真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

家人経(二)

2022-08-22 19:57:11 | 家人経(家族経)

家人経(二)

師尊様曰く

あなたは混乱しているのではないか。

場所が変わっても修道のことは変わることはない。

家人と一緒に修道したいか?なのにいくつも省略している。

(1)家人はあなたのやっていることを認めているか。

(2)あなたは家人のやっていることを認めているか

(3)あなたは本当に家人と思っているか。

一緒に修道することを要求しない。

本当に家人であることを要求する。

子供に父母と思わせること、生活の中に溶け合わす。

現実逃避であることを認めるべき。

あなたは既に修道している。あなたの家人もあなたの修道に適応している。

あなたもあなたの一定の要求を受け入れるべき。

あなたは家人を愛している。

家人のために努力していることを感じさせるべき。

ただ道親を大切にしているのは家人の為だと理解させるべき。

自分の家人は一番悪いわけでもない。

人を羨ましい、怨む気持ちを持つ必要はない。

各家人は必ず各家人の方程式があるはずです。

自分の家人に対して信ずる心を持ちなさい。

自分の道親に対して百語の言葉を話すよりも、道親達はあなたの家人の中に本当の道を見ることができます。

ここで皆さんに励ましたいことは、もっと感恩する環境は必ずしもリラックスする環境ではない。

あなたに深刻な印象を持つ人は必ずしも一番いい人ではない。

苦しみの中に必ず甘味が残っています。

あなたがゆっくり味わい楽しむことを待っています。

乾道(男)坤道(女)の尊卑は言わない

一つの民族の習慣性、それは各時代を経過して形成してきた。

例えば男尊女卑は今度の世代によって自ら創り出したものではない。

それは前の時代の習慣を基本に学んだもので、それが次の時代の基本を形成してしまう。

その印象の中で影響力を発揮してしまう。

既に印象は彫刻によって得られたものであれば彫刻によって変えることができるでしょう。

もし男の子が小さい時から女の子にぬいぐるみを抱っこして遊ぶのを教えられたら、女の子が小さい時からウルトラマンになりなさいと教えられたら、どのような人間になってしまうか。

今の現象とは異なってしまうでしょう。

(1)泣いてはいけませんと言って育てれば、男の子は自分の能力を現す力を失ってしまうでしょう。

(2)従いなさいと言って育てれば、今日の女性達のように何もかも呑み込んでただ生きるだけの生活になってしまう。

あなた達の生活が可愛そうなだけではない。

すべての人類はもう何世代も可愛そうな生活を送ってきました。

今日、修道する以上、平等の真儀を理解しましたか。

すなわち、それを転ずることを理解すべきです。

何世代伝わってきた観念を転ずることを理解し、互いの修道環境をますます溶け合うことができるよう作りあげましょう。

この国は最初から男尊女卑の観念を持っていると思うか。

日本公元三世紀の時の国のリーダーはほとんどが女だった。

外来の思想と封建制度により影響された。

人類に元々このような種族、性別の差別は存在していない。

続く


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弥勒真経~三十七、南無天元太保阿弥陀仏(なむてんげんたいほあみだぶつ)十叩(じゅこう)

2022-08-22 19:53:19 | 弥勒真経 解釈

南無とは帰命(きめい)すること、帰依すること。

わが性命と衆生の性命がことごとく救われて帰ることである。

天元とは元始であり、一であり、すべての根元であり、真理であり、老〇(ラウム)の働きである。

太保とは至尊であり、先天の爵位のことである。

阿弥陀仏とは無量寿・無量光の老〇(ラウム)の遍満自在(へんまんじざい)を意味し、老〇(ラウム)の本体を現す言葉であり、慕い求める祈祷の言葉でもある。

即ち詩に説いて表せば、

「すべての衆生の霊性、われわれの生命、三界十方に於ける諸々の霊魂を無限の光明、無量の寿命に捧げ、道に法に命に心より遵い、理天に超生し、ことごとく至尊無生老〇(ラウム)の御手に帰依し奉る。」

十叩首(じゅこうしゅ)

