真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

【Ray:あなたは大いなる源の分霊!】【衝撃】今こそ皆さんが全てを思い出す時です!!ガチの宇宙人との直接の通信がヤバすぎる!!2022年7月【驚愕】

2022-08-14 20:08:56 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

【衝撃】今こそ皆さんが全てを思い出す時です!!ガチの宇宙人との直接の通信がヤバすぎる!!2022年7月【驚愕】


時間と永遠の観念~高次元の世界には時間は存在しない

2022-08-14 08:55:52 | 道を求める聖なる物語(人・日本・世・宇宙)

 

 


実はあなた方のほとんどは、時間に関する勘違いによって生じており、これは2000年になろうとしている現在〔執筆当時〕が特に顕著です.あなた方は 『今、この瞬間』 を意識すること、『今、この瞬間』 を活きることを試みようとしていますが、『今、この瞬間』以外何もないこと把握するには、ほとんど遠いレベルにいます。とはいえ、「時間が存在しない」という概念は、高次元の世界の概念であり、夢を見ている状態や肉体を離れたとき、わずかに触れることはありますが (五感の世界から離れているため)、あなた方の現在の能力の範囲を超えているため、これを理解できないのも無理はありません。ですからあなた方のスピリチュアリティを進化させるには、夢、瞑想、アストラル界へ自分を投影させることは非常に重要です。そこで、制約されている世界から自分を解放し、「無・時間」 意識と 「無・肉体」 の動きの、甘美で自由な空間を漂うことができるかもしれません。

高次のオクターブでは、あなた方が、過去・現在・未来として認識するものは、共存しており、かつ同時に存在します。あなた方の歴史、そしてあなた方の人種の意識が、時間に対して直線的な時間のモデルをベースに進化してきたので、三次元世界からは、この概念は理解できません。しかし、時間のない多次元の現実を (少なくとも概念として) 認識すれば、過去の悪夢や幸せだったときの記憶、来るべき啓示の恐怖などの未来の想像から開放されます。

光の自分を再発見するとき、魂の意識が身体中に生成され再生されるという概念を統合しはじめます。それは、現実で、恐ろしいとか素晴らしい出来事と見なしている、あなた方が現在通過している過去と未来の仮定です。あなた方が、自分の人生に影響を与えたと信じている、あるいは、あなた方の手の届かない、いつも漠然とした時間に存在する「いつか起きるだろう」という出来事です。まるで矛盾のようですが、過去・現在・未来の幻想は、あまりにも信じやすく、あまりにも確固としているので、時間が他の形態で存在することなど理解できません。

あなた方の人生は三次元で組織されているため、時間が一本の直線状に存在するという、擬似的な構造が必要でした。 この時間軸は、あなた方人種を、進化の道程において、過去と未来に自分を投影することで、前進と後退の双方向へと導いてきました。明日の日の出や朝のコーヒー、職場、そして数え切れないことが、単なる幻想であるとあなた方を説得することはできませんが、私たちは、それでも、それが真実であると断言します。
『今、この瞬間』 しかありません。それが現実です。そして『経験』です。無限である心のマトリックスに、永遠に刷りこまれている『瞬間の中の瞬間』です。

時間と永遠の観念を明らかにするーシリウスの超叡智①パトリシア・コーリ著より


Rayの呟き~科学を借りて真を論じます!【論文解説】「感謝しない人は大損!感謝がもたらす圧倒的メリット3選」を世界一分かりやすく要約してみた

2022-08-14 00:09:57 | Rayの呟き

この動画から「ありがとう」の語源は「有り得ないことがあり得る」、「小さな穴(一点)に巡り合うことがあり得る」という意味に解せます。

人間として常識的なことが失われている現在、科学的に説明することで、人間性を取り戻せるなら、科学も役に立つことがあると言えます。

「感謝」は言葉にすると「ありがとう」になります。

菩薩界では「感謝慈悲!」が上等です。

慈しみと悲しみが織りなす「ありがたい」もの、

この「ありがとう」の語源は、お釈迦様のお話にもあります。

仏説譬喩経(ぶっせつひゆきょう)に「盲亀浮木(もうきふぼく)」のたとえ話があります。

ある時、釈迦が、阿難(あなん)という弟子に、
「そなたは人間に生まれたことをどのように思っているか」と尋ねました。
 
「大変、喜んでおります」と阿難が答えると、釈迦は、次のように話をしています。
 
「果てしなく広がる海の底に、目の見えない亀がいる。その盲亀が、百年に一度、海面に顔を出すのだ。広い海には、一本の丸太ん棒が浮いている。丸太ん棒の真ん中には小さな穴がある。その丸太ん棒は、風のまにまに、西へ東へ、南へ北へ(三界十方)と漂っているのだ。

