お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

荒木 絵里香

2007年10月23日 | 携帯電話・電話
荒木 絵里香(あらき えりか、1984年8月3日 - )は、日本のバレーボール選手。岡山県倉敷市出身。ニックネームはエリカ。プレミアリーグ・東レ・アローズ所属。血液型O型。

来歴
父親は早稲田大学ラグビー部のOB、母親は体育教員といういわゆる体育会系の一家に生まれ育った。幼いころから、水泳クラブや陸上クラブに通い、体育は得意であった。小学校5年の時にバレーボールを始める。中学時代にはアクエリアス杯の選抜メンバー、オリンピック有望選手に選出され、成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では、大山加奈らと共に、春高バレー・インターハイ・国体優勝の高校3冠を経験した。

2003年、東レ・アローズに入団。入団1年目の第10回Vリーグでは、アタック決定率2位に入りベスト6を受賞した。2004年、全日本初選出。同年アテネオリンピック・世界最終予選前に召集されたが、大会直前に出場メンバーから外されてしまった。

2005年バレーボール・ワールドグランプリで全日本代表デビューを果たすが、ワンポイントブロッカーとしての出場にとどまった。2006年ワールドグランプリで初のスタメン出場し活躍を見せ、レギュラーポジションを獲得。同年開催の世界選手権に出場した。


人物・エピソード
キャッチコピー
世界をぶちぬく鉄腕エリカ
ファイティング・エリカ(2006世界選手権)
トレーニングの成果で減量してから、以前よりキレのある動きでプレーの幅が広くなった。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
倉敷北中→成徳学園高等学校(現・下北沢成徳高等学校)→東レ・アローズ(2003年-)
全日本代表 - 2004-2007年
全日本代表としての主な国際大会出場歴
世界選手権 - 2006年
受賞歴
2004年 - 第10回Vリーグ ベスト6
2006年 - 第12回Vリーグ ベスト6



あのスパイクを決めた時のガッツポーズは「大山加奈」の専売特許だったのに。でも、彼女は努力して、レギュラーの位置を勝ち取ったのだから、素晴らしい。「ケガをしない」のも一つの才能だと思う。
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庄司 夕起

2007年10月23日 | 健康・スポーツ
庄司 夕起(しょうじ ゆき、1981年11月19日 - )は、日本のバレーボール選手。コートネームはユウ。プレミアリーグ・パイオニアレッドウイングスに所属。

プロフィール
北海道赤平市出身
身長:182cm 体重:66kg 血液型:A型 右利き
最高到達点:311cm 
ポジション:センター

来歴
小学校時代はソフトボールをしており、中学1年生からバレーボールを始める。1997年、妹背牛商業高校に進学。1998年には同校の9年ぶりとなる春高バレー出場と3年連続インターハイ出場に貢献した。1999年の春高バレー北北海道予選では、準決勝の釧路北陽高校戦で右足半月板とじん帯損傷の重傷を負い、決勝で旭川実業高校に敗れ全国大会に出場することはできなかった。

2000年、東北パイオニアに入団。2006-07プレミアリーグでレギュラーを獲得。

2007年、全日本に初選出。同年開催のワールドグランプリで代表スタメンデビューを果たした。


人物・エピソード
キャッチコピー
ニッポンの超新星。(2007年ワールドグランプリ)
吉原知子は高校の先輩であり、引退までチームメイトでもあった。
全日本代表デビューした年に、母校は生徒数減少により新規の募集停止となった。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
赤平中→妹背牛商業高等学校→パイオニアレッドウィングス(2000年-)
全日本代表 - 2007年



新しい力が「全日本」に。今が勝負時。庄司ガンバレ!
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大山 加奈

2007年10月23日 | 健康・スポーツ
大山 加奈(おおやま かな、1984年6月19日 - )は、日本のバレーボール選手。 東京都江戸川区出身。ニックネームはカナ、パワフル・カナ。プレミアリーグ・東レ・アローズ所属。血液型O型。

