お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

たこ焼き工場トントン

2007年05月04日 | 料理・飲み物・食べ物
このブログの左に現物の写真が貼ってあります。自動で「ひっくり返してくれる機能付き」たこ焼き器。ほっておいても、美味しい「たこ焼き」がどんどん出来てくるのはええなぁ~。冷たいビールを飲みながら、焼きあがるのを待っていればいいんやから。関西人の家には必ずと言っていいほど「たこ焼き器」はありますが、その大方は押入れの中とかで眠っているはずです。

ちょっとした工夫ですが、これは便利!


具と生地を入れてスイッチを押すだけで、自動返しでクルッと回転し始めます。
その様はまるで屋台の手さばきを見ているように目線を釘付け。
プレートにくっつくことなく初めての方でも簡単。
5~6回ひっくり返る頃には外はカリッ、中はトロ~っとしたおいしいたこ焼きが
出来上がります。
お好きな焼加減で、運転をストップできるのも、うれしい設計!
もちろん温度調節もできます。

●中央のアームがたこ焼きを美しく美味しく作ってくれます。
●ちょっと大きめのたこ焼きが一度に12個も作れます。
●材料を混ぜてそのまま注げる粉注ぎポットが付いています。
●出来上がり直径は大きめの約4cmです。
●プレートがはずせて、洗いやすくてお手入れも簡単。
●さらにアルミ鋳造・フッ素樹脂加工なのでこびりつかず簡単に洗えます。
●クッキングブックがついてていろんなたこ焼きを作れます。
●1200Wのハイパワーできれいに焼けます!
●スイッチひとつで見る見るうちに次々とたこ焼きを返します。
●色々な味のたこ焼きにチャレンジして、たこ焼きパーティをどうぞ!
●つぼの水位線まで入れることがキレイに丸く焼き上がるコツです。
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「男と女の離婚格差」by 石坂晴海。

2007年05月04日 | 本・雑誌・漫画
男と女の離婚格差

小学館

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「離婚する」と男は寿命が9年縮み、女は自由に人生を満喫する。根本的に「男」という「性」は精神的に弱いんだなあと思う。会社で威張っていても、家庭では妻の尻に敷かれているという人がいるもんなぁ~。
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「聖林聖書」・・・インタビューアーが凄いと本は面白くなる。

2007年05月04日 | 映画・DVD・ビデオ
聖林聖書(ハリウッドバイブル)

小学館

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出版社/著者からの内容紹介
「偉い。あなたは偉い!! 夢のようだ」(北野武) 「僕の気持ち
を100%理解してくれる人がここにいる」(クエンティン・タラティーノ)  
「あなたは真実を語っている」(ヴィム・ベンダーズ)
  「またキミに会えて喜んでいる」(ティム・バートン)   「今晩、私とど
う? 一晩いくら?」(ハル・ベリー)
   著者による赤裸々なインナートラベルの告白は、少女の成長をドキドキし
ながら見守る体験。あなた自身が、自分とアメリカを知っていく変化に震えるだ
ろう。チホは、ひたすらに「赦し」について問うていく。あなたもまた赦され
る。こんな本、今までになかった。(sabra times S記者)
     ロードムーヴィー的インタビュー文学。
この本は、[その時、その場]につれていってくれるパスポートだ。
あなたはハリウッドという[ヴァーチャル・タウン]の真実とともに、インタ
ビューという行為の深奥を知ることになるだろう。(sabra road S記者)   ク
ローネンバーグが「幸せを求めることは人生の課題になりえるのか?」と内角胸
元を突く。ソダバーグが「自分の理解力だけで判断するほどつまらないことはな
い」と球速を上げる。チホのような良いキャッチャーが居れば、いいピッチング
ができる。伸びのあるストレートを投げられる。我々は手に汗握るナイスゲーム
をバックネット裏のいい席で観戦できるわけだ。こんな試合、今までになかっ
た。(Baseball sabra S記者)
     「いままで一度も聞かれたことのない、凄くいい質問だ」と、クエン
ティン・タランティーノは言った。
このくだりに、世界中の全インタビュアーが嫉妬するだろ。(Screen sabra
S記者)
       『聖林聖書』の存在が映画的だ。映画的とは、現場で収録して、
編集することによって、[真実]という雲をなんとかつかもうする行為だ。この本
は、奇跡的にそれに成功している。(Cinema sabra S記者)
                                    
                   などなど、本書に登場する世界的映画
人や、すでに本書を読んだ、各界の著名なジャーナリストたちからも絶賛の嵐を
受けております、この『聖林聖書』(ハリウッドバイブル)。
本書はこれまでの映画人のインタビュー本とは、
根本的に異なります。
単なるインタビューではなく、著者が対峙する映画人たちに真摯に向かい合
い、心の奥底にある魂の叫びに呼応するように、物語を紡いでいきます。
まさに史上初のインタビュー・ノベルと言えましょう。
女優とは友達のようにいきいきと語り、年上の男優には父性を引き出すように語
り、若い俳優はぴしゃりと諭し、失礼なプロデューサーには挑み掛かっていく。
そんな著者の赤裸々な キャラが立ち上り、透明だった語り手が肉を纏ってきま
す。
読み進むうちに語り手自身が[赦し]を求め探していることが薄々わかってきます
が、それは、「語り手が誰であろうが、読んでいる自分だってそうだよな」とい
う気持ちにもなってきます。
最後には、その言葉は語り手を、読者を、癒し、認め、赦します。
                                    
        もちろん、映画好きの人には、世界中の一流映画人たちが、
初めて本音を語ったインタビュー本として、読んで頂いても、気軽に楽しむこと
ができます。
カバー画及び装丁は、日本が誇る世界的アーティスト=横尾忠則氏です。
テロや内外の戦争が未だ引き起こされ閉塞感のある現代。
よき会話のない時代だからこそ、この本が皆様のお役に立つことも多いと確信し
ています。
             

[収録されている映画人たち]
北野武、ビートたけし、ヴィム・ヴェンダーズ、ジョージ・ルーカス、ティム・
バートン ミッキーローク、トム・クルーズ、クエンティン・タランティーノ、
アンジェリーナ・ジョリー、ミシェル・ゴンドリー、ベアトリス・ダル、レオナ
ルド・ディカプリオ、ジュリアン・シュナーベル、ブラッド・レンフロ、デ
ヴィッド・クローネンバーグ、スティーヴン・ソダーバーグ、ウィル・スミス、
キャメロン・ディアス、アーノルド・シュワルツェネッガー、リドリー・スコッ
ト、エロール・モリス、ジェリー・ブラッカイマー、オリバー・ストーン、クリ
ス・シェルダン+パティ・キム、ハル・ベリー、ジョン・レズニック


「インタビューをする」のは難しい。もちろん、事前の準備も必要だが、インタビューしていて、「そのインタビューの流れ」をつかんで、相手の気持ちを掴まえ、問わず語りで喋らせる事だと思う。

昨年亡くなったが、「AV女優」を書いた永沢光雄も最高のインタビューアーだった。
AV女優

文藝春秋

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出版社/著者からの内容紹介
四十二人のAV界で活躍する女性たちへのインタビュー。養父に犯された少女、音大生から転身したお嬢さま…少女たちの半生を描く記録集


