祇園祭山鉾巡行(前祭) ③ ~鶏鉾から菊水鉾
祇園祭山鉾巡行(前祭)も中盤に差し掛かった。
鶏鉾・油天神山・孟宗山・霰天神山・菊水鉾と続く。
ユネスコの世界無形文化遺産にも登録された祇園祭の山鉾巡行は、山鉾を彩る豪華な懸装(けそう)品から「動く美術館」といわれる。
懸装品とは、山鉾を飾る装飾品のこと。
鶏鉾の懸装品に「末吉丸」が使われているとは知らなかった。
祇園祭山鉾巡行(前祭) ③ ~鶏鉾から菊水鉾
祇園祭山鉾巡行(前祭)も中盤に差し掛かった。
鶏鉾・油天神山・孟宗山・霰天神山・菊水鉾と続く。
ユネスコの世界無形文化遺産にも登録された祇園祭の山鉾巡行は、山鉾を彩る豪華な懸装(けそう)品から「動く美術館」といわれる。
懸装品とは、山鉾を飾る装飾品のこと。
鶏鉾の懸装品に「末吉丸」が使われているとは知らなかった。
祇園祭山鉾巡行(前祭) ② ~函谷(かんこ)鉾から鶏鉾
祇園祭は疫病退散を祈る八坂神社の祭礼でコロナ退散の祈念が通じたような晴舞台である。
巡行は函谷(かんこ)鉾・郭巨(かっきょ)山・四条傘鉾・木賊(とくさ)山・鶏鉾と続く。
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祇園祭山鉾巡行 (前祭) ① ~始まりの長刀鉾
この猛暑に山鉾巡行に行く人の気が知れないと思っていたが、ふと気が付いたら烏丸御池駅に降り立っていたのはブロガーの性か。
山鉾巡行(前祭)は長刀鉾(なぎなたほこ)を先頭に23基の山鉾が四条烏丸から出発し、四条通・河原町通・御池通の順に巡行する。
長刀鉾は高さ約21.76m・長さ約6.42m・幅約4.35m・総重量約11.1tで、最上部の鉾頭・大長刀がシンボルである。
まずは先頭集団の長刀鉾、山伏山、白楽天山、芦刈山。
最初から「動く美術館」と云われる面目躍如だった。
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「船弁慶」 ~千本ゑんま堂・大念佛狂言 ②
千本ゑんま堂の大念仏狂言は壬生狂言、嵯峨大念仏狂言と並んで京の三大狂言のひとつで1000年以上続いていると云われている。
他の狂言と違い、 ほとんどの演目にセリフがあることが大きな特徴である。
GWの本公演には、多くの方が観覧したが屋外なので、日中の暑さと日差しが大変だった。
公演前の稽古風景。保存会には若い方も多くいらっしゃるようだ。
人気演目の「神崎渡し」あらすじ。
坂東方のお坊さんが、堺・住吉・天王寺へと参詣の旅にでかけます。
このお坊さん、修行中であるために貧しく、途中で立ち寄った茶店のお茶代も払えません。
あきれた茶店の主人は事情を聞いてかわいそうに思い、この旅先にある神崎川の渡しの船賃を タダにする方法を小坊主さんに教えてやります。
それは、しゃれ好きの船頭のために、古の名将・平薩摩守忠度 (たいらのさつまのかみだたのり) に引っ掛けて歌った句「平家の公達 薩摩守 心と問わば ただのり」(へいけのきんだち さつまのかみ こころととわば ただのり=タダ乗り)としゃれを言って船賃を払わない方法でした。
喜んでお茶屋と別れた小坊主さんは、途中でこのしゃれを間違って覚えてしまいます。(保存会 公式HPより)
「船弁慶」あらすじ (保存会 公式HPより)
頼朝に疑惑を持たれた 源義経は、弁慶達と共に西国へ逃れようと摂津の国 大物の浦(だいもつのうら)に着きます。
同行していた静(しずか)は、女の身ではこれ以上進むことは難しく、弁慶の助言もあって、都に戻ることになります。