来歴
小学校2年生よりバレーボールを始め、6年生時で身長は175cmあり、全日本バレーボール小学生大会(ライオンカップ)で全国制覇を成し遂げた事によって、バレーの金の卵と注目される存在になった。成徳学園中学に進学後、1999年さわやか杯で優勝。

成徳学園高校(現・下北沢成徳高校)では、3年生時主将として、インターハイ・国体・春高バレーの3冠を達成し、小中高全ての年代で全国制覇を経験した。2002年世界選手権と釜山アジア大会では、ただ1人の高校生プレーヤーとして、全日本代表チームに選出された。

2003年、東レ・アローズに入団。同年開催のワールドカップで、栗原恵と共に「19才コンビ」として注目され、大活躍を果たす。恵まれた体格と力強いスパイクを武器に、新時代の大砲として注目された。また第10回Vリーグでは新人賞を獲得した。 2004年、アテネオリンピック出場。

2005年、持病である腰痛治療に専念するため、ワールドグランプリ2005を欠場したが、同年11月開催のグラチャンで、全日本代表チームに復帰。2006年、ワールドグランプリ2006に出場したが、同年9月より右肩関節不安定症のため長期離脱し、世界選手権の出場は果たせなかった。

2007年、2006-07プレミアリーグ終盤に試合復帰し、2007年度全日本代表候補選手に登録された。


 人物・エピソード
小学生の頃から圧倒的な高さとパワーを誇っていたので、守備は免除されていた。そのため守備には難がある。
小学生時代は、喘息の発作に襲われる日々であったが、ハンデをバレーボールに打ち込むことで克服した。
東レの同期には、荒木絵里香がおり、実妹の大山未希も同チームに所属している。
アテネオリンピック・世界最終予選からは、サービスミス防止と腰痛の軽減のため、スパイクサーブ(ジャンプサーブ)からフローターサーブに変更している。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
篠崎第五小→成徳学園中→成徳学園高等学校(現・下北沢成徳高等学校)→東レ・アローズ(2003年-)
全日本代表 - 2002-2007年
全日本代表としての主な国際大会出場歴
オリンピック - 2004年
世界選手権 - 2002年
ワールドカップ - 2003年
受賞歴
2004年 - 第10回Vリーグ 新人賞



やっと、僕が大好きな大山加奈が「全日本の合宿」に合流した。ワールドカップが楽しみ楽しみ。
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佐野 優子

2007年10月23日 | 健康・スポーツ
佐野 優子(さの ゆうこ、1979年7月26日 - )は、日本のバレーボール選手。ニックネームはリョウ(タレントの佐野量子から)。プレミアリーグ・久光製薬スプリングスに所属。

プロフィール
大阪府高槻市出身
身長:158cm 体重:54kg 血液型:A型 右利き
最高到達点:260cm ブロック到達点:250cm
ポジション:リベロ

来歴
小学校4年生の時バレーボールを始め、1991年全日本バレーボール小学生大会に出場。中学時代には、さわやか杯に出場。京都府立北嵯峨高校では、インターハイに出場し3位・優秀選手に輝く。

1998年、ユニチカに入社。2000年、ユニチカの廃部でチームごと東レに移籍。2002年、全日本代表初選出。同年世界選手権に出場。2002-03年第9回Vリーグでサーブレシーブ賞、ベストリベロ賞を受賞し中心選手として活躍していたが、2003年8月、移籍同意書が得られないまま東レを退社。規定で移籍してもリーグ戦に出場できない状態となり、同年11月のワールドカップにはJVA所属として出場した。

2004年アテネオリンピック・世界最終予選直前には代表メンバーから外れ、アテネオリンピックに出場できなかった。2004年5月、フランスリーグ・RCカンヌに入団。2シーズン在籍し、欧州チャンピオンズリーグ・ベストリベロ賞を受賞した。2006年6月、久光製薬スプリングスに入団。2007年、2006-07プレミアリーグで久光のリーグ優勝に貢献し、ベストリベロ賞を受賞。


