崖っぷちロー

チラ裏的ブログ。ここは「崖っぷち」シリーズ・あん○ーそん様とは関係ありません。レイアウト変更でいろいろ崩れ中

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題4(条文判例などまとめ)

2010-12-12 03:29:41 | ニュース系

東京都青少年健全育成条例の問題については「まとめサイト」が機能していて、情報量も豊富なのですが、豊富すぎて初めて見る人は基礎的な情報にたどり着きにくいのではないかとも思い、まとめてみました。

1.条文・改正案・質疑応答
(1)現行都条例『東京都青少年の健全な育成に関する条例』 
  現行規則『東京都青少年の健全な育成に関する条例施行規則』(PDF)

(2)3月改正案(「非実在青少年」が問題なった改正案)
  ・条文:このブログにあります→番外その22:東京都青少年保護条例改正案全文の転載
 
  ・質疑応答:東京都青少年の健全な育成に関する条例改正案 質問回答集(PDF)
 
(3)11月改正案
  ・条文:このブログにあります
      →第156号議案「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」の条文
  ・質疑応答:このブログにあります
        →12/8 吉田康一郎都議(民主党)の質問と倉田潤(東京都青少年・治安対策本部部長)の答弁
        →平成二十二年東京都議会会議録第十七号〔速報版〕(12月19日追加)

(4)平成22年12月22日公布版(12月23日追加)
 公式に公開された条例の概要、条例、条例規則等
 東京都のHP→東京都青少年の健全な育成に関する条例及び規則について 

2.基本判例
チャタレー事件判旨PDF(最高裁判決昭和32年3月13日)
  刑法175条の猥褻とは「徒らに性欲を興奮又は刺戟せしめ、且つ普通人の正常な性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう」
 「芸術性と猥褻性とは別異の次元に属する概念であり、両立し得ないものではない。」
 「性的秩序を守り、最少限度の性道徳を維持することが公共の福祉の内容をなすことについて疑問の余地がない」

悪徳の栄え事件判旨PDF(最高裁判決昭和44年10月15日)
「文書がもつ芸術性・思想性が、文書の内容である性的描写による性的刺激を減少・緩和させて、刑法が処罰の対象とする程度以下に猥褻性を解消させる場合があることは考えられるが、右のような程度に猥褻性が解消されないかぎり、芸術的・思想的価値のある文書であつても、猥褻の文書としての取扱いを免れることはできない。」
 「文書の個々の章句の部分は、全体としての文書の一部として意味をもつものであるから、その章句の部分の猥褻性の有無は、文書全体との関連において判断されなければならないものである」

四畳半襖の下張事件判旨PDF(最高裁判決昭和55年11月28日)
「文書のわいせつ性の判断にあたつては、当該文書の性に関する露骨で詳細な描写叙述の程度とその手法、右描写叙述の文書全体に占める比重、文書に表現された思想等と右描写叙述との関連性、文書の構成や展開、さらには芸術性・思想性等による性的刺激の緩和の程度、これらの観点から該文書を全体としてみたときに、主として、読者の好色的興味にうつたえるものと認められるか否かなどの諸点を検討することが必要であり、これらの事情を総合し」て判断。

松文館事件控訴審判決(平成17年6月16日)
 上記のような猥褻の判断方法は、「文書だけでなく、本件のような漫画本を含め図画にも妥当する」
  ※いわゆるエロ漫画が問題になった事件であり、今回の都条例問題でも精力的に活動されている山口弁護士が携わった事件です。

岐阜県青少年保護育成条例事件判旨PDF(最高裁判決平成元年9月19日)
 「本条例の定めるような有害図書が一般に思慮分別の未熟な青少年の性に関する価値観に悪い影響を及ぼし、性的な逸脱行為や残虐な行為を容認する風潮の助長につながるものであつて、青少年の健全な育成に有害であることは、既に社会共通の認識になつている」

 伊藤正己裁判官の補足意見
 有害図書が「青少年非行を誘発するおそれがあるとか青少年の精神的成熟を害するおそれのあること」については、「青少年保護のための有害図書の規制が合憲であるためには、青少年非行などの害悪を生ずる相当の蓋然性のあることをもって足りる
 「有害図書が青少年の非行を誘発したり、その他の害悪を生ずることの厳密な科学的証明を欠くからといって、その制約が直ちに知る自由への制限として違憲なものとなるとすることは相当でない。

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題3

2010-12-11 15:19:05 | ニュース系
 連日話題となっている東京都青少年健全育成条例 改正問題であるが、各種報道を見るに、可決される可能性が濃厚になってきた。ここにきて大手出版社が本条例改正案に抗議の意思を示し、東京国際アニメフェアへのボイコットを表明するなど新しい動きも起きており、まだまだ確定したわけではないが、やはり厳しいといわざるを得ないのではないか。

参照:都の性描写漫画規制、可決へ 民主が賛成の方針固める
都議会最大会派の民主党は10日の総会で、対応を執行部に一任することを決めた。執行部は賛成する方針。すでに自民、公明両会派は賛成を決めている。民主党を含めると過半数となり、改正案は開会中の都議会で可決される。