以上で「弥勒真経」の解釈を終わります。


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性理題釋~六十五、諸経中いずれが最も好い

2022-08-22 19:23:43 | 性理題釋

六十五、諸経中いずれが最も好い

経典を見るのは、原来(がんらい)法を求めるためで、既に法を得ておれば、経典を読まなくても妨げはありません。

ただ一点の性霊(せいれい)を守る事が肝要であり、この一点の性霊こそ一巻の無字の真経(しんきょう)であります。

仏教の経典は、総数五千四百八十巻もあるので、況(ま)してそのような多数の経典を、一日一梭巻ずつ読んでも、十五年を費やしてようやく読み終わる訳であります。

日月は梭(ひ)の如く早いもので、そのような時間がありましょうか。

然しながら経典は読んだ方が良い訳であります。

経を読んで経に依(よ)って行うならば、正に有益であり損は致しません。

大学・中庸・論語・孟子・金剛経(こんごうきょう)・法宝壇経(ほうぼうだんきょう)・道徳経及び清静経(せいせいきょう)等の経典を読めば、皆大いに智慧を開くので参考書として読むべきであります。

続く


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十大願~九、匿道不現:道を人に伝えず

2022-08-22 19:17:40 | 十大願

匿而不明怎参玄 匿(かく)して明らかにならず怎(いか)に参玄(さんげん)

道統萬善體四端 道は万善を統(おさ)め体は四端(したん)

不以良心存中正 良心を以て中正(ちゅうせい)を存(そん)せずば

現在現報実可憐 現在に報い現れ実(まこと)に可憐(かれん)

解:

天道が降された原因は、人々をしてもとの我が姿に還らせるよき道であるから、それを匿(かく)して人に伝えず(済渡:さいど)自分もそれで良いと思って明らかにさせないならば、どうしてその玄妙(げんみょう)を参(さと)ることが出来ましょうか。

道は万善を統一しているもので、その体は仁義礼智の四端(したん)を発揮している、それで良心を以て事にあたり、中正を保っていないとすれば、この現在の世ですぐにでも報いが現れ、それを受けるのは哀れな事です。故に、

一、自分が求道できたのも、紹介人の勧めによるもので、求道した後にどうしてこのよき道を匿して人に勧めないのでしょうか。

これでは他人(ひと)の仏縁を誤ってしまうのです。

天地は語らず、人類に頼って勧めるもので、これを宣べなければ、どこで眞道を聞けましょう。

故に自分が善(よ)ければ人にも善(よ)ろしく、大慈大悲の心で私は極楽浄土に帰りたいならば、衆人(ひとびと)にも勧めなくてよいのでしょうか。

故に己(おのれ)達して人をも達せさせ、天に代わって宣化し、共に覚(さと)りの岸に登るのです。

若しも自分一人善くして人を済度(さいど)しなければ、どうして誓願を全うする事ができましょう。

二、犯しやすい缺点(けってん)

1,慈しみの心無し:弥勒祖師は天運に応じて衆生を悉(ことごと)く済渡して理天にかえり龍華會(りゅうげかい)を慶(よろこ)ぶ期(とき)であるから、弥勒の世になったのです。

この三期末會(さんきまつえ)の際(さい)では、特別に衆生とは縁があるのです。弥勒は凡語でその意を譯(やく)したら慈です。

慈は楽を与える心で、衆生に快楽と幸福が無ければ方法を設けて彼に与えるのです。悲は悲憫(ひびん)の心で他人(ひと)の苦痛を救(たす)けることで、菩薩には皆この慈悲を具えています。

弥勒様は慈しみの心を修めることに重きを置き、心の発した時に、殺生せず。

衆生の肉を食べない誓いで、生を慈と為しています。

私達はこの点を理解して、弥勒祖師と同じように心を発(おこ)し、いついかなる時でも尽力を以て人を助け、他人(ひと)を安楽に導き、菜食(清口:せいこう)により殺生せずなどは、みな慈しみの心でこれによって弥勒祖師の慈悲心と相い応じ、将来、龍華大會(りゅうげたいかい)で佛陀(ぶつだ)に見(まみ)えて佛果を証(あか)すのです。

