先日、ニコニコ生放送で行われた民主党・鳩山由紀夫幹事長の討論が問題になっているようです。
民主党・鳩山由紀夫幹事長がニコニコ生討論会に登場!Part4
要は、定住外国人への地方参政権を認めるべきというもの。
考え方としてはあり得る話ですが、その理由がどうにも……
>むしろ、その定住外国人の話など は、税金を彼らは納めている訳ですよね、
>その地域に根が生えて一生懸命頑張っている人たちが たくさんいる訳です。
>その人たちに、むしろ参政権ぐらいは与える度量の広さをね、日本人として 持つべきではないかと。
税金を収めているかどうかということ、参政権を持っているということとは全くの無関係です。
日本人でも、経済的事情により税金をあまり納めることができない人もいますが、
だからといって参政権が否定されるわけではない。
他方、日本に住んでいながら外国に税金を払う場面も多々あるわけですが、
だからといって外国での参政権を得るわけではない。
また、政治家が「参政権ぐらい」と言うのもいかがなものか。
これが与党の政治家の発言であれば、各メディアで一斉に叩かれるでしょう。
それから、参政権を誰が持つかというのは、
憲法的な問題であり、かつ、国家の在り方そのもの決める問題であって、
「度量が広い/狭い」という話ではない。
>鳩:「アメリカなんかそうでしょう?もう。私は、アメリカの良さはそういう度量の広さ、
>色の白黒の 問題もありますけれどもそういった方々を全部乗り越えてね…」
なぜ、人種の問題とすり替えるのか?
日本でも、日本国籍を持つ黒人が参政権を持つのは当然です。
アメリカ国籍の黒人は本来参政権を持っていると考えるのではなく、
「度量の広い」白人から恩恵的に参政権を与えられているにすぎないのだと考えるならば、
それこそ差別的な物の見方と言わざるを得ない。
>日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、
>もっと多く の方々に参加をしてもらえるような、喜んでもらえるような、
>そんな土壌にしなきゃダメですよ。
ここでいう、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」というのはどういう意味でしょうか?
まず、物権的な意味であれば、日本の法律は外国人が土地を取得することについて制限を加えていないので、
当然、日本国籍を有するもの以外の者も日本列島の土地を所有できる。
でも、そういう意味ではないでしょう。
じゃあ、どういう意味で発言されたのか?となると、私には到底理解できないのですが。
一つ言えることは、「国民主権」とは何かをちゃんと考える必要があるということです。
通常、主権は3つの要素に分解されるという話をしますが、
それが国民主権の話になると3番目の意味(最高決定権)との関連でしか議論されなくなる。
しかし、それは妥当ではないでしょう。
「国家」というものを媒介にして、1番目の意味(国家権力そのもの、国家が有する支配権。統治権)及び
2番目の意味(国家権力の最高独立性)と3番目とは関連付けて考えられるべきでしょう。
国民が国政の最高の決定権を有するのであって、
その国民に存立の基礎を置く国家が日本列島(等)を支配するのであり、
日本列島(等)において日本は独立しており、その他の支配を受けることはない。
むろん、経済的活動として外国人の参加は当然に必要なわけで、
外国人が住みやすい土壌にする必要はある。
しかし、それをもって直ちに参政権に結びつけるのは適切ではないでしょう。
原理原則として外国人に参政権を認めるべきかどうかという話もしないといけないし、
また、仮に参政権を認めることができるとしても(許容性)、
他の方法で日本を外国人の住みやすい土壌にすることができるのであれば、
あえて参政権を認める必要性はないということになる。
***
じゃあ、外国人に参政権を認めることはできるのかという問題です。
これは憲法的にはド論点ですし、国政レベルでは禁止、地方レベルでは許容
というのが最高裁の(一応の)考え方でしょう。
しかし、地方レベルで許容されているのというのは、
あくまでも傍論ですので、法的に意味のある判断ではない。
国民であることを前提として、その中での住民自治を考えるべきという見解も
十分に成り立つ。
この様な禁止説に対しては、従来、国政と地方政治との違いを強調する反論が多かった。
外交、国防、幣制などを担当する国政と住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当する
地方公共団体の政治・行政とでは、国民主権の原理とのかかわりの程度に差異があることを考えると、~
といういうようなもの。(いわゆる「四人組」。高橋・野中等「憲法Ⅰ」有斐閣)
確かに、程度問題で言えば、そこに差があることは否定できないでしょう。
しかし、地方が(例えば)国防などと全くの無関係ではないという事実を看過するべきではない。
基地問題における地方自治体の発言力(や権能)を考慮するべきでしょう。
国防、あるいは安全保障という問題は、独り国家のみが関わる問題ではなく、
地方自治体も密接に関係してくる問題です。
また、道州制の議論なども先行きは不透明であり、
従来国家の領分とされてきた問題が地方に腑分けされる可能性もある。
その様な場合には、地方だから住民の日常生活がメインなのだということは言えなくなる。
このような、従来の憲法学の議論では考慮されてこなかった問題、
建前的には想定したくないような安全保障の問題を踏まえた上で、
さらなる議論が必要でしょう。
***
なお、私は、参政権を分割するべきではないと考えている。
つまり、国防についての参政権を否定するが、福祉等については認めるという議論は否定されるべきと考えています。
この点は、東浩紀さんの議論とは異なるところでしょう。
東浩紀と鈴木健飲み会
民主党・鳩山由紀夫幹事長がニコニコ生討論会に登場!Part4
要は、定住外国人への地方参政権を認めるべきというもの。
考え方としてはあり得る話ですが、その理由がどうにも……
>むしろ、その定住外国人の話など は、税金を彼らは納めている訳ですよね、
>その地域に根が生えて一生懸命頑張っている人たちが たくさんいる訳です。
>その人たちに、むしろ参政権ぐらいは与える度量の広さをね、日本人として 持つべきではないかと。
税金を収めているかどうかということ、参政権を持っているということとは全くの無関係です。
日本人でも、経済的事情により税金をあまり納めることができない人もいますが、
だからといって参政権が否定されるわけではない。
他方、日本に住んでいながら外国に税金を払う場面も多々あるわけですが、
だからといって外国での参政権を得るわけではない。
また、政治家が「参政権ぐらい」と言うのもいかがなものか。
これが与党の政治家の発言であれば、各メディアで一斉に叩かれるでしょう。
それから、参政権を誰が持つかというのは、
憲法的な問題であり、かつ、国家の在り方そのもの決める問題であって、
「度量が広い/狭い」という話ではない。
>鳩:「アメリカなんかそうでしょう?もう。私は、アメリカの良さはそういう度量の広さ、
>色の白黒の 問題もありますけれどもそういった方々を全部乗り越えてね…」
なぜ、人種の問題とすり替えるのか?