人物・エピソード
2003年ワールドカップでは、セッター竹下佳江とともに『バレー界のミニモニコンビ』と言われた。
RCカンヌは入団当時、チームユニフォームはバレーブルマーだったため、日本唯一の着用選手となった。
久光入団時、登録名を佐野 由宇子にしていたが、2006年11月に本名に戻した。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
清水小→上牧中→京都府立北嵯峨高等学校→ユニチカ(1998-2000年)→東レ(2000-2003年)→RCカンヌ(2004-2006年)→久光製薬(2006年-)
全日本代表 - 2002-2003年、2007年
全日本代表としての主な国際大会出場歴
世界選手権 - 2002年
ワールドカップ - 2003年
受賞歴
2003年 - 第9回Vリーグ サーブレシーブ賞、ベストリベロ賞
2006年 - 欧州チャンピオンズリーグ ベストリベロ賞
2007年 - 2006-07プレミアリーグ ベストリベロ賞



凄いリベロが現われたと思った。菅山かおるが凄いと思っていたのが嘘の様だ。難しい球をレシーブし、ちゃんと竹下の定位置に返す・・・その能力は見えづらいかもしれないが、卓越している。拍手。
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栗原 恵

2007年10月23日 | 健康・スポーツ
栗原 恵(くりはら めぐみ、1984年7月31日 - )は、日本のバレーボール選手。広島県江田島市(旧佐伯郡能美町)出身。ニックネームはコウ、メグ。プレミアリーグ・パイオニアレッドウイングス所属。血液型B型。

来歴
小学校4年生からバレーボールを始める。中学2年生だった1998年6月、バレーが上手くなりたいという気持ちから兵庫県姫路市の大津中学校にバレー留学をする。高校は山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学し、1年生時にインターハイ・国体・春高バレー優勝の高校3冠を経験する。3年生時には全日本代表のメンバーに選ばれ、全日本合宿に参加した。

2003年、Vリーグ(プレミアリーグ)のNECレッドロケッツに入団。スパイクに磨きをかけ、同年開催のワールドカップでは、大山加奈と共に19才コンビと注目され大活躍。翌年のアテネ五輪に出場した。

アテネ五輪大会後、方向性の違いから2004年10月、NECレッドロケッツを退団。一時イタリア・セリエA移籍の噂もあったが、2004年11月、パイオニアレッドウイングスに入団した。

2004-05年第11回Vリーグは、『シーズン開幕後に移籍した選手はリーグ戦の参加を認めない』という大会規定から出場できなかったが、2005年5月開催の黒鷲旗大会で公式戦出場し、チーム優勝に貢献。大会後、当時のセリンジャー監督との対立により一時期チームから離れていたが、8月中旬にはチームに戻り、2005-06年第12回Vリーグは開幕戦から出場。パイオニア2季ぶりの優勝に大きく貢献し、最高殊勲選手・サーブ賞・ベスト6を獲得した。

2006年、全日本代表に選出されたが、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害と診断され離脱、約半年間のリハビリ生活を送った。


人物・エピソード
ニックネームのコウは、高橋みゆきに『最高を目指せ』という意味から命名された。
2004年アテネ五輪前にプリンセス・メグという愛称が定着。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
江田島市立鹿川小→江田島市立能美中→姫路市立大津中→三田尻女子高等学校(現・誠英高等学校)→NECレッドロケッツ(2003-2004年)→パイオニアレッドウイングス(2004年-)
全日本代表 - 2002-2004年、2006-2007年
全日本代表としての主な国際大会出場歴
オリンピック - 2004年
ワールドカップ - 2003年
受賞歴
2006年 - 第12回Vリーグ 最高殊勲選手賞、サーブ賞、ベスト6
2007年 - 2006-07プレミアリーグ サーブ賞、Vリーグ日本記録賞(サーブ部門)


血液型B型らしく、自分が納得しないと動かないし、納得すれば、どんな反対に遭おうと自分の意思を曲げない。アジア選手権辺りから、顔が優しくなってきた。「自信」の表れだろう。
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竹下 佳江

