大半の国民の願いを見事に裏切った行為に静岡地検はやみくもに走りました。 検察の威信もここまで落ちたか(そもそも威信なんてなかったのですが)と非常にがっかりさせる静岡地検の行動でした。 袴田さんを東京高裁に即時抗告しました。
静岡地裁からあれほど徹底的にやられたのにもかかわらず、いやそれだからこそでしょうか、もう何が何でも死刑にしなければ気が済まない、死刑にできなくても東京高裁での再審決定までの間に死んでくれればありがたい、それを願っているとしか考えられない今回の静岡地検の行動です。
今週発売されたばかりの「週刊現代」を読みましたか? 立ち読みでいいですから、是非とも目を通してみてください。 たったの4ページだけです。 袴田さんの冤罪、証拠捏造にどういう捜査側の、審理側の人間が関わってきたか、そしてその人間がその後どのように出世して行ったか、そういうことが分かります。
刑事・検察官・裁判官別に実名を記載しています。これらの三者がいわばぐるになって袴田さんを犯人に仕立て上げ、死刑囚にまでしたか、今回ようやく静岡地裁が真面な判断をしたと喜んだのも束の間、やはり悪の集団はどこまで行っても悪であり続けるということなのでしょう。 正義や真実の追求なんてことは所詮ドラマや小説の中だけのことなのでしょうか。
ちょうど昨日1日の朝日新聞の地方版ですが、ずいぶん大きな秋田県警の不祥事の記事が出ていました。 大きな見出しは、『組織防衛 埋もれた自殺 秋田県警元交通部長のパワハラ』。 小さめの見出しは、『因果関係”不明” 本人聴取不十分 議会での非公開図る ”自浄考えてない” ”公安委員会は飾り”』 です。
記事の内容は、交通部長で警視正の男が、各部署で部下に対してパワハラを繰り返し、結果当時の地域課長が自殺したのに、大した内部調査もしないどころか、事件は長いこと公表されなかったというものです。いかにも警察組織です。現場の警察官は一生懸命働いているのでしょうが、世間的には無能な出世しか頭にない上司のキャリア官僚は何をしても許され、部下が組織防衛・隠蔽という名目でそんな人間の屑を守るというシステムが強固に出来上がっているようです。
2014年SPRING の 「SIGHT」、発売されたばかりですが、私はいつもこの中の内田 樹 と 高橋源一郎の”総論対談”を楽しみにしています。 特定秘密保護法案の話しから、現在の司法制度、刑事司法制度についても縦横無尽に話し合っています。刑事訴訟法の問題点も取り上げています。つまりは「取り調べ手続きの可視化」という問題です。 以下、対談からの抜き書きです。
(広瀬川の流れは澄んで来つつあります。)
『どんな証拠があるか、被告側は最後まで分からない』 『全部検察官が持っている』 『なぜ今まで冤罪が繰り返し起こったかというと、どんな証拠があるか教えないから』 『決定的に(被告に)有利な証拠があっても、向こうが(検察)が出さなきゃ分からない』
(あとは魚が戻ってくること!)
『(刑事訴訟法の大権威者の言として)我々は性悪説に立っている。すべての証拠を出してしまうと、被告は有利な証拠を組み合わせて証言を捏造する可能性がある。だから我々はすべての証拠を開示しないんだ』 『弁護士と被告については性悪説だけど、検察官については性善説、っていう制度設計なんです』
呆れてしまいます。今回の袴田さんの事件だって自白と捏造された不自然な証拠によって、検察と裁判官が共謀して袴田さんを犯人にでっち上げ、死刑囚に仕立て、結果として袴田さんは精神が極めて不安定な状態になってしまった。
(澱橋の上から上流中洲を望む)
裁判官というと、少し前にこのブログで紹介した本がありました。 講談社の読書人の雑誌 「本」(2014年3月号)に掲載されていた 『絶望の裁判所』の裏側 (瀬木 比呂志明治大学教授)という一文です。 そこには驚くべき裁判官たちの生態が暴かれています。 著者はこの新書(講談社現代新書)を、司法荒廃、崩壊の黙示録として書いたそうです。
『裁判官は、「俗世間の人間たち」の一員であり、・・・、「俗物」の表現が当てはまるような人々も多い。・・・。司法行政エリートと呼ばれる人々は、大半がそうである。』
『裁判部における日常的な話題の最多たるものは人事であり、・・・、明けても暮れても、よくも飽きないで、裁判所トップを始めとする他人の人事について、うわさ話や予想ばかりしていられるものだ』(だから退官や転身する人が多くなっている)
『(裁判所の)システム自体は、戦前から引き継がれたきわめて日本的な官僚支配、統制のヒエラルキーであり、制度の物神化、表と裏の二重基準、二枚舌を特質としている』
これでは裁判官の期待することは困難ですね。裁判員に期待すべきでしょうか。ここで改めて、憲法第76条第3項を読み直してもらいたい。
第76条第3項 すべて裁判官は、その良心に従ひ独立してその職権を行ひ、この憲法及び法律にのみ拘束される。
検察官のいうことがすべて正しく、間違いがないのであれば、裁判という制度そのものも、もちろん裁判官も不要となってしまいます。 裁判官は検察官との間に距離をとること。 裁判においては裁判官はすべての被告に対して”推定無罪”というくらいの精神で、予断を持つことなく審理を尽くしてほしいものです。