別れの席で静は舞を舞い、義経のこの先を祈り、再会を願って涙にくれながら別れます。
静との別れを惜しみながら、船出した義経達でしたが、船が海上に出ると、突然暴風に見舞われ、波の上に、壇ノ浦で滅亡した平家一門の総大将だった平知盛(とももり)の怨霊が姿を現します。
知盛は、義経を海底に沈めようと、薙刀を振りかざして襲いかかります。
弁慶は、力では太刀打ちできないと、数珠を揉んで祈祷します。その祈りの力によって、怨霊は彼方の沖に消えてゆきます。
面には表情がないはずなのに、感情が映し出されているようにみえるのは不思議だ。
千本ゑんま堂(引接寺)・大念佛狂言 ① ~「福釣り」
京都市営地下鉄の鞍馬口駅下車。鞍馬口通を千本通まで、約20分ひたすら歩く。
昨年、GWに観覧して、ハマってしまった千本ゑんま堂(引接寺)・大念佛狂言に行くためだ。
鞍馬口通は道すがらに銭湯や居酒屋、宿屋、工房などが並んで、京都の裏風情を感じる通りである。
さて、千本通の引接寺(いんじょうじ)に到着。
閻魔大王が本尊のため、通称「千本ゑんま堂」といわれる。
とにかく、GWの4日間に無料で公開される「大念佛狂言」が素晴らしいので、今年もやってきた。
毎公演最初に演じられるのが『えんま庁』。
鬼に引っ立てられた、哀れな亡者が生前の善行を称えられ極楽へと導かれる。
最後には立場が逆転する鬼との相関図が面白い。
今年は「福釣り」をアップします。
庄屋の屋敷で宝物の虫干しがあると聞きつけた参詣人は、欲しい物が何でも釣れるという釣り竿を借りる。
欲を隠さない参詣人が最後にどんなものを釣り上げるのか…。
福は福でも、お多福はね。
加茂船屋雛まつり ② ~にゃんだフルなお部屋
加茂船屋雛まつりをデジスケッチ。
ふらりと立ち寄った「菊石邸」というおうちの中にはお雛様だけではなく、様々なオブジェが所狭しと並べられていた。
ご主人のセンスの良さを垣間見る。
このお部屋にはご家族の歴史と想い出たちが今も息づいている。
加茂船屋雛まつり ① ~レトロな町並みとお雛さま
京都府木津川市の旧加茂町の船屋・新町地区界隈で「加茂船屋雛まつり」が催された。
木津川水運の拠点として栄え、江戸から明治にかけてのレトロな面影を残している町並みにお雛様はよく似合う。
お店や公共施設で自慢のお雛さまのお披露目。
こちらは加茂青年センターの展示。
船屋通りのお店のお雛さまは其々に趣がある。
飛天と竜頭 ~祇園祭後祭・宵宮 ③
「北観音山の観音様は男だが、南観音山は女性である」といういい伝えがある。
確かに対峙するニ山は雄ヶしい北観音に対し、柔和な優しさを感じる南観音というように男女の対を成しているようにもみえる。
南観音山では宵宮の深夜にはご神体、楊柳観音像を御輿に縛りつけ町内を3週する儀式「あばれ観音」が行われるが「北観音山の観音への恋心を鎮めるため」などいわれている。
神様仏様の恋愛事情もたいへんである。
飛天図とその下に絢爛豪華なペルシャ絨毯が掛けられ、見事なコントラストを成している。
大船鉾も鷹山同様、近年、復活した鉾だ。
前懸と後懸にはいずれも波涛と雲龍をモチーフにした懸装品が飾られ、水引には波涛と飛魚の文様が、艫高欄には緋色の地に鳳凰の刺繍、天水引は金地に雲龍の綴織が飾られる。
舳先の龍頭がシンボルである。
エキゾチック G・I・O・N! ~祇園祭後祭 宵宮 ②
提灯にぽっと灯りが灯る宵宮のそぞろ歩きは素敵だ。
なかでも、北観音山は提灯に飾り物が映えて美しい。
