真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その二

2022-08-29 19:15:44 | 天道推奨

お詫び:以下の部分は分脈上、前回の「砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その一」に加筆いたしました。

天地の運数は至り宇宙の気運も已(すで)に満ちた。恩ある者は恩に報い、罪ある者は罪の応報を受け、生命でさえも仇を受けねばなるまい。これは六万年来に積み重ねてきた善悪の応報であって空前絶後の懼(おそろ)しい天災地変や人災による災難となって現れて来るであろう。四海の内は、みな、わたしの同胞(はらから)であるから当然救い起こさねばならない。】と

Ray:今回、教義以外の別伝の秘宝【三宝】の授記を享けることによって得られる霊験の御利益は、すべての【苦】を逃れることができます。一字一句、心に記し求道の励みにして下さるよう特にご推奨いたします。

老〇様の御慈悲深い御旨(みむね)を奉(う)けて普遍化された天道は、三宝をわれわれに授記(じゅき)し、救いの証とするものであります。

心法の御利益は極めて大きく、我々が必要缺(か)くべからざる救いの条件をすべて満たして下さいます。次の御聖訓がその最も肝要な所を適切に御示唆なされたものであります。

【われ老〇の命に依って伝え下した真言咒(しんごんじゅ)の霊験(れいけん)と効果は莫大であり、一般宗教の教理以外の別伝、秘宝があって、心有る人に口を以て授け、心を以て印(しる)し栓(むす)ぶのであります。

一、授記を得ることに依って、爾等(なんじら)の霊を永遠に老いたり、死したり、滅尽(ほろ)びたり、亦は残灰(ざんかい)したりすることないように永らく安らぎをたもたせよう。

二、授記を得ることに依って、苦の縁(えにし)を断ち切り、常に快楽を享け、理天界に帰って逍遥(しょうよう)自在の生活をし、仙仏と共に真丹(しんたん)を修練させよう。

三、授記を得ることに依って、子孫と祖先とを四生六道の輪廻の途上から救い出し、萬々年、蓮台の位に坐り、仙真、羅漢となさしめよう。

四、授記を得ることに依って、天人ともに爾(なんじ)の偉大なる徳を供養祝福し、法門であることが分かる先見の慧眼(慧眼)、明眼を与えよう。

五、授記を得ることに依って、智慧を長(のば)し、以って究竟(きゅうきょう)の理である根本真髄を洞察させ、世の仮(いつわ)りの法の為に誘惑されて、滅び顚(こ)けないようにさせよう。

六、授記を得ることに依って、疑い躇(ため)らう心を浄め、正しき信仰ができることを調(ととの)え直し、是と非、正と邪、善と悪の両極端の区別を明らかにさせよう。

七、授記を得ることに依って、苦悶(くもん)の厄運(やくうん)を絶やし、煩悩を浄め尽くし、恐怖を除き、顛倒心を滅ぼし安心立命を得させさせよう。

八、授記を得ることに依って、妄(あやま)りと濫(みだ)りを離れ、定着心を明らかに顕し、人生の真実の諦義(ていぎ)を暁(し)り、諸々の理を明らかに弁(わきま)得させよう。

九、授記を得ることに依って、一旦、危急(ききゅう)の時に、神仏、聖仙が護佑(まも)り、三災八難が身辺に臨んでも心神に泰然(たいぜん)を得さしめよう。

十、授記を得ることに依って、更に功徳を建てれば一万八百年間、栄耀に輝き、己れの孽(つみ)を消し、人々の寃(あだ)をも消して聖賢と成さしめよう。

わが乾坤(けん婚)の子等に望むらくは一層心を誠にし、学び、時(つね)に習い、外に人を感化し、内に己を省察し、たとえ今、極所に至っても更に一段、奮起して進歩して貰いたい】(昭和三十四年夏季聖訓)

