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お楽しみはこれからだ❣️

本と映画とテレビと鉄道をこよなく愛するブログ

「コンビニ」と「スマホ」

2021年12月09日 | エッセイ・日記・意見
テレビ神奈川で、日曜の24時から再放送している、1994年制作の連続ドラマ「29歳のクリスマス」を毎週楽しみに見ている。

脚本は鎌田敏夫。出演者は、山口智子、柳葉敏郎、松下由樹ほか。

このドラマを見ていると、「コンビニ」でいつでもなんでも手に入る事、「スマホ」でどこでも連絡が取れるという事が本当に「心にとって素晴らしい事」なのか、疑問に思ってしまう。

モノはなかなか手に入らないから、手に入った時、感動する。連絡はなかなか取れないから、ドキドキする。

通勤電車の中で黙々とゲームをしたり、映画やテレビ番組をスマホで見たり。映画館で心に響く映画を観た後、喫茶店やバーでその余韻を味わいながら過ごす一刻。録画予約もできないので、学校から駆け足で帰って見た土曜よる8時の「刑事コロンボ」。

そんな人間臭い感動が昭和にはあった様に思う。

「便利」という二文字が人間の生活をのっぺりさせている事は間違いないだろう。

阪神電車・魚崎の井上塾

2020年05月14日 | エッセイ・日記・意見
中学を受験した。受験勉強の為、小学5〜6年生、神戸・魚崎の井上塾に通った。元・灘中学の教師の井上先生が経営する個人の塾だった。

入塾に際しては、500円程度の万年筆を購入。万年筆に憧れていた僕はとても嬉しかった。プリントは昭和45年当時、コピー機は無く、先生がガリ版で印刷したものが使われた。

成績上位二十人は成績表に名前が出された。僕は一度も名前が出る事は無かった。

夏休み、塾帰り、ラムネを飲むのを楽しみにしていた。最初にラムネを飲んだ時はビー玉の引っかけ方が分からず、冷房の付いた列車を乗り過ごした。

阪神電車はまだ全ての列車が冷房化されている訳では無く、決まったダイヤの列車のみ冷房を装備していた。
まだ冷房が「あたる」という感覚だった。ストーブに「あたる」ように。
阪神電車の冷房は、冷凍庫の様に寒かった。僕はそんな寒さが好きだった。後年、阪急沿線に住む事になるのだが、阪急の冷房は阪神ほどには冷えておらず、それが少し不安だった。

駿台予備校京都校の表三郎先生と田中重太郎先生

2020年05月12日 | エッセイ・日記・意見
1986年・1987年(高二・高三の夏休み)、僕は京都百万遍に仮校舎のあった駿台予備校京都校に連日通っていた。
印象的な先生は、英語の表先生と漢文の田中重太郎先生だった。

表先生は予備校講師の典型で、聞く生徒の気をそらさず、的確に教えてくれた。そして、表先生のメガネ、片方が遠視で片方が近視なのであった。

田中重太郎先生は退屈な漢文の授業を魔法をかけた様に魅力的にしてくれた。中国のポルノ・金瓶梅を素材に教えてくれた事もあった。

京都の蒸し暑い中、通った駿台予備校。42年前の夏の話である。

土に触れよう!

2020年04月11日 | エッセイ・日記・意見
日本の都市では地面がコンクリートやアスファルトに覆われ、1日歩いていても土を踏む事がなくなりかけている。
その事が「人間の五感」を鈍らせているのではないか?

