真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

師尊老大人曰く‥天国をこの世に実現し、塵世を弥勒浄土と化したいならば、博愛を発端とするべきである。

2023-10-23 17:23:47 | 師尊老大人・月慧師母

 師尊様は弥勒浄土10800年の道統の師です

師尊老大人曰く‥

精神は本来、存在しない所はない、良心が有れば精神が有る。どのようにしてあなたの良心の中から 上帝が一人一人の辦道人員の身の上に賦与された大なる能量(上帝から賦与された創造のエネルギー)・大なる能源(上帝から来る一條の金線の造化のエネルギー)を開くのか、それはつまりあなた達の責任と用心である。 精神には多すぎる言葉は必要なく、ただお互いに愛の心が充満するだけで、十分に 上帝のメッセージが伝わる。

師尊老大人曰く‥

愛の示現は、人を包容し、すべての事を円融にし、
一歩退いて、お互いに体諒(思いやり)し、喜んで付出し、
平等に施し与えて、 上帝を信奉し、無畏で行う。
愛は企てが無く、報いを求めることも無く、真誠の愛であり、
十方の衆生に普及し、己の利だけを求めず、
天下の為に福を造り、万世のために太平を開く。
古から聖人賢士は、みな名声や仕官を求めず、
時局が平らかでなく、人々が不義であることを閔れんだ。
その道を得て、独りその身を善くすることはなく、
必ず天下の人をも併せて救おうと、
絶えず務め励むのみ!
故に禹は三度、家の前を通っても立ち寄らず、
孔子は席を温める暇もなく、
墨子は煙突が煤けて黒くなることがなかった。
彼の二聖と一賢者(禹・孔子・墨子)は、
自分だけ安逸に暮らすのが楽だと知らないことがあろうか?
誠に天命を畏れ、世の乱れや人々の困窮を憂えたのである。
今の修子は聖者の博愛の精神にならい、蒼生(庶民)を心にかけ、衆生の苦しみを抜き、万民と楽しむ。
天国をこの世に実現し、塵世を弥勒浄土と化したいならば、
博愛を発端とするべきである。
博愛は更に周囲の人・事・物を最も先として、近くから遠くまで及ぼせば、大同を期待する。

【註釈】

  ○閔時之不平、人之不義‥閔は心配する、憂患。時局が不安定で、人類が綱常に背いていて、不義が多く行われていることを心配すること。

  ○孜孜矻矻‥孜は資()と音は同じ。矻は庫()と音は同じ。勤勉に努力して怠らないこと。

  ○孔席不暇煖‥煖は暖(nuǎn)と音は同じ。
孔子は周遊列国して、速く仁道を推し広めたいので、どこに行っても、座っても席がまだ  温まらないうちにまた慌ただしく去っていった。後に熱心に世を済い、駆け回り苦労することを形容する。

  ○墨突不得黔‥突は煙突。黔は前(qián)と同じ音、黒色。
 墨子の心は世を済うことにあり、あちこち奔走し、どこに行っても、煙突がまだ黒く煤けな いうちに、すぐに離れてしまったことを指す。

  ○安佚為樂‥佚は「逸」に通じる。勝手気ままで、のんびりしている。安逸自在を享受すること。

 


弥勒真経~六、親は仁天に在り中華の母 九蓮(きゅうれん)の聖教上乗に帰す

2023-10-23 16:54:53 | 弥勒真経 解釈

親とは老〇(ラウム)のことであり、親しく自らの一切を生成化育されているのである。

仁天とは、仁の徳は東土の地方に降ることである。

中華とは東土の中央の場所を指し、母はそこに天命を降ろされることを言っている。

つまり東土の中央に、老〇(ラウム)みずから親しく仁徳の法を顕されることである。

東土とは世界のことを言う。

九蓮とは九蓮卿経のことであり、その教えはすべて上乗の道に帰依することを教えている。

龍華経に曰く「天真収圓は軽きにあらず、十字の弥陀(みだ:玄関)は九蓮経(九品蓮台:くぼんれんだい)に在り、十字街前に賢者を整え、九蓮開きて無生を排す。」とあるが、この龍華経典によって九蓮の聖なる教えは最も上乗(大乗)であることを知ることができる。故に九蓮の聖教は上乗に帰すと言う。

続く


天道推奨~(四)各神仏の天道証明 (5)儒聖孔子(じゅせいこうし)の證道(しょうどう)

2023-10-23 16:53:26 | 天道推奨

(5)儒聖孔子(じゅせいこうし)の證道(しょうどう)

一貫して伝わっている天道は妙理を伝え、天機の秘宝を至(もっと)も微(び)としている。

広大の理を細密の義及びその体用をすべて網羅(もうら)し尽くしている。

物に本末有り、事に終始有るのは当然で、其の先後を知ってこそ天道に近づいたと云えるものである。

人の神(こころ)を知れば定着を得て清浄のになり、安心立命から仁慈的深慮(じんじてきしんりょ)に進んでやがて大完成を得られるであろう。

心の在り処を知らずに只修めるだけでは私の曰(い)った「天命之れ性と謂い、性に率(したが)うを之れ道と謂う。」の理(ことわり)が解せないだろう。

天機は朗(あき)らかに書(しょ)に洩らしているが明師に遇(めぐ)り会わなければ心得(しん得)は不可能である。

若し今直ちに心を低くして天道を求めなければ異類(いるい)に彷徨(さまよ)い続けて魂は超(すく)われないだろう。(中略)

究局(きゅうきょく)の明徳を明らかにし、至善の極所に達し、大理学(だいりがく)の道に至れるのは斯の時だけで、天命を畏れ遵(したが)ってこそ大同の世が促進され一人一人が親民(しんみん)となれよう。

緡蛮(めんばん)の黄鳥(おうちょう)でさえ落ち着いた安全な丘や森を求めて棲(す)もうとするのに人間と為(な)って小鳥に劣るとはどうしたことか。

わが天性の帰宿(きしゅく)と還源(かんげん)を計る為に吝(やぶ)さかであってよかろうか。

当(まさ)に天道降世に備え、逸早(いちはや)く意(こころ)を決して、日に新たに、日々新たにして人々を同化すべきである。

己れの本性の在り処を会得(え得)した暁(あかつき)にこそ、物欲、邪見を格徐(かくじょ)して意が誠となり、心が正しくなり、身が修まり、家が斎(ととの)い、而して国治まり、天下は太平になるだろう。

天道はすべての条件を叶(かな)えてくれるが、伝えられる時期はそう持続されないだろう。

速やかに道を行い、遅れることなく、私の列国伝道に習って、大いに伝播(でんぱ)し、真理を探究し、功徳を立て一番と奔走して貰いたい。

私の道を学ぶ人は切に此の点を重視し、且つ精勤することを願うものである。

(後略)