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崖っぷちロー

チラ裏的ブログ。ここは「崖っぷち」シリーズ・あん○ーそん様とは関係ありません。レイアウト変更でいろいろ崩れ中

死刑存置or廃止

2008-05-07 00:55:07 | 法律関係問題
1 問題提起

2(1)死刑存置派からの立論
  ①一般予防の観点
  ②特別予防の観点

 (2)廃止派からの反論
  ①一般予防の効果を証明できない。
   前提として、立証責任は存置派にあるとする。
   ∵人の生命を奪うには積極的な理由がある
  ②代替する方法がある
   ex仮釈放なしの終身刑or終身の保安処分

 (3)廃止派からの立論
  ③冤罪の場合に正当化しえない

 (4)存置派からの反論・等々
  ③懲役刑等の場合も同じでは?
   ←普通の冤罪(懲役等)も、失った時間や行動の自由自体を取り返せる訳ではない。
    しかし、金銭(及びその事実)が被告人に対して補償することで、
    足りないながらも「一応」は補えるということになる。

    他方、死刑になっていた場合、もちろん生命を取り返す事は出来ない。
    のみならず、「本人」に金銭賠償をすることすらできない。
  
   →では、冤罪で懲役刑に服している間に死亡した場合はどうか?
    ←作為と不作為の差(※追記 因果関係の切断、殺人の定義との比較)

   →冤罪の不都合性があるとしても、社会秩序維持という観点から許容されるのでは?
    ←それは刑事法の理念に照らして相当か?

   →憲法も死刑を予定しているように読めるが?(13条・31条等)
    また、最高裁も36条違反ではないとしているが?
    ←憲法の理念に照らして否定すべきである
     (個人主義・沿革)
     ※ここがきつい

3 結論


以上、大谷刑法総論を参考に。
小論などではこういう感じになるのでしょうが、
個人的な生の感情としては、大谷先生の考え方に近いです。
大谷説は便利ですねw
その分、論理的でないと批判されますが…

※こういう議論をすると、よく○○事件の被告人を死刑にしなくていいのか?
 といった意見が主張されることがあります。
 しかし、あくまでも議論は「制度」の是非というレベルであることに注意する必要があります。
 また、廃止派としては、例え100人の死刑になるべき人間が死刑にならないとしても、
 一人の無辜の人間が冤罪で死刑になることを防げればいいと言う発想ですから、
 その意味でも具体例は無意味だろうと思います。


青山学院大学某准教授4

2008-04-30 18:18:43 | 法律関係問題
蛇足ですが。

某掲示板を見ていて目に付く意見として、
「暴言を吐くことは表現の自由じゃない」という意見があります。
そんな表現を保障する価値はないということでしょう。
確かに、感覚的に言えばそういう考えを持つことは首肯できます。

学説でも、性表現・名誉毀損的表現は、自然犯として刑法に定められているので、
憲法で保障された表現の自由の範囲に属さないと従来は考えられてきたようです。

しかしそうすると、刑法の解釈によっては、本来憲法上保障されるべき表現まで
憲法の保障の埒外に置かれてしまいます。

同様に、暴言などの価値の低い表現も、その価値判断如何によっては、
本来憲法上保障されるべき表現が保障されないということになりかねません。

特に、一応法定されている性表現・名誉毀損的表現と違い、
暴言の場合は(生の)道徳や社会通念というきわめて曖昧・不明確で可変の基準によって
その価値が判断されてしまいます。

これがいかに危険な事であるかは、誰でも分かるのではないでしょうか。
道徳や社会通念は往々にして多数派により形成されるものですから、
多数派にとって暴言・価値の低い表現と判断されてしまえば、
少数派にとってその表現が如何に重要なものであっても、
表現の自由によっては保護されないことになってしまいます。

もっとも、今回のような瀬尾准教授の発言は、一見明白に暴言であり、
かかる発言を保障の埒外にするとしても、表現の保障を弱める事にはならないという
反論が考えられます。