参照:角川書店や講談社、集英社などのコミック10社会が東京国際アニメフェアへの参加拒否を発表
先日、角川書店の井上伸一郎社長が来年の東京アニメフェアへの出展取りやめを明言しましたが、本日、角川書店のほか講談社、小学館、秋田書店ら漫画出版社10社による団体「コミック10社会」は緊急声明を出し、東京国際アニメフェアへの参加拒否を表明しました。



 反対運動の前線では諦めることなく活動が続けられていることと思うが、本条例改正案が可決された場合にはまた異なる議論が必要となってくるだろう(あるいは今回否決されたとしても将来に向けた議論が必要となる)。そのような議論としては、都条例の改廃請求や都側の規制推進運動の公金支出を追及するといった案があるが、どこまで有効な手段といえるのか。また、憲法訴訟を通して本条例の内容や適用の違憲性違法性を争うというのも、現段階では極めて厳しいのではないか。

 ここは迂遠ではあるが、表現の自由のあり方について根本から問い直す国民的議論をすることが必要なのではないか。

***
法政大学准教授(知的財産権法・情報法専攻)の提案

ロージナ茶会ちゃんねる 猥褻規制と憲法との関係をもう一度 前編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10637547
ロージナ茶会ちゃんねる 猥褻規制と憲法との関係をもう一度 後編
http://www.nicovideo.jp/watch/sm10645407

 これは英米法の審査基準を軸に議論を進めたものであり、2010年5月の段階の議論ではあるが参考にすべき点も多い(ニコニコ動画ユーザーのコメントは議論の内容とはほとんど無関係なものが多い)。以下、白田准教授の提案のみ掲載するが、そこに至るロジックを動画の方で確認して欲しい。

白田准教授の提案
1.性暴力表現・性犯罪容認表現は、厳格に禁止。
2.実在13歳未満を対象・目的とする性表現は、刑法の性的同意年齢以下なので、違法性暴力表現として禁止。
3.13歳以上を対象・目的とする青少年についての恋愛・性表現そのものについては規制の必要はない。
4.商業的言論、広告に該当する恋愛・性表現は、特定の許可された地域や手法を除いて禁止(ゾーニング規制)。
5.違法行為煽動表現、憎悪表現、挑発表現、危険表現は、18歳未満について、段階的制限(R-12,15,18)。
6.「非実在青少年」なる概念は過度に曖昧で表現規制に用いることはできない。

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題4

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題2

2010-12-08 14:16:54 | ニュース系
東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題1のつづき
 
 ここでは原理原則論に立ちつつも東浩紀氏の問題意識にも配慮し、将来に向けたざっくりとした考えを書いておく(ゆえに現在の判例通説等からは逸脱している)。

0.結論
①実在する児童のポルノは厳格に法規制する。製作販売頒布公然陳列販売目的所持単純所持の違法化。
②それ以外のワイセツ表現物一般について、法規制により徹底したゾーニングをする。
③13歳未満の児童にワイセツ表現物を販売しないように法規制する。
④それ以外は原則として自主規制にゆだねるが、現在以上にレイティング及びレイティング表示をより厳格にする。

1.前提となる憲法の議論
 憲法21条が規定する表現の自由は人間にとって極めて重要な自由である。そこには①言論活動によって民主制に資するという自己統治の価値のみならず、②個人が言論活動を通じて人格を発展させるという自己実現の価値がある。そして、個人がどのように人格を発展させるかは個人の自由に任せられるべき問題であり、少なくとも公権力がそれに介入するべき問題ではない。
 もちろん、表現は個人の内心にとどまるものではなく、外部へ公表するものであるから、他人の人権や自由と衝突する可能性がある。故に表現の自由は絶対無制約のものではなく、制約を受ける場合もある。しかし、それはあくまでも具体的な他者の権利や自由と衝突した場合及び衝突が差し迫っている場合に限定されるのが原則である。
 したがって、最高裁判例とは異なり、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」 は刑法や条例等によって保護すべきものとは考えない。それらは法による規制によってではなく、対抗言論によって維持されるべきものである。

 以下では、ワイセツ表現を、実在/非実在、児童/非児童という分類をして考えたいと思う。

2.実在ポルノ
(1)実在児童ポルノ
 児童の性的自由や人格、人権を守るため、実写のアダルトビデオや写真集の規制は必要である。水着や衣服を着用した状態でのいわゆる「着エロ」などにも極めて過激なものがあり、また、幼児や小学生なども被写体となっていることから、これを保護する必要がある。実在児童ポルノの法規制はこの観点から必要である。但し、単純所持は違法化しても罰則規定は設けるべきではない。

(2)実在非児童ポルノ
 1)児童でない者が被写体となるアダルトビデオ等については、それが個人の自由な意思に基づく出演であるかぎり法規制をするべきではない(刑法175条不要)。但し、往々にして女性という身体的弱者に対する強要・搾取がありうることから、有形無形の強要については厳しく望むべきである。
 その上で、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」をするべきであるという社会の言論を踏まえ、民間による自主規制として、従来の規制を継続するべきである。

