真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

弥勒真経~三十五、三遍持念せば怕(おそ)る神通あり 魍魎邪魔(もうりょうじゃま)を化して塵(ちり)と為す

2022-08-20 14:36:52 | 弥勒真経 解釈

言葉は心の動きを表すものであるから、人の器の大小と賢愚(けんぐ)・利鈍(りどん)によって与える影響に大小の差こそあれ、微妙に大霊界に及ぶ。誠意と邪念によって発する言葉にも違いがある。

邪(よこ)しまの心を抱いていれば、たとえ千回誦(とな)えても仙仏に感じ達することができないが誠の心を以て言葉に再三持念したときには鬼神(きしん)すら怕れて遠離する。

三度繰り返しているのは心意の神佛を求める切実の表れを示す。

正しい雄叫(おたけ)びは神佛に達せられ、邪霊・魔神も怕れて避ける程の力を有している。

況や(いわ)んや真言は老〇(ラウム)が人々に危急存亡の時、連絡する為に与えられた暗号であるので、効力は大きいものである。

正法を持してそれを言葉にした場合、一切の山川草木に潜んでいる妖精怪物は共に影を潜め、跡形もなく灰塵と化す。

この二章は共に三寶の霊験を明らかにしている。

続く

末日(未の会)には、まだ始まったばかりです。

棚から牡丹餅、結果を早く求めすぎる傾向、何よりも自分が誰であるかわかるまで、一番難しいのは自分自身という足元の課題です。

人それぞれの因果の清算が伴いますが、求道によって一旦危急存亡の時に救われる『三寶』を授かります。

明日高山の航空機事故、シンガポールの高層ビルの火災など、『三寶』によって修道者の命が守られた例はたくさんあります。

くれぐれも誠心(まごころ)が大事であること。

三十四,三十五では、その時の対処法が説明されています。

特に三十四では人類久遠の課題であった『今と永遠の命」について説明されています。

玄関が啓かれた修道者が至る逍遥自在な世界にも触れています。

弥勒真経の醍醐味です。

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性理題釋~六十三、人の三魂七魄(さんこんしちはく)と性

2022-08-20 14:11:41 | 性理題釋

六十三、人の三魂七魄(さんこんしちはく)と性

地点が同じくないばかりでなく、来処も又一様でない訳であります。

魂(こん)は肝に藏(おさ)まり、魄(はく)は、肺に藏まっていて、乃(すなわ)ち人のこの二気の霊は、気があれば則ち存在し、気が敗すれば則ち亡ぶものであります。

所謂(いわゆる)、不増不減(ふぞうふげん)・不垢不浄(ふこふじょう)にして、水に入りても溺れず、火に入りても焚(や)けないもので、房(へや)を換(か)えて主を換えぬものは真性であります。

故に魂魄の二字は、半分が鬼(き)の字になっており、性の字は向かって右から見れは生ずる心とあり、左から見れば直心(ちょくしん)を生ずるとあって、これが性の本来の姿であります。

本性(ほんせい)は玄関(げんかん)内に宿り、そして出づる事なく入る事なく、理により一身の務(つと)めをなしますが、世間では俗に心と言って、象(かたち)を指してこれを申すのであります。

故に道の字は、先に首の字を書くのであるが、首(はじめ)の一件(ひとつ)は大事な問題であるので、首(かしら)の上において功徳を行わなければなりません。(首はすなわち玄関の意味です)

続く


十大願~七、不遵仏規:仏規に遵(したが)わず

2022-08-20 14:01:08 | 十大願

不明天時枉用功 天時を明らかにならずば用功(ようこう)も枉(まが)る

遵守眞性道能行 眞性(しんしょう)を遵守(じゅんしゅ)して道を能く行う

佛法無辺済善信 佛法は無辺にして善信を済(たす)ける

規章判定上天評 規章(きしょう)を判定せば上天も評す

天道をこの世に降すも、収めるも皆天命による天運があるので、この天時を明白に知って修行しなければ、折角の修行も骨折り損になります。

このよき期(とき)に眞性(しんしょう)をしっかりと遵守して修道に務めるのです。

佛法は辺(かぎ)りなく、学ばねばならない。

それ故に佛規はこの度、十五條になっていますが、これは修行に於ける昇降の鍵です。

(十五條の佛規は別に詳しく説明しましょう)

凡(あら)ゆる物事には皆一定の準則があるのです。

空飛ぶ飛行機にも、海行く船にも航路があるのです。

もしこの航路に循(した)わないならば、交通事故を発生するでしょう。

また航路にもとづけば目的地に到達できるのです。

道は万物万類の主催者である。

至尊至貴(しそんしき)の、皇〇さまが、修道者十五條の佛規を定め、この佛規に循(した)えば浄土に還(かえ)られる、修行中に於いて佛規を保守すれば、左道旁門(さどうぼうもん)に惑わされる事もないのです。

また浩(おお)きな災難が醸しつある今日、天道を普渡して世の衆生を丞(たす)けるには、先に修行の方針となるこの佛規を明白にし、これを遵奉(じゅんぽう)しなければ、絶対に聖賢の関所を通過することが出来ないのです。

茲(ここ)に十五條の佛規を挙(あげ)て参考として、説明は別に研究しましょう。

一、尊敬仙仏:仙佛を尊敬す=大事なことは自性佛の尊敬。

二、尊前提後:前人を尊(たっと)び、後輩を堤抜(ていばつ)す。

三、斎荘中正:斎荘中正(さいそうちゅうせい)=斎は斎戒(さいかい)、荘は荘厳(そうごん)、荘敬(そうけい)の意。

四、循規踏矩:規に循(したが)い矩(のり)を踏む=規はコンパス、矩は金尺(かねざし)。

五、責任負起:責任を負(にな)い起こせ。

六、重聖軽凡:聖を重んじ凡を軽んず=聖は聖業、凡は私事。

七、謙恭和靄:謙恭和靄(けんきょうわあい)=謙遜して和気靄々(わきあいあい)で接する。

八、勿棄聖訓:聖訓を棄(す)てる勿(なか)れ。

九、莫着形相:形相に着(つ)く莫(なか)れ。=(金剛経二十六分に、若し色を以てわれを見、音声(おんしょう)を以てわれを求むるとき、この人は邪道を行ずるもの、如来を見ること能(あた)わざるなり。)

十、手続必清:手続きは必ず清くす。

十一、出告反面:出ずるに告げ、反(かえ)りに面(めん)す。

十二、不乱系統:系統を乱さず。

十三、愛惜公物:公物を愛惜(あいせき)せよ。

十四、活溌應事:活溌(活発)で事に應(おう)ず。

十五、謹言慎行:言(げん)を謹(つつ)しみ、行いを慎(つつ)しめよ。

以上のように十五條だけであるけれど、老前人さまは、若しこの十五條を実行すれば、必ず菩薩に成就できると太鼓判を押して保証しているくらいです。

故に佛規に遵(した)わずでは、どうして修行の成就が出来ましょうか。

続く