1983年入社して最初に付いた特番が「ライオンビッグステージ」。松田聖子と武田鉄矢が歌う歌番組である。
収録現場は今は無き大阪・厚生年金会館だったと思う。
仕事は「観客の拍手取り」。舞台の左右に同期のS君と僕が立って、観客に拍手を促すのだ。
松田聖子はこの時、既にスター街道を爆進中。武田鉄矢も売れていた。
「ザ・芸能界」に関われる「テレビの仕事」をしているとつくづく実感したものだ。
最近のアイドル「AKB48」などは「学校のクラスに一人はいる可愛い子」の集合体。
ファンの男性が「もしかしたら、この子と付き合えるかも。恋ができるかも」と思ってしまう「身近な存在」だ。それが「秋元康」の戦略。
一方、松田聖子は「カラダ全体から溢れ出るオーラ」を出していて、近寄り難い「アイドル(偶像)」。僕たちにとっては「テレビの中の人」。
それは僕が「制作部」に配属されて出会った早見優や河合奈保子、岡田有希子などにも言える事だったが、松田聖子はその「オーラ」が群を抜いていた。
僕はその後いろんな種類の番組でディレクターをやった。
「ワイドショー」「お笑い番組」「クイズ番組」「バラエティー」「中継番組」などなど。
ただ、「音楽番組」だけはやらなかった。「1小節」が数えられない「絶対音感」の全く無い僕にとってはその方が幸せだったのかも知れない。
同じ入社した年、僕は箱根の「音楽フェス会場」にいた。
「心の旅」などのヒット曲を歌った「チューリップ」の「フェス」だった。
この「フェス」をレコード会社が中継車を持ち込んでMVを作る為に録画する。10台以上のカメラを使って。テレビ局の音楽番組の中継と規模が違う。
そのラインアウトをもらった上で独自のカメラを数台出して、ウチの中継車で「フェス」の模様を収録。
これを企画したのは4年歳上のMディレクター。九州出身で「チューリップ」の大ファンである。
僕は「フェス会場」の何千人という観客の前、ステージ前にいて、「フェス」が始まる直前に「中継車にVTRを回してもらう合図を送る役目」。
だから、「フェス」が始まってしまうと、「チューリップ」の名曲を聴く事以外にする事が無い。
この時収録したVTRは2時間番組に編集されて、深夜に放送された。
Mディレクターが死ぬほど好きだった「チューリップ」というバンド。費用があまりかからないとはいえ、放送されるなんて、今思うと「なんてのどかな時代」だったんだなぁーと思う。
朝の連続ドラマ第1作「花いちばん」(1986年)の主題歌はMディレクターの口利きで、「チューリップ」の「愛の風」が使われている。財津和夫さんの作詞・作曲だ。ちなみにこの歌はCDに入っているのを見た事が無い。サブスクでは聴けるかも知れないが。
僕の「音楽番組」での数少ない経験を綴ってみた。
最近、「音楽番組」を観ていて思う事がある。「乃木坂46」や「EXILE」などのグループを撮る時、「カット割り」はどの様にしているかという事。
ディレクターもカメラマンもあの大勢の集団が激しく動き回る中、決まったメンバーをどの様にして撮っているのかが、僕の素朴な疑問!