 2)犯罪の結果得られた撮影物等をアダルトビデオとして販売することは当然禁止されるべきであり、また、演技であると表記しているものの実態として犯罪行為が行われている可能性があることを考慮し、犯罪行為らしきものが映っているものについては第三者機関による調査(場合によっては警察による捜査)を積極的に行う必要がある。
  しかし、完全なフィクションとしての犯罪描写については、それを法規制すべきではない。前述の山口弁護士が指摘している通りである。また、アダルトビデオ等の創作物がそれを見た者にいかなる悪影響を及ぼすか(犯罪へと走らせるか)は今なお明確な答えの出ていない問題であり、それを公権力側が立証できる程度に明らかにならない限りは認めるべきではない。
 この問題についても、民間の自主規制にまかせるべきである。

 ※なお、近親婚は婚姻障害自由であるからそのような結婚は禁止されているが、しかし、近親相姦それ自体はなんら違法ではないことは山口弁護士が指摘する通りである。
  そして、そのような「近親婚」というタブーも、その内容については人類普遍の原理があるわけではなく、社会や民族によって大きく異なるものであることに留意する必要がある。

3.非実在ポルノ
(1)非実在児童ポルノ
 これらに対して、「漫画、アニメーションその他の画像(実写を除く。)」による表現は法規制の対象とすべきではない(非実在児童ポルノ)。原則として児童の人権侵害等が観念できないからである。単純所持の違法化も不要である。
 なお、実在児童・青少年をモデルにし、本人を特定することができる程度に写実的な画像については例外的に規制の対象とすることも検討すべきであるが、その線引き問題は残る。
 この点、本都条例改正案が、最も法規制すべき実在児童ポルノを排除し、法規制すべきではない非実在児童ポルノを規制しようとする点は理解できない。

(2)非実在非児童ポルノ
 1)非実在の(児童ではない)ポルノは、更に法規制するべきではない。
 しかし、実在非児童ポルノと同様に、自主規制をするべきである。

 2)非実在のポルノについては、そこで犯罪が成立することはほとんどあり得ない。
 また、犯罪に相当する行為を描写することを法規制するべきではなく、自主規制に任せるべきことは実在ポルノと同様である。


4.ゾーニング及び販売・入手について、受手側から
(1)見たくないという成人保護(20歳以上)
 上述のように、「性生活に関する秩序及び健全な風俗の維持」などを目的とした法規制には反対である。
 しかし、 性的な表現物を見る自由がある一方で、性的な表現物を見ない自由もある。アダルトビデオやアダルトコミック等のパッケージなどを見ることにすら不快感を持つ人間が居ることを踏まえ、「見たくない人」を保護するための法規制、徹底的なゾーニングが必要不可欠であると考える。売り場を一般作品と分離した上、外部からは商品が見えないようにするべきである。

(2)未成年者の保護(18歳以上20歳未満)
 未成年者がわいせつ物を入手して見ることを未成年者の保護を理由に規制するべきではない。
 
(3)児童の保護
 1)13歳以上18歳未満
 児童ポルノに対してパターナリスティックな規制を設けることとのバランスをとるため、 児童(18歳未満)に対しては一定の規制を設けるべきである。しかし、人格に対するダメージや人権侵害の程度、可塑性が異なることから、緩やかな法規制に留まるべきであると考える。業界団体が自主規制を設けるべきことを努力目標として規定する程度が望ましく、少なくとも現行と同程度の法規制がその限界であると考える。

 2)児童(13歳未満) 
しかし、児童の中でも13歳未満はより保護の要請が強いと考える。13歳未満の児童に対する販売頒布等についてはより厳格な規制が必要である。
 そのため、徹底したゾーニングに加え、民間の自主規制としてより細やかなレイティングとレイティング認定ラベルの表示等が必要である。

***問題発言について
参照:石原都知事:同性愛者「気の毒」
   同性愛者について「テレビなんかでも同性愛者の連中が出てきて平気でやるでしょ。日本は野放図になり過ぎている」 「どこかやっぱり足りない感じがする。遺伝とかのせいでしょう。マイノリティーで気の毒ですよ」 http://mainichi.jp/select/seiji/news/20101208ddm041010103000c.html

 参照:猪瀬副知事「ネトウヨは夕張で雪かきしろ」 漫画規制の取材申し込みに条件
http://www.j-cast.com/2010/12/06082742.html?p=1

 前者の石原発言は同性愛者に対する差別的な発言であり、「日本は野放図になり過ぎている」 という発言は同性愛表現を規制したいという考えが顕れたものではないかとも言われている。(なお、私は差別表現についても自由とした上で対抗言論によって駆逐するのが原則だと考えている。)

 後者の猪瀬発言はそもそも趣旨が良く分からない。飲酒して酔った状態でのツイートだったとも言われている。私はそもそも「ネトウヨ」という表現は無意味であると考えているが、とりあえず「ネトウヨ」=「インターネット上において右翼的な言動をする人物」 だとしよう。しかし、公権力による表現規制に批判的であったのは元来左翼的な思想を有する側であったはずだし(戦前の弾圧の記憶がある)、なによりも、石原都知事自身がネット上では右翼的な文脈でたびたび礼賛される人物だったはずである。

