虚懐若谷希聖明 虚懐(きょかい)は谷の若(ごと)く聖明を希 (こ)う
心放魔生理無窮 心放(こころはな)てば魔(ま)生(しょう)ずる理は無窮(むきゅう)
假中求眞眞何在 假中(かちゅう)に眞(まこと)を求めば眞は何在(いずこ)ぞ
意含遷善播仁風 意は善に遷(うつ)るを含み仁風(じんぷう)を播(ま)く
解:
心は欲望を除いてきれいさっぱりと清らかで、谷のように、なにものも容(い)れるような気持ちであれば、聖霊は明らかになれます。
それで、もしも心を放任して情に倚(たよ)れば、魔がさして行為は正しくないのです。
このように性理(せいり)と情欲は対象的であるから、道理を研究しなければならないのです。
もし假(いつわ)りの心で眞を求めようとするならば、眞は絶対に求められないのです。
故に意(こころ)はいつも善にと心構えて仁風(じんぷう)を全世界に布(ひろ)めなさいと云う詩です。
修道といわず、この社会に於いても、假(いつわ)りの意(こころ)ではどうして人の間(ま)で暮らせましょうか。故に
一、上天さまは御慈悲にも天道を降ろして下さり、道を求めるには誠心(まごころ)で求め、道を得た後は細やかに道理を研究して功徳を立て、常に妙智慧を生じて言行を一致すれば天恩師徳に負(そむ)かないのです。
二、犯しやすい缺点(けってん)
1、修道に実践せず:求道の時に眞誠(まこと)なく、道を求め た後にも参悟(さと)らず、眞道(しんどう)を假(いつわ)りとみて、折角の御慈悲の天心に負(そむ)く。
2,表面(うわべ)は従い、陰では違(そむ)き、口ではハイと云って心は逆らい、外面(うわべ)を装うは眞の善者に非ず。
三、善を褒(ほ)め悪を罰するに眞理在り。一分一寸も違(たが)うことなし。
暗室に心蕩(うご)くも神は明鑑(めいかん)し、人間の私語は天聞かば雷の如し。
況(いわん)や修道に佛仙は鑑(かんが)み、豈(あに)天遣(てんけん)に遭(あ)うを怕(おそ)れずや。
幸いにも天道得たりて応(まさ)に誠守(せいしゅ)し。
心誠(こころまことに)に眞理を実践す。
心体光明(しんたいこうみょう)なれば暗室の中に青天有り。
念頭暗昧(ねんとうあんまい)なれば白日の下にも厲鬼(れいき)を生ず。
故に虚偽の心を抱いてはいけません。
続く