昭和35年生まれの僕は、ギリギリ周りに「土がある環境」に間に合った。

小学校の頃、家の近くの田んぼには肥料としての馬糞が積み上がり、同級生が野球のボールを取る為、野つぼに落ちたり、それは楽しい「昭和の時代」だった。

野つぼに落ちた息子にホースで水を遠くからかけている母親など、町の人々がいろんな人を暖かく抱き寄せてくれる時代だった。人が「生きている」と言える時代とも言えるだろう。

スマホ、携帯電話、パソコン、AI、CGなどなど何もない時代・・・それはある意味、「幸せな時代」だったのかもしれない。

梅田の切符売りのおばちゃん達

2020年04月04日 | エッセイ・日記・意見
まだ、自動改札機など無く、切符が軟らかい紙に印刷されていた昭和40年代、回数券を買ってそれを乗客に売るおばちゃん達がうめ地下にいた。
つまり、10枚の代金で11枚の回数券を大量に買い、1組の回数券で1枚分儲けるという仕組み。
当時は今みたいにチケット屋なんて無かったから、個人で経営するチケット屋のハシリとも言えるかもしれない。
当時のうめ地下には新聞スタンドや串カツ屋があったりして、人間のほのぼのとした営みが感じられた。
今は新しく綺麗になったが、大きなものを失くしてしまったと感じるのは僕だけだろうか?

パフォーマンス芸術家・秋山祐徳太子さんとTBSプロデューサー・堀川とんこうさん死去

2020年04月04日 | エッセイ・日記・意見
パフォーマンス芸術家・秋山祐徳太子さんとは新宿三丁目の文壇バー「風花」で偶然会った。15年前くらいになるだろうか。アントニオ猪木とモハメッド・アリの異種格闘技戦をプロモートし、日本テレビ・木曜スペシャルでチンパンジーのオリバー君を日本に呼び、人間の女性と性交させようとした庚芳夫さんと一緒に来ていた。
秋山さん自身は国会議員の選挙で出馬し、選挙カーの上で選挙演説をしていると警察が来た事があると言う。選挙カーの上に上がって来て警官が言ったのは、「ここはあなたの選挙区の外ですよ」。東京都と神奈川県の県境が入り組んでいて、東京都から立候補したのに、神奈川県で選挙演説をしていたのだ。

堀川とんこうさんはTBSのプロデューサー・ディレクター。僕は竹下景子の「ソープ嬢シリーズ」で憶えている。また、同じTBSのプロデューサー、大山勝美さん亡き後、山田太一さんの作品の演出した事でも憶えている。

今日の新聞の死亡欄でお名前を見てショックを受けた。
おふたりの御冥福をお祈り致します。

カードが多過ぎる日本

2016年12月07日 | エッセイ・日記・意見
クレジットカード、キャッシュカード、航空会社のポイントカード、各コンビニのポイントカード、病院の診察券、ジムなどの会員証、会社などの入館証、健康保険証等、財布の中にいろんなカードがひしめき合っている。しかも幾つかのカードにはポイントが付与されていて、しばしば「ポイントを使わないと無くなりますよ」というメールが来るのだ。ポイントを最大限に活かそうとすると、結構面倒くさい事になる。欧米でも皆さん、こんなにいろんなカードを持っているのかなぁ?
それと、家電量販店や東急ハンズでは、その会社のアプリをスマホにダウンロードすると割引等のサービスを受け取る事が出来るというシステムを取り入れている。そのアプリにもお店の最新情報が配信されて来る。
ニュースでやっていたが、アメリカでは通販大手のAmazonが、無人でカウンターも無く、複数のカメラでお客が商品を取る瞬間を感知する事でクレジット支払いが自動で出来る夢の様なコンビニを開店させるという。
便利になったのはイイがどことなく気忙しく感じ、ストレスフルになっている自分に気付く。これからはなるべく財布の中身を軽くした方がイイ事に気が付く昨今なのである。