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題3

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題1

2010-12-08 13:08:52 | ニュース系
 2010年2月以来、東京都青少年の健全な育成に関する条例(以下、都条例)改正案が「非実在青少年」 をキーワードとして論争を呼び、同年6月に否決されたことは記憶に新しい。この同改正案が少しばかりの修正を加えられて、同年11月に再び公開・提出された。

 この修正後改正案は、「非実在青少年」 というキーワードこそ削除されたものの、新たに「刑罰法規に触れる性交若しくは性交類似行為又は婚姻を禁止されている近親者間における性交若しくは性交類似行為を、不当に賛美し又は誇張するように、描写し又は表現すること 」を規制の対象とするなど(「非実在犯罪」などと呼ばれている )、多くの問題を抱えている。これには弁護士・法学者や漫画家・出版業界関係者などをはじめ、多くの一般市民からも強い反対意見が出されている。

 参照:日弁連会長声明
 参照:東京弁護士会会長声明
 参照:都青少年健全育成条例改正案:著名漫画家ら反対声明
 
 加えて、都条例の改正に積極的な石原慎太郎都知事や猪瀬直樹副知事らの発言の数々も議論を呼んでいる。しかし、都知事副知事の不適切発言問題は場外乱闘にすぎない。重要なのは、条例の中身(条文)であり、条例制定のプロセスであり、東京都の表現規制に対する根本的な態度の問題である。 

 条文については上記弁護士会の声明が問題点を指摘しているほか、以下のサイトでより踏み込んだ解説がある
 参照:弁護士山口貴士大いに語る
  
 また、条例制定プロセスについても同ブログが問題点を指摘している。
 参照:第156号議案「東京都青少年の健全な育成に関する条例の一部を改正する条例」提出に至る経緯の問題点


 もっとも、批評家の東浩紀氏などからは、規制反対派は原理原則論に固執するべきではなく、規制を推進する(あるいは支持する)一般大衆をどう説得するかという観点から戦略を見直すべきであるとの指摘がなされている。

@hazuma hiroki azuma
討論番組でもこのツイッターでも、ただ反対するだけじゃなくて、マンガ規制問題をきっかけに「どうやったら性的な虚構表現が溢れる社会をコントロールする か」についてみなで考えることが重要だ、というのがぼくの立場。でも規制反対運動のひとは、あまりそういう厄介なことには関心ないみたいだよね。
http://twitter.com/#!/hazuma/status/12222226170384385

@hazuma hiroki azuma
もともとぼくはこの問題については、1.世界的に児童性愛禁止の方向は動かない 2.日本の虚構表現には児童性愛に近似のものが数多くある 3.この矛盾をどう解決するか という観点にしか興味がないし、それこそが本質だと思っている。だから先日のニコ生でも児童ポルノの話しをした。
http://twitter.com/#!/hazuma/status/12227970865303553

@hazuma hiroki azuma
おれが言ってるのは、「立場を置き換えて考えてみろ、規制が必要だと思っているやつをそれで論破できるのか」って話ですよ。
http://twitter.com/#!/hazuma/status/12284631688679425

@hazuma hiroki azuma
でもその「先」になにも見えないんじゃ、同じこと(規制出現→反対運動)繰り返すだけなんじゃないの? おれはそれを指摘してるんだけど…… RT @GoITO だから、藤本由香里さんが「とにかく条文が問題」と繰り返し主張するのは正しい。

http://twitter.com/#!/hazuma/status/12280994782519296
 
 これをその他の発言とあわせて再構成すると、以下のような趣旨だと思われる。
①実写の児童ポルノ規制は世界の趨勢で日本も逆らえない、
②日本の虚構表現には児童ポルノ的なものが多いが、実写の児童ポルノの規制はやむ得ないとして、どうやって虚構表現を救うべきか、
③そのためには原理原則論ではなく虚構表現の(自主)規制についても前向きに議論する必要がある、
④そうでなければ規制推進派を説得できず、
⑤結局児童ポルノ規制の巻き添えで虚構表現の規制までされてしまうことになる。

 私は規制反対派の原理原則論が無意味だとは思わないが、同時に、この東氏の指摘には首肯すべきものがあるとも思う。規制反対派は今回の都条例改正案についてはきっちりと検証して論理的に批判しつつ、これからの日本においてあるべきワイセツ物規制の形を前向きに議論するという、二つの作業を同時にする必要があるだろう。

東京都青少年健全育成条例と表現の自由問題2

ライトノベルの表紙・イラスト議論リンク

2010-12-05 10:25:02 | 小説・本
1.書籍
・新城カズマ『ライトノベル「超」入門』
 1974年の宇宙戦艦ヤマト小説版以降、2006年までの流れを概観。

