真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

道の真象~すべては一点に帰す (霊の故郷に帰る玄関)

2023-10-08 19:35:58 | 道すなわち真理

5次元での統合によって、核(中心となる点)が明らかになります。それが陰陽界を統べる道すなわち真理です。

天地の始めは、これというなんら形のない混然としたもので、声もなく、臭いもない、極めて虚にして、神なる実に無一物の境地でした。

道教の祖、老子様は「無名にして天地の始め、有名にして万物の母」と申されましたが、これを表現しようがないので、天地の始めを「○」にかたどり、万物の生ずる状態を「一」にかたどりました。

ー万教帰一(すべての教えは「一」に帰る)ー

道は大にして無名であり、故に『強いて名づけて道という』と申しました。

又、道は大にして無形であります、故に『強いて圏「○」を以ってこれをかたどった』のであります。

では、圏「○」はなんであるかを追求しますと、一の静止した姿で、虚なる「一塊の真理であり、又道の全体であります。

一は圏の動いた姿であって、宇宙一切万物を生じる母体であり、万物はその実在の現れであります。

これを「一本は万殊に散る』と言い、又『道の達用』と申しております。

圏が動いて一が生じ、一が縮まれば点「・」となり、点「・」を伸ばせば一となります。

そこで実に圏と一と点は動静と伸縮の違いであり、変化して極まりないものであります。

これを放して拡大すれば六合「東西南北上下、すなわち天地宇宙」を満たし、無際限の状態で伸長するので「一」を以ってこれを表し、又、之を巻いて縮小すれば密(極めて微細なもの)にも蔵められるので点「・」で表現したのであります。

拡大すれば大にして外になく、縮小すれば小にして内にありません。

故にこの道は天地に行きわたり、一切の万物を含んでいるのであります。

実に不可思議な働きをするので『真空妙有』と申されましたが、あらゆる万物の生霊を支配する主宰者であります。

ー神道の真象も同じー

この主宰者は天にあれば「理」と呼び、人に宿れば「性」と名づけられます。

そこで理とは万物の本体を統一するところの性であり、性とはあらゆる物の各々が具有する所の理であります。

人々は各々その性をもちながら、その有ることを知りません。

若し、この性をお把握することが出来れば、大悟した神聖の境地になられます。

然し、これに反して理を迷い、性を把握することがなかったならば、鬼魂の世界に落ちなければなりません。

故に『千経万典は一点に如かず』と申しまして、如何に多くの経典を読んでも、「明師の一点」を欠いては、何もならぬと申されたので、「一点」が如何に大事であるかを知ることが出来ます。

この「一点」は、孟子様の四端 『惻隠の心即ち仁の端、羞悪の心即ち義の端・是非の心即ち智の端、辞譲の心即ち礼の端』を統一し、その中に万善を包含しているのであります。

これを図表すれば縦は智と礼になり、横は仁と義になりまして、四端の交差する中心に信があるわけであります。

孔子様は 『人にして信なければ、その可なるを知らず』と申され、人間にもし信がなければ、何事もあてになるものではないと申して、この重要性を説いた訳もここにあります。

ーキリスト教はじめ古来すべての十字架が示すのは十字の中心の「点」ー

又、その重要性を縦に書いて「|」となし、横に書いて「─」としたのは体と用(本体とその働き)とを十字の形に現して、その縦には経と理が、横には緯と数が入るのでありますが、この意味を深く玩味し、探究するならば、誠に極まりないものがあります。

故に老子様は清淨経に『大道は無形にして天地を生育し、大道は無情にして日月を運行し、大道は無名にして万物を長養す』と申されました。

道は未だ天地が成立せぬ時、その本体を立てられ、既に天地が形づくられてからは、その運用を拡大して天地万有に及ぼしたのであります。

ー道の淵源ー


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離苦求樂(苦を離れ楽を求める)その二

2023-10-08 19:32:45 | 離苦求樂(苦を離れ樂を求める)