準急「鷲羽」

2016年12月06日 | エッセイ・日記・意見
 準急「鷲羽」に乗っていた。母と僕と妹。夏の暑い盛り。大阪駅を出て淀川を渡り始めた時、幼い妹の白い帽子がフックから外れ、窓の外に飛んで行ったのである。帽子は眩いばかりの陽光の中にまるで蝶々の様に消えていった。一瞬、途切れたかに思えた油蝉のミンミンミンという鳴き声が戻って来た。母の実家に帰る日の出来事である。
 実家は、岡山駅で津山線に乗り換え、最寄駅から旭川に沿ってタクシーで20分という田舎の集落にあった。庭先にはクローバーが群生し、それを山羊が食している。裏庭には鶏小屋があって、新鮮な卵が取れる。そして、秋になるとたくさん実をつける大きな柿の木。何故か実の生らないバナナの木もあった。
 集落を流れる小川では、女性達が洗濯をしていた。叔父さんには、カーバイトを持って旭川へ夜釣りに連れて行ってもらった記憶がある。集落の夜空には満天の星。空気が澄みきっていて都会では見られない天然のパノラマを味わう事ができた。夜は蚊帳を張って三人寄り添って寝た。夏でも山間の集落なので、寒いくらいだ。実家の隣が集落の墓地で、そのすぐ横に便所があったので、夜中に蚊帳を出て用を足しに行くのが怖かった。
 集落の子供に貸してもらった少年マガジンの巻頭グラビアで、「カタコンベ(ヨーロッパの地下墓地)特集」「即身仏特集」を見て恐怖のあまり熱を出して三日間寝込んだ事もあった。
 毎日楽しみにしていたのは、「天ぷら屋さん」と呼ばれる「移動食品販売車」が来る時だった。叔母さんに頼んで食べたいものを買ってもらう。今、「天ぷら屋さん」はどうしているのだろうか・・・
 山羊の乳を飲まされた事もはっきりと憶えている。祖母が搾って加熱し、それを飲んだ。生臭くて息ができない位、嫌だった。そんな僕を見て、祖母は作戦を変更。翌日は牛乳瓶に山羊の乳を入れて持って来た。さすがに、子供の僕でも一口飲んだだけで山羊の乳と分かり、飲むのを拒否。ちなみにこの祖母はコーヒーをどんぶりで飲んでいた。
  祖父と叔父はカブに乗って最寄駅まで行き、そこから出勤していた。最寄駅までの道は舗装されておらず、車両が通ると白い砂煙が高く舞い上がった。母が実家にいる時は最寄駅まで自転車で行き、高校に通学。駅のそばには「自転車屋さん」と呼ばれる自転車を預けられる場所があった。僕の子供の頃でもこの稼業は残っていた様に思う。
 いずれにしてもまだ岡山駅に蒸気機関車が入線していた時代の事である。

酒乱堂べるじゅらっく・・・20年通った新宿ゴールデン街のバー

2016年12月05日 | エッセイ・日記・意見
「酒乱堂べるじゅらっく」というバーが新宿ゴールデン街にある。20年間、僕が通い続けた店。そこの元マスターが入院したという話を聞き、先日お見舞いに伺った。埼京線の駅を降り、改札口の地図で病院の位置を確認し、途中で迷ってファミマで道を教えて貰い、ようやく病院にたどり着いた。
 しかしながら、そこは病院とは名ばかりの二階建ての小さな建物。受付に人もおらず、名前を書いて入構証を勝手に取り、散々迷った挙げ句やっと病室にたどり着いた。マスターが見舞客と話していた。
 マスターの元気そうな笑顔を見て声を聞くとこちらも心が和んでいく。病室は6人部屋。ベッドは秩序無く無造作におかれている。そして、すえた臭いがしてきた。オムツから漏れ出して来るのだろうか・・・
「ここは地獄ですよ。先週までいた前の病院は天国だったなぁ」
とマスターは嘆く。身体の一部が麻痺しているので、前の病院では看護師さん達が大勢で風呂に入れてくれていたという。今の病院では、人手が足りないのか、朝下半身を拭いてくれるだけだという。
 唯一の楽しみは、車椅子に乗ってファミマの喫煙コーナーに行き、煙草を喫う事。僕より先に来ていた見舞客のおじさんと二人でマスターの体を持ち上げ車椅子に移動させようとするが、人間の体の重さにビックリ・・・麻痺したマスターの足を車椅子の隙間に挟んでしまいそうになり、慌てて看護師さんに助けを求めた。
 三人で車椅子に載せ、ようやくマスターを喫煙コーナーへ連れて行く。
「見舞いに来る人は誰も煙草を喫わないのに、病人の僕だけが煙草を喫うんだよなぁー」とマスターがつぶやく。でも、おいしそうに煙草を二本喫って空を見上げ、晴れていることに感謝。こちらはおじさんにおごってもらったミネラルウォーターをグビグビと飲む。三人の間を心地良い風が吹き抜けて行った。
 病室に戻り、マスターをベッドに移し、小一時間話をして、帰ることに。
「今日はマスターに会えて良かったなぁー」
と温かいものを胸の奥に感じながら自宅へと向かったのである。
 