内容(「BOOK」データベースより)
1991年から96年にかけてアダルト・ビデオの世界で息をしていた少女たちへのインタビュー集。昨日のことのようで遠い昔のあの頃、一人の女の子が傷つき苦しみながらようやく辿り着いた場所。それがAV。一人の女の子が軽やかに笑いながら駆け抜けて行った場所。それがAV。そんな彼女たちの姿を炙り出した記録集である。


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ワーキングプア

2007年05月04日 | エッセイ・日記・意見
ワーキング プア(working poor)は、正社員並みにフルタイムで働いても(またはその意思があっても)生活保護水準以下の収入しか得られない就業者のこと。直訳では「働く貧者」だが、働く貧困層と解釈される。アメリカなどにおいては、失業者ではなく就業していることから、失業問題としては把握されていないものの、その賃金水準が低く、また技能の向上や職業上の地位の向上の可能性が低いことから隠れた労働問題として捉えられている。

ここでは主に日本におけるワーキングプアを説明する。

ワーキングプアにあたる所得の世帯数は、日本全国で700万ほどと推定され、深刻な社会問題になりつつある。日本においては、大企業の正社員であっても賃金のうち家族手当や資格手当など社会保障の性質を持つ部分が廃止され、隠れたワーキングプアが顕在化しつつある。

統計
ワーキングプアの統計としては、総務省の就業構造基本調査が、数字の根拠となる。これに基づいて(推計的に)試算すると、ワーキングプアの量は次の通りと言われている。

1997年 514万世帯 14.4%
2002年 656万世帯 18.7%
2005年 700万世帯~800万世帯 20.0%前後?(推定)

要因
バブル経済の崩壊以降、企業は「国際競争のなかにおいて競争力の維持向上を図るため」と人件費の削減に注力した。このことは国際競争のある輸出企業だけでなく、内需専門のサービス業でも同様だった。手厚い待遇で雇用される正社員の採用を抑制することによって人員を減らす一方、アルバイトやパート、契約社員、派遣社員など非正規雇用の割合を増やすことによって、総人件費の抑制を図ってきた (2003年6月4日、労働法制の規制緩和で、有期雇用の期間延長・対象拡大の法改正が行われた)。

特に、大企業の製造現場においては規制緩和により請負、派遣が広がっていった(2006年には偽装請負が告発された)。こうした傾向は、いわば構造的なものといえ景気の回復期になっても、競争力を維持したい企業は極力非正規雇用によってまかなおうとする傾向がある。その意味では景気が回復すれば、自然に解消する問題とは言いがたい。

商業・サービス業においてはもともと非正規雇用の割合が高いが、コンビニエンスストアにみられるように企業間のサービス競争の中で深夜労働など低賃金かつ過酷な勤務も増えてきた。

仮に正職員に就いていても、30歳代を過ぎてから「自分に向いていない」という自発的な離職、あるいは倒産やリストラなどの非自発的離職でいったん失業すると、特別な技能や国家資格などがあるか、即戦力となれるだけの経験・技量がある場合を除き、なかなか定職に就けない場合が多い。派遣・アルバイト等の経験しかない場合、キャリアとはみなされない傾向が強く、正規職員登用への道は極めて狭い。

また、非正規雇用の場合は、スキルアップのための研修の機会にも恵まれない場合が多い。加えて、休暇、健康保険・労働保険・年金、福利厚生などの条件が一般には正規職員ほど整ってはおらず、その意味では正規職員ほど企業から庇護されていない。そもそも年金や保険を掛けられるほど報酬も得ていない場合もある。請負や派遣などにおいてはなおさらである。このため、過酷な労働条件には付き物の疾病、事故等の場合には社会保障は満足に受ける事は難しくなりつつある。しかも、その病気やケガを理由に非正規労働者を解雇するという企業も存在している。一方、偽装請負が発覚した企業の中には、一部の労働者に正社員雇用の門戸を開き始めたところもある。

日本共産党、社会民主党など一部の野党はこのような実態は明確な労働基準法違反であるとして抗議している。

ワーキングプアの増加の背景には、こうした現代日本の厳しい雇用構造が関係しているものと考えられている。


メディアの取り上げ
この問題に関しては、2006年7月23日21時からNHK総合テレビで放送された「NHKスペシャル」で取り上げられたほか、各マスメディアが報じることで近年認識されるようになった。


構造の不透明さ
アメリカでは貧困を示す概念の一つとして公式な場でも言及されることがあるものの、日本においては公的に言及される用語ではないため、ワイドショーによって扇動的に取り上げられているに過ぎないのではないかという疑問が示されることがある。また、格差社会ムーブメントとの類似性を指摘する声もある。

また、ワーキングプアとは「働けば働くほど支出が増えて貧しくなる状態」とも言える。これは、完全な貧困層であれば受けられる福祉サービスが「努力して働いたため」に収入が増え、受給資格を失うために起こる逆転現象である。こういった場合、統計上は「貧困層が減少した」ように見えるため、実情が外側から分かりにくく、「誰がワーキングプアなのか」が不透明になるというジレンマがある。

上記の問題が起こり得る原因の一つに、日本の最低賃金の保障額が「平均賃金の約34%(各都道府県別に異なるので近似値)」であり(ヨーロッパ諸国は約50%)、単純計算では生活保護以下の家計水準を迫られているという現実がある。これは国民生活の保護の機能が弱いアメリカ合衆国でも類似した構造が見られる




昨年秋に放送されたNHKスペシャルが衝撃的だった。幾ら働いても「パート」の為、賃金が低い。正社員の様に、「賃金が上がる可能性も極めて低い」。放送で出ていた女性は母子家庭で、子供を育てる為、必死で働いているが、生活を維持するのが精一杯。その仕事は過酷を極めていた。彼女にとって、「幸せの出口」が見つからないまま、毎日労働をして子供を育てている状態。

憲法9条を変えようとしたり、あまりにもお粗末な「教育改革」を政府が推し進めるなら、この「ワーキングプア」の問題も取り上げ、具体的に改革を提言していくべきではないだろうか。
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「高卒社長」という本。

2007年05月04日 | 本・雑誌・漫画
高卒社長―挫折から成り上がった全力人生!

三修社

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出版社/著者からの内容紹介
起業の本質を描いた一冊。
使えない成功パターンの話しばかりの従来の常識をくつがえし、ほとんどが著者
の失敗談。わかった気にさせる本ではなく心から感じ理解できる、笑いあり涙あ
りの一冊。
煽り系のマーケ本に飽き飽きした人は一読することをオススメします。

著者からのコメント
・誰でも簡単に稼げる
・今すぐに儲かる
・楽してお金持ちになる
といった薄っぺらい安易なノウハウに流されているようでは、長期的に継続した
成功はありません。
資本主義社会の本質は、"パイの奪い合い"で、"お金"という極上のパイは、皆が
欲しがるのに十分には無く、なかなか手に入らないから高い価値があるというの
に、「誰でも簡単に」稼げたり、「今すぐ」に儲かったり、「楽して」お金持ち
になる、などということが本当にあるでしょうか?