2007年10月23日 | 健康・スポーツ
竹下 佳江(たけした よしえ、1978年3月18日 - )は、日本のプロバレーボール選手。福岡県北九州市出身。ニックネームはテン。プレミアリーグ・JTマーヴェラスに所属。

 来歴
3歳年の離れた姉の影響で小学3年生よりバレーを始める。高校時代はチームでの全国大会の経験はないが、1995年、世界ユース選手権に出場し優勝を経験した。1996年、NECレッドロケッツに入団。1997年、全日本初代表選出。同年開催のグラチャンでは、正セッター大貫美奈子の控えとして出場した。

2000年度全日本代表では正セッターを務めたが、同年のシドニーオリンピック世界最終予選で敗退。日本女子バレー初となる五輪出場権を逃がしたことにより、責任追及の矛先として『セッターが159cmの身長では世界を相手に通用しない。』と、批判の矢面に立った。

2001年グラチャンに出場し銅メダルを獲得したものの、シドニーオリンピックの出場権を逃した責任を感じ続け、2002年4月、所属していたNECを退社し、一時期バレーボールから離れた。しかし、当時の一柳昇JT監督から、「一緒にVリーグ昇格、そして制覇という夢に挑戦してほしい。楽しいバレーをしよう。」と誘いを受けて、同年8月、当時、V1リーグ(現・チャレンジリーグ) のJTマーヴェラスで復帰。チームをVリーグ(現・プレミアリーグ)昇格に導いた。

2003年ワールドカップで最優秀敢闘賞受賞。翌2004年、念願のアテネオリンピックに出場し、5位入賞を果たす。

2004年5月20日、JTと現役日本人女子選手唯一(当時)の「プロ選手契約」を結んだ。

2005年、全日本代表キャプテンに指名される。2006年バレーボール世界選手権では大会MVPを受賞した。


人物・エピソード
キャッチコピー
世界最小最強セッター
テンカーベル(2005年グラチャン)
テンというニックネームの由来を本人は明かそうとはしていない。
自身の身長の低さが気にならないトスさばき、高いレシーブ力、闘志あふれるプレーでチームを牽引している。
チームメイトである菅山かおるとは、昔から仲がよくいつもそばにいる。海外で試合する際にDVDを持参するほどのお笑い(特に安田大サーカス)好きである。
2005年、スイス・モントルーの大会で海外記者から「ピカチュウに似てる」と言われ、現地の子供達からは『バレー界のピカチュウ』として絶大な人気を集めた。
2007年1月27日、浜松市で行われたプレミアリーグのトヨタ車体戦でレシーブの際、チームメイトの菅山かおると接触、右手親指第1関節開放脱臼というけがを負った。2月17日、途中出場で7試合ぶりにコートに復帰し、2月25日にスタメンに戻った。

球歴・受賞歴
所属チーム履歴
萩ヶ丘小→戸ノ上中→不知火女子高等学校(現・誠修高等学校)→NECレッドロケッツ(1996-2002年)→JTマーヴェラス(2002年-)
全日本代表 - 1997年、2000-2001年、2003-2007年
全日本代表としての主な国際大会出場歴
ワールドカップ - 2003年
オリンピック - 2004年
世界選手権 - 2006年
受賞歴
2000年 - 第6回Vリーグ ベスト6 
2001年 - 第7回Vリーグ ベスト6 
2003年 - ワールドカップ 最優秀敢闘賞
2004年 - 第10回Vリーグ ベスト6 レシーブ賞
2006年 - 世界選手権 ベストセッター賞・大会MVP


