オカ姉のためいき日記

人生色々、ためいき色々。今日はどんなためいきつくのやら・・・?

渡哲也さん・忘れえぬ思い出

2020-08-16 23:24:46 | 芸能
渡哲也さんが亡くなりました。

これから書くことは、嘘のような本当のことです・・・うがい薬のことではありません。
今思い返してもクエッションマークが100万個あっても足りないと・・・そんな出来事でした。

遠い昔、私がまだ“こどもに近い若い”頃、渡哲也さんという俳優さんを好きになった。
親に内緒で彼の映画を封切館まで観に行ったり、封切り後には3本立ての映画館にも足を運んだりした。
どんどん好きになり、映画の感想などを書いた手紙・・・ファンレターを書いた。
そしてそんなに遠くない日活撮影所に行って、渡してもらえばよいと考えた。

当時の日活撮影所は入り口の左に守衛所があり、2,3人の守衛さんがいた。

私は恐る恐る「すみません、この手紙を渡哲也さんに届けてください」とお願いすると、守衛さんは・・・
「あ~そこに見学する人達がいるから、ついていって一緒に入っていいよ」と言うのでビックリした。
・・・いやいやいや、私は手紙を渡してもらえればいいだけだ。
撮影所内に入ったってどうしたらいいのか??第一、渡さんがいるのかさえわからない・・・

困惑しながら歩いていると・・・目の前を浅丘ルリ子さんが通り過ぎたり!!

すると先ほどの守衛さんが追いかけてきて、近くにいた男性を呼びとめ、またもやビックリするようなことを言った。
・・・「ちょっとさ~この子(私)を渡哲也に会わせてやってよ」と!

ええええええええ~~~何?何?と思う間もなく、その男性は私を小さな部屋に通し「ちょっとここで待ってて」と出て行った。
しばらくしてドアが開いて現れたのは・・・

なんと! ワタリテツヤ~~わたりてつや~~渡哲也サマ~~・・・本物!!!

もう、今でいうパニック&頭が真っ白状態で、不覚にも何をどうしたか何を話したかも覚えていない。
そして夢かと思うご対面タイムはここで終了と思った。

・・・しかしパニック第2弾が待っていた。

あろうことか(多分間が持てなくなったと思われる)渡サマは「食堂に行きますか」などと仰ったのだ!!

ああ、もう、なにがなんやら・・・
食堂は撮影所関係者らしき人達で、ほぼ満席状態だった。
今をときめく渡哲也だ!と一斉に視線が集中した。痛い痛い痛い、視線が痛い。
おそらく「渡はなんで、こんなガキンチョと一緒にいるんだ??」と全員が不思議に思ったことだろう。

もう緊張でカップを持つ手がガチガチと震えた。
人間の手ってこんなに震えるものなんだと思いつつ、嬉しさより恥ずかしさの方が大きかった。
ここでも何をお話したのか・・・記憶がない!

だって、だって次から次へと信じがたい展開に、ガキンチョの私は到底対応しきれない、そんな余裕はなかったのよ。
がっつりオバサンになった今ならともかく・・・返す返すも残念&無念なシーンだ~

しかし、とにもかくにも・・・
私にとって、人生で初めて“お茶した”男性が・・・渡哲也サマになったのだ。

・・・こんなことってあるのか????

その時の、若かりし渡さん

長い足、ちっさいお顔。
世の中にこんなに美しい男の人っているんだ!と思った。

一緒に写真を撮っていただきお別れした。
守衛さんに心からお礼を言った。

しかし、帰り道フワフワとしながらも沸々と疑問がわいてきた。
寡黙でシャイで不器用というイメージの渡さんが、なぜあのような、いわゆるファンサービスをしてくれたのか??
不思議だ、ありえないことだと考えたが帰宅して、そのなぜ?が分かった。というか、そう思うことにした。

夕刊には・・・第17回ブルーリボン賞 新人賞受賞 渡哲也(愛と死の記録)

そう!きっと嬉しかったのだ。喜んでいたのだ。
その嬉しさと喜びを、私に精一杯お裾分けしてくれたのだ。

渡さんの優しさと奇跡が重なった日の、大切な大切な思い出です。

今まで進んで人に話したりはしなかった。
でも私もいつか、いろんな記憶が飛んじゃう時がくるかもしれない。
こうして綴っておいてもいいかなと思った。

二枚目・・・今はイケメン? うまく歳を重ねるのがむずかしい気がする。
哲ちゃんは本当に渋くダンディに、かつ品良く歳を重ねていた。
何より人間としての深みも感じさせてくれた。
だから何十年経っても、私の内で静かに居続けてくれたんだと思います。

訃報のテロップ・・・いつかは目にしなければならないと覚悟はしていましたが、やはり動揺しました。
家族に悟られなうようにはしたものの、ボーッとしちゃいました。

病との闘い、辛さから解き放たれ、どうかゆっくり休んで!!と心からご冥福をお祈りします。