ANANDA・Cafe

独善的偏向偏執的毒舌紅茶&カフェのブログ 真実は香り高く甘くそして…渋い 良い紅茶のようにね

怒涛のデカフェ・レポート TETLEY・DECAF テトレーは当然ながら丸かった

2012年08月24日 | 紅茶・デカフェ
(前回までのあらすじ)

病魔との戦いでデカフェ生活を余儀なくされた虚弱なNirvana・cafe
だが、デカフェの味(正確にはイギリスの紙の味)に慣れてきたことにより
デカフェの消費量が半端なくなってきたのだ
ヨークシャー・デカフェ+PGtips・デカフェ=120Pものティーバッグ
無くなりそうにもないこの量をなんとか消費しようという志向も相まって
夜中の11時、12時でも飲めるデカフェの便利さが災いし
夫婦でガンガンにミルクティーを消費する毎日を送っていた

だが、余裕こいてるうちにそれらがかなりの早さでなくなっていくことに
先入観に囚われたNirvana・cafeは気づくよしもなかったのだった…


《第2章 デカフェ在庫消失!》

6月初旬に買った大量のデカフェがテン・カウントダウンに入っていることに気づいたのは
暑い暑い8月の頭だった
バカな…120Pあったんだぞ
なんで2ヶ月でなくなるんだ?

120P÷60日=2P(1日当たり)

答えは簡単だった
夫婦で1日1人1Pづつ飲んだんだよ
フツーになくなるわ

とても残念な結論だった
パックがいりこだしなのに、この量を2ヶ月で消費できるんだ!ヒーハー!
デカフェ万歳である

これは速攻で新たに注文しなくてはならない
これは使命である
次の使徒来襲までに、首都の守りを完全に回復しなければ…!(←いつもの通りだいぶ間違ってます)
苦渋の選択の末に、やはり前回頼んだエリズコーヒーに8月5日、再注文した
なぜなら今回はすでに予告してあるTETLEY(テトレー)のターンであるからだ
エリズコーヒーのイチオシ紅茶はテトレーなのである


《第3章 丸い!》

二日後、テン・カウントダウンの「6!」が響き渡る中、荷物は早速届けられた
注文内容は以下の通りである
・テトレー紅茶デカフェ80bags(250g)…1480円
 UKのテトレーHPでの販売価格=2.46ポンド(305円…fuck!) 1ポンドは現在124円
・ダウエグバーツ・コーヒー デカフェグランド250g…1280円(←旦那リクエスト)

すんでの所で命を落とすところであった
人生、どこでどんな苦難が待ち受けているかわからないもんである

さて、使徒も呆れてご飯を食べに帰ってしまうというところで(←どんなところだよ)
横でソワソワしている旦那にせっつかれ、開封の儀となった
トップ画像は、その初対面のテトレー紅茶である
そして、箱を開けてみると、そこには…



なんと丸いティーバッグが80個詰まっていた



丸い…
なんでティーバッグ丸くするんだろう?
UK事情を調べていて、この形状のTBについては知ってはいたのだが
この形になんの利点があるのかが、少々疑問である

実はテトレーはティーバッグをイギリスに広めた張本人である
イギリスでは1953年、テトレー社が初めてティーバッグ入り紅茶を売り始めた
アメリカで発明されたティーバッグは1920年代には商業ベースに乗ったとされる

さて、丸型ティーバッグはなんの利点があるのか?
一つには抽出力がそれまでの四角いティーバッグより向上した、
というアイルランド紅茶の記述が散見される
実は調べていてわかったのは、この丸型ティーバッグ(UKではラウンドと呼ばれる)は
テトレー社が1989年に開発したものだそうである
丸い形はマグカップに合う。それで、マグで紅茶を飲むイギリス人が飛躍的増えたと言われる
いまや、このラウンド型は流行の形らしく、他社がかなりの率でラウンド型に追随している
テトレー社は常にティーバッグの先鋭的ブランドなのである

しかし、一方ではヨークシャー・ティーのように、四角いティーバッグにこだわる会社もある
この会社がスクエア型にこだわるのは、この形が紅茶の風味を出すのに最適だという確信があるらしい
私から言わせれば
「形とか言ってねーでそのいりこだしのような漁港臭のする紙をどうにかしてくれ!」
というのがまっとうな主張である
この紙使ったティーバッグで「風味が…」とか言われると腹が立つから黙っててくれ
客観的にみてPGtipsのテトラパックが形も紙の匂いも一番マシだと思うんだけど


《第4章 結局軟水で抽出してもUK紅茶は黒いんだよ》

まあ、見解の相違はとりあえず解決しなさそうなんで置いといて(放り投げました~)
御託並べずまず淹れてみようではないか



これが英国で最も飲まれているとされる紅茶(のデカフェ)である
ぶらっくだ
慣れたよ、この黒さに。
イギリスでは硬水で淹れるから黒くなるだとぉ?
じゃかーしーわ!軟水で淹れても黒いんだよ真っ黒だよ!
頭でてきとーに考えた知ったようなことを垂れ流しおって誰だくそー
と、毒づきつつ(いつ、何どき、ワタクシが毒づかないことがございまして?)
香りを確かめる…

・香り
おおおおっ?
これはデカフェの割には香ってくるじゃないか
セイロンというか、アッサム…ニルギリっぽいのかな?
とのかくヨークシャーよりははるかに香りがある
PGtipsの方が香るけどね。なんたってPGは香りのための独自のテトラパックですから
香りの強さは、PGtips>テトレー>ヨークシャー、の順
では次に、UKおきて破りのストレートで味見