竹下はあまり喋らないが、心の内に持っているものは伝わってくる。素晴らしいプレーヤーであり、キャプテンである。

女子バレーの女神たち
吉井 妙子
ぴあ

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出版社/著者からの内容紹介
 10/31より、今年度最大のバレーボールイベント『2006世界
バレー 女子大会』が開催される。この大会も先の「ワールドグランプ
 2006」同様、連日満員御礼、そして連日高視聴率になることは必至。
 そんな人気の源である女子バレーボール選手たちの素顔を追ったのが、『女子
バレーの女神たち~2008年、北京へのパスポート~』です。
 本書は06年「世界バレー」はもとより、07年「ワールドカップ」、08年「北京
五輪」で全日本に名を連ねるであろう、22選手をピックアップし、彼女たちの
バレーに賭ける熱くピュアな思いをあますところなく紹介します。
 著者は全日本女子チームを追ったノンフィクション『甦る全日本女子バレー』
『100%の闘争心』で多くのバレーファンから賞賛を浴びたノンフィクションラ
イター吉井妙子氏。吉井氏の視点を通して選手たちの知られざる姿が浮き彫りに
された本書は読み応え十分の一冊です。そのほかにも、通常の試合報道写真では
なかなか見られない、各選手のポートレートテイストのカットも掲載。
 すべてのバレーボールファンに捧げる一冊であると同時に、北京までの全日本
女子バレーボールチームを追いかけるにあたっては、欠かすことのできない、
「バイブル」とも言うべき一冊です。

内容(「BOOK」データベースより)
06年世界バレー、07年ワールドカップ、そして、08年北京五輪を目指す22選手、それぞれの素顔。

100パーセントの闘争心 全日本女子バレーの栄光、挫折、そして再生
吉井 妙子
文藝春秋

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内容(「BOOK」データベースより)
全日本女子バレーボールチームのアテネ五輪までのチームの懊悩のすべてが明かされる!全選手に密着取材。

内容(「MARC」データベースより)
ベテラン、異端児、若手らを混成し、みごとに再起した全日本女子バレー。最終予選からアテネ五輪まで、指揮官と選手に完全密着する。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
吉井 妙子
宮城県生まれ。1991年、13年勤務した朝日新聞社を退社し、スポーツジャーナリストとして独立。『帰らざる季節―中嶋悟F1五年目の真実』で91年度ミズノスポーツライター賞を受賞。スポーツのジャンルを問わず、人物ノンフィクションを手がけるほか、経済や芸術の分野でも執筆(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


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広告コピーってこう書くんだ!読本

2007年10月23日 | 本・雑誌・漫画
広告コピーってこう書くんだ!読本
谷山 雅計
宣伝会議

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内容紹介
本当にいいアイデアやいいコピーは、
発想法を知ればすぐに誰にでもつくれるというものではありません。
ふだんから、 発想ができるような体質、
つまり自分のアタマを“発想体質”にしておく必要があるわけですね。
(「はじめに」より)

トレーニング次第で、誰でも"発想体質"になれる!
新潮文庫「Yonda?」、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、「日テレ営業中」などの
名コピーを生み出した、論理派コピーライター谷山雅計。
彼が20年以上実践してきた「発想体質」になるための31のトレーニング法。


▼序章
はじめに 「発想法ではなく、発想体質を」。/「なんかいいよね」禁止。
▼第1章 生きたコピーの書き方。
なぜ「たくさん」書かなければいけないか。/一晩で100本コピーを書く方法。/ボディコピーの書き方(超カンタン版)。/なぜ「短く」書かなければいけないか。/「描写」じゃない。「解決」なんだ。/人はコピーでウソをつく。/「アイラブ東日本」のウソ。/書き手のヨロコビ、受け手のヨロコビ(二毛作ジェルのワナ)。/葉っぱから森をつくろう。/おじいちゃんにプレゼントを選ぼう。
▼第2章 もっと伝えるために。
「原稿用紙」から世の中へ。/みんなが言いたいことを言わせてあげる。/オールブラックス115-0日本代表/スキがあるほうが、よくモテる。/カタチだけの納得。ホントウの納得。/ポジティブでなければ、ネガティブアプローチじゃない。/いいメチャクチャ、悪いメチャクチャ。/ダメ出しを制約と思うか、ヒントと思うか。/本当にすごいアイデアって(小さな工夫)。
▼第3章 コピーを超えるコピー。
正論こそサービス精神をもって語ろう。/「1対1」と「1対100万」の違い。/企画書だけうまくなってはいけない。/そりゃそうだ。そういえばそうだね。そんなのわかんない。/「好きだから、あげる。」は、なぜ名コピーなのか?/80年代は納得の時代、90年代以降は空気の時代。/剣豪コピーと将軍コピー。/言葉はキャラクターである。/平凡と非凡。平凡と普遍。
▼第4章 広告的「アタマのよさ」。
「くり返すことができる」が、プロ。/エンジンとガソリン。