前掛と後掛は19世紀のペルシャ絨毯、胴賭にはトルキスタン絨毯とインド絨毯、見送りは鳳凰宝散額唐子嬉遊図の綴錦で17世紀中国明末から清初頭のもので、チベット寺院で保管されていたとされる。
「エキゾチック G・I・O・N!」~シルクロードに思いを馳せる。
そして、帳が降りれば、北観音山は幻想的な世界へと一変する。
八幡山あたりと町家の宝物公開。
196年ぶりに甦った鷹山 ~祇園祭後祭・宵山 ①
祇園祭・後祭の山鉾の一つ「鷹山」が本年、196年ぶりの復活を果たした。
「鷹山」は、応仁の乱の前から巡行に参加していた記録のある山だったが、幕末の災害や動乱で焼失して以来、巡行への参加を見合わせていた。
御神体は鷹匠、犬飼、樽負の御三方で、中納言在原行平が光孝天皇の御供で鷹狩りをする場面を表しているという。
祇園祭自体、3年ぶりの復活となった今年、久し振りに宵山に出かけた。
動画
青蓮院門跡・青の幽玄 ~東山花灯路 ⑥
青蓮院門跡(しょうれんいんもんぜき)は、天台宗総本山比叡山延暦寺の三門跡の一つであり、古くより皇室と関わり深く格式の高い門跡寺院である。
青蓮院のご本尊の熾盛光如来は、光そのものであり、その化身の不動明王(国宝青不動明王を祀る)も炎の光を背負っておられる。
東山花灯路のラストは北端の青蓮院門跡で ”青の煌めき”、”青の幽玄” に癒された。
ねねの道・祇園閣・大燈呂・現代いけばな展 ~東山花灯路 ⑤
北政所の高台寺から、「ねねの道」を北上する。
ウクライナの国旗をイメージした大型 行灯 がともっている。
京都市とウクライナの首都キエフは姉妹都市として半世紀にわたって交流してきたという。
理不尽な侵略と蛮行に翻弄される、彼の地にエールを送りたい。
ねねの道からは、大雲院祇園閣が白く浮き上がっている。
大谷祖廟前では、「京都・伝統の灯り展」が開催されていた。
いつもながら、お洒落な長楽館。
八坂神社のしだれ桜前で開催されていた、「粟田大燈呂」。
ねぶたを思い起こす。
いけばなプロムナードの着物フォレスト。
円山公園で開催されていた「現代いけばな展」。
東山花灯路は20回目を迎えるが、今回が最後だという。
おまけにコロナ禍で、楽しみにしていた「狐の嫁入り」も中止だということで淋しいかぎりだ。
8年前のバックナンバーから振り返ってみた。
高台寺の夢幻 ~東山花灯路 ④
高台寺は秀吉の正室である北政所(高台院)が秀吉の冥福を祈るため建立した寺院。
重要文化財である霊屋(おたまや)・開山堂・傘亭・時雨亭(しぐれてい)、そして臥龍池(がりょういけ)(=上写真)などがライトアップされていた。
紅葉のころに何度か訪れたが、冬から春へと移行する、この時期は凛とした佇まいをみせていた。
まず、波心庭のプロジェクション・マッピングに癒される。
動画
北政所は亡き秀吉を偲びながら月を眺めたという。今宵もそんな夢幻の夜だった。
産寧坂、二年坂あたり ~東山花灯路 ③
八坂神社から清水寺にある八坂を構成する、産寧坂、二年坂、一年坂、そして、清水坂あたりにはその風情もさることながら、お洒落なお店も軒を連ねている。奇妙な伝説もあることから、皆さん、転ばぬよう、慎重に散策されていた。
法観寺・清水道あたりと「お囃子組」 ~東山花灯路 ②
589年に聖徳太子が創建し、その後、1440年に再建された法観寺「八坂の塔」は高さ46m、東山のランドマークである。
法観寺から清水寺に続くお洒落な坂道、清水道あたりには着物が似合う。
ライトアップされた途端、ガラリと表情が変わる “八坂の塔”。
地元の小学生による「火の用心・お囃子組」と遭遇した。
動画