筆者が語る。明確な答えとは・・・

著者について
進藤慈久(しんどうよしひさ)
ビジネスマーケッター/プロデューサー

有限会社高卒社長 代表取締役
株式会社YS 代表取締役
株式会社トウヨーコウゲイ 取締役

1978年兵庫生まれ。学歴:高卒

宝石小売店にて56日間で1億1179万売り上げ店長にて売上達成連続20ヶ
月達成。最短記録でマネージャー就任となる。

サラリーマンからのたたき上げで、車生活にてなけなしの資金を貯め4畳一間の
事務所にノートパソコン1台を置いて独立起業。起業して180日で月収100
0万円を達成。

現在は、宝石サロンオーナー・プロデューサー・起業家と3社の役員として
活動中。

プロデューサーとして数々の「人・企業」の企画をプロデュース1億を超える
売上を達成。

また高卒大学にて起業家・経営者に『イノベーション戦略(TM)』を推奨。
教育関連では『ビジョンライフ(TM)』を提唱中。




テレビ業界でも、「好奇心の無い奴」「情報収集力の無い奴」「人間関係を短期間で築けない奴」「自分自身の『発想』の無い奴」「想像力を持たない奴」はダメだと思う。特に「制作現場」では「学歴」は通用しない。極端に言えば「食うか食われるの世界」だと思って欲しい。

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「日本国憲法」は変わるのか?

2007年05月04日 | エッセイ・日記・意見
平和主義(戦争放棄)
平和主義は、自由主義と民主主義という二つの重要な理念とともに、日本国憲法の理念を構成する。平和主義は、平和に高い価値をおき、その維持と擁護に最大の努力を払うことをいう。平たくいえば、「平和を大切にすること」である。

平和主義の内容は、

人権 平和的生存権の権利性 - ただし、判例及び有力説は、平和的生存権の権利性を否定する。
統治
戦争の放棄
戦力の不保持
交戦権の否認
国務大臣の文民性
とされる。

平和状態が国民生活基盤において重要であることについてほとんど争いはない。むしろ、その平和な状態を国際秩序においていかにして確保するかという点で、激しい論争がある。平和主義は、多くの国で採用されている国際協調主義の一つと位置づけることができる。深刻な被害をもたらした第一次世界大戦後、自由主義・民主主義と結びつき、国民生活の基盤としての平和主義が理念として発展した。

しかし第二次世界大戦後の日本では歴史的経緯をふまえ、日本国憲法前文および9条に強く示されるように、国際協調主義を超えた平和主義がめざされてきたと指摘されることもある。

日本国憲法は9条1項で、「正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する」と謳っている。さらに同条2項では、1項の目的を達するために「陸海空軍その他の戦力」を保持しないとし、「国の交戦権」を認めないとしている。つまり、国際平和のために日本は戦力をもたない、ということである。この点について、まず、日本は自衛戦争も放棄したとする解釈がある。この解釈は、すなわち、日本は全ての戦争を放棄しているとの解釈である。この解釈の背景には、近代以降の戦争の多くがたとえ侵略的性格をもったものであっても大義名分としては自衛や紛争解決等の名の下に行われてきたことから、「正しい」戦争の範囲を定めることは実際には困難であるという問題意識がある。またこの見解に立つならば、武力を持たなくても安心な世界を実現するにはどうしたらいいかという根本的な問題が議論されなければならないことになる。

他方、憲法9条は、国権の発動たる戦争を放棄しているが、多国籍軍の制裁戦争(国際法上の戦争概念)への参加や、独立国家に固有の自衛権までも放棄することを意味しない、とする解釈もある。この見解によれば、国家がその平和と独立を維持するためには、それを自ら防衛する権能を持つことが求められるからである。そして、自衛のための必要最小限度の実力(自衛隊)は、2項に言う「戦力」にあたらないと解される(1950年代以降の政府見解)。このように、平和主義と自衛権の行使は、対立するものではなく、達するべき目的とそれを実現するための手段という関係にある、という解釈も成り立つとされる。その代わりに政府は、海外派兵および集団的自衛権の行使(自国が攻撃されたわけでもないのに同盟国が行う実力行使に参加すること)は違憲であるという公式解釈上の歯止めを示してきた。1990年代以降は自衛隊海外派遣と憲法9条の平和主義との整合性をめぐって激しい論争が行われている。

平和主義という言葉は多義的である。法を離れた個人の信条などの文脈における平和主義は(一切の)争いを好まない態度を意味することが多い。一方で、憲法理念としての平和主義は、平和に価値をおき、その維持と擁護に政府が努力を払うことを意味することが多い。日本国憲法における平和主義は、通常の憲法理念としての平和主義に加えて、戦力の放棄が平和につながるとする絶対平和主義として理解されることがある。これは、第二次世界大戦での敗戦と疲弊の記憶、終戦後の平和を求める国内世論、形式文理上、憲法前文と第9条が一切の戦力・武力行使を放棄したと解釈できること、第二次世界大戦以降日本が武力紛争に直接巻き込まれることがなかったことによって支えられた、世界的にも希有な平和主義だとされる。この絶対平和主義については、安全保障の観点がないのではないかという意見がある一方で、世界に先んじて日本が絶対平和主義の旗振り役となり、率先して世界を非武装の方向に変えていこうと努力することが、より持続可能な安全保障であるとの意見がある。なお、これらとは別に自衛権は自明の理であり、自衛権の行使は戦争には当たらないとする意見がある。




今、国会では上記の点が「論点」になっていると思う。急性に「憲法を変えようとしている自民党」「それに反対している野党」・・・いずれにしても、「熟考」わ促したいと僕は考える。自民党の強行突破で決まってしまう様な問題ではないと思う。
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「幕末 維新の暗号」・・・フリーメーソンまで出てくる幕末のミステリーに迫る!

2007年05月04日 | 本・雑誌・漫画
幕末 維新の暗号

祥伝社

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出版社 / 著者からの内容紹介
坂本龍馬の最後の手紙を「暗号文」と解読し、龍馬が腕利きのスパイだったこと、さらにフリーメーソンとの関係までを解き明かして、明治維新に新しい光を当てた前著『あやつられた龍馬』(2006年2月刊)で黒鉄ヒロシ氏をはじめ各界から絶賛された著者が、一枚の謎めいた写真から、ふたたび幕末ミステリーの旅に出る。本作は『ダ・ヴィンチ・コード』『天使と悪魔』のように、実在の人物・団体・出来事に基づいたフィクションの形式。小説NON連載(2006年7月号~2007年3月号・全9回)を単行本化。

●学会からも黙殺され、トンデモ写真の類と当初は歯牙にもかけなかった望月だが、面会した岩本老人の熱意と鋭い分析から徐々に興味を抱き、該博な知識を持つ桐山ユカと共に、写真の謎の解明を試みる。岩本は、写真には「陰謀」が隠され、そのため歴史から抹殺されたと主張した。

