鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

春分の日

2021-03-20 14:36:49 | 思いつくまま

 

きょうは春分の日、祝日ですね。春のお彼岸の中日です。もうお墓参りはお済ですか?お墓参りの習慣、これからどうなるのでしょうね。若い人たちはどう思っているのでしょうか。

  

春と秋のお彼岸、8月のお盆とかのお墓参りの伝統行事、きちんと若い世代に引き継がれているとは思われないし、引き継がれていくのは難しくなっていくのでしょうね。ご先祖様を敬い、今の自分がいるのはご先祖様のおかげと考えること自体もう無理な世の中になっているのかなあ。

 

いつかは落ち着くでしょうが、去年から続いているコロナ禍、これもますます若い人たちを故郷から遠ざける引き金になっているのでしょうし、コロナ禍前に戻るということは無理というか、あり得ないのかもしれません。

 

私自身は特に信じる宗教というものがあるわけではないのですが、そうはいっても家の代々の宗教である仏教の浄土真宗は嫌いではありません。開祖の親鸞という人にはわかいときからずーと興味を持ってきました。

 

南無阿弥陀仏という念仏をひたすら唱える、他力本願という考えは、人間はいくら自分の頭で考えても自力では到達できない境地に到達するためにはそれしかないのかなと理屈では分かっているつもりです。

 

ここまで書いてきて、ふとおもいだしました。振り返ってみると学生時代はある意味求道者?的な考えをして、宗教書なるものを読んだ記憶があります。その中でも一番心に残ったのは、倉田百三の””出家とその弟子””ですね。

 

こころが熱いものに満たされ、重く深い満足感というか、生きて行っていいのだよりは生かされているのだ、という感激に満たされ、感涙がこぼれました。心が洗われました。今はどうなのでしょうか?

 

新聞の書評欄を見ても、本屋を見ても倉田百三の本なんか全く見当たりません。学生時代は、最初に読んだ「出家とその弟子」の感激を引きずって彼の本を読み漁りましたね。当時春秋社という出版社から著作集か全集が出ていたと思います。古本屋にも足繫く通いました。

 

残念ながら、倉田百三は、加齢とともに?意識してかどうか、時代の波に乗りいわゆる日本浪漫派的な言動をするようになっていきました。それが残念でした。春秋社からは、鈴木大拙の著作集も出版されていて、禅に関する本を少し読んだ記憶があります。

 

少なくとも、倉田百三の「出家とその弟子」は今でも読み継がれていくべき名著だとおもうのですが、どうですか? 数社の文庫本にあったのですが、いまは絶版でしょうか。

 

「日本の旧暦と七十二候」によると、春分の初候には『雀始巣(すずめはじめてすくう)』が紹介されています。でも、私はスズメの巣作りや、巣自体を見たことがありません。是非とも見てみたいものです。よっぽど可愛らしいでしょうね。

 

若山牧水の短歌も紹介されています。『 たべのこしし飯つぶまけばうちつどふ雀の子らと日向ぼこする 』 実は我が家でもそれと同じようなことを時々しています。ご飯粒に寄ってくるスズメたちをみていると、その動作のなんと愛らしいこと。癒されます。

 

広瀬川では、スズメに代わって、カラスが巣作りをしています。これは前にもこのブログで紹介しました。たぶん、よくよくみれば広瀬川の界隈の大木にはカラスだけでなく、トンビの巣もあるとおもうのですが、見ていません。

 

お彼岸と言えば、我が家では何と言ってもこれです。そうです、おはぎです。午前中買ってきて、さっそくお昼に食べました。

 

 あんこ・ごま・きなこの三種類のおはぎを一個ずつ食べました。なんかいつもよりも固かったかな。チンすればよかったか。やっぱり一番うまいのは、あんこです、何と言っても。

  

分流脇の梅もようやく咲き出しました。

 

堤防沿いの家の梅はもうこうなっています。

  

 

 


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