著者について
谷山雅計
(コピーライター、クリエイティブディレクター)
1961年大阪府生まれ。東京大学教養学部アメリカ科卒。
84年に株式会社博報堂に入社。
その後、97年に有限会社谷山広告を設立。
現在まで一貫して広告コピーを書き続ける。
おもな仕事に、東京ガス「ガス・パッ・チョ!」、
資生堂/TSUBAKI「日本の女性は、美しい。」
新潮文庫「Yonda?」、日本テレビ「日テレ営業中」、
キリンビバレッジ/生茶などがある。
TCC賞、朝日広告賞、毎日広告賞、新聞協会広告賞など受賞多数。


苦しめば苦しむ程、アイデアは出てこない。散歩に行ったりして、ボーっとしていると、なかなかいいアイデアが出てくるのに。恒常的にいいアイデアを出したい。
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以上、現場からでした。

2007年10月23日 | テレビ
以上、現場からでした。 (集英社be文庫 あC 74)
安藤 優子
集英社

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内容(「MARC」データベースより)
現場がすべて、人間がすべて…。ジャーナリストとしてひたすら「現場」にこだわる人気キャスターが、取材「現場」における20年間の軌跡を、硬軟とりませて一冊にまとめたエッセイ&ノンフィクション。

担当編集者からのコメント
女性トップ・ジャーナリストの「見た!聞いた!伝えた!」20年の記録。
ニュースキャスター安藤優子の原動力は「現場」へのこだわり。だから彼女の肉声を通すと、テレビ画面の中で、現場での情景、声、におい、雰囲気までが俄然生々しいリアリティを獲得する。全編、右は悲惨な事故現場から、左はおきらくな爆笑ルンルン取材まで硬軟取り混ぜたエッセイ&ノンフィクション。ベストセラー『あの娘は英語がしゃべれない』から5年、ファン待望の好著です。

「申し訳ありません。アンドーをとめることは私にもできません。アンドーの目に捕らえられたら、大統領も兵士も政治家も男も女も、犬だって嘘をつけなくなる」(阿川佐和子)

「稀有の場面。涙と感動と、魂の揺さぶり。世界で安藤優子しか書けない本」(岡本行夫・外交評論家)

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
安藤 優子
1958年(昭和33年)生まれ。交換留学生としてのアメリカ留学を経て、昭和54年上智大学外国語学部比較文化学科在学中(現:比較文化学部)からテレビ朝日の報道番組にキャスター及びリポーターとして、主にニュース取材に携わる。初めての報道番組、テレビ朝日系の「今、世界は」では“連帯”発足当時のポーランドを取材、フィリピンの米軍基地潜入ルポ、アメリカ日系一世の記録などの取材レポートを担当する。続く「TVスクープ」でも、ロッキード裁判に揺れる越山会を始めとする国内取材、また、民放連賞を受賞した「写真の中のベトナム戦争」(昭和60年)では、レポーターを担当。昭和61年5月には、テレビ朝日系「ニュースステーション」のフィリピン報道で、ギャラクシー賞個人奨励賞を受賞。フジテレビ系「スーパータイム」「ニュースJAPAN」を経て、平成12年4月から同系「スーパーニュース」(月~金16:59~19:00)のメインキャスターに(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


何か、大事件が起こった時、フジテレビをつけてしまう。安藤キャスターの捌きが上手いから、事件の流れが見やすいのだ。あそこまで「捌き」の上手いキャスターは男性でもいるだろうか?「捌き」が速過ぎの時もあるが。
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まんが パレスチナ問題