しかし、そうすると(どこまでが明白な暴言かという)境界をどこに設定するかという
問題になるのですから、結局はその境界の設定如何によって表現の自由の保障の範囲が
変化することになり、同じ問題が生じるのです。

したがって、性表現・名誉毀損的表現あるいは暴言・価値の低い表現についても、
表現の自由に含まれると解した上で、
最大限保護の及ぶ表現の範囲を画定していくべきだという事になるでしょう。

そして、性表現・名誉毀損的表現については典型論点ということになりますし、
暴言等については、それが適正な法律等に違反しない限り自由であるということになると思います。

以上、芦部憲法によった考え方です。

青山学院大学某准教授3

2008-04-29 03:48:44 | 法律関係問題
特別委員会を急きょ設置し、瀬尾准教授を処分する方針。
http://www.j-cast.com/2008/04/28019573.html
らしいです。

確かに、そのブログ記事の内容は適切ではありませんが、
かといって処分する必要があるのかというと疑問です。
(但し、難しい問題だと思います)

さんざん言われていることだと思いますが、表現の自由の観点からの疑問です。
私は、名誉毀損やわいせつ表現など、犯罪を構成しない限り、
原則として表現の自由は保障されるべきだと考えます。
それが、例え価値が低いとみられるものであっても。
(その犯罪を規定する法律が法の支配に基づく適正なものであることは前提)

特に、大学(准)教授などの人間の表現の自由には、
歴史的にみてより慎重な配慮が必要であろうと思います。

もっとも、ここで問題となるのは、私立大学とその(准)教授の関係ですが、
国家との関係に引き寄せて考えるべきだろうと思います。

もちろん、大学側の解雇の問題や、懲戒の裁量の問題はありますが。
(というか、ここから具体的な規範定立→あてはめが必要になりますが、
 メンドイので省略ですw)

大学による処分ではなく、国民や学生、教授らによる言論での批判をもって、
瀬尾佳美准教授の言論に対抗するのが筋であろうと思われます。

青山学院大学某准教授2

2008-04-28 00:25:22 | 法律関係問題
と思ったら、謝罪の記事がブログに載っておりました。
http://blog.goo.ne.jp/kamiseo/e/ac1aaf9213788482174d85c51b333df5
http://blog.goo.ne.jp/kamiseo/e/11cc7179b822941d58104426a449c8d4

>ひとつが傷害致死の場合「殺人」の数は1。殺意があったなら2。
>どちらと信じる理由もないのでここでは1.5としておく
とのことです。

やはり、殺意(故意)の有無で殺人か傷害致死かを分けているようです。
が、なぜ赤ちゃんであれば故意が否定されうるのかの法律構成は分かりません。
分かり切った法律構成であれば省略するのも良いと思います。
(私もブログではかなり省略します)
が、こういう微妙な場合には、省略しない方が意図が伝わって良いのではないでしょうか。

あと、どちらと信じる理由もない(分からない)ので1.5ということですが、
刑事訴訟の原則から言うと、どちらとも分からないのであれば
被告人の利益に解するべきです。
あるいは、思考実験をするのであれば、場合分けをするべきでしょう。

この人は、他にも道交法違反や業務上横領の嫌疑があるらしいですが、
自分にはよく分からないので、状況を見守りたいと思います。

青山学院大学某准教授

2008-04-28 00:16:10 | 法律関係問題
瀬尾佳美さんですが。
ネットで少し話題の1.5人発言の人です。

最初は赤ちゃんの生命が0.5人分だと主張しているように読み取れるブログ記事でしたが、
突っ込まれて傷害致死で0.5人分だと訂正。
「赤ん坊はちょっとしたことですぐ死んでしまうので
 『傷害致死』の可能性は捨てきれないと思っている」
だそうです。

その法律構成は不明ですが、ないだろと。

1 まずは、故意を否定し、殺人罪の成立を否定するパターン
  おそらく、瀬尾さんはこれを想定しておられるのでしょう。
  が、故意=犯罪事実の認識・認容であり、
  認容は、「実現してもかまわない」「仕方がない」程度で満たされます。