●そんな矢先、岩本は失踪の果てに死亡。残されたのは岩本からの謎めいた手紙と旅程表だった。望月はそれに導かれるように奈良県吉野、佐賀、長崎、鹿児島、そして岩本が絶命した山口県柳井を巡る。訪ねた土地土地で、望月は「写真」に塗り込められた、ただならぬ「秘密」を知る。それは……

出版社からのコメント
著者のもとに読者から実際に寄せられた「写真」をきっかけに、本作は着想された。
「写真」とは、幕末ファンなら誰もが知っている「幕末志士全員集合写真」、通称「フルベッキ写真」と呼ばれる一枚。そこには龍馬はおろか、西郷隆盛、勝海舟、高杉晋作、岩倉具視、大久保利通、伊藤博文、大隈重信……明治維新の主役たちが一堂に会し、中央には外国人親子が陣取っていた。
志士の全員集合などありえない。普通はそう思う。ところが、文献や古写真など史料との照合を重ねると、一人、また一人と被写体の「正体」が判明してゆく。誰が写っているのか?
そして「外国人」フルベッキが、明治新政府に絶大なる影響力を有していたという事実と、あぶり出される幕末史の歪み。果たして、一枚の写真には明治新政府が隠した「維新の暗号」が塗り込められていた……歴史ファンが瞠目するノンフィクション・ノベル。



かつて「幕末もの」と呼ばれる小説は山ほど読んだ。「一枚の写真」から解き明かされる謎・坂本龍馬からの最後の手紙・・・ワクワクする内容だ。
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「みどりの日」・・・明日5月4日に今年から変わった。

2007年05月04日 | エッセイ・日記・意見
みどりの日(みどりのひ)は、国民の祝日の一つである。日付は2007年より5月4日。1989年から2006年までは4月29日だった。国民の祝日に関する法律(祝日法)では「自然にしたしむとともにその恩恵に感謝し、豊かな心をはぐくむ」ことを趣旨としている。大型連休を構成する日の一つである。


1901年の4月29日に昭和天皇が誕生したことにより、4月29日は1948年公布・施行の祝日法によって国民の祝日である「天皇誕生日」とされていたが、1989年(昭和64年)1月7日の昭和天皇崩御により、平成元年2月15日に参院本会議にて可決された国民の祝日に関する法律の一部を改正する法律で天皇誕生日は今上天皇の誕生日である12月23日と改められると同時に、自然に親しむとともに、その恩恵に感謝し、豊かな心を育むことを願う日として、新緑の季節として緑豊かな自然に親しむ上で最も相応しい時期であり、ゴールデンウイークの始まりの休日として国民の間に定着している4月29日をみどりの日とすることが定められた。

4月29日を「昭和の日」、5月4日を「みどりの日」とする改正祝日法が2005年5月13日に参院本会議にて可決され、2007年1月1日より施行された。

2006年8月8日の閣議決定により「みどりの日」には国公立公園の無料開放を行うほか、地方公共団体及び一般の協力を得て、国民が自然に親しむための各種行事等を実施することとされている。

また、この日には普段は青色で印刷される毎日新聞の題字が緑色になる。




確かに、5月2日の「毎日新聞」は「題字」が青色ではなく、1面と最終面が「緑色一色」で題字は青色だった。1面と最終面は繋がっているので広げると「ECO」を表す「緑色」が映えて、毎日新聞も大胆な事をするなあと思った。

秋にも連休ができてくれれば、嬉しい。やはり、僕は怠け者なのだろうか。

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「ゴールデンウィーク」とは?

2007年05月04日 | エッセイ・日記・意見
ゴールデンウィーク(Golden Week)とは、日本で4月末から5月初めにかけての祝日が多い大型連休時期のこと。黄金週間(おうごんしゅうかん)とも言う。また、GWと略す場合もある。

概説
年によって違うが、一般的に、4月29日から5月5日までの期間になることが多い。(直前・直後に休日の土曜日・日曜日がある場合、期間がやや長くなる)この期間、4月29日(昭和の日、1988年までは天皇誕生日、2006年まではみどりの日)・5月3日(憲法記念日)・5月4日(みどりの日、1988年から2006年までは日曜日・月曜日以外なら国民の休日)・5月5日(こどもの日)が国民の祝日であり、また、5月1日がメーデーのため休日になる会社(人)も少なくないことから、間の平日を休みにすることで連休にしやすいからである。また、以前は休日が飛び飛びになることが多かったことから「飛石連休」という言い方がされたが、1985年(昭和60年)の祝日法の改正で5月4日が国民の休日になってからは、この言い回しは少なくなった。

なお、2005年に行われた祝日法の改正により、振替休日の規定が変更されたため、憲法記念日やみどりの日が日曜日と重なった場合、5月6日が振替休日扱いになり、その分ゴールデンウィークが延びることとなった。5月4日が日曜日となる2008年にこの規定の最初の適用となる。(振替休日が月曜日以外になるのも初。2008年5月6日は火曜日、2009年5月6日は水曜日)

1951年、映画会社の大映が正月映画やお盆映画並に興行成績が良かった期間として「ゴールデンウィーク」と名付け、次第に他の業界にも広まった。大映は続いて秋の文化の日を中心とした期間に「シルバーウィーク」と名付けたが、こちらは定着しなかった。

なお、NHK、一部の新聞などは、「ゴールデンウィーク」という言葉が映画業界用語であったことから、特定企業の商標ではないが、業界の宣伝になってしまうということで単なる「大型連休」という言い方で統一している。2006年5月7日放送の『横浜から突然生放送! 大型連休もさだまさし』ではNHKがこの言葉を使わない理由として他に、

休めない人(次項)から「何がゴールデンだ」という抗議がくる。
1週間よりも長くなることが多くなって「ウィーク」はおかしい。
カタカナ語の多用を避ける。
と説明されており、番組の構成作家は、ゴールデンウィークという言葉を使うとタイトルがテレビ欄に収まらなくなると述べている。また、週刊文春は連休前に発売される合併号を「黄金週間特別号」と題して発売している。連休前の合併号の発行は週刊誌では一般的に行われており、連休に合わせた営業施策というよりも、印刷所の連休に合わせている(ゴールデンウィーク進行。他には年末進行)というのが実情である。

実際の5月4日の国民の休日の制定は1988年からだが、1986年と1987年の当該日はそれぞれ日曜日と月曜日=憲法記念日の振り替え休日だった

日本の旅行シーズン
ゴールデンウィークとの名称が用いられ始めた時代は、映画鑑賞(当時は戦後テレビ普及前の日本映画の黄金期で、映画館も多数存在していた)や近場の百貨店での買い物、周辺の行楽地へのハイキングといった日帰り旅行などが、この時期の一般的な過ごし方であった。しかし、次第に、この時期全体を利用した泊りがけの旅行や帰省(元々は学生などの若者や、初節句などの家庭が主と思われるが、広く見られる)が増え、ついには海外旅行さえ一般的になった。

毎年ゴールデンウィークの初期・末期において、主要ターミナル駅・空港などでは多くの乗客が見られる。特にテレビ・新聞などのマスコミは、ターミナル駅や空港での子連れの乗客をよく取材するようで、このために「ゴールデンウィークは家族連れの旅行が多い(但し親子連れでの海外旅行は2004年以降極端に減少している)」というイメージが定着している。ただし、学校の児童・生徒における、この時期の複数回の宿泊を伴う旅行の一般化は、早くとも5月4日が祝日となった以降の時代と考えられる。それ以前は春休みが春季のシーズンの座にあった。

