鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

あと1日と9時間、だから水族館

2015-12-30 15:06:58 | お知らせ

 いよいよ今年もお仕舞ですね。 午前中松飾をいつものところに取り付けました。 新鮮な青々とした松で、手に取ると気持ちがいいものです。

 広瀬川の方は年末や年始には関係なく、いつも通り悠々(というには小さい川ですが)と何ごともなかったかの如くに、9月の大増水なんかまったく知りませんでしたかのように流れています。だからいいのですね、川の流れは。 川の流れのように晩年を過ごせれば最高でしょうね。

         午前10時50分頃の撮影です。 一見すると雲がとっても多いように見えますが、この雲の上は青空でした。

 

                           

 毎度毎度の広瀬川分流の光景ですが、この二つの写真のあいだにはこういう物語がありました。

 

 分流の右岸の隅の方から子どものカモが2羽、出てこないで隠れていればいいのに、出てきました。例によって、何とか驚かせて飛び立つことのないように十分注意しながら分流の脇を歩くのですが、うまくいかないのですね、これが。

        

 飛び立たれてしまったのですが、20メートルくらい下流に着水しました。なんとか平穏に済まそうと努力したのですが、やはり無理でした。 別にカモの飛び立つ瞬間の写真を撮りたくていたわけではないのです。  まあおかげで自分としてはいい写真が撮れたと思っていますが・・・。

            

 きょうは川のそばまで来ている人はいませんでした。 きのうはおやこで”水切り”をしていたのですが。

 

 kokokarahondai;

 さてこれは何でしょうか? 

 ではこれはどうでしょうか?   

 みなさまお馴染みの″チンアナゴ”ですね。 本当に愛くるしい姿形で、所作もかわいいいとしかいいようがありません。

  ちょっとピンボケですが。

 問題は?これです。 何とも奇妙です。 逆さまになって泳いでいます。

      

 はじめて見たし、聞いた感じですが、説明版では ”へコアユ” というそうです。 まあたまたまアユという名前がついたのでしょうが、でもアユという名前がつけば嬉しいし、愛着もわくというものではないでしょうか。

 へコアユとチンアナゴは共生しています。

           

 では、これは何でしょうか? なかなか写真に撮るのが難しかったです。 だからピンボケも入っています。

 

                

 2枚ともピンボケですね。 手足の長いキリンの子ども? 小鹿?そんなはずはありませんよね、水族館といっているのに。 でも鳥類や爬虫類もいるから・・・・。

 そうです、シードラゴン、正しくはウイーデイドラゴン(タツノオトシゴ)ですね。自然界は何とも不思議なものです。

 

 きょうもNHKBS1スペシャルを見てしまいました。 『戦争を知らない子どもたちへ』 ということで沖縄戦での子どもたちの特設部隊のドキュメンタリーでした。 

 沖縄の中学校や女学校の生徒たちによる部隊、ひめゆり部隊や鉄血勤皇隊の話しは当然聞いていましたし、それなりに知っていたつもりですが、そのほかに 『護郷隊』(ごきょうたい) という17歳未満の子どもたちによる遊撃隊、ゲリラ隊があったのです。

 軍はまともに戦ってはとてもアメリカに勝てないからということで、子どもたちを利用したのです。 子どもたちなら沖縄の服装をしていればアメリカ軍に攻撃されないということで、一方では銃を持たせて戦闘行為をさせるとともに、一方では民間の子どもに成りすましてスパイ活動、情報活動にも従事させられていました。

 法令上は、「14歳以上でかつ自ら志願」ということだったようですが、実際は法令に違反して、辞退できなかったように仕向けられていたそうです。特攻隊と同じようなものでしょう。

 最初はその作戦はそれなりにうまく行っていたようですが、逆にそれがアメリカ軍内部に知れ渡ったことによって、誰が軍人で誰が民間人か分からなくなったわけですから、アメリカ軍は結果的に無差別攻撃をすることになって悲劇が繰り返されたようです。

 10キロの黄色火薬を持たされて戦車に突っ込む作戦をやらされていた人が言っていました。「心もマヒしてしまう。心配したり、考える余地も亡くなる。優しさも怖さも何もなくなる。 ”妄動” 状態。」と。次の言葉が強烈でした。「ただ、生まれなかったらなと思えばいい」

 野戦病院で足を負傷し動けなくなった友達は、土手に座らされて毛布を掛けられ軍医によって射殺されました。そのことを友達の家族に言っていいものかどうか、70年も悩み続け、この番組のインタビューの結果なのでしょうか、ようやく友達の10歳下の弟に、「第二護郷隊」の石碑の前で目撃した本当のことを話しました。 弟の方は負傷して戦死したと思っていました。

 『一体何のために戦ったのか』 『こんな子どもに人殺しをさせるなんて』 という重い言葉を噛みしめ続けたいです。

  だからということではないのですが、   買ってきました、この本。 買ったのはきのうです。 ここまではっきりと沖縄の心を言い続けている知事は珍しいのではないでしょうか。

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