  そして、普通の人であれば、
  赤ちゃんの首をしめれば死という結果が発生することは分かります。
  にもかかわらず、あえて赤ちゃんの首を絞めるということは、
  死んでもかまわないと認容したということになるでしょう。

  そうすると、相手が赤ちゃんであることを知って実行行為に出た場合、
  客体が赤ちゃんであることを理由に故意が否定されることはまずないと思います
  (※蝶々結びとかいう主張の方が、死という結果を認識していなかったという構
   成になると思いますので、まだましかもしれません)

2 あとは、脳梅毒や血友病の事例の様に、因果関係を否定するパターンでしょうか。
  しかし、因果関係が切れるのであれば、そもそも死という結果を帰責できないので、
  傷害「致死」にならないと思います。
  それに、客体が赤ちゃんであることは行為者にも一般人にも認識可能な事情ですので、
  それで因果関係が切れることはないと思います。

3 そもそも、死にやすいから傷害致死というのでは、
  老人や病人なども0.5人分ということになるのでしょうか?
  よく分かりませんね

4 なお、余談ですが、実務は量刑判断で0.5人分だとかいう処理をするのでしょうか?
  実務を勉強したわけではないので分からないのですが、
  罪数論とは関係ない理論なのでしょうか?

この人は、ブログで不適切な書き込みをすることが多いらしく、
大学の学長が謝罪するという事態にまでなっているようです。
ブログで意見を主張するという行為は表現の自由として保障されていますが、
その意見に対して批判するという行為もまた、表現の自由によって保障されているのです。
(思想の自由市場における対抗言論)

準児童ポルノ

2008-03-14 23:05:15 | 法律関係問題
アグネス・チャンさんらが呼び掛け人として、
いわゆる児童ポルノに反対する「なくそう!子どもポルノ」キャンペーンのネット署名受け付けが3月11日始まったらしいです。

>具体的には(1)現行法が禁じていない単純所持も違法化・処罰の対象に、
>(2)被写体が実在するか否かを問わず、児童の性的な姿態や虐待などを写実的に描写
>したものを「準児童ポルノ」として違法化
>──するよう、現行法の改正を含めて政府・国会に要望する。
http://www.itmedia.co.jp/news/articles/0803/11/news097.html

>「子どもに対する性的虐待を性目的で描写した写真、動画、漫画、
>アニメーションなどを製造、譲渡、貸与、広告宣伝する行為に反対する」

らしいです
どっかの素人が主張しているだけだろうと思っていたら、
呼びかけ人の中に弁護士がいたようです。

きっと、憲法の出来は悪かったんでしょうねw

(1)に関しては、厳しいものの、なんとか合憲に出来ると思いますが、
(2)に関しては違憲とするのが多数説になるとおもわれます。
よくても、合憲限定解釈でしょう

受験生なら、(2)については9割が違憲で答案を書くのではないでしょうか?
むしろ、合憲にするまともな理由付けを書ける気がしません

私個人としては反対ですが、裁判を見たい気もするので、
あえて成立させた上で、憲法訴訟で最高裁までもつれ込んで欲しい気もしますw

皇族と自衛隊

2008-03-01 01:36:05 | 法律関係問題
さて、現在の日本において皇族は自衛隊員になることができるのでしょうか?
(その当・不当はおいておくとして、純粋に憲法問題としての話です。
 ここが重要です。思想的・政治的な問題は一切捨象します。
 また、法律や皇室内の決まりなども次元の異なる問題となります)

もちろん、天皇に関しては権能が限定されていますから(4条・7条各号)、
憲法的にも無理なんだろうと思います。

では、天皇(皇太子)以外の皇族に関してはどうでしょうか?
常識的に考えれば無理だろうということになりそうですが、
憲法上これを禁止する明文規定は無いのではないでしょうか。

そうすると解釈によって可否が決せられることになります。
 
ここで前提として、我々は職業選択の自由を有しています(22条1項)。
我々が職業として自衛官を選択することは自由ということです。
ですが、天皇・皇族と我々一般人では人権の内容が異なります(人権享有主体性の問題)。
いろいろと議論があるところですが、結局は個別の人権ごとに検討するのが妥当だと思われます。
(なお、皇籍から離脱すれば、憲法上の制約はないはずです)

もう一つの前提として、話を前に進めるために、自衛隊の存在が合憲であるとします。
そうすると、憲法が平和主義を原則としていることや、憲法9条が存在していることからは、
皇族が自衛隊員になることを直ちには否定できないのではないでしょうか?