この時期を余暇として活用する場合、専ら自宅内で過ごし(静養・テレビ視聴・読書など)、余暇のためには戸外には向かわない人も、無論いる。しかし、一般的には、移動距離や日常生活圏から離れる時期の長短に差はあるものの、この時期の余暇は野外活動や旅行として活用する人が多く、かつ秋季の祝日(美術展・コンサートなどが盛ん)などと異なり、移動先では屋外活動を行う、というイメージが定着している。

帰省や行楽などのために遠距離を移動する人も多い。その数は、夏休み(特に旧盆時期)、年末年始と同等程度に多いと一般的に考えられている。

このため、多くの場合旧盆時期・年末年始と共通する以下のような交通状況となり、そのためにそれらの期間に準じた制度が適用される。

主要な高速道路の渋滞の発生(数十~100キロ以上にも及ぶ場合もある)。
新幹線や主要な特急列車における、(全席指定車の列車以外の場合)混雑。または(全席指定車の列車の場合)特急券の入手の困難さ。
そのため、JRの場合、特急券の普通指定席料金には繁忙期が適用され、かつ新幹線・特急列車を使用する多くの特別企画乗車券が適用除外になる。ただし、外国人旅行者向けのジャパンレールパスと一部の特別企画乗車券は利用可能である。
都市近郊を結ぶ快速列車の混雑が、通勤ラッシュ時以上の度合いで起きる場合もある(行楽客の多さゆえに)。
その他、各地の観光地・繁華街の混雑、ホテルなどの宿泊代・国内外への航空券の値段などにおける、旅行費用の高騰も見られる。反面、多くの航空会社の国内線正規運賃はピーク期運賃とはならない(春休み期間中はピーク期運賃となる)。また路線バス・路面電車など短距離(市内など)の交通機関の利用においては逆にこの時期に割安な企画切符・料金が適用される例も多いなど、必ずしも他の時期に比べて割高ではない事例も存在する。また、他の繁忙期と異なり、青春18きっぷはこの時期に発売されない(当初この商品が学生などの休業期間を見込んだものであり、この時期は春休みと異なり本来その時期には当たらないという性格上)。しかし国鉄時代に初めて発売された「青春18のびのびきっぷ」は、有効期間がゴールデンウィークまであった。


日本人観光客の多いハワイなどでは、ホテル・バス・レストランなど観光業に従事する人物の場合、日本に縁のない現地出身の人間であっても"Golden Week"で意味が通じるほどである。


連休が取れないケース
多くの大企業では、年間休日数の調整をこの時期に充てる傾向があることから、そこに勤めている従業員(交代勤務社員・フリーター、サービス業に属している者等を除く)はゴールデンウィークになると長期間の連休になりやすく(一部のサービス業等ではゴールデンウィークに勤務させて、ゴールデンウィーク前かその後に大型連休を取る場合もある)、フリーター、サービス業等はむしろゴールデンウィーク期間がかき入れ時となるため、3日以上の連休が取りにくい、または取れない傾向がある。

中小企業の従業員や交代勤務社員(24時間体制の工場や病院の看護師など)も勤務体制上連休を取りにくい。


春休みのある者にとっての、この期間の意義
その1ヶ月前に春休みのある者、つまり幼稚園・保育園の園児と学校の児童・生徒・学生などにとって、春季の休業期間として認識されるものは本来「春休み」である。よって、年度末・年度初めが多忙となることの多い(少なくとも職場としての休暇にはならない)多くの俸給生活者(教育機関の教職員も含む)とは、その後の祝日群である「ゴールデンウィーク」の捉え方が大きく異なる。その意義は比較的小さいはずである。仮にそこに何らかの意義を認めるとすれば、以下と考えられる。

期間中にこどもの日(5月5日)が含まれる。故に少なくとも5月5日は小学生以下の児童にとって特別な日とされうる。それがその前後の休日にも波及する。(この日には遊園地・動物園などでイベントが行われることも多いので、その意味でも行楽の日として認識されやすい)
春休みの時期より気候が温暖であること(特に寒冷地や、風邪など冬季の疾患に弱い者において、かつ戸外活動においては重要な条件)。反面、この時期は多くの地域で桜が散った後となるなど、春の盛りを過ぎた時期でもある。
(俸給生活者でかつゴールデンウィーク期間が掻き入れ時とならない職種の場合)父親(時に母親など、父親以外の家族を構成する者)も休みやすいことなどで、家族ぐるみの余暇を過ごしやすい事。
また、この前後(時にゴールデンウィーク期間中の平日)に戸外活動を伴う学校行事(遠足・社会科見学・修学旅行(以上は小学校を中心に時に中学校以降)、課外活動単位での合宿(高等学校以降))があることも多い。この意味でも、この時期に家族単位または児童・生徒・学生のみによる戸外活動や旅行を特段に欲する理由がない。それが日帰り・1泊程度ならまだしも、遠距離(例えば首都圏~北海道・九州など)や、複数回の宿泊を伴うものなら尚更である。 またこの時期は、1学期が始まってから数週間・1ヶ月程度であり、新学年(時に入学先・就職先)に慣れる時期としての性格が強い。

以上の傾向は、とりわけ5月4日が国民の祝日になる(1985年)以前には強かった。そのような状態ではこの時期の複数回の宿泊など困難だったからである。また、当時は今ほどレジャー文化が根強くなかったためでもある。その後はやや変化したが、学校の週休二日制実施(2002年)以前は大学生(この期間の土曜日には休講となる授業も多かった)以外は大勢は変わらなかった。

しかし、近年の世代の彼ら彼女らにとって、この時期は大人と同様に特別な時期になりつつある。 この時期には、日帰りの行楽のみならず、泊りがけの旅行(大人の)や帰省(親の)には海外旅行を除きしばしば子供も伴う。また、例えば遠隔地に孫を持つ祖父母などにとって、お盆や年末年始と同等に孫との再会が期待されたり、出身地を離れた大学生などにとっての帰省の時期となることも多い。


秋の大型連休
今後祝日法が改正されなければ、2009年と2015年の9月にも「秋のゴールデンウィーク」(シルバーウィークともいう)ができる(9月19日(土)から23日(水・秋分の日)までの5連休。敬老の日が21日になり、秋分の日との間に挟まれた9月22日も祝日法の規定により「国民の休日」となるため)。2099年までに該当するのは2009,2015,2026,2037,2043,2054,2071,2099年の各年である。(予定。秋分の日=秋分日は前年の2月1日に閣議決定の上、官報で発表される。)


中国の黄金周
中華人民共和国にも日本と同様の大型連休があり、中国語で黄金周(huángjīn zhōu)と呼ばれる。これは、中国政府が経済効果をもくろんで1999年10月1日から導入した制度である(ちなみに「周」は「週」の簡体字)。