惑には、見惑・思惑・困惑・迷惑の四つがございます。

見惑とは、見たものに対してはっきりと見解が定まらず迷うことです。

思惑とは、一つの例をとって考えて見ましょう。

今百歳の人がいたとします。

その人は百歳ではまだ足りないから、千歳まで生きたいと考えたとします。

人の寿命は、百歳位が限界ですから、このように考えることは、既にその考えが間違っているわけです。

間違って考えることを思惑と申します。

困惑とは、困(こん)とはくくられることです。

くくられるとは、道を受け、道のよいことを知っていながら修養しようとしない境地です。

もう一つは、この世のすべてのものが仮のものであることが、道の話を聞いて解ります。

しかし、仮物に執着する、これが即ち困惑です。

迷惑とは、“人に迷惑をかけた”という迷惑ではありません。

字は同じですけれど、意味は違います。

人間世界の声色貨利によって人は迷うわけです。

そして、これに迷うことは非常に悪いことであることを知りながら、あくまでも執着して離れない、その為に道を進むことが出来ない。これを迷惑と申します。

人間にはこの四惑のとりこになっているのです。

我々は牢屋に閉じ込められた囚人ではないけれど、目に見えない四惑によって牢屋に閉じ込められた囚人と同様にとらわれの身となっているのです。

起惑、造業、受苦。(惑を起こし、業を造り、苦を受ける。)

四惑を起こせば、必ず業が造られます。

業には十の悪行がございます。

この十悪業は、身で造る業、口で造る業、意で造る業の三つに分けられます。

意に貪(どん)・嗔(しん)・痴(ち)。

口に悪口(あくこう)、両舌(りょうぜつ)・綺語(きご)・妄語(もうご)。

身に殺(さつ)・盗(とう)・淫(いん)があります。

これを合わせますと十悪業となるわけです。

人は、身(しん)・口(く)・意(い)の三業が不浄の為に非常に苦しみを受けています。

私達は、その苦しみを免れるために修道しているわけですが、修道することにより、だんだん三業が清浄になるわけです。

続く


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第四章 三期末劫の起こるべき原因とその証明 (三)白陽時代

2023-10-08 19:31:08 | 天道の淵源

(三)白陽時代

十九世紀から白陽時代が始まり、将来一万八百年にして止まります。

一万八百年の間は道法をもって行われる時代で、この平和に入る前に過去にない大災難が起こります。

これが末劫であります。

青陽・紅陽の災難は歴史が証明しているから理解できますが、白陽の末劫は多分に未来のことに話が及びますので、少々天機に触れますが、これは種々の神示や易理・経典・聖書ならびに時勢観察に基づいての理論であります。

白陽の災難は早くから始まっていますが、大清算は人心極悪の絶頂期に臨んで参ります。

この浩(おお)きな災難は午未の交賛期に起こります。

今未の交賛期はすなわち陰陽の交わる陽の極であり、陽が尽きて陰が生ずる初期であります。

この時代に小混沌が生じます。

一年で譬(たと)えると秋の気候であり、一日で言うと午後一時から三時の間にあたります。

この時代に入る時の人心は過去、青陽・紅陽に比べてずっと狡猾で、世道の頽廃(たいはい)は極点に至っているため、九九・八十一の浩難によってすっかり淘汰されてしまいます。

これを名付けて「延康風劫(えんこうふうきょう)」と言い、地球上に八十一の大戦争・大災難などが起こります。

千九百四年、五年の日露戦争、千九百十一年の辛亥革命(しんがいかくめい)、千九百十四年の第一次世界大戦を手始めに満州事変、上海事変、第二次世界大戦の動機となった日華戦争、独露戦争、太平洋・大西洋戦争、朝鮮動乱、中近東・東南アジア一連の動乱などはその範疇(はんちゅう)に入ります。実に人心の貪欲・憎悪・怨恨は恐ろしい結果を招くものです。

良心・道徳・慈愛を失った人々は侵害と報復の繰り返しに明け暮れ、害毒を撒布し、蹂躙(じゅうりん:ふみつける)・破壊・争奪を欲しいままにし出しました。

反省・斬鬼(ざんき:恥じる・悪口をいう・そしる)・後悔を忘れた人々の行為は無軌道極まっています。

それが時勢の推移に伴って、ますます激しさを増したことは悲しい限りであります。

災難は故なくして起こりません。

第三期の末劫が起こるべき原因や条件はすべて揃(そろ)い、緊迫を孕(はら)んだ空気は一触即発の状態であります。

天運から言っても低迷な衰運時であり、危険陰惨な前兆時であります。

時運の遷(打つ)里を子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戌・亥の十二会に分けて判断したいと思います。