・ストレート
あ~、イケるね。これ、ギリギリストレートで飲めるよ
あんまり漁港臭なくて、クセなし、コクあり、わずかに渋みあり、香りあり
コクがあるのに爽やかさがあるね。トロッとした感じではない
のどごしは多少ピリッとしますが、そこはミルクティー用なんで大目に見よう
では、ミルク入れます



・ミルクティー
バランスがいい
香るし、紅茶の風味がしっかりしたまろやかさ
飲みごたえがある反面、ストレートでの爽やかさはキープ
ほんのり甘い、後味のよいミルクティーに仕上がる
デカフェでこの出来なら満足だ
濃さは、ヨークシャー>テトレー>PGtips、の順

・総評
一番売れているというのがわかるバランスの良さ
湯量を多めにすれば、ストレートでも可
個性的かと言われたらそうでもないが、安心で素直なお茶と言えよう
なにしろデカフェ。これだけ紅茶の風味が残っていれば合格である
だが、一番売れてるとは言うものの
この企業はすでにイギリス人のものではないのである…


《第5章 インドの大財閥、タタ・グループ》

その前に、テトレーの歴史(TETLEY公式サイト より適当に抜粋)をご紹介
これを、グーグルのマーベラス翻訳でご堪能下さい

1837年 ヨセフとエドワードテトリーはヨークシャー、イングランドでは塩の販売を開始。
     時間では、彼らは彼らのレパートリーにお茶を追加します。良い動き。
1856年 テトリー兄弟はお茶のオークションルームからわずかヤード、·カラムの通り、
    ロンドンに移動します。
1888年 彼らはあまりにもアメリカにオフィスを持っています。
1904年 セントルイス万国博覧会で熱波は彼の計画を変更するためにお茶プランターリチャード
    Blechyndenをリードしています。代わりに熱いお茶を提供するのは、彼はそれに
    氷を追加します。それは感覚を引き起こし、アイスティーが生まれる。
1908年 幸せな事故。トーマス·サリバンと呼ばれるニューヨークの茶商人は、小さな絹の袋に
    茶のサンプルを送信します。一部の顧客は、彼らが鍋で全体の袋を置くべきであると
    仮定し、それが動作します。
1909年 第一ライオンズコーナーハウスは、それらの迅速なサービスの "Nippies"として
    知られているウェイトレスと、ロンドンで開かれます。60年以上後、ライオンズは
    テトリーを買うでしょう。
1939年 テトリーのイギリス代表(ミスターTIテトリー·ジョーンズ)は、アメリカに行くと
    戻ってティーバッグのアイデアをもたらします。
1953年 テトリー初めて英国にティーバッグをご紹介します。
1973年 コー​​ナーハウス名声のJ. Lyonsはテトリーを取得します。ライオンズ・テトリーが
    形成される
1989年 テトリーはラウンドティーバッグを起動する最初のものです。彼らは特に、マグカップで
    醸造お茶の人気の高まりに適しています。
1994年 テトリーの技術者は滴の垂れない巾着ティーバッグを作成する最初のです。1994年に
    オーストラリアで最初に起動し、それが今では英国、米国、フランス、ロシア、ポーランド
    で一番のお気に入りです

…まったく
2000年の記述がないぞ。公式サイトに現在の所有者を載せないのか?
と思ったら、Corporate Siteのボタンでタタ・グループに行く仕様か…

以前、東インド会社のアッサムをレビューをした時と同じ現象がこのテトレーで起きている
つまり、インドの企業によるイギリス企業の買収である
有名なタタ・モーターズを有するタタ・グループがテトレーを狙った
それは、その時点でのインド企業による最大の海外企業買収の一つであったという
なんとテトレーグループは2000年2月、2.71億ポンドで、インドのタタ·グループに買収された

タタ・モーターズはあのローバー社(ミニとかレンジローバーで有名な英国自動車会社)と
英国王室御用達のジャガー社を2008年に23億ドルで買収した
テトレーの買収がポンドなのに、ローバーとジャガーがドルなのは、
すでにその2社が1989年に米国フォード社の傘下に入ったからであるが
2007年6月に販売実績低迷、株価低迷に悩むフォード社はこの2社の売却を決定
だが、その2ヶ月後には、表面化したサブプライムローン問題に端を発した世界金融危機が始まった
ようやく1年かかってタタ・モーターズが名乗りを上げたのだ
それもリーマンショックの直前…もう少し待てばもっと安かったのにね

話がズレた(笑)
まあ、タタ・グループがどんだけ大財閥なのかわかるでしょ
しかもこのタタ・グループ、インドの生え抜きではないのが不思議なところ
もともと今のイランあたりのペルシャ人のゾロアスター教徒が祖先だそうだ
このインドに渡ってきた人たちを「パールシー」と呼ぶ
数としては少ないが非常に裕福な層に属する人や政治的な影響力をもった人々の割合が多い
(wikiコピペ)
リンク先のウィキペディア見てもらうとわかるが、インドにおけるユダヤ人みたいな感じだね
いまだに「ツァラトゥストラ」の火がムンバイに消されずに点っており
そして、東インド会社やイギリス人とも関係が深い
そして、フレディー・マーキュリーはなんとパールシーである!

タタ・グループは社会福祉に貢献し、パールシーであるためカースト制とも無縁なので
実力主義を貫き優れた人材を出自を問わず抜擢し、労働者への適正な待遇も特徴である…とされる

じゃあ、この記事はなんなの(笑)
テトレーのタタ・ティー社が紅茶労働者を服従させるために兵糧攻め』
ご興味ある方はご覧下さいませ
COCO’Sのケニア紅茶の記事書く時にググってたら出てきたものです

どうやら、生え抜きのインド人はユニリーバのみならず、ペルシャ人にまで搾取されてるようだ
ぶらっくなUK紅茶には慣れたけどね!