中国の黄金周は年に3回あり、労働節(5月1日)から始まる一週間、国慶節(10月1日)から始まる一週間、春節(旧正月)から始まる一週間である。どちらも、期間中に3日間の法定休日があり、2日間の振替休日を加えて、土日も入れた7連休にしている。2日間の振替休日は、直前の土日をこの期間に振り替えている。


問題点
この時期が「ゴールデンウィーク」と呼ばれ、その期間の祝祭日(休日)が、普通の祝日・休日と異なる扱いをされることには、一部に問題があるとする人もいると思われる。以下のような点においてである。

この時期の祝祭日の意義が顧みられなくなること
この時期の存在による、教育・勤労効率の悪化(特に春休み終了直後(時に新生活(入園・入学・進学)直後)の学校の児童・生徒・学生にとってその悪影響は大きいとされる)
この時期にある端午の節句や直後の母の日に比べて、この時期から離れた雛祭りや父の日の存在が薄れること。男の子や母親の行事の日の存在感が強まり、女の子や父親の行事の日の存在が薄まるのは、男女差別とする見方もある
この時期における行楽地・交通機関や祭り・イベント会場の過度の混雑

7連休化
5月1日(いわゆるメーデーの開催日)を祝日にすることで4月30日と5月2日に国民の休日が適用され、4月29日から5月5日まで7連休となる。しかし、すでに同趣旨の祝日として勤労感謝の日が存在すること趣旨が重複する祝日を定める意義の問題もあり、実現には至っていない。 メーデー実行委員会は1984年と翌1985年に中央メーデーでメーデーを祝日にするという特別決議を採択している。



子供たちが大きくなってくると、それぞれ「部活」や「用事」が入って来て、家族全員で「潮干狩り」に行っていた様なことが難しくなってきた。会社の後輩は5月1.2日を有休にして、10連休で海外旅行に行っているが、それも独身の特権だろう。何かあったら、携帯に電話して下さい、と言っていたので、海外でも繋がる携帯を持っているのだろう。

僕はと言えば、今日「散髪」に行って来たくらい。現在、その気温は31℃。どこへ行っても混んでいるのは想像がつくので、自宅で本を読むか、DVDを観るかしているのが賢明だと悟っている。それにしても暑い。
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「スパイダーマン3」が公開された。

2007年05月04日 | 映画・DVD・ビデオ
スパイダーマン2プラス1 エクステンデッド・エディション (初回限定生産)

ソニー・ピクチャーズエンタテインメント

このアイテムの詳細を見る

内容紹介
ファン待望、マニア垂涎。まだ誰も知らないスパイダーマン2

【物語】
グリーン・ゴブリンとの激しい死闘から2年。大学生になったピーターは、アルバイトと授業に追われながら正義のために闘い、多忙な日々を過ごしていた。スパイダーマンであることでMJとの恋や親友ハリーとの友情に悩み苦しみながらも宿命を受け入れるピーター。そんな彼の前に新たな敵"ドック・オク"が立ちはだかる。

【DVD特典】
<本編ディスク>
●本編ロングバージョン(約8分本編映像追加)
●ローラ・ジスキン(製作)とアルヴィン・サージェント(脚本)による音声解説音声解説
●飛び出すインフォメーション2、1
<特典ディスク>
●メイキング・ドキュメンタリー集
■『スパイダーマン2、1』製作秘話(約20分)
■大いなる努力、大いなる顕彰(約8分)
■スパイダーマンの悪役たち
●視覚効果の全て(約35分)
●ダニー・エルフマンと音楽(約20分)
●スパイダーマン3迫る(約5分)
●オリジナル予告編集
<封入特典>
●US版コミック

《監督》サム・ライミ
《製作》ローラ・ジスキン
《脚本》アルヴィン・サージェント
《出演》トビー・マグワイア、キルスティン・ダンスト

Amazon.com
かなりの数の批評家たちが『スパイダーマン2』を「これまでで最高のスーパーヒーローの映画」と喝采を送っており、これに異論を唱えるような、やむを得ない理由はない。より大きな予算、より良い特殊効果、そして生き生きとした、登場人物に力点を置いた映画の筋のおかげだ。感情的な深みや豊富な漫画感覚という点では、『スパイダーマン』の一段上だ。『普通の人々』でアカデミー賞を受賞したアルビン・サージェントの脚本の手柄で、 著名な作家で漫画専門家マイケル・チャボンが物語りを手がけたが、サム・ライミ監督の素材との相性が『スパイダーマン2』に生命感をもたらした。核融合実験が大失敗し、この過程で、優秀な物理学者(アルフレッド・モリーナ)はスパイダーマンの最新の敵で、実験を最後まで終えることとスパイダーマン(トビー・マグワイヤー)を殺すことに執着する、気が狂った、機械的な触覚を持つ「タコ博士」になる。 もっと目を離せないのがスパイダーマンであるピーター・パーカーの切迫したジレンマだ。スパイダーマンとして犯罪と闘い、煩わしくも孤独な人生を続けるのか、メアリー・ジェーン・ワトソン(キィルステン・ダンスト)と共に愛と幸福を追求するのか?自分の発明に支配される、モリーナの悲劇的な悪者振りの素晴らしさやアクション場面はまさに息を呑むようだが、『スパイダーマン2』の本当の成功は何を優先したかによる。 ハリウッドの最大で最高のおもちゃを思うままに使える中で、ライミ監督と彼の作家たちは、スパイダーマンを作ったスタン・リーとスティーブ・ディクトに敬意を払い、『スパイダーマン3』を困難にさせるほど指標を見事に上げながら、素晴らしい神話に忠実のままでいたことだ。(Jeff Shannon, Amazon.com)



「スパイダーマン2」を観て、そのCGの迫力・使い方にビックリした僕。「スパイダーマン3」も早く観たいが、スゴイ人気らしいので、ゴールデンウィークガ終わったら観に行く事にしよう。

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「象印クイズ ヒントでピント」を突然思い出した。

2007年05月04日 | テレビ番組
象印クイズ ヒントでピント(ぞうじるし-)は、テレビ朝日系列で1979年3月4日~1994年9月25日にかけて放送された日本のクイズ番組である。基本放送枠は日曜日19:30から20:00(日本時間)。司会は文化放送OBの土居まさるで、スポンサーは象印マホービンであった。

後番組は、折りしも土居と同じ文化放送OBの梶原しげるとタレントの兵藤ゆき司会の「象印ニュースクイズ パンドラタイムス」。

番組冒頭で司会の土居まさるが「象印クイズヒントでピント。先ずは頭の準備体操」と言ってオープニングクイズに入る。そしてオープニング後のCM明けにキャッチフレーズ「(あなたの)直感と連想能力に挑戦する象印クイズヒントでピント。テレビの前の皆様もご一緒にどうぞ」と喋るのが恒例となっており、番組中2回タイトルコールが行われていた。なお、末期は「こんばんは、土居まさるです」も追加してしゃべっていた(ゲスト紹介などはCM明けである)。

このキャッチフレーズを象徴するように、他のクイズ番組とは一線を画し、タレントというより「文化人」と呼ばれるタイプの解答者をメインに揃えて知的イメージを押し出していた。また問題内容も時事的な問題(特に流行に関して)が多く出題された。

