言葉は心の動きを表すものであるから、人の器の大小と賢愚(けんぐ)・利鈍(りどん)によって与える影響に大小の差こそあれ、微妙に大霊界に及ぶ。誠意と邪念によって発する言葉にも違いがある。
邪(よこ)しまの心を抱いていれば、たとえ千回誦(とな)えても仙仏に感じ達することができないが誠の心を以て言葉に再三持念したときには鬼神(きしん)すら怕れて遠離する。
三度繰り返しているのは心意の神佛を求める切実の表れを示す。
正しい雄叫(おたけ)びは神佛に達せられ、邪霊・魔神も怕れて避ける程の力を有している。
況や(いわ)んや真言は老〇(ラウム)が人々に危急存亡の時、連絡する為に与えられた暗号であるので、効力は大きいものである。
正法を持してそれを言葉にした場合、一切の山川草木に潜んでいる妖精怪物は共に影を潜め、跡形もなく灰塵と化す。
この二章は共に三寶の霊験を明らかにしている。
続く
末日(未の会)には、まだ始まったばかりです。
棚から牡丹餅、結果を早く求めすぎる傾向、何よりも自分が誰であるかわかるまで、一番難しいのは自分自身という足元の課題です。
人それぞれの因果の清算が伴いますが、求道によって一旦危急存亡の時に救われる『三寶』を授かります。
明日高山の航空機事故、シンガポールの高層ビルの火災など、『三寶』によって修道者の命が守られた例はたくさんあります。
くれぐれも誠心(まごころ)が大事であること。
三十四,三十五では、その時の対処法が説明されています。
特に三十四では人類久遠の課題であった『今と永遠の命」について説明されています。
玄関が啓かれた修道者が至る逍遥自在な世界にも触れています。
弥勒真経の醍醐味です。
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