方に感恩の心が必要です。

あなたはたくさんの経暦を経てきました。

過去・現在・未来…しかし本当の過去、現在、未来はない。

現在、全てを改めるには当下にある。

話したいことは現在を掌握しようとすればすでに流れてゆく。

心の遺憾を悔しい事にならないよう気を付けましょう。

どうすればよいかわかりますか?

天地の間で、一番難解な経典は何ですか?

論語より聖書より…より重い経典は何ですか?

経典は忘れることが出来る。

あなたが逃げたくとも逃げられない経典、

それは「家人経」です。

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第四章 三期末劫の起こるべき原因とその証明(一)青陽時代

2023-10-06 19:09:42 | 天道の淵源

第四章 三期末劫の起こるべき原因とその証明

我々が安楽光明の故郷である「理天」にいた頃の一つ一つの霊は純無垢にして、聖賢仙仏であり、菩薩・羅漢の姿でありました。

皆秀麗な理性と玲瓏(れいりょう)な智徳を備えていました。

老〇様(ラウム)はお独りの智能をもって森羅万象を形作り、天地万物を創造された後、我々九十六億の霊の兄弟姉妹を治世のためお遣わしになられました。

我々は共に命を受けて治世にくだされたからには当然、人間対人間の中に相互親愛の情がある筈であります。

また、人間対動物の間柄にも然りであれねばなりません。

昔は長年人間と動物との平和な同居時代がありました。

共存共栄にしていた清純な時代でも人間の智能が幾分高いという立場から動物軽視となり、抱腹と生存競争という理由から動物殺戮にまで移りました。

聖書の創世記にも神は、「私は全地のおもてにある、種を持つすべての草と、種のある実を結ぶすべての木とをあなた方に与える。これはあなた方の食物となるであろう。また、地のすべての獣、空のすべての鳥、地に這うすべてのもの、すなわち命あるものには食物として全ての青草を与える。」とありますが、肉食の味を覚えた人間は、経を勝手に解釈し、理由を正当化して擒猟(きんりょう)に狂奔(きょうほん)し出しました。

人間対動物の闘争がここから始まったのであります。

捕らえられた獣は皮を剥がされ肉を切り取られ、骨を削られてそれぞれの用にあてられました。

当初の純善な天性も片寄った種族保存の観念から、悪どい他族への生命侵害へと変わってゆき、闘争は人間対動物だけに止まらず、必然的に人間対人間の間でも激しく競り始め、我欲・貪欲の凝(こ)りは人を盲目にしてしまいました。

無分別な要求は血腥臭(ちなまぐさ)い結果に終わることは当然です。

人間対人間の争いは他人との間だけに終わらず、尊族身内の殺害も敢えてするほどの残忍性・暴虐性に発展しました。

倫理道徳を逸脱した人は変じて悪鬼の姿となります。

人対人との軽蔑・区別が昂(こう)じて、家対家、国対国の争いとなり、果ては侵略や戦争の凄惨(せいさん)な結果を招くに至っています。

実に奸巧(よこしま)な考えを持つことは恐ろしい限りであり、嘆かわしいことであります。

我々は昔から有形・無形の中に、無数の血債・罪業を積み重ねてきました。

一生の間に犯した過ちだけでも量(はか)り知れないのに、一つの霊が何百何千となく輪廻転生している間に、周囲何万何十万の人に迷惑をかけ、累を及ぼし、寃(あだ)を為し、仇(かたき)を結んだかは想像しがたいほどであります。

老〇様(ラウム)は公正無私であって、債(かり)ある人に返債することを拒絶されません。

因果の貸借関係を綺麗にすることを当然と思召(おぼしめ)されて、原因による結果、債務に対する返債がいかに苦痛であっても、清算するのを許さないわけにはまりません。

生命に深い怨恨があるならば、あるには命をもって償(つぐな)わねばならないでしょう。

いわゆる眼には眼を、歯には歯を、の例えの通りです。

乱暴な飲食は腹を壊し、体内に蓄積された毒物は腫瘍(できもの)となって排出されます。

信賞必罰(しんしょうしつばつ)、天網恢恢(てんもうかいかい)疏(そ)にして漏らさず、生霊を害し傷つけた罪が累(かさな)って、ここ三期の浩(おお)きな災難が生じてきたのも、決して偶然のことではありません。

三期とは、三つの時期であり、劫(きょう)とは愚悪を警醒させるための天意による鞭であり、末劫とは、第三期の最後の災いを意味します。

従って前二期にも災難があった訳です。

三つの時期とは、青陽期・紅陽期・白陽期であります。

次にこの三期について詳細を述べてみましょう。

(一)青陽期時代

青陽期は、伏羲氏(ふくぎし)時代(メソポタミア国家時代)から商の太丁(たいてい)まで、ミケーネ・トロイが滅亡してギリシャ世界成立までの千八百八十六年間であります。