亥子丑の三会を太古となし、寅卯辰の三会を上古となし、巳午未の三会を中古となし、申酉戌の三会を下古(げこ)となします。

子から巳までの六会を陽となし、天地万物は発生進化する期(時)であります。

子の会の中頃が陰の極であり、陽が生じ始めます。洪濛段々(こうもうだんだん:ばくぜんとしたおおきなものがしだいしだいに)と開いて陽が進み万類の最盛期となります。

これを称して科学文明の世と言います。

午から亥までの六会を陰となし、天地万物の収蔵閉息となり、段々と毀滅(きめつ:滅しこわれること)して混沌状態になります。

今はすなわち陰が進んで陽が減退していく時期であります。

紅陽から白陽への脱皮は旧きものの改革です。

白陽の道は庶民にあります。

それに連れ立ってすべての主権も一部の特権者から大多数の人に平等に有せられるようになりました、と言って昔の在り方を非難しているのではありません。

その時代の現状としてはそうあらねばならなかったし、人々はそれを正しいと信じていたから、そのような機構の存在が必要だったのです。

蝉はある時期に殻を必要としなくなります。

蛇も同じです。

ただ真理だけは古今を一貫して変わることはありません。

現代に合致した在り方として改革されていくのは止むを得ません。

「革命」とは命を革(か)える、命を改むる、と解されます。全地域全人類に亘(わた)って生命が刷新されるのも、これは天意であって、人力の為せる技ではありません。

日本の江戸幕府から明治維新への脱皮は丁度百八十度の回転であり、中国では清朝の没落、辛亥革命から三転四転して今日に至っています。

各国の奴隷解放は人類を平等に扱う天の声であり、帝政ロシアの崩壊による共産政権の建立は人類に一大波紋を投げかけました。

ドイツの帝政崩壊はナチスを生み、史上もっとも凄惨な結果となりました。

弱小民族の激しい独立運動は、強大国の植民地失陥(しつかん)となり、絶え間なく争い、血を流して今日もなお緊迫した空気を孕(はら)ませています。

一つ戦乱が終われば違った形態の時代が出現してきます。

この風潮は凡(あら)ゆる国・地域・場所・階級を吹き揺さぶりました。

水と火の災難に比べて風の災難は遥かに巨大であり、冷酷であり急速に蔓延(まんえん)します。

天理に従わず良風を壊し、人道を逸脱した人間は致命傷の打撃を受けなければなりません。

千九百十四年より千九百十八年に発生した第一世界大戦は、歴史上初めて顕現した大戦争であり、この戦争は地球上隅々まで行われ、三十余ケ国が戦禍に捲込まれました。

まさに聖書に言う、「諸国民怒りを懐(いだ)けり(黙示録十二章十八節)」のとおりであります。

悲哀と惨状は戦争だけではなく、終戦後続いて各地に飢饉が起こり、悪疫が流行しました。

「スペイン風邪」だけで数か月間に約二千万人が死亡しました。

この病気で死亡した人の数は、四か年に亘る戦争で死亡した人の数よりも多く、生命の損害は甚大(じんだい)でありました。

また、歴史上の現出したことのない地震も凄(すざ)まじく、例えば千九百二十三年(大正十二年)、日本に発生した関東大震災は約十万人の死者を出し、生命と財産に大損害を与えました。

第二次世界大戦による人類の被害は、幾層倍かの悲惨であったことは論ずるまでもなく、周知の通りであります。その傷痕は戦後今日までも生々しく人々の心に甦(よみが)えらされ、刻まれて戦慄さえ覚えるほどであります。

このような大小の災難を八十一回繰り返して最後に末劫が来ます。

この時期に法を得た人は生き残り、法を得ていない人は淘汰され、選り秀(すぐ)れた三十六・四十八の賢人が世人の尊崇を受けられます。

これが終わってこそ白陽泰平の理想郷・道徳の世界・地上の極楽が具現されるのであります。

続く


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