鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いよいよ大雪か、

2017-12-07 13:51:50 | 思いつくまま

   

                   (午前9時5分頃)

 今NHKFMを聞いていますが、とっても懐かしい歌が流れてきました。午後1時から2時までの番組ですが、懐かしいフォークソング等を特集しているのかも。 石川セリの「8月の濡れた砂」ですが、その前奏が聞こえてきたときはもう涙が出てきそうなくらいの懐かしさに心が占領されました。

                     

 

 NKHというときのう最高裁判所でNHKの受信料に関する初めての判決が下されましたね。約900万人といわれる未契約者に対してどういう態度で臨むのか、今後のNHKの出方が注目されます。

                     

 15人の大法廷で審理され下された判決ですが、判決内容は予想通りといっていいでしょう。現状追認の最高裁ではこんなものでしょう。司法判断は、三権分立の大原則にのっとり是々非々で判断を下すということからは、今までもこれからも期待はできないでしょう、残念ながら。

 

 そこいくとアメリカの司法は大したものです。時の権力者が誰であれ司法は司法として独立した権限で持って判断を下す(それが当たり前なのですが)ということが確立されています。そういうアメリカのいいところは見倣わないのは困ったことです。

 

 新聞の一面全部を使って判決を掲載していましたが、読みづらい判決を読んでみました。1回ではとても理解不可能です。とくに補足意見として出された個別意見を読んだのですが、木内裁判官の意見が一般常識的な判断を法律用語でまとめているようで一番納得しうる判断と感じました。

 

 個人的に納得できないのは、契約した時点から受信料を支払うのではなく、受信設備(テレビ)を設置したときに遡って支払い義務が生じるということです。これは負担の公平性を図る上で必要かつ合理的だという判断ですが、この考えを推し進めていけば個人で自主的にNHKと連絡をとり契約を締結しなければならないということに行きつくのではないかと思います。

 

 補足意見で小池、菅野裁判官は共同補足意見という形で、受信設備を廃し(テレビを家庭から撤去した場合)した後のことについても言及しています。「受信設備を廃止したとしても、過去の受信設備設置により、それ以降の期間について受信契約締結義務が発生しているのであるから、廃止までの期間についての受信契約の締結を強制することができると解し得る。」とまで言い切っています。

 

 この件については、木内裁判官は「すでに受信設備を廃止した受信設備設置者が廃止の後の受信料支払い義務を負うことはあり得ない。・・・。過去の事実を判決が創作するに等しく、判決がなしうることではない。」と言っています。

                   

 自分でもどこまで理解できたかはっきりしませんが、何にしても今後のNHKが「国民の知る権利を実質的に充足し、健全な民主主義の発達に寄与することを究極的な目的」(岡崎裁判官)と自覚して、政権の意向に左右されず、真の国民のことを考えた公共放送として運営して行ってほしいものです。

 

 

 ”大雪”ですね。(大雪 初候) 『閉塞成冬(そらさむくふゆとなる)』 空が閉ざされ、本格的な冬になる時期です。「片山に入日のかげはさしながらしぐるともなき冬の夕暮れ」(藤原良経)

 

 

 そうそうきのう6日は仙台市地下鉄東西線が開業してちょうど丸2年目の日でした。いつの間にか2年も経過してるというこの時間の流れの速さ。 仙台市のような100万規模の都市に地下鉄南北線と東西線の二つの系統が走るようになっています。

                          

 東西線の乗客数の見込みは2度も下方修正されています。計画の段階ではどうしても過大見通し、甘い見通しになります。沿線人口や利用客数を多めに見積もらないと収支がバランスしないからです。国の認可が下りないからです。もともと無理があったのです。

 

 誰が見ても乗客数の見込みは多すぎといわれてきましたが、実際その通りで、東西線が収支のバランスがとれるなんてことはあり得ないでしょう。今のところは宮城県や仙台市は人口が増えていますが、もう少ししたら人口減となってしまいます。何しろ日本国ぜんたいの人口が大きく減少局面に入っていくのですから。

                         

 市営バスの収支も採算がとれないところばかりといっても過言ではなく、近い将来仙台市にとって重い負担となり、にっちもさっちも行かなくなるだろうことは容易に推察されます。ただ誰もが真摯にその現実をみようとしていないだけでしょう。”現実をみんなで見なければ恐くない”ということです。 

 

 そんなカッコいいことを言っている自分ですが、一方では1割負担の敬老パスを買って喜んでもいるわけです。

                     

 

 今日発売の週刊誌も面白そうですね。週刊文春と週刊新潮です。二誌とも大々的に大相撲のことを取り上げています。 ここにきて「モンゴル力士会」が前面に出てきて、叩かれるようになってきましたね。

 週刊文春は、「モンゴルの闇」に迫る!と題して、「貴乃花VS.白鵬「八百長」の真実」、「白鵬「愛人2ショット」と「危険なタニマチ」」と大々的に書き連ねています。

 また、週刊新潮は、「肉を切る「白鵬」、骨を断つ「貴乃花」」ときました。この中で気になった見出しは、「凶器はやはり「ビール瓶」!?共犯白鵬の偽証疑惑」というのと、「日馬富士引退会見で隠した本音は「ふざけんな白鵬!」 です。

 ここにきて白鵬のワンマンぶりというか、したい放題だったという独裁振り、思い上がりが、さらにそうさせてきた相撲界が、相撲界に弊害をもたらしてきたということが表出してきたということでしょうが、果たして自浄できるのか、このまままたうやむやになってしまうのか・・・・。

 稀勢の里がこのまま中途半端なままだと、結局はモンゴル勢が居なければ日本の相撲は成り立たないということで、今の理事会をみてみると、被害者の方が対応がまずかった、とくに親方の貴乃花の対応の拙さから、貴乃花や貴乃岩のほうが割りを食うことになるような気がします。変な結末ですが。

 

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