ここで思わぬ伏兵がいます。
憲法8条によって、財産の取得に関して制限が掛けられているのです。
自衛官として給料を貰う上で障害になる可能性があります。
しかし、国会の議決によればクリアできる問題であり、
皇室経済法などもありますが、本質的な問題ではないといえるでしょう。

結局、日本国憲法の沿革や象徴天皇制の意義といった大きな原理に戻って、
憲法の趣旨を解釈するしかないように思えます。
(個人的には、この時点で純粋な「理論」では無くなる様な気がします)

皇族は天皇と一体となって象徴天皇制を形成すると考えれば、
天皇に対する制約を推及することになり、
自衛隊員になることは否定される方向になるでしょう。

他方、天皇と皇族の差異を協調すれば、肯定する余地が生まれるかもしれません。

論理の飛躍しているところが(敢えて省略している箇所を除いても)いくつかあるので、
正直言って私にはよく分かりませんw

皇族の自衛官への就任を肯定するにしろ、否定するにしろ、
憲法に明文の規定を設けた方がいいと思うのは私だけでしょうか?(でしょうね…)

鈴木宗男

2008-02-27 00:03:19 | 法律関係問題
第1 鈴木さん、控訴審も有罪だったようで。

 ちなみに、刑訴では「被告」ではなく「被告人」です。
 おそらく今までに100万回は突っ込まれているでしょう。
 それでも直さないというのが何ともw
 マスコミの言葉遣いは独特で、
 不適切な表現や存在しない表現を力業で「通用」させてしまう。

 法曹(弁護士・検察・裁判官)や訴訟の根本的なイメージも、
 個別具体的な事件のイメージもマスコミの影響で歪められているような…

 裁判員制度が始まるのだから、裁判員への予断排除という観点も加味した
 報道をして欲しいところです。


 1審で懲役2年の実刑。
 2審で控訴棄却。懲役2年の実刑。
 上告したようですが。

 基本的に上告審で判断が覆ることはないので、
 有罪で確定でしょうね。
 判旨を読んでいる訳じゃないので断言できませんが。
 ガチで評論(評釈)しようとしたら半日はかかります。

第2 法的なニュースで言えば、
 サッポロビールへの買収やロス疑惑のあの人の逮捕も興味深いですね。
 後者は一事不再理効や裁判権の競合という面白い問題を含んでいます。
 まさか民放で一事不再理という言葉を聞くとは思いませんでしたw

 確定判決の効力をどう理解するか。
 既判力・内容的確定力と一事不再理効の関係が正直よく分かりません。
 学説が錯綜しているうえに、講義を受けてもいまいちしっくり来ませんでした。
 こんな状態で期末考査を受けたのだから恐ろしい…
 単位が来ない可能性も十分にあります。

 また、日本の裁判権とアメリカの裁判権が競合しているというのも面白いですね。
 民事事件であれば、国際私法という学問で管轄とか準拠法とかを扱うのですが。
 刑事事件でここらへんの問題をがっつり取り組んでいる人はいるのでしょうか?

 アメリカも日本も共に「二重の危険」という概念があるので(というかアメリカ由来の概念)、
 そのような国同士で競合する場合に、2度も刑事訴訟に付き合わせるというのは
 学問的にどうなんでしょうね?
 結論の妥当性だけでいうならば、再度起訴することは不当と言うことになるのでしょうが、
 判決の効力としてこれを論証することは厳しいように思います。