10年前に書いた文章が出てきた!!!!!

2016年12月05日 | エッセイ・日記・意見
長男は笑うと、「柳屋金梧楼(漢字が違っていたらゴメンナサイ)」に似ている。そして、大概、笑っている。我が家の「癒し系キャラ」である。学校の成績が悪くても、あまり気にしている様子は無い。唇が分厚いのは、「愛情が豊かな性格」なのだろうか。寝ている時は、口が開いており、時々、寝惚けてトイレと違う所で用を足そうとするので、親が起きている時は、トイレに導いてやる。寝言もぶつぶつ言う。

両生類・爬虫類・昆虫が好きだ。いもりを飼っている。いもりの餌は「赤虫」で、ペットショップで買ってきたキューブ状のものが冷凍庫に入っている。その周りには、「冷凍食品」等もあり、僕的には嫌なのだが、「冷凍保存」しないと腐ってしまうので、泣く泣く許している。

次男は「カマキリ」である。僕の子供の頃のあだ名も「カマキリ」。背が高く、首が長くて、逆三角形の顔をしている。長男はおっとりしているが、末っ子の次男はちょこまかちょこまかと動き回る。僕がリビングに座っていると、勝手に「肩車をして」と頭の上に上ってくる。電化製品の操作に強く、「HDDレコーダー」を通さないと「ビデオ」が見られないという事を知っており、その解決方法も憶えている。いたずらも、下の家の子供(同級生)とし、時々は嘘もつく。嘘が「親バレ」すると、顔が「ちびまる子ちゃん、ガーン状態」になる。グッと口をつぐんで寝る。唇は薄い。イビキをかく。

長女は中学生になり、「サッカー」と「陸上」に頑張っている。女の子の特性の「群れる事」をせず、孤高であり、ちゃんと自分のペースで生活している。

妻は、大阪発の「なるトモ」を見て笑い、いつも東京人は「ボケ」ても「突っ込んでくれない」とブーブー言っている。ついに・・・下の奥さんを「大阪弁」に洗脳しようと目論んでいる。

そんな家族の中で、僕は何をしているのだろう。「仕事」「神経内科」「内科」「アトピー漢方医」「鍼」「散髪」「ブログ」「買い物依存症」「ダイエット」「映画」「深夜のテレビ」・・・

電動アシスト自転車

2015年10月13日 | エッセイ・日記・意見


子供を持つ母親がよく乗っている電動アシスト自転車。確かに便利にはなった。僕の母親は、僕の斜視を治す為、電車賃がもったいないという理由で浜甲子園団地から阪神西宮まで、僕を連れて自転車で往復していた。その有り難みが今分かる。苦労は感謝に

ガス冷蔵庫

2015年10月12日 | エッセイ・日記・意見


大阪ガスからも出ていましたが、僕が小学生の頃、ガス冷蔵庫というモノが有りました。もちろん、肉とジャガイモを入れると、肉じゃがになるというモノではなく、ちゃんと冷やしてくれるのです。仕組みは分かりませんでしたが、不思議なモノでした。

戦争はもう二度とやらないで欲しい!!

2015年06月14日 | エッセイ・日記・意見


NHK スペシャル「沖縄戦全記録」を観た。戦争は愚の骨頂だ。安倍晋三総理、一刻も早く辞任して欲しい。あなたは再び日本を戦争という道に進めるつもりですか?