番組概要
当時最新のコンピュータ技術を生かし、男性軍・女性軍に分かれての対抗戦(各5名、うち1名はゲスト)の映像クイズで、大きく6つ(末期は5つ)のパートに分かれていた(特記ないものは全員参加)。

オープニング ある人物をモザイクで隠し、その人物について当てる。解答権は1人1回のみ。正解チームにはパート5(末期はパート4)のボーナス権利が与えられる(その際キャプテンの解答席にキャプテンのミニチュア人形が飾られた)。
出題パート1 2分割
出題パート2 4分割の1:1(チャイムが鳴った場合には得点が3倍になるラッキークイズがあった。この場合はノーヒントとなる)
出題パート3 テクニカル(動画クイズで、何をしているかを当てる)解答権は1人1回のみ。
出題パート4 テクニカル(男女別に、映像に写された「ある物」が何かを当てる)解答権は1人1回のみ。解答権のない相手チームへは用紙で印刷されたものに、またテレビを見ている視聴者にはテレビ画面であらかじめ答えを先に伝えた。
出題パート5 16分割(別名「恐怖の16分割」。オープニング正解チームはボーナス権利を3問中どこかで行使する(前述の人形に旗をつける)。正解すると得点が2倍。キャプテンのミニチュア人形に「Vサイン」の絵が描かれた旗を差し込んだ時点でボーナス権利が与えられた)お手つきは各チームで3回つくと解答権がなくなり(罰として全員起立、土居が「立つ!」と言う)、正解が出るか両チームが解答権がなくなるとその時点で問題終了。末期には視聴者からの投稿問題も出題され、採用された問題の投稿者には象印の商品が寄贈された。
初期はオープニングクイズはなかった。テクニカルは20点満点でパート3は2問あった。
オープニングクイズ導入時にテクニカルの満点が10点に引き下げられ、パート3が1問のみになった。また、オープニングクイズでボーナス権利が与えられる特典がついたのは途中からで、最初は何の特典もなかった。
末期は2分割がなくなり、パート1が4分割(1対1。ラッキークイズなし)、パート2が8分割(テーマ問題)2問、パート3がテクニカル2問(動画・物当て各1問、全員参加)、パート4が16分割4問という形態だった(オープニングクイズ、パート2・3は解答権は1人1回だった)。
「~分割」とは、それぞれ2枚・4枚・8枚・16枚のヒント語句or画像の書かれたパネルを緑の番号パネルで覆い隠し、時間の経過に従って、ランダムに番号パネルを外してゆく、という形態の映像クイズである。
「テクニカル」とは、モザイク処理を施した映像を流し、時間の経過に従ってモザイクを細かくしていく=元の画像に近い状態に戻していくという形態の映像クイズである。今日のテレビでよく見かけるモザイク処理は、この番組のために当時のNECが発明したものである。テレビ番組では初めて。出題パート4はモザイクに限らずさまざまな画像処理が行われた(画面を非常に細かく分割してバラバラにする、画像を粗い点で表現してだんだん細かくしていく、超アップからカメラを引いていくなど)。
得点は基本的に正解した時点での残りのパネル枚数+1点を正解チームに加算していく、というルールであった(配点は全問合計で140点→100点→120点プラスボーナス点)。全問題終了時点で得点の多いチームの勝ち。60点以上を獲得した場合は象印賞としてその日のクイズに関連したグッズ(当初は象印製品一式)をプレゼントし、80点以上だと海外旅行(ハワイ、オーストラリア、スペイン、カナディアンロッキー)がプレゼントになった(後期は80点以上で象印賞となり、その場合海外旅行を視聴者プレゼントにした。末期には再び60点以上で象印賞獲得となった)。またゲストには必ず参加賞として象印の賞品がプレゼントされていて、たとえ一問も答えなくてもお土産が貰えることを高田純次にツッコまれることも多かった。

なかなか出ない海外旅行だったが、第200回で男性軍がついにハワイ旅行を達成した。その時は、レギュラー陣と視聴者がペアになっての特集だった。小林亜星が16分割の最後の問題でボーナスクイズを賭け、見事正解して80点ジャストになり、ハワイ行きとなった(ちなみにその次201回目も60点を超えて象印賞を獲得している)。そして、8年目でようやく女性軍がスペイン旅行を達成した。達成の瞬間、女性軍全員が号泣した。

ラストの視聴者プレゼントクイズ(正解者から抽選で象印賞品贈呈。後期は海外旅行も)は「今日のオープニングクイズの顔は誰でしょう」と「今日の対戦は何対いくつでどちらが勝ったでしょう」が週代わりで出題されていた。

各解答席の後ろには緑と赤の豆電球が設けられており、正解すると緑が、不正解だと赤が1つずつ点灯していた。なお、チーム勝利の場合は緑・赤ともに全部点灯していた。

司会者席と各解答者席には象印の社章が描かれ、初期は象のイラストのものであったが、1986年から同社の新ロゴ(CI)である「ZO」のロゴを表記したものに変更された。

1985年9月25日には『水曜スペシャル「輝け!オールスター・秋の人気番組爆笑!クイズでヒント ゲームでピント!!」』というこの番組をベースとした番組対抗のスペシャル番組が放送された。

電子音を主体とした特徴あるBGMを担当したのは、毎日放送の「世界まるごとHOWマッチ!!」でも知られる作曲家・前田憲男である。


主な解答者

男性軍キャプテン
初代:笹沢左保(1979年-1980年)
2代:山藤章二(1980年-1982年)
3代:小林亜星(1982年-1984年)
4代:浅井慎平(1984年-1994年)
歴代の男性軍キャプテンの正答率は驚異的で、特に2代目の山藤、3代目の小林の2人は16分割の1枚目で当ててしまうことがたびたびあった(「クイズダービー」のはらたいら(故人)、「世界・ふしぎ発見!」の黒柳徹子のようなもの)。また、キャプテンにはタレントではない文化人が歴代務めていた。

女性軍キャプテン
初代:小山内美江子(1979年)
2代:江利チエミ(1979年-1982年)
3代:佐良直美(1982年)
4代:中島梓(栗本薫)(1982年-1983年)
5代:楠田枝里子(1983年-1984年)
6代:中島梓(栗本薫)<再>(1984年-1986年)
7代:山内美郷(1986年-1994年)
女性軍キャプテンについては、1986年にエッセイストである山内が登場する以前は個人的なスキャンダルや本業との両立が困難となった等の理由から短期間で交替していた。初代の小山内は同年秋に開始されたTBS系「3年B組金八先生」の脚本執筆の関係で短期間で降板し、レギュラーだった江利がキャプテンになったが、1982年2月に急死、佐良が次のキャプテンとなる。しかし佐良も突如発生したスキャンダル報道の影響を受け短期間で降板し、これもレギュラーの一人であった若手SF作家の中島が4代目キャプテンとなる。中島はその後1年で出産・育児専念のために楠田が臨時代理的にキャプテンを務めた後、同番組に復帰し、1986年までキャプテン役を務め、執筆業専念を理由に山内にバトンタッチした。

