お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

終電前、帰宅中。

2009年04月21日 | エッセイ・日記・意見
レギュラー番組の収録を終え、一旦会社に戻り、明日の取材用に資料を新聞社に発送。メールチェックをし、メールの幾つかには返事を書き、明日の仕事のスケジュールを確認。携帯からも仕事のメールを送り、現在、新宿で京王線ホームへと向かっている。笹塚行が来た。この時間なのに、電車は混んでるなぁー。流石、不況。心身共に疲れた1日だった。
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終電前、帰宅中。

2009年04月21日 | エッセイ・日記・意見
レギュラー番組の収録を終え、一旦会社に戻り、明日の取材用に資料を新聞社に発送。メールチェックをし、メールの幾つかには返事を書き、明日の仕事のスケジュールを確認。携帯からも仕事のメールを送り、現在、新宿で京王線ホームへと向かっている。笹塚行が来た。この時間なのに、電車は混んでるなぁー。流石、不況。心身共に疲れた1日だった。
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ABBA Japan 1978 \

2009年04月21日 | 歌・CD
ABBA Japan 1978 \"Dancing Queen\" another BETA アバ ダンシングクィーン


昭和の楽しさ・・・

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Top Of The World

2009年04月21日 | 歌・CD
Top Of The World


カーペンターズが僕らの世代の音楽観を換えたと思う。
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耳をすませば 地球屋での「カントリーロード」

2009年04月21日 | 映画・DVD・ビデオ
耳をすませば 地球屋での「カントリーロード」


近藤喜文監督のこの作品・・・ジブリの中でも好き。優しさが溢れている。
耳をすませば [DVD]

ブエナ・ビスタ・ホーム・エンターテイメント

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近藤 喜文(こんどう よしふみ、1950年3月31日 - 1998年1月21日)は、新潟県五泉市出身のアニメーター、アニメーション監督。キャラクターデザイナー。


概要
1970年代半ば以降の宮崎駿と高畑勲の作品を作画面で支えた。

高畑が『火垂るの墓』、宮崎が『となりのトトロ』と、長編映画を同時に製作した時期は2人の間で近藤の争奪戦が起こった。高畑は「他は何もいらないから近ちゃんだけ欲しい」、宮崎は「近ちゃんが入ってくれないなら僕も降板する」と言ったという逸話が残っている(結局、宮崎は自分で絵が書けるからという鈴木プロデューサーの助言で、近藤は『火垂るの墓』の製作にたずさわった)。米をよそう際、手首に付着した米粒を舐め食べる動作、など高畑アニメが追究する実にリアルな描写の実現は、近藤の強く鋭い感受性あって初めて可能なものだった。

スタジオジブリでは『耳をすませば』の監督を任される(当時から監督を希望していた為、宮崎が企画を持ってきた)など、宮崎駿・高畑勲の後継者として将来を期待されていたが、1998年1月21日に解離性大動脈瘤のため47歳の若さで死去した。葬儀の出棺の際に『耳をすませば』の主題歌である「カントリーロード」が流された。今なお、彼の死を惜しむ声は多い。一人息子がいる。


近藤の死によって、スタジオジブリは実質的な後継者を失い、今もなお後継者の選定・育成に苦悩し、結論を得られないままでいる。


金曜ロードショーの新オープニングの作画・演出を担当した。好きな漫画家に高野文子、画家にはノーマン・ロックウェルなどを挙げている。


略歴
1950年3月31日、新潟県五泉市で生まれる。
1965年4月、新潟県立村松高等学校入学。美術部に所属。先輩には漫画家の柳沢きみおがいた。
1968年4月、高校を卒業して上京。東京デザインカレッジ・アニメーション科に入学。
1968年10月1日、大塚康生に懇願し、Aプロダクション(現シンエイ動画)に入社。『巨人の星』、『ルパン三世』などに参加。
1978年6月20日、日本アニメーションに移籍。『未来少年コナン』、『赤毛のアン』などに参加。
1978年、新人養成テキストブック「アニメーションの本」を共著で出版。
1980年12月16日、テレコム・アニメーションフィルムに移籍。『名探偵ホームズ』のキャラクターデザインなどを担当。
1984年9月、劇場アニメ『リトル・ニモ』のパイロット・フィルムを友永和秀と共同で監督。12月に完成。
1985年3月16日、テレコム・アニメーションフィルムを退社。6月から8月まで自然気胸で入院。
1986年1月、日本アニメーションの契約社員になる。
1987年1月、スタジオジブリに移籍。
1995年、『耳をすませば』で映画監督デビュー。(※結果的に生涯唯一の監督作となる)
1998年1月21日、大動脈解離のため死去。享年47。

主な作品
巨人の星(1968年) 動画・原画
ルパン三世(1971年) オープニング原画・原画
ど根性ガエル(1972年) 原画・作画監督
パンダコパンダ(1972年) 原画
パンダコパンダ 雨ふりサーカスの巻(1973年) 原画
ガンバの冒険(1975年) 原画
未来少年コナン (1978年) 原画
赤毛のアン(1979年) 原画・作画監督・キャラクターデザイン
トム・ソーヤーの冒険 (1980年) 原画・作画監督
名探偵ホームズ (1985年) 作画監督・キャラクターデザイン
愛少女ポリアンナ物語(1986年) 原画
愛の若草物語 (1987年) キャラクターデザイン
火垂るの墓 (1988年) 作画監督 ・キャラクターデザイン
魔女の宅急便(1989年) 作画監督
おもひでぽろぽろ (1991年) 作画監督・キャラクターデザイン
紅の豚 (1992年) 原画
そらいろのたね (1992年) 監督
海がきこえる (1993年) 原画
平成狸合戦ぽんぽこ (1994年) 原画
耳をすませば (1995年) 監督
もののけ姫 (1997年) 作画監督