2007年10月23日 | 本・雑誌・漫画
まんが パレスチナ問題 (講談社現代新書)
山井 教雄
講談社

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出版社 / 著者からの内容紹介
なぜ、アラブとイスラエルは争うの?
アリとニッシムが世界の難問をやさしくガイド
旧約聖書の時代から、現代まで。宗教や民族についてもよくわかる!!
いつも「複雑な」と言われる「パレスチナ問題」。宗教や民族という日本人にはなじみにくい概念が問題のベースになっているし、昨日までの味方同士が突然戦争を始めたりして、たしかに、わかりにくいのはたしかです。だからこそ、本書では少しでもわかりやすいように、ユダヤの少年ニッシムとパレスチナの少年アリ、そしてエルサレムのねこ、2人と1匹が、旧約聖書の時代から21世紀のいままでの「パレスチナ問題」をガイドします。日本から少し距離のある国のお話ですが、すべてがつながっている現代では、けっして遠い世界のお話ではないのです。

内容(「BOOK」データベースより)
いつも「複雑な」と言われる「パレスチナ問題」。宗教や民族という日本人にはなじみにくい概念が問題のベースになっているし、昨日までの味方同士が突然戦争を始めたりして、たしかに、わかりにくいのはたしかです。だからこそ、本書では少しでもわかりやすいように、ユダヤの少年ニッシムとパレスチナの少年アリ、そしてエルサレムのねこ、2人と1匹が、旧約聖書の時代から21世紀のいままでの「パレスチナ問題」をガイドします。日本から少し距離のある国のお話ですが、すべてがつながっている現代では、けっして遠い世界のお話ではないのです。

著者略歴 (「BOOK著者紹介情報」より)
山井 教雄
1947年東京生まれ。東京外国語大学スペイン語科卒業、マッキャンエリクソン博報堂入社。テレビCFを企画、制作。1977年退社後渡仏。映画、語学教材の教育ビデオを制作。またフランス国立東洋言語文化研究所で日本語科講師をつとめる。1987年帰国後、国内外の新聞、雑誌で漫画連載。1991年漫画集『ブーイング!』(朝日新聞社)で文春漫画賞受賞。2000年フランス・ルーアン市における国際政治漫画フェスティバルでグランプリ受賞。2003年よりダボス会議漫画部門メンバー(本データはこの書籍が刊行された当時に掲載されていたものです)


まんがで描かれると、一目瞭然。分かりやすい。基本的知識を知るにはいいかも・・・
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珍名さんのいろいろ

2007年10月23日 | 本・雑誌・漫画
珍名さんのいろいろ
森下 恒博
新風舎

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内容紹介
この名字、なんて読むの!?
日本人の名には、いろんな面白い名字がいっぱい。
「佐藤」さん、「鈴木」さんが多いのはナゼ?
「メジャーな名字ベスト10」、読めたらすごい「さらにすごい珍名さん」、そして自分の名前ではないのになぜか買われていくハンコの名字は?など、名字にまつわるコラムがいっぱい。
『珍名さんのデパート』の老舗印鑑店モリシタの店主が選りすぐりの珍名字を紹介。

著者について
1933年、高知県日下村生まれ。 千葉県千葉市で印鑑・印刷業「モリシタ」を営む。常時7万点の印鑑を在庫する。 珍名さんがそろう店としてテレビ、新聞などの取材も多い。 平成14年、「苗字研究と印鑑製作」で日本家系図学会功労賞を受賞。


ほんと、「WORD」で出ない漢字を使った氏名・・・「手書き入力」して、困りもの。でも、その成り立ちを知ると興味が湧いて来る。
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えっ!まだ終わってなかったの!?長期人気連載マンガ50本ここまでのあらすじ