・一柳 廣孝・久米 依子編著 『ライトノベル研究序説』
 これも表紙イラストの歴史を概観。また、挿絵イラストについての論考も掲載。

・『このライトノベルがすごい!』各年度版
 近年人気のイラストレーターの情報、独自のランキング。

・『ライトノベル完全読本』1~3号
 グラフィックデザイナーへのインタビューなど。

 ※その他、イラストレイター向けの技術書など。

2.ブログ、webサイトなど
ライトノベル・ファンパーティー-ライトノベル・イラストの傾向(12月8日追加)
 各レーベルの膨大な作品からデータを取って分析されている。圧倒的。

REVの雑記-ライトノベルの表紙;白バック(白背景)・ピン立ちについて。 
 表題の議論について、多数のサイト等へのリンクがある。

モノクロサファイア-ライトノベルの表紙はなぜ見分けがつかないのか 
 ライトノベルの表紙についての全般的な議論、多数のサイト等へのリンク。
 「女の子一人の表紙」の割合などのデータ。

ARTIFACT@ハテナ系-オタクイラストの歴史(12月8日追加)
 イラスト(レーター)の変遷について

「90年代ラノベ」→「オーフェンと草河遊也」→「ラノベのジャンルと絵の変遷史」→「TRPG雑誌史」(イマココ)
 イラストの技法的な検討など

偏読日記@はてな-白背景+女の子」のライトノベル表紙ってAVのパッケージとそっくりだよね 
 隣接する他領域との比較

世界の中心でマイを叫んだけども-ライトノベルについて考察その1・まずは表紙から
 電撃文庫表紙についてのデータ。

うぱ日記-ラノベ表紙の工夫をまとめてみた
     -ラノベ帯のパターンを纏めてみた

今日もだらだら、読書日記。-遊び心溢れるラノベの装丁をまとめてみた。

StarChartLog-ライトノベル表紙の欧米版との比較をしてみる
 
3.ライトノベル表紙画像のまとめ(但し、18禁小説の表紙も混ざっているようです)
2011年2月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/e/a/ea6c8440.jpg(11年3月25日追加)
2011年1月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/5/e/5e819a00.jpg(11年3月25日追加)
2010年12月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/d/e/de9c59d3.jpg(11年1月2日追加)
2010年11月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/8/2/820dcab7.jpg
2010年10月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/a/3/a3082b98.jpg
2010年9月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/4/0/406bff38.jpg
2010年8月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/b/3/b39bd30e.jpg
2010年7月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/2/e/2e592d51.jpg
2010年6月版 http://livedoor.2.blogimg.jp/ponpera/imgs/4/9/49b3f63b.jpg
 最近のラノベ、どうしてこんなにダメになったの?15などより
 

『ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石』読了

2010-11-22 08:53:55 | 小説・本
河原温著『ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石』(中公新書)

ベルギーの地方都市、ブリュージュの歴史を纏めた一冊。
経済、政治、文化を多面的に描き出している。

また、著者自身、本書には以下のような狙いがあると書いている。
>この「北方のヴェネツィア」ともよばれる古都ブリュージュの魅力あふれる歴史的背景をたどり、
>今日のあるべき姿の一端をこの都市の現在に見出してみたいと思う。(プロローグ)

>本書の執筆において、私が意図したのは、このフランドルの歴史的都市のもつ魅力の源泉を、
>中世をさかのぼって探訪し、さらに現代都市の行く末を考える時の参照系としてもらうことであった。(あとがき)


私がこの本書の狙いをきちんと捕らえた読みを出来ているかはわからないが、
断片としてでも、多くの示唆を得ることができるのではないか。
ブリュージュが興隆した理由、衰退した理由、再度確かな地位を得るに至った理由。
それぞれを考えると、なるほど現代でも変らないものがそこにあるように思われる。

***
一つの国、一つの都市の歴史に焦点を当てた新書は数多くがあるが、
この『ブリュージュ―フランドルの輝ける宝石』は一つのモデルになるのではないかと思う。

冒頭のカラービジュアルは都市の色彩を鮮やかに伝えているし、本文中の図版も豊富。
新書という形態を踏まえた平明な文章で、限られた紙面の中でも要所要所では深く細かいところまで説明されている。
同時代人の言葉が挿入されているのも良い。
脚注は無いものの、本文だけでも完結して理解できる。
巻末には年表があり、各章ごとの参考文献もついている。
著者お勧めのベルギー料理やレストランが紹介されているのはご愛嬌。

索引はないが、目次が細かいので代替はできる。

***
気になった記述など。

・ブリュージュの規模、人口

13頁 1127年 70ヘクタールの広さを囲い込んだ市壁、6つの市門
    人口8000~10000人

70頁 13世紀末の市壁 431ヘクタール、9つの市門
83頁 14世紀後半 人口4万6千人
149頁 1477年 人口42000人
189頁 16世紀半ば ブリュージュ人口3万人 
203頁 17世紀終わり 4万人
208頁 1840年 5万人
216頁 現在 12万人


