加藤博一が死んだ。56歳。スーパーカートリオの時代、当時は並木2丁目に住んでいた博一氏の家に、サインをもらいに行ったことがある。
その際は遠征中で「加藤選手が遠征から帰ってきたら、またおいで」と九州弁の奥さんから伝えられた。1週間後、再度訪問し、無事にサインをもらった。駐車場には緑色のカマロ(アメ車)があったことが、印象に残っている。
打席に立つたび「せーの、ヒロカズーーー!」と、何度スタンドから叫んだことか。試合前の練習、試合中の守備の時には、ライトを守っていた博一氏にいろいろな声が飛んだ。博一氏は、そのたびにファンに対して、ガッツポーズなどをとっていた。人気者だった。
小学校時代に活躍していた選手が、亡くなるとは。しかも熱烈に応援していた選手が。年齢を感じざるを得ない。変な感覚だ。
その際は遠征中で「加藤選手が遠征から帰ってきたら、またおいで」と九州弁の奥さんから伝えられた。1週間後、再度訪問し、無事にサインをもらった。駐車場には緑色のカマロ(アメ車)があったことが、印象に残っている。
打席に立つたび「せーの、ヒロカズーーー!」と、何度スタンドから叫んだことか。試合前の練習、試合中の守備の時には、ライトを守っていた博一氏にいろいろな声が飛んだ。博一氏は、そのたびにファンに対して、ガッツポーズなどをとっていた。人気者だった。
小学校時代に活躍していた選手が、亡くなるとは。しかも熱烈に応援していた選手が。年齢を感じざるを得ない。変な感覚だ。
大洋ファン(響きが懐かしい)でもない俺が
肉魔神さんに連れられよく行ったハマスタ。
そんな大洋の選手の中で、本当に応援した数少ない選手でした。
打っても打たなくても、ただ代打で出てきてさえくれれば、負け試合でも満足してたあの頃。
現役時代を見ていた選手が亡くなる。肉魔神さんの言うとおり変な感覚です。
加藤博一さん、心からご冥福をお祈りします。
「博一見れるかな」
でしたね。代打で出てきて
「ひろかず~!」
って言うのが楽しみで。おかげで負け続けても楽しかったものです。
思えば、我ら野球バカトリオが今でも野球バカとして集まって、毎回同じような野球バカ話をしてるのは、あの博一コールに原点があるのかも知れません。今はただ、ありがとうと言いたいです。
このキャンプ前に亡くなるなんて、最期まで「オフの帝王」であり続けたのかも知れませんね。合掌。