2007年10月23日 | 本・雑誌・漫画
えっ!まだ終わってなかったの!?長期人気連載マンガ50本ここまでのあらすじ
漆田 公一
ベストセラーズ

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出版社/著者からの内容紹介
一作二分でサクッと読める!
あの気になる人気長編マンガのあらすじが、短時間でサクッとわかる本です。連載開始の頃は面白くて、毎回夢中になって読んでいたマンガでも、長期連載・コミックスにしてたとえば30巻以上(しかもまだ続いてる!)となれば、さすがに途中で読むのをやめてしまう人も多いのではないでしょうか。1度中断すると、人間、不思議なものでなかなか途中から読み返そうという気にもなれません。そうこうするうちズルズルとさらに巻数が進み、ますますもって今どうなっているのか、あの恋愛話は進んだのか、ループしまくっていたバトルの話は決着がついたのかなど、わからなくなってしまいます。
でもやっぱり昔は読んでいたマンガなのだから、ちょっとは気になりますよね? 
だけど今さら読むのはメンドクサイ...。そんな微妙なモヤモヤ気分を、本書はスカッと解決します!
そしてここからまた続きを読み始めればいいのです。そうすれば、あなたの人生の楽しみがまたひとつ増えていくでしょう。


嬉しい本だ。

そうそう「ペリー・ローダンシリーズ」というSFを知ってる?

世界最長のSF小説「宇宙英雄ローダン・シリーズ」。
 極めて魅力的な作品にも関わらず、あまりにも膨大な量のため、興味は有るが手を出す事には躊躇している、という方も多いと思います。そこで、この超大河小説を、基本的な要素を中心に、出来るだけ解りやすく扱ってみました。
 一人でも多くの方がペリー・ローダンの世界へと旅立つ助けとなれば幸いです。
こちらが便利なサイト→http://homepage2.nifty.com/archduke/PRSindex.htm
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プリンセス・マサコ―完訳 菊の玉座の囚われ人

2007年10月23日 | 本・雑誌・漫画
プリンセス・マサコ―完訳 菊の玉座の囚われ人
ベン・ヒルズ,藤田 真利子
第三書館

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「プリンセス・マサコ」の真実―“検閲”された雅子妃情報の謎
野田 峯雄
第三書館

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一般の人として生活していた人が「新宿」「渋谷」「有楽町」・・・或る日、突然、そのどこにも行けなくなったら、どんな気持ちがするだろうか?
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リストカット―自傷行為をのりこえる

2007年10月23日 | 病院・薬・病気
リストカット―自傷行為をのりこえる (講談社現代新書 1912)
林 直樹
講談社

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内容紹介
近年、若い女性を中心に自傷行為が広がっている。なぜ自らの体を傷つけようとするのか。
そのメカニズムを探り、自傷者への対処法を、豊富な症例をもとに解説する、はじめての入門書。



「死にたい」んじゃない。「この世から消え去りたい」んだ・・・きっと。僕はそう思う。
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映画『ヘアスプレー』(ネタばれ有り)

2007年10月23日 | 映画・DVD・ビデオ
今日は午後6時半過ぎに会社を出て、急に映画『ヘアスプレー』が観たくなった。このところ、心が不安定である。何に対して「不安」なのかが分からないからたちが悪い。まっすぐ家に帰るより、元気の出る映画が観たかったのだ。

マリオンのピカデリー1はガラガラ。よっぽどの話題作でないと平日の夜はこんなものなのだろう。

映画は1960年初頭を舞台にしたミュージカル。元々、劇場で上演していたものを映画化した作品。デブでチビの主人公の女子高生・・・彼女は歌って踊るのが大好き。学校では劣等性のレッテルを貼られているが、彼女のパワーは周りを巻き込み、「黒人・白人平等運動」をテレビ局のスタジオの中、生放送で歌って踊る。観終わって、自分の「強迫観念」が小さい事だと思えた。回転寿司でビールをグイットと呑み、いい気分で帰ってきた。夕食の準備をしていてくれた妻には申し訳ない事をした。許したもれ。

「ALLWAY 三丁目の夕日」で、日本人が「昭和」の元気な時代を振り返る様に、アメリカ人も「良きアメリカ」であった時代を振り返りたいのだろうか?日米、どちらの映画にも、「本当の悪人」が出て来ない事も共通している。

ここ半月ほど、本当に「不安」が身に迫ってくる。早く、この気分から抜け出したい。


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