・高利貸し、質屋の金利 47頁以下

14世紀初頭の都市の法令 ブリュージュの「ロンバルディア」人高利貸し 年率43.3%を超えてはならない。

デ・ロエリオ家がとった金利 年利15~20%

15世紀 高利貸しの公定利率 32%超
16世紀後半 同上 21.7%
17世紀前半 同上 10.8%


・14世紀末ブリュージュの納税者 86頁
課税対象 3651世帯
3デナリ以下 3036世帯(83%)
3~7デナリ  509世帯(14%)
7デナリ以上 106世帯(3%)

***
中公新書に対する「内容が専門的過ぎる」という旨の批判や、
学研歴史群像のムックに対する「ビジュアルが多すぎる」という旨の批判等を見かけることがある。
求めるものとレーベル・シリーズとのミスマッチが起きているのではないか。
現物とはいかないまでも、せめて同レーベル・シリーズの本を買う前に見てその方向性を把握しておいたほうがいいのでは……

「貧乏貴族と金持貴族」読了

2010-11-04 16:07:06 | 小説・本
マイケル・L. ブッシュ (著)永井三明(監訳), 和栗珠里(訳), 和栗了(訳)『貧乏貴族と金持貴族』

ヨーロッパの貴族社会には均質性と結合性があった。
(略)
しかしながら、この結合性と均質性は往々にして表面的なものであって、実際には、貴族階級は多様でばらばらであった。

貧困貴族は、貴族が没落した結果や、土地所有者を周期的に悩ませた経済危機の産物であるというよりもむしろ、恒常的な存在であることの方が多かった。

貴族階級に新しく加わる者は多く、去る者は少なかったため、諸特権を共有する貴族階級の仲にはあらゆる職業が見出され、財産も家柄も千差万別だったのである。



第1章から「貴族の多様性」という章題であり、上記のような内容の記述がならび、我々が持つ<一様に裕福で優雅な貴族階級>というイメージは否定される。<没落貴族の悲哀>の希少価値も下がるというものだ。

「均質的な外見とは裏腹に貴族階級がいかに多様で不均質であったか、ということが本書を貫くテーマであり、著者は、貴族階級に対して抱かれがちな紋切型のイメージに激しい揺さぶりをかける。」という訳者の言葉そのままだ。

この主題がおもしろいのは当然だが、検証のための各種データも豊富で、そのデータ自体も大変興味深い。

本書は、約300ページという分量の割には4000円もするので、なかなか手を出しづらい本ではないかと思う。ただ、この分野の本は少なく、他の本も基本的に高いのであきらめるしかない。

プラス要素
・訳注もあり、一部省略されているものの原注もある。
・参考文献も省略されておらず、また、邦訳参考文献も掲載されている。
・索引が充実しており、原語の綴りも併記されている。

*** 気になった記述など
第2章 貴族社会の規模 貴族の人口密度の違い
・大規模
 ポーランド(16世紀) 全人口の6~8%が貴族。
      (18世紀) 8~10%

 スペイン(1700年) 12~13%  
     (1797年) 14%

・小規模
 デンマーク(1660年) 0.4%
      (1720年) 0.2%

・一つの国の中でも、貴族人口には極端な多様性があった
 スペイン
 ブルゴスとレオンの周辺では、1591年に貴族は全人口の46.5%もおり、
 その数値は国の平均の四倍であった。
 カスティリャのガリシア地方とカスティリャ・ラ・ヌエバ地方(略)では貴族の人口が5%を超えることはなかった。

 フランスでは、ノルマンディー、ブルターニュ、アンジュー、パワトゥ、メーヌ、トゥルーズなどで貴族の人口密度は比較的高く、2~3%に達した。
 反対に、アルザスロレーヌ、フランシュコンテ、ベリー、ニヴェルネ、シャンパーニュ、ドーフィネ、そして17世紀後半頃のプロヴァンスでは、貴族の人口は全人口の1%未満を示していた。


第3章 貴族社会の構造 定式化されない格差
・ロシア
 1834年に500人以上の男性農奴を所有していた貴族は、農奴を所有する貴族全体の3%にすぎなかった。
 一方、100人程度の男性農奴しか持たない貴族は84%にものぼった。
 5万7500家族は20人以下の男性農奴しか持たなかった

第6章 居住習慣
11、12世紀 3000~4000もの都市から成るネットワークがヨーロッパに出現。
1300年 500の都市が人口5000人以上の規模
      125の都市は1万人以上の人口
      4の都市は10万人を越える。(パリ、ナポリ、ヴェネツィア、パレルモ)

イギリスの貴族について>>小林章夫「イギリス貴族」読了

津田氏「ニコ生の出演料はテレビより高い」

2010-11-04 14:12:04 | ニコニコ動画・ネットとか
津田大介さんが出演された「UstToday vol.27」が大変興味深い内容でした。
>津田氏「テレビは制作費が削られ、厳しい状況になってきている。一方でニコニコ生放送は制作費
>をしっかりかけており、放送作家や出演者など、テレビ業界で活躍している人材が流れこんできている」
>「テレビに出るのもニコ生もギャラはそんなに変わらない。場合によってはニコ生の方が高いこともある」
>「ニコ生の出演料はテレビより高い」
津田氏「ニコ生の出演料はテレビより高い」