紅陽期は、周公から清の末期(千九百年・明治に中期頃)までの約三千年間であります。

白陽期は、今から未来1万八百年間であります。

災難はその時期の変更期か、その時代の間に起こる自然的・人工的な淘汰であります。

この三期を通じて見逃してならないことは、災難は時代の変遷に従って愈々激化し残酷化してゆくのであります。

そして部分から全面的に拡大されて、大量殺戮に変じていくのであります。

物質科学文明の急速な発達や進歩に伴って数倍数十倍苛酷・残忍性を帯びてきます。

それは、人心の腐敗と大きな関連があるからで、「青陽時代」は商の太丁、すなわち周王季(しゅうおうき)の時代で終わっています。

この時代、世道人心の罪悪は比較的軽微だったので九つの劫難によって清算されました。

名づけて「竜漢水劫(りゅうかんすいきょう)」といいます。

つまり、この時代に九回の大災難・大戦争が起こった訳で、わけても洪水の害が酷(ひど)かったので水劫と名づけられました。

古代文明の成立発祥地は、自然的条件との関係が深く、地勢・気候、わけても大河のほとりに集まりました。

従って恐ろしい氾濫で人類に大きな害を与えたもので、被害の屍(しかばね)は山の如く、血は流れて河の如くになりました。

一つの時代から次の時代に変わる度毎に苛烈(かれつ)な災難が人類の上に見舞ってきました。

当時の中国は、九つの時代に分けられ、神農(しんのう)・黄帝(こうてい)・少昊(しょうこう)・顓頊(せんぎょう)・帝嚳(ていこく)・堯(ぎょう)・舜(しゅん)・禹(う)・湯(とう)など九帝時代で、その都度に必ず無数の人命が滅ぼされました。

桀王(けつおう)の如き無道・暴虐によって起こった戦乱は残酷極まるものでありました。

これらは皆黄河の流域を中心にして行われ、禹帝は治水のため十三年間も家に帰らなかったほどです。

水を治めることは、国を治めることよりも困難なことでした。

印度(インド)のインダス川流域(現代のパキスタン国)にあるモヘンジョ・ダロは、五千年間は立派な都市でした。

例えば街路は東西と南北に直角に走り、排水施設も整っていました。

この古代インダス文明も大洪水によって消滅し、最古メソポタミアの興亡もチグリス・ユーフラテス河の周辺で繰り返されました。

アムル(アモリ)人が侵入して来て、シュメール人はこの世から姿を消しました。

このバビロン朝もインド、ヨーロッパの移動民族によってまた滅亡されました。

古代エジプトの文明もまた、ナイル河無くてはあり得ません。

ナイル河の増水を知るために天文学や暦が発達しましたが、洪水の為に無数の人類が死亡しました。

災難と言えば、ピラミッド建立の犠牲もまた凄惨無類でありました。

青陽時代の仙家は九の珠(たま)を伝えて、「九天の金丹」としていました。

上古の時代には文字がないので珠をもって数に代え、一個の珠をもって一つの劫難とし、旧子で都合九劫を表しています。

それでもこの時代の人間の悪は少なく善が多かったため九つの劫ですみました。

この時代の天道は専ら帝王にありました

帝王一人が天命を担えば、衆生を救い教えるのに困難ではなく、もっぱら道を宣揚し心法を伝えました。

この時代の人間は獣面ではあるが、仙仏の心をもっていました。

従って済度するのに比較的苦労はありませんでした。

どうして青陽時代と号していたかと言いますと、当時の道運の方位は東方に在ったからです。

天に在りては元(げん)・亨(こう)・利(り)・貞(てい)の元正に位し、地に在っては春季にあたります。

春季は青、苗芽(みょうが)の一斉に咲き萌える気候です。

四方では東方にあたります。

東方は五行の説では木に属し、五色では青であります。

故に青陽と言います。この間の人類の生活を見るに大方青色を最上としていました。

原始生活は一番青に近い関係からも想像できます。

衣・食・住ともに青色・青物を使用していました。

天命は人王伏羲氏に始めて降りました。

伏羲氏は苦心して八卦を完成し、河図・洛書を書いて万古不易の宇宙易理を明らかにされました。

当時の明君はすべて天道を奉戴(ほうたい)して人類に及ぼし、三宝の法印は、「玄関の一点」と「十六文字の真教」と「蓮の合同」をもってあたえられました。

蓮の色はやはり青です。

「道あれば明君、道なければ昏君(こんくん)」と言われたのもこの時代です。異常が青陽時代とその災難の説明であります。

続く