続く


性理題釋~七十二、解脱(げだつ)の法

2022-08-29 19:12:55 | 性理題釋

七十二、解脱(げだつ)の法

解脱という二文字は、惑業(わくごう)の繋縛(けいばく)を解き、三界の苦海を脱することであります。

解脱はただ頓悟(とんご)の一門にありまして、仏様は一切の相(そう)を離れたのであります。

仏徳(ぶつとく)は、疑いを断ち、信を生ずるを以て主となし、相を離れるを以て実となし、住することなきを以て体となすを申すのであります。

自性(じせい)の解脱とは、俗に『一切を看破(かんぱ)する』ことを申しますが、能く世情の酸(さん)・甜(てん)・苦(く)・辣(らつ)を覚り、その上、常に念を静め、一動一静は皆性の上において見解し、事来れば即ち応じ、事去れば即ち浄(きよ)まるならば、即ち見性(けんしょう)の境地から離れること遠くない訳であります。

万里の山河(国土)も我が所有に非ず、妻子や家族も常に同居することは出来ず、又百万の金銀も得れば、心配してこれを見守らねばならぬ事を知らなければなりません。

ただ天命の性は、修めると則ち神となり、放棄(ほうき)すれば則ち鬼(き)となるのであるから、苦楽(くらく)のすべては自分で求めるものであるから、このように実行すれば、解脱もむずかしくない訳であります。

続く


【Ray:法隆寺は道すなわち真理を伝承する世界の遺跡!】世界最古の文明が繋がってしまう!?日本の〇〇は何があったのか…

2022-08-29 06:57:52 | 道すなわち真理

法隆寺の秘密は『道の真諦」によってすべて明らかになります。

爬虫類型人間(イギギ)の特徴は膝を付いて正坐して姿です。

尊い道を得る為に彼らにも機会が与えられました。

アヌンナキの金は物質的な鉱物より「金(金星)」の光を現しています。

お釈迦様やキリストが悟りを得た時の光(宵の明星・金星の光)です。

命の樹、人類の夢、宇宙の夢を象徴する建造物で、聖徳太子の権力構造を超えた世界的な偉業です。

人類が皆、道すなわち真理を得て、どこから来てどこに往くのか、人生の目的、存在の意義を知って「天命」を果たす機会(根源創造主の直接の御鴻恩を享け、聖人仙仏から直に指導を受けながら、普通の生活をしながら修道することができます。

世界の万物が一元的に守護され、あらゆる生命は本来の姿に返ることが出来ます。

世界最古の文明が繋がってしまう!?日本の〇〇は何があったのか…


天道推奨~砂文字(すなもじ)による御聖訓(ごせんくん)その一

2022-08-29 00:27:50 | 天道推奨

天道の使命と由来が如何に偉大で正しいかは、次の御神事が十分に実証しております。

これは昭和32年12月25日、冬季大典の日の砂文字によるものです。

老〇様の御聖訓中から抜粋したものであります。

【万霊の主宰である、われ老〇は時運に応じて真なる天道を世に使わして、わたしの子、男女等を潤そうとする。

時には隠れ、時には現れたりするが、これは暗に大衆の中から賢良なる聖者を選抜せんとする為である。

われ老〇の霊気は天界・人界・地獄界の三界を貫き、十方に満ち、全知全能を以て天地宇宙の隅々をも包含する。

すべての主宰であり、凡(あら)ゆる理の根本枢軸であって、もろもろの万物万類を変則なく永遠に養うものである。

高くして上なく渊(ふか)くして下なく陰陽の主となり、日月星雲を独手(ひとりて)で運行して息(や)まない。

この奥妙(おうみょう)の妙機(みょうき)は極めて変化不可思議であり、なお虚無霊妙(きょむれいみょう)であって諸子の測り知るところではない。

諸子と別れて、六万余年、人間の道を失い天性を迷わし、愚痴(おろか)なるが故に己の生死(しょうじ)の大事を極め悟らず夢幻でしかない名利に釣られて愈々顛倒(いよいよてんとう)してゆくのみである。