確かに、地上派で放送していてもおかしくない出演者陣・内容の番組も増えてきました。田原総一朗司会の討論番組あり、遠藤章造さんや陣内智則さんが出演するバラエティ番組ありと。最近では、読者モデルや湘南乃風を起用した番組も放送されているようです。ニコニコ動画・生放送のサービス開始当初には全く想像できなかったラインナップです。

他にも、
・政治方面では小沢一郎さんのネット会見を放送して注目を集める。
・かつては違法コンテンツにただ乗りしていたニコニコが、アニメを公式に配信・放送する。
・宇野常寛さん主催の「PLANETS」や荻上チキさんらが関わる「シドノス」が月1回のレギュラー番組を持つ
・中森明夫さん高橋源一郎さんのトークショーや、宮台真司東浩紀対談が中継される。

などなど。
個人的には、下二つのような方面の番組がうれしいですね。

「小沢一郎ネット会見」 新聞・テレビはどう伝えたか
「これからはみんなで正史を作っていけばいい」宇野常寛が語る未来のガンダム
食料自給率の大ウソを暴く!ニコ生シドノス「大丈夫か!?日本の食と農」

***
以下、この記事には掲載されていない部分を一部文字起こし。

・31分~ ニコニコ生放送で月1放送している「ネットの羅針盤」について 
津田
インターネット界隈の、NHKでの「視点論点」のような、専門性が高くなってしまうネットの問題に対してちゃんと解説する番組が欲しいと思った。じゃあ、「MIAU」で継続的に追いかけている問題もたくさんあるので、それをゲストなんかを招きながら、ちゃんとその背景にどういうことがあるのかを議論する番組を作りたい。

かつ、ニコ生さんはちゃんとギャラとか制作費も払ってもらえるので、で、僕らも僕らで「MIAU」という活動は完全ボランティアでやっているので、ある種収入源も欲しいというところで、ドワンゴさんにこういう公式番組をつくりたいんだけどとお願いしたら、わかりましたっていって、制作費をいただいて作ることができている。

ちゃんとコンテンツ、ネットならではのテレビでは見られないコンテンツを作りますということに対して、コンテンツに対してちゃんと金を払いましょうと。結構いまインターネットの企業って、どことは言わないが、金を払わない。

良いコンテンツを作ってがんばっているのにそれにたいして金を払わないで、ただで、トラフィックあげるからいいんじゃんみたいな感じで、お金を払わない企業が多すぎる。ミクシィとか。ミクシィとか。ミクシィとか。そういうのが僕はすごくイヤで、コンテンツを作る側に対して、作ったものに対してちゃんと制作費もはらいます、それでお互い幸せになりましょうという風になってほしい。そういう意味でドワンゴさんには感謝している。

司会
ドワンゴさん、話によると月に一億円以上生放送の公式にかけているというお話も。


・46分~ ニコ生番組の二つのとらえ方
津田
 (テレビは)地方局ですら一回電波に流してやれば数万人が同時にみているわけで、どんなにくだらない番組でも誰かが見ているというメディアと、USTっていうのは見たいと思った人が意識的に見に来ているメディアという意味で、全然違う。

 (UstTodayの視聴者数である)700という数字をどう捉えるかというかで、テレビの価値観で考えればすごく低い数字で、影響力なんて持たないということになると思うんですけど、そうじゃなくて、USTやニコナマって、ある種講演会とかイベントの拡張なんじゃないかという、そっちの捉え方を最近はしている。 

普通に個人がこれについて語るトークをやりたいといって場所を借りる、50人入る場所を借りるのもまず大変だし、そこで50人埋めるというのも大変なわけです。でも、それが普通に今USTでやれば50人とか100人とか平気で入ってくるわけです。
 
だから今、僕と三上さんが話している内容を700人の会場を借りてやるとしたら相当リスキー。まず700人入るかも分からない。でも、トークイベント見たなものがすごく拡張されて、700人が見ていると考えるとこれは結構すごいこと。

あくまでイベント空間の拡張としてのUST・ニコ生という風に、ユーザーがやる場合はそう考えると、ものすごいメディアになるんじゃないか。あとはそこから先は、これに対して良かった人がお金を払える送金のプラットフォームとかが入ってくるだけで相当かわってくる。

ある意味で言うと、ニコ生は両方やっている。
 (略)
テレビのオマージュ、テレビが今つまらなくなっているときに、本当に見たいテレビってこうだよねという方法論でつくる番組・UST番組と、そうではなくて、日常的なイベントとかトーク見たいなものを拡張するものとしてのニコ生・USTの両面があって、両方の質と量が充実してくることによって、初めて動画ライブメディアというものが一段上のレベルにいけるという気がしている。

***
ニコニコ動画/広告媒体資料のご案内/10年7~9月
企業がニコニコ生放送を広報に使う場合の料金体系など。

朝まで生テレビ:東浩紀退場劇

2010-07-26 19:11:16 | その他・趣味
遅ればせながら、先日放送の「朝まで生テレビ 激論!若者不幸社会」の感想でも。
(うろ覚えなので正確ではないと思いますが)