その他
金曜ロードショー (1997年4月4日~) オープニング映像 作画・演出

画集
「ふとふり返ると・近藤喜文画文集」(ISBN 4198608326)

ふとふり返ると―近藤喜文画文集
近藤 喜文
徳間書店

このアイテムの詳細を見る

内容(「BOOK」データベースより)
「火垂るの墓」「おもひでぽろぽろ」キャラクターデザイン・作画監督、「耳をすませば」監督、「もののけ姫」作画監督等、スタジオジブリの名作の数々を支え続けた動画(アニメーション)の詩人、近藤喜文。わずか47歳で世を去った彼が、5年の歳月の間に描きとめた、子供たち、そして人々の光あふれる瞬間。

内容(「MARC」データベースより)
高畑勲監督、宮崎駿監督の作品を支えたアニメーター・近藤喜文の心温まるスケッチ集。色鉛筆で、生き生きと温かく描かれた人々、スケッチに添えられた著者のコメントが、現代人が忘れてしまった何かを思い起こさせる。
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【完全版】歌は心/スーザン・ボイル──Susan Boyle(日本語字幕)

2009年04月21日 | 歌・CD
【完全版】歌は心/スーザン・ボイル──Susan Boyle(日本語字幕)


大歓声! 47歳のスーザン.ボイル (日本語字幕つき) I Dreamed a Dream~Susan Boyle




スゴイ歌手がまた出て来た。
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KAT-TUN田中 仕事人新レギュラー

2009年04月21日 | テレビ番組
 KAT-TUNの田中聖(23)が、テレビ朝日・ABC系の人気時代劇「必殺仕事人2009」(金曜、後9・00)の新レギュラーに起用されたことが19日、分かった。「仕立て屋の匳(れん)」として、24日放送分から登場する。時代劇らしからぬ、奇抜なド派手ファッションに身を包んだ仕事人のニューフェースが、“先輩”の東山紀之(42)、TOKIO・松岡昌宏(32)とともに悪を討つ!!

  ◇  ◇

 江戸の町にはびこる悪を成敗する仕事人に、頼もしい仲間が加わった。威圧感のある丸刈り頭に、両耳には黒いイヤリング、手首と足首にはジャラジャラとしたアクセサリー…。奇抜なスタイルは、田中自身がスタッフと意見を交わし合って決めた。時代劇ヒーローの概念を打ち破るようないでたちに“田中匳”は「斬新だなとは思いますが、匳としていい形になりました」と満足げ。

 人気シリーズ「必殺仕事人」は、連続ドラマとして17年ぶりに復活した「-2009」が、今年1月にスタート。おなじみの中村主水(もんど)を演じる藤田まこと(76)に、東山&松岡&関ジャニ8・大倉忠義(23)のジャニーズ軍団がメーンキャストに加わったが、今月10日の放送で大倉が“殉職”。そこで、田中が新たにレギュラー出演することになった。

 後輩仕事人の個性豊かなファッションを、東山は「ルックスから、毒グモみたいですごいなと感心してます。いいキャラを作ってくれた。反骨心が出ている」と高評価。松岡も「こんなにボーズが似合うヤツも珍しい!!」と絶賛した。

 田中は「仕立て屋」という役柄だけに、悪人と対峙(たいじ)したとき、手にする武器は赤い仕付け糸で「殺し方はいくらでもあると思う。匳らしさを忘れずにキレイに殺せれば」と不敵な笑み。田中流の“やり方”で、課せられた仕事をこなしていく。
(ディリースポーツより引用)


時代劇の撮影はこれから暑くなるだろうなぁ。京都の夏の暑さは凄いから。
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デヴィ夫人、右翼とトラブル 街宣車に植木鉢投げる

2009年04月21日 | エッセイ・日記・意見
 故スカルノ元インドネシア大統領夫人でタレントのデヴィ・スカルノさん(69)の東京都渋谷区神山町の自宅前で19日午前9時半ごろ、街宣車で乗り付けた右翼団体の男性とデヴィさんが口論となるなどの騒動があった。渋谷署は、街宣車の一部やデヴィさんのカメラが壊れたとして、双方から器物損壊の疑いで事情を聴いている。

 同署によると、右翼団体が北朝鮮のミサイル発射問題を巡るデヴィさんの発言に対して抗議活動をしたところ、デヴィさんは街宣車に向かって自宅2階から植木鉢を投げたという。その後、男性とデヴィさんが路上で口論になり、男性はデヴィさんのカメラを壊したとしている。

 デヴィさんは自身のブログで、5日の北朝鮮によるミサイル発射実験は「人工衛星だ」などと主張。10日に北朝鮮を訪問すると記していた。
(朝日新聞より引用)



かつて、ある事情があって、デヴィ夫人にホテルの部屋に引き込まれそうになった事がある。必死で逃げた。仕事で話をしに行ったのに、仰天した。
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