日本でも、日本国籍を持つ黒人が参政権を持つのは当然です。
アメリカ国籍の黒人は本来参政権を持っていると考えるのではなく、
「度量の広い」白人から恩恵的に参政権を与えられているにすぎないのだと考えるならば、
それこそ差別的な物の見方と言わざるを得ない。
>日本列島は日本人だけの所有物じゃないんですから、
>もっと多く の方々に参加をしてもらえるような、喜んでもらえるような、
>そんな土壌にしなきゃダメですよ。
ここでいう、「日本列島は日本人だけの所有物じゃない」というのはどういう意味でしょうか?
まず、物権的な意味であれば、日本の法律は外国人が土地を取得することについて制限を加えていないので、
当然、日本国籍を有するもの以外の者も日本列島の土地を所有できる。
でも、そういう意味ではないでしょう。
じゃあ、どういう意味で発言されたのか?となると、私には到底理解できないのですが。
一つ言えることは、「国民主権」とは何かをちゃんと考える必要があるということです。
通常、主権は3つの要素に分解されるという話をしますが、
それが国民主権の話になると3番目の意味(最高決定権)との関連でしか議論されなくなる。
しかし、それは妥当ではないでしょう。
「国家」というものを媒介にして、1番目の意味(国家権力そのもの、国家が有する支配権。統治権)及び
2番目の意味(国家権力の最高独立性)と3番目とは関連付けて考えられるべきでしょう。
国民が国政の最高の決定権を有するのであって、
その国民に存立の基礎を置く国家が日本列島(等)を支配するのであり、
日本列島(等)において日本は独立しており、その他の支配を受けることはない。
むろん、経済的活動として外国人の参加は当然に必要なわけで、
外国人が住みやすい土壌にする必要はある。
しかし、それをもって直ちに参政権に結びつけるのは適切ではないでしょう。
原理原則として外国人に参政権を認めるべきかどうかという話もしないといけないし、
また、仮に参政権を認めることができるとしても(許容性)、
他の方法で日本を外国人の住みやすい土壌にすることができるのであれば、
あえて参政権を認める必要性はないということになる。
***
じゃあ、外国人に参政権を認めることはできるのかという問題です。
これは憲法的にはド論点ですし、国政レベルでは禁止、地方レベルでは許容
というのが最高裁の(一応の)考え方でしょう。
しかし、地方レベルで許容されているのというのは、
あくまでも傍論ですので、法的に意味のある判断ではない。
国民であることを前提として、その中での住民自治を考えるべきという見解も
十分に成り立つ。
この様な禁止説に対しては、従来、国政と地方政治との違いを強調する反論が多かった。
外交、国防、幣制などを担当する国政と住民の日常生活に密接な関連を有する公共的事務を担当する
地方公共団体の政治・行政とでは、国民主権の原理とのかかわりの程度に差異があることを考えると、~
といういうようなもの。(いわゆる「四人組」。高橋・野中等「憲法Ⅰ」有斐閣)
確かに、程度問題で言えば、そこに差があることは否定できないでしょう。
しかし、地方が(例えば)国防などと全くの無関係ではないという事実を看過するべきではない。
基地問題における地方自治体の発言力(や権能)を考慮するべきでしょう。
国防、あるいは安全保障という問題は、独り国家のみが関わる問題ではなく、
地方自治体も密接に関係してくる問題です。
また、道州制の議論なども先行きは不透明であり、
従来国家の領分とされてきた問題が地方に腑分けされる可能性もある。
その様な場合には、地方だから住民の日常生活がメインなのだということは言えなくなる。
このような、従来の憲法学の議論では考慮されてこなかった問題、
建前的には想定したくないような安全保障の問題を踏まえた上で、
さらなる議論が必要でしょう。
***
なお、私は、参政権を分割するべきではないと考えている。
つまり、国防についての参政権を否定するが、福祉等については認めるという議論は否定されるべきと考えています。
この点は、東浩紀さんの議論とは異なるところでしょう。
東浩紀と鈴木健飲み会