阿難よ、百年に一度、浮かび上がるこの亀が、浮かび上がった拍子に、丸太ん棒の穴に、ひょいと頭を入れることがあると思うか」
 
阿難は驚いて、「お釈迦さま、そんなことは、とても考えられません」。
 
「絶対にないと言い切れるか」

「何億年掛ける何億年、何兆年掛ける何兆年の間には、ひょっと頭を入れることがあるかもしれませんが、無いと言ってもよいくらい難しいことです」
 
「ところが阿難よ、私たちが人間に生まれることは、この亀が、丸太ん棒の穴(〇チョン)に首を入れることが、有るよりも難しいことなんだ。有り難いことなんだよ」
と、お釈迦様は教えています。

人間に生まれることは、それほど難しいことなのです。

仏教では、人間に生まれてきたことは大変、喜ぶべきことであると教えられています。

「他人から何かしてもらうことは、めったにないことなんだよ、有り難いことなんだよ」というところから「有り難い」、それが「有り難う(ありがとう)」となりました。

お釈迦様は、阿難に秘伝を授ける前の時期に、ことの大事さを感受させるため機会を与えたようです。

当時、道を得ても絶対に口外しませんから、後の人が「盲亀浮木のたとえ」をこのように「有難い」の解釈として伝承したと思われます。

阿難が道を得た後に、この意味を深く胸に抱いたことと思います。

「決して口外してはいけないし、後の世になっても、このようにしか伝わらない」と、階段の最上階には、踏み台がないことを!

虹の梯を渡るには、道を得るためには「明師の一点」によらなければなりません。

道は得難く

一、人身は得難いこと

二、三期に巡り合い難いこと(青陽・紅陽・白陽の各期にの節目に機会がある:本動画のカテゴリー「道の淵源」をご参照ください。)

三、中華生まれ難し(中華とは、古来から「地球」の意味、中国のことではない)

四、真道逢い難し(真の道「真理:三宝」に会うのは難しい)

という得道の四難があります。

現在はその四つの条件が整った佳期が訪れています。

老子様は「我この身を患(わずら)うは、我この身を愛するためなり」と申されましたが、この身を患うとは、この身に六賊(ろくぞく)すなわち眼・耳・鼻・舌・身・意があるからであります。

眼は色を見んと欲し、耳は声を聞かんと欲し、鼻は臭いを嗅(か)がんと欲し、舌は味を味わわんと欲し、身は触れんと欲し、意は妄(みだ)りに貪らんと欲します。

この本性はこの身を借りて渡さなければなりませんが、もしこの身がなかったならば、この本性を何によって渡すことができましょうか。故にこの身は非常に大切なもので、大事にせねばなりません。これが人身の有難いところであります。

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弥勒真経~三十一、無皇(ラウム)の勅令(勅令)を下生に寄せ 南閻(なんえん)を収伏(しゅふく)して正宗(せいそう)に帰す

2022-08-14 00:03:29 | 弥勒真経 解釈

無皇の勅令とは、老〇(ラウム)の至上命令である。

下生に寄せとは弥勒古仏の世に下る時に言付ける指令であり、収伏とは収め伏する意味である。

南閻とは仏典では須弥山(しゅみせん)の南方にある大洲(おおす)で、閻浮提(えんぶだい)とも言うが、この場合は地球上を指す。

正宗に帰すとは千門万教を根本に統べ、祖師を認め、天道に帰らせることである。

道の普伝を主す弥勒古仏は三陽の御代(みよ)に、老〇(ラウム)の特命を奉じ、老〇(ラウム)の言付け勅令を頂いて下生し、更に諸々の原子達を警(いま)しめ、一日も早く悟り、迷塵(名人)を破って、正宗に帰一するよう尽くされている。

仙仏が臨壇したり、或いは各方に顕化(けんげ)し、奇蹟を顕したり、あらゆる形に寄せて衆生を目覚めさせているのは均しく老〇(ラウム)の御心を心としての働きであり、老〇(ラウム)の大辯者(だいべんしゃ)であり、真理の証者である。

自分の意識ではなく、天の御意を伝えているに過ぎない。

これらの働きによって地球上に充満せる千門万教を収め伏するのであるが、目的は一つ、共に天命に従い、正法を信じ、祖師を認め、揃って正宗に帰依させるが為である。

地球上隅々まで収められて真なる天道が顕揚(けんよう)されるのである。

続く