今日はこどもの日。子どもの日にかかわらず、子どもたちには常日頃から一杯遊び、一杯勉強して、明るく楽しい日々を元気に過ごして欲しいものですが現実は厳しいものがあります。日々子どもたちと接していると、本当に健気だなあとか、いじらしいなあと本心から感じることがあり、子どもが子どもらしく生きていくためにはどうしたらいいのか悩むこともしばしばです。でもそんな現実に負けずに生きていって欲しいものです。
ところで、毎年第一生命保険が調査している子どもたちの希望職業調査「大人になったらなりたいもの」が公表されました。 私が一番興味があり、おもしろいなあ、いいなあと感じているもの、それは『大工さん』です。2008年の調査では第5位でした。99年までずーと遡ってみていくと、05年の9位を除いて、大体4位から5位をキープしています。凄い人気です。
何となんとナント98年は堂々の1位でした。前年の97年は10位でしたが。まあ、何にしても大工さんの人気はある意味不動の地位を占めているといっていいのではないでしょうか。 98年頃は確かNHKの朝ドラか何かで女の大工を主人公にしていたのではないかと思います。その影響が大きかったのでしょう。それと腕に技術を身につけておく(何か言い方がおかしい?)のが望ましいという親の考えも影響していると考えられます。
実は私の父も大工でした。「家大工」、「一人親方」です。「棟梁」ともいえます。子どもの頃から宮大工のもとに働きに出されて、大工になったようです。今の大工さんの家庭の暮らしはどうなのでしょうか。昔は貧しかった。父も母も一緒に土日なく働いていたなあと思います。それでも暮らしはよくはならなかった。だから、子どもの頃はサラリーマンの家庭に憧れたものです。とっても格好よくて羨ましかった。
そのお陰で子どもの頃から、木工作に親しんできました。長期休みには一人で板を切ったりして、刀を作ったり、船を作ったりしたものです。だからでしょうか、オヤジから自分用ののこぎりを作ってもらいました。今も持っていて、使っています。見よう見まねで自分なりに”目立て”をして、切れ味を保っています。
昔の人は本当に自分の道具を大切に大切に使いました。のこぎりだって、鉋(かんな)だって、鑿(のみ)だって、刃がでるならどこまでも使ったものです。長いこと使えば、当然減っていきます。のこぎりならのこぎり全体の幅が半分くらいにまで減ってしまったり、のみなら幅は変わらないけど長さが短くなるし、かんなだってかんなの台や刃が減ってきます。それでも3種類の砥石を使って、きれいに研いでいました。 オヤジはよく言っていたものです、刃物で怪我をするのは刃が切れないからだと。切れないから無駄な力が加わって怪我をしてしまうと。
そうそう包丁の研ぎ方は少し教えてもらいました。だから他の人よりは少しは上手いと思うし、研ぐこと自体がとっても好きになりました。(もともと刃物が好きだったのかもしれませんが。とくに日本刀等の刀は大好きです。)出刃包丁は魚をおろすためによく研ぎますが、刃物と砥石の混じった匂い(臭いではない)がとっても好きなのです。そして結果としてピカピカに光る包丁の刃、堪りません。やればやるほど磨かれるのですから力が入ります。
話しが少しそれてしまいましたが、子どもの頃は棟梁と言えば格好いいけど、実際は一人で何もかもしなければならず、ブルーカラー(というよりもブラックカラーといったほうがいいかも)の子どもとしては貧しかったためにホワイトカラーの子どもがとっても羨ましかったものです。仕事の仕方がまじめすぎて、余計に儲けようという気がなかったようです。決められた手間賃だけを受け取っていたような気がします。
でも大きくなるようになってからは、休みの日にはオヤジの仕事を手伝ったりするようになりました。木を切ったり、釘を打ったりするとは好きでしたから、苦ではなかったです。5寸釘なんか上手く打てたときはとっても嬉しいものです、やったーと快哉です、心の中で。
家の建設を請け負うと、オヤジが中心となり、関連する仕事仲間と連絡を取り、日程調整をしたりして、基礎から工事をはじめ、基礎ができるといよいよ大工の出番となり、柱に墨を入れて、切ったり彫ったりします。昔は今のように電動の機械はなかったですから大変です。まさに重労働です。とくに柱に穴を開ける作業は辛いものがあります。電動のものがでてきてからは、オヤジも使うようになりました。電動かんな、電動ドリル、電動のこぎり、ありがたいものです。
家の形が見えてくると、瓦、水道、電気、建具、壁・内装、畳等と一緒に仕事をします。それを仕切るのはオヤジです。そういうことが分かってくると、大したものだ、オヤジは凄いと内心思うようになりました。そもそも昔の大工は、50cm×60cmくらいのベニヤ板に墨壷の墨を使って、竹の筆で図面(平面図)を引き、それを元にして現場では全てを仕切っていくのです。あらゆることが頭に入っている、体が仕事を覚えているからこそできたのでしょうが、それにしても素晴らしいことです。
一番格好いいのは建前のときですか。屋根になんというのか分かりませんが、カラフルな旗みたいなものを翻らせ、神主とともに祝詞をあげたり、建前の主役となるわけです。今はやらないようですが、建前の時は餅やお金を屋根から撒いたものです。子どもの頃はよく拾いに行ったものです、よその家の新築現場に。
そういうことを経験していく中で、オヤジを、オヤジの仕事を見直し、凄いことをやっているのだと思うようになった次第です。それに何といっても自分が中心となって一軒の家を建てるわけです。いろんな人たちの力を結集して見事に家が出来上がっていきます。そしてそれは何十年も残るわけです。しかもオヤジは使える板や木はとことん使うという考えで、極力無駄を省き、使えるものは再利用するということを当たり前のように実践していたわけです。そうすれば費用も少しでも安くなるし、建て主の負担がそれだけ少なくなります。よくやってきたものだと、ただただ感心するばかりです。
でも、自転車やリヤカーに荷物を一杯乗せて、街なかを歩くのはいやだったなあ。惨めに感じることもありました。
でも、でもそういうことも含めて総体としてオヤジを考えると、大したものだ、よくやってきたものだと感心するとともに賞賛したいとも思います。
そんな父も亡くなってからもう16年になります。
第一生命保険の調査結果から、オヤジのことを思い出すきっかけを与えてもらいました。ついては男の子の”なりたいもの”のベストテンに、常に『大工さん』が入り続けてくれれば嬉しいなあと心から思う次第です。
想像と創造、今最も必要とされるものではないでしょうか。