鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

ケータイ

2007-04-25 22:56:14 | 思いつくまま

 今日の出勤時は小雨が降っていましたので、バスで出勤することにしました。

 用意周到にレインコートを着て、傘を差して市営バスに乗り込みました。7:42amのバス。大体は座れます。今日も二人掛けの椅子に座りました。

 

 前には立っている若者、大学生くらいの青年ですか、が立っていて、若者の定番?ケータイを使ってメールしていました。(今風に今にもずり落ちそうなGパンスタイルで、後ろ左のポケットには黒色の分厚い札入れ、財布が三分の二くらい入っていました。何が入っていてそんなに分厚いのか中身を見てみたい気がしましたが、それよりも何と無用心なことかと呆れました。車内が込んでいれば、ひょいと取られても気がつかないのではないかと心配になってしまいます。)

 バス等の車内では「携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスがありますが、電話で話をしなければ、メールならいいのでしょうか?ペースメーカー装着者等に支障はないのでしょうか?

 いまふと思ったのですが、そういえばこの頃は車内での「携帯電話の電源をお切りください」というアナウンスはなくなったような、少なくとも一時期のように回数が多くはなくなったような気がしますが、私だけの感じでしょうか?

 

 少しして、また新しい乗客が乗ってきました。大体が若い男女です。女性はハーフコート等を着ていますが、男性はあまり着ていないようです。(雨の日にはレインコートを必ず着用する私なんかは、化石といってもいいのでしょうか?)

 その中に少し背の高い若い今時風の男性がいました。先ほどのメールしていた男性の後ろに立って、左手でつり革を握っていました。カバンを右肩にかけていたようです。

 よく見ると、つり革を握っている左手には、しっかりとケータイが握られているではありませんか。しかも、よく見られるストラップは一つもないのです。滑りやすいのではないですか。ケータイを握りながら、つり革に掴まっている。なかなか大変なことではないでしょうか。

 シャツかズボンのポケットに仕舞っておけばいいのにと思ってしまいます。(先ほどの男性はケータイをポケットにしまっています。)なぜ、そこまでしてケータイを放さないのか。そんなに大事なのか。そこまでしなければならないのか。

 

 私も携帯電話は持っています(動機はブログにも書いたように、徘徊老人だった母を捜すために、家族から持たされたものです)が、今はほとんど「不携帯」です。

 帰宅したら電源を切るし、職場では電源は入っていますが、引出しの中に入れている(電話がかかってきても、分からないことはしょっちゅう)し、ちょっと外出するときでもそのままにしています。

 ケータイに縛られるのが嫌だからです。ケータイはあくまでも非常用で、かかってくるのを待つのではなく、こちらからかけるべきものという考えです。公衆電話がないときに、ないところでも電話ができるようにと持っているだけです。

 ケータイでインターネットを見るつもりはまったくありませんし、カメラの機能は利用しています。ケータイで写真を撮って、パソコンに送信したりはしています。

 

 個人的なことはどうでもいいことですが、少し前の地元の新聞にもケータイを持つ若者に関する記事が載っていました。

 投稿という形で、「ケータイ依存の若者 ・・・24時間束縛 窮屈な日常」という記事です。便利な機器を持つことにより、かえって日常生活が不便というか窮屈になってしまう皮肉。

 

 高校の先生から聞いたということですが、「メールにはすぐ返信。うっかりほっておくと『無視された』と言われるし、絵文字をたくさん使わないと『よそよそしい』『冷たい』と思われる。それが不安で不安で、お風呂でも寝るときも気が抜けないんです」と。

 これが恋愛となるともっと大変で、「お互いに細かく縛りあっていないと不安になる」らしいです。

 「携帯を媒介とした束縛。それは、われわれの想像以上に窮屈で、生活の一部になっているらしい。」「束縛は愛情の証しだ」と思っている、と。

 そこから、「若い人たちを見ていると、束縛に対して鈍感な人が多いことに驚く。愛情と束縛の区別がつかないようだ」といい、「愛情は信頼と元気と勇気を与え合うこと、束縛(支配)はそれらを奪うこと」。「愛情と支配を間違えないで」と続きます。

 「デートDV・・・、暴力的関係の入り口に当たるのが、このケータイによる束縛なのだ」と。そこから、「信頼関係を築けずに、不安におびえながら相手の自由を奪っても不安はちっとも解消されない。・・・。人を信じることは、自分を信じていなければできないことだ。」と続き、「ケータイに返事が来なくたって大丈夫。そう思えるとずいぶん楽になるんだけどな。」と。

 

 本当に私もそう思います。”ノー ケータイ デー”を設けましょう!!!

 

 写真は、堤防の何とか木の花です。

 

 

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2 コメント

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Unknown (じじ)
2007-04-26 00:25:34
私も主人もあまり使わない携帯電を持ってはいますがいつもバッグの中で電話があってもまず気づくことは無く、家にいる時などは三日も開けないことがあり急ぎの用件にはまったく役に立たないことは同じです。ただ」出先では便利です。主人も持ってはいますがいつも電源オフ。必要な時使えばいいといっていますがシニア用?の契約なので基本料金は安いのですが通話料が高い設定になっています。そういったら「使わなければいいんだろう」うん??何のための携帯なの?こっそり解約しておこうかと思ったりします。
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ノー・ケータイ賛成 (yodakinbo)
2007-04-26 01:05:36
僕は生きた化石というか、今だに携帯を持ってません。携帯でやりとりするような必然性がないからです。持ってなくても全然不自由でもありません。
携帯については必要悪と思ってます。

先日家内とファミレスに行ったとき、グループの高校生4人がそれぞれケータイでメールしてました。おまえら何やっとんじゃ!と噛み付きたい気分でした。
会社でも若い人は四六時中手放せないみたいで、確かに今時の若い人は携帯依存症です。
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