議論の出発点となったのは、レスター大学による幸福度調査。日本は90位。
幸福度を測る要素としては、
1.家族関係   
2.家計の状況  
3.雇用状況  
4.コミュニティと友人  
5.健康 
6.個人の自由  
7.個人の価値観
などがあるらしい。http://keddie.cocolog-nifty.com/sunny/2010/04/post-4316.html

番組の前半は、主に経済的側面の議論。
景気の低迷、充分に働くことができないこと、家計などを問題視。

これに対して、東さんが「つまらない。そういうことは前提で、その先の話をしたい」旨の発言。
これをうけて、堀紘一さんが「人のことを批判する前に話せ」と返し、エスカレート。
堀紘一さんの「じゃあ帰れよ」発言を受けて、東浩紀さんがあっさり退場という流れ。
(東さんのツイートを見るに、youtubeに退場シーンの抜粋があるようです)

おそらく、最初の東さんの発言は、去年と同様、意図的なパフォーマンスでしょう。
そして、あっさり退場したことも、(ブロックを多用する等の)ツイッター上での東さんの振る舞いからすると、
その延長線上にあり、想定の範囲内というところではないでしょうか。

***
東浩紀さん自身も、ツイッターで朝生について少し言及されている。
http://twilog.org/hazuma

>ぼくが言いたいのは、国家百年の計には文化論とか社会論「も」必要でしょう、
>財政の技術論「だけ」するのはやめようと、という当たり前の話ですよ。

http://twitter.com/hazuma/status/19534925088

これは幸福度を測る要素に何があるかを見れば分かるように、ごく当然の話。
「4.コミュニティと友人」や「7.個人の価値観」にも関わってくるでしょう。

また、福嶋麻衣子さんが村社会を肯定的に捉えなおす趣旨の発言をされていたと思うが、
これも「4.コミュニティと友人」に関わるものであり、当然出てくるべき話でしょう。

***
個人的には、番組最後の、猪子寿之さんの発言が端的で良かったように思う。

私なりに理解するところでは……

古い世代は、日本経済が右肩上がりだった時代の枠組みで「2.家計の状況」や「3.雇用状況」を重視して「幸福」を考えている。しかし、今後経済的に上を向くことが極めて困難な日本では、技術的な操作を試みたところで状況が大きく改善することはないし、人々が「幸福」だと感じるようになることもない。
その枠組み自体が失効しつつある。

ならば、経済が停滞することを前提に、「4.コミュニティと友人」や「7.個人の価値観」を重視する新しい時代の枠組みで、別の方向から人々の「幸福」を増大させることが必要なのではないか。

失効しつつある古い枠組みを新しい世代に押し付けるべきではない。

というところでしょうか……?

***参考
[社会]ブロードバンドの通信速度にいまさら感動したりしないように、現代の若者にとって「経済的豊かさ」と「幸せ/不幸」はあんまり関係がない(朝生感想)

小林章夫「イギリス貴族」読了

2010-07-15 16:37:55 | 小説・本
小林章夫「イギリス貴族」(講談社現代新書、1991年)読了。

目次
プロローグ 大英帝国の先頭に立つ者
第1章 貴族は稀族
第2章 貴族の豊かな生活
第3章 貴族の教育
第4章 ノブレス・オブリージュ
第5章 金と暇が生み出したもの
第6章 貴族の生き残り作戦
エピローグ されど、貴族

イギリス貴族の生活をいろんな局面で切り取ったもの。
中世というよりも、近~現代の貴族がメイン。
プレップスクール・パブリックスクールでの教育や、
スポーツと貴族とのかかわり、現代貴族の生計などが取り上げられているのも興味深い。

文章も、エッセー風の軽妙な語り口で、きわめて読みやすい。

また、専門書ほどの深みにはあえて入らないようにされているものの、資料や文献からの引用も多く、
巻末参考文献もコメントつきで、読書案内としても使えそうだ。

***
興味深い記述など。

・24頁 貴族の人数
 17世紀初め 約60人
 17世紀末  170人
 19世紀   300人~400人
 1987年   王族公爵5人、公爵26人、侯爵36人、伯爵192人、子爵126人、男爵482人、女伯爵5人、女男爵13人
       →885人(「英国を知る辞典」からの引用)
 
・34頁 イングランドとウェールズにおける土地所有(1870年代)
 400人の貴族が全所有地の17%にあたる572万8979エーカーを所有。(1エーカーは約1200坪)
 3000エーカー以上の地主が1288人いて、全所有地の25%所有。
 1000エーカー以上3000エーカー以下の地主が2529人いて、全所有地の約13%所有。
 →全土地所有者数のうち0.44%の人間が、全所有地の約55%を所有。

・46頁 使用人の数
 中世後半期において貴族や高位聖職者の世帯の人数は通常、100人から200人の間であった。
 使用人の大部分が男だった。(中世のノーサンバランド伯爵家では、男女の比率が166対9)

ヨーロッパ全体の貴族社会について>>「貧乏貴族と金持貴族」読了