その他のレギュラー出演者
カッコ内は土居が解答者を指名するときの愛称、および在任期間である。
男性
柳家小三治○
黒沢久雄□→△(黒パン、1979年3月~1984年頃)
宮尾すすむ○
高田純次△→○(純ちゃん、1985年頃~番組終了)
ジェームス三木△
おりも政夫△→□→△
山下規介□→△(キスケ、1987年~番組終了)
薬丸裕英□(ヤックン、1989年1月~番組終了)
羽賀研二□
柴田恭兵△
太川陽介□
ひかる一平□
沖田浩之□

女性
小林千登勢○(おっかさん、~番組終了)
佐藤陽子○
沢田亜矢子△
山口果林△(カリント)
兵藤ゆき△(ゆき姐、1993年10月~番組終了)
斉藤ゆう子□
マッハ文朱□(マッハ)
麻木久仁子△(1991年10月~1993年9月)
東ちづる△
千堂あきほ□(1992年1月~番組終了)
小坂明子
生稲晃子□(アッコ、1989年1月~1991年12月)
三好礼子△
飯星景子□
芳本美代子□
根本りつ子△


○印は2枠、△印は3枠、□印は4枠に在任していたことを示す。何もついていないのは不明。
土居と解答者とのフレンドリーなやりとりもこの番組の魅力のひとつであった。
土居は各解答者が誤答をした場合、名詞の場合「○○じゃないー」、動詞の場合「○○しないー」という表現が度々見られた。
意外な話であるが、同番組の重要なキーパーソンともいえる小林千登勢は、実は第1回放送時にはまだレギュラー出演しておらず、長年小林の指定席となっていた2枠には江利が当初座っていた。しかし、小山内の降板により江利が急遽キャプテンに昇格したことに伴い、1979年秋より同番組にレギュラー出演することとなった。
薬丸は宮尾の交代でレギュラーとなったが、交代当時宮尾は2枠、高田は3枠、山下は4枠に座っており、この交代で高田と山下がスライドして2枠、3枠へ移り、薬丸が4枠席のレギュラーとなった。
山下レギュラー時代以前から山下の実父で脚本家のジェームス三木も出演していたが、1990年前後に三木と山下が隔週出演していた時期があった。

セットの変遷
初代(1979年3月~1980年3月):チームごとにひとつの長い席になっており、5人分が座れる形である。このころは大画面であった。
2代目(1980年10月~1985年3月):解答席が5つに分割(1人あたり1席)のタイプに変更。ボタンを押した際にひし形の札が出てくるほか、解答席後部もひし形になっていた。この代から赤と緑の豆電球が登場し、番組のスタイルを確立した形となった。また司会席後ろの画面も小さくなり、得点盤、解答席に(スペード・男性軍)と(ハート・女性軍)がついていた。若干のモデルチェンジがあった。この頃から早押しボタン押しの音は「キンコーン」から、「ピンコン!」と短縮された。
3代目(1985年4月~1994年9月):仕様は似ているが、大幅にモデルチェンジされ、ボタンを押した際にはネームプレートが点灯する形となった。また解答席後部は三角形になっていた。ネームはゴシック体で表記される(それまでは丸文字体)。

番組エピソード
司会の土居がおたふく風邪または裏番組に出演の時、番組を休んだ時に男性軍のレギュラー解答者だった宮尾すすむが代役を務めた。黒沢久雄も代役を務めたことがある。
浅井慎平はたまに欠席したことがあり、その際には山藤章二が代役キャプテンを務めていた。
番組開始当初は電化製品も高価な上に最新の物が参加賞として貰えたので、出場したゲストには大変喜ばれていた。だが、番組後期には最新の電化製品も比較的安価で手に入るようになったために、貰っても置き場に困るというゲストが増えた。
この番組はゲストを無視してレギュラーだけで楽しんでいるという雰囲気があった。(ゲスト出演者のラサール石井談)。実際ゲストは解答ボタンを押しただけで大騒ぎされ、正解しよう物なら驚愕されるような雰囲気。また概要でも触れたが1問も解答せず、おみやげだけ貰って帰る事も多々あった。
一度だけ、視聴者が解答者として出演したことがあった(概要で紹介した200回記念大会。レギュラー解答者の横に座り、8対8で行われる)。
SMAPの木村拓哉がゲストとして出場したことがある。なおその時16分割の問題で正解している。
700回放送記念として、レギュラーチーム対OBチームのカップル大会として対抗戦が行われた。この時のオープニングクイズの顔当ては司会者の土居を当てるものであった。
土居は長年の経験からか、誰が正解するか予想できるようになっており、解答者がボタンを押すと答えないうちから「純次、違うよ」とか、「そうです、その通りです!浅井さん!」などと言っていた。(まれにその逆パターンのこともある)
山内美郷は正解率は高いものの、解答回数が非常に少なく、最終問題で初解答(正解)や、結局一度も解答せずに終わったことも度々あった。
高田純次は4分割問題などで、相手が誤答した時に正解がわかった時は、ボタンを連打するのがクセであった。ただしそうやって解答権を得ても、誤答することも多く、背後のランプは誤答を示す「赤」が幾つも並ぶことが多かった。
パート4のテクニカル問題で、女性軍への出題がなされる前、男性軍のメンバーは紙に印刷された正解を見ながらまったくデタラメの答えを言うのもお約束だった(特に高田)。
パート2の4分割のラッキークイズはキャプテン同士の対戦の際に行われることが最も多かったが、ごく稀にゲスト同士の対戦でいきなりラッキークイズとなったこともあった。
ゲストの参加賞商品は男性軍と女性軍でそれぞれ男性向け・女性向け商品が用意され、勝利した方がやや豪華な賞品であったが、ごく稀に引き分けとなったことがあり、その際には男女ともに同じ商品が寄贈された。
最終回は番組放送年数16年にちなんでオープニングクイズも含め全問16分割問題だった。最後に土居直筆のテロップで感謝の念を込めてのコメントを表示した。
テクニカルクイズで、女性軍にだされた問題の答えの用紙が男性軍に回される訳だが、男性側に回されている女性軍の用紙の答えをマッハ文朱に読まれてしまい答えられたことがある。
16分割クイズが日本テレビの法律番組「行列のできる法律相談所」のクイズ大会に使われたことがある。このとき、ゲストと弁護士軍団に分かれて対決し、負けたほうが罰ゲームとして台本通りのコント(アドリブ一切なし)を強制的にされた。

番組の終焉
日本テレビ系列は裏番組として「すばらしい世界旅行」を放送していた。それが終了した後、日本テレビ系列はいくつかバラエティ番組をぶつけたが、この番組になかなか勝てなかった。しかし、1994年春から日本テレビ系列で「投稿!特ホウ王国」を裏番組にぶつけた頃から、この番組の人気に陰りを見せ始め、視聴率が低下した。その後、小リニューアルを施したが視聴率は上昇せず、1994年9月25日に15年半の歴史に幕を閉じた。



黒澤明監督の事を考えていたら、長男・黒澤久雄の事を思い出し→クロパン→象印クイズ ヒントでピント、の流れで記憶がよみがえってきた。平和な時代やったなぁ~
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