人に道ありてこそ始めて生きられ、活動や智能的感覚ができることが分かっているだろうか。

われ老〇は時代と地域に応じて逐次に聖賢を差(つかわ)し、仙仏に命じて、凡の世に降下せしめ、暮れに晨(あけ)に警鐘を乱打させ真伝及び心法を宣べ伝えさせた。

古来より法は二つとなく、道も二通りはない。何処より生まれ来たり、死して何処に去るのか、亦、生命は身体の何処を関門として出入りしているのか、この理は一に帰さねばならない。

聖者の遺した多数の経典もこれを明らかに立証している筈である。

汝らが、その関門を打破されれば、忽ちにして万法を知り、万端の理に通じ達するであろう。

悲しいことに各聖人共が世を去ってより、すでに二三千年を経過した為、後信者は殆ど正法から遠ざかり、岐途(きと)起こりて分派別門を立て、全く混乱状態に至っている。

今、白陽の時勢となり、茲(ここ)に、道を一般の縁者に普及するのは、生死を超越した悟りの境地に導く為にするのである。

天命を弓長(ゆみなが:達摩大師よりかぞえて第十八代祖)に降して万教を帰一し、収圓を完成し、九十六億の原子霊を共々に救わんとする。

大乗の道は霊妙の宝があって縁份(えんぶん)のある者にはこの秘法が授けられ、更に修めれば神仏としての位に成就することも可能である。縁無き衆生は度し難く、慾海の情の枷(かせ)や愛の鎖につながれて七情(喜・怒・哀・楽・愛・好・慾)六慾(色・声・香・味・触・法)に染まり本性を曇らせて迷って行く。

故に、因果はめぐり寃(あだ)と仇(かたき)が結び合い、止まるところがなく、少年から壮年へ、壮年から老年へと終には苦しい生涯を終わるのみである。

人生、百歳の寿命は長いと思うであろうが、只、三万六千余日でしかない。にも不拘(かかわらず)、霊の故郷に帰ろうともせず、いつまでも迷妄(めいもう)に執(と)ら割れることは、何と悲しいことではないか。

仙仏や神聖も、亦、凡人から成就したものである。

早く儚(はか)ない人生の夢を悟って天道を求めて明師を尋ね、秘宝を受けて四生六道の輪廻の悪循環より飛び出してもらいたい。

現在、天の時は急を告げている。それは昔の比ではない。

天地の運数は至り宇宙の気運も已(すで)に満ちた。

恩ある者は恩に報い、罪ある者は罪の応報を受け、生命でさえも仇を受けねばなるまい。

これは六万年来に積み重ねてきた善悪の応報であって空前絶後の懼(おそろ)しい天災地変や人災による災難となって現れて来るであろう。

四海の内は、みな、わたしの同胞(はらから)であるから当然救い起こさねばならない。】と

続く


性理題釋~七十一、中和(ちゅうわ)を致す修行法

2022-08-29 00:25:41 | 性理題釋

七十一、中和(ちゅうわ)を致す修行法

此の道の実体を申せば、中(ちゅう)とは性の本体であり、和とは性の用であって、致すとは推理して之を極める事であります。

古人は『念に克(か)って聖を作(な)す』と申されました。

故に修道とは、心を静める事を以て、宗旨となすのであります。

喜怒哀楽(きどあいらく)はすべて情(じょう)でありまして、この情をなくしていかねばなりません。

此の如くすれば天地と同体となり、自己の明徳を明らかにしてから、更に人に真(しん)を修めるように勧(すす)めるならば、慈悲心(じひしん)は無量になり、人は憐(あわ)れむ事此の如くせば、物を憐れむ事も此の如くなるのであります。

孟子様は『能く己(おの)れの性を尽(つく)せば、則ち人の性を尽す。能く人の性を尽くせば、則ち物の性を尽す。

能く物の性を尽せば、則ち以て天地の化育(かいく)を賛(たす)く可し。

以て天地の化育を賛く可きは、則ち以て天地と参(まじ)わる可し』と申されました。

これ則ち『中和を致して天地定位し万物育つ』と申した中庸(ちゅうよう)の句に通ずる訳であります。

続く