けっして只(ただ)空しく祖師の一日として早く現れるのを期待するのではなく、自己の功(いさお)を行いて愿を了(おわ)らし、天に代わって道を宣べ、己を度すと共に人を度し、自ら救い、自ら圓満(円満)にと、しなければどうして祖師だけを頼る事ができましょう。

2,善を擇(えら)ばずに度す:只(ただ)数量を求め品質を求めなければ、道に入った後にも毀謗(きぼう)の言

求道して眞理を研究せず道を修めなければ、その価値は知らないので道を匿(かく)して人に伝えず、善を擇(えら)ばずに度するも適中ではないのです。

三、衆を渡し道を伝えるも選擇の必要があるのです。

言うべきは時に言わなければ、その人を失い、言うべからざるの時に言えば、その言葉は惜しくも失います。

それで君子は人を失わず言も失わないよう注意し、済渡の量も必要であれば、その素質も養成する必要があり、両者を兼ねて行うならば道を人に伝えずということもないでしょう。

続く


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家人経(一)

2022-08-22 12:50:22 | 家人経(家族経)

本「家人経」は師尊様、師母様から賜れたものです。

師尊様、師母様は、未来10800年間、人類の師となる存在です。

現在、時に現身(人身を現し)され、世界各地で教導されています。

家人経は、世界の人々が、現在の聖書や仏典に代わって各家庭に一冊置くようになる経典です。

 

師尊様         師母様

家人経(一)

人類第一の組織は家人から始まる。

もし、家人がいなければ人類の文化は根をつけることも伝承することも不可能です。

各家人の組み合わせは皆各家族員の未来について影響する。

全ての社会の風紀・組織は必ず揺れ動いてしまう。

今日の社会がこんなにたくさんの乱層を生み出したのも、今日の家人の層が色々な変わった層を持っている為です。

世界を大同にしたいなら家人の将来に対する望みは、すなわち「世界の大道が見える窓」です。

故にすべての人達(家人)の組み合わせの元で、あなたの修辨道の力が強くなることができる。

若し、家人があなたを応援していないからと言って、必ずしも明理でないというわけではない。

それは、「修道が家人に基づくものである」と言うことを忘れてしまったからです。

師母様

道場の中で一生懸命やっている為、家人を疎かにしてしまう。自分の家人でも互いに尊重すべきことを疎かにしてしまう。

五倫は国を治める始め

人道は天下を治める始め

身を修めなければ家を斎めることはできない。

家に私を求めるならば、道をいかに修めることができようか。

必ず、周囲の人を感化することができる。

もし環境を思うままにできないのは、それはあなたの身上のことを再造することと、丹煉する空間を残している。

怨んだり、文句を言ってはいけない。

これらはあなた自身が選択してきたものです。

ただ、このような環境の元で、始めてあなたの深い覚悟を激発させることができるからです。

家は一番安全な港であるはずなのに、どうしてそうではなくなったか、ただし、ある人は返り見たくないところから、人生の思い出の中の一番美しいところに変えることができる。

あなた達は、その中の変化を理解することができますか?

(質問)家人に満足か?家族の雰囲気は良いか悪いか?

修道と家族生活

青陽期と紅陽期は確かに修道と家族生活は一致しない。

白陽期は一致しないのは間違いだとはっきり言える。

出家と在家の区別は、

出家は家人を心の中で思うことができる。

在家は家人と交流する(互いに励まし合って一緒に心を浄化することができる)

困難は自分で反省すべき

修道はとても自然なことではないか。

但し、自分の修道によって家人が自然にできないのは何故でしょうか。

自分が人であるということをどこでも強調する必要があるか。

公共の場所(仕事場)あるいはどこへ行っても、あなたは誰ですか?

私は人類ですとアピールすれば、他の人からむしろ異類であると思われる。

普通の人間、自然のこと

必ずしも自分は修道者と見せる必要はない。

一人の父親として必要なのは、親孝行の子供で道理を語る息子が必要なのではない。

一人の姑として必要なのは尊重してくれる嫁が必要で、経をあげる嫁が必要なのではない。

一人の子供が必要なのは、自分を愛してくれる親であり、修業が高い親は必要ない(わけの分からないことは必要ない)

続く


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