鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

いやはや、何とも

2024-05-10 13:37:53 | 思いつくまま


きのうは正直寒かったですね。おとといの最高気温も19.6℃で20℃に達しませんでした。それなのにきのうはもっと低く、最高気温は17.2℃でした。正午でさえ15.2℃で、寒がりの私としては厚着して耐えるよりほかはなかった次第です。まあ、幸いこのくらいの寒さに対しては重ね着すれば、、厚着すれば何とか凌げますので助かっていますが、一番の問題は天気や気温の乱高下ですね。何度も繰り返していますが、天気は穏やかに移ろっていってほしいものです。



きょうなんて午前9時で17.7℃でした。きのうは11.5℃までしか上がりませんでした。それが3時間後の正午には何となんとナント23.5℃まで上がっていました。風がありましたが、高い気温の前には風の力はとっても弱いものでした。



というか、朝方は放射冷却のためでしょうか、よく冷え込みました。午前3時で8.5℃(きのうは9.9℃)、6時では9.9℃までしか上がりませんでした。早朝は冬に来ている少々厚手のフリースを羽織りました。そういえば、きのう9日はアイスクリームの日だったのですね。



まあ、天気のことは自然のことですので如何ともしがたいことですが、こちらのほうは何とでも臨機応変に対応できたでしょうに、官僚も官僚なら、大臣も大臣と呆れかえるよりほかにどうしようもありません。



水俣市で開催された環境省と水俣病の患者団体との懇談会のことです。きのうおとといと大きく取り上げられましたが、懇談会は1日開催で、私がテレビで環境省の役人がスイッチを切っていたのを見たのは3日だったかな、あいやあ~、なんてひどいことをするんだろうと思いました。しかも、ひとりの発言時間がたったの3分間でした。3分間でいったい何が語られるというのでしょうか。



3分ということで思い出すのは、昔々ラジオで放送されていたNHKの「私たちの言葉」(?)といったかなあ、朝の6時50分からの10分番組で、毎回3人の言葉というか、思いを放送していました。そして、この10分番組が終わると朝の7時のNHKニュースという流れでした(と思います)。「私たちの主張」?いやあ、‥主張というと「青年の主張」を思い出してしまいます。

私が言いたいことは、たった3分間でたまりにたまっている言いたいことを言えるのかということです。常識的に考えてもそんなことは無理な話しです。絵画の鑑賞やスポーツの観戦の感想をいうのではありません。長年にわたり、チッソという大きな会社や熊本県、厚生省(当時)に弾圧抑圧され虐げられてきたという長く深く暗く重い過去があるわけです。

聞く耳を持たない岸田内閣の性格そのものだなと感じました。岸田内閣というと聞くだけは聞いているが、その後の実践にには結びつかない、ただ聞き置くだけ、聞き流しするだけで、実質的には相手に期待を持たせることもあるだろうだけ悪質であるとも言えるでしょう。その意味では増税メガネ、増税クソメガネと言われ続けてきたその延長線上にあるのでしょうね、国民にいろいろな負担を負わせるだけ負わせてあとは知らんぷりか。

水俣病というと個人的には忘れられないことがあります。もういまから50年以上も前の話になりますか。まだ独身時代で、関西に住んでいた時のことですね。当時も水俣病について、チッソの垂れ流しが原因ではないかということで大きな社会問題となっていました。しかし、真摯に向き合わない企業や国に対して、国民の間にも強い不満の気持ちがあふれかえり、意に反して水俣病を発症させられてしまった患者たちの恨みつらみを少しでも共有しようと、当時流行った行動の一つ、みなさん、団塊世代のみなさん覚えてないですか?

 怨    です。むかし、「怨」という字を布等で切り出して、それをGパンやシャツの背中に縫いつけるという行為です。そういう行動をすることにより、水俣病で苦しむ人たちに少しでも共感を示し、チッソという企業にきちんとした補償を行えと意思表示する抗議行動の一環でした。ひとり一人の自主的な行動だったのかなあ。

そうなのです、その昔大阪から熊本県水俣市まで一人で行ったことがありました。確固たる強い信念が突き動かしたとかいうものではなく、個人的に已むに已まれずに行動したということだけです。Gパンでもラッパズボンと言ったかなあ、その裾に「怨」という赤い字を縫い付けて、夜行列車で行ったと記憶しています。

実際に地元で何をしたかというと、チッソという企業の工場を見ながらその前をウロウロしただけだったかなあ。かっこよく抗議文を手渡すとか、工場の前で大声を張り上げるとか、そういうことはとてもできませんでした。それで何かが変わったか?そういうことはありません。何もありません。でも、何かをしたかったということだけは本当です。

そうそう、今の皇太后陛下のお父上がチッソと関係が深いとか、だから忖度して厳しい追及はできなかったとかいうような話しも流布していましたね。

そういうことが過去にありましたので、今回の環境省の役人や大臣の
行動があまりにひどく感じ、黙っていられなくなった次第です。しかも、実態はどうか分かりませんが、テレビで見た限りでは全く冴えない感じの伊藤環境大臣のお姿、失礼ながらこれで何らかの信念を持った政治家か!?とさえ思いました。典型的な二世議員の””末路””とまでは言いませんが、地元等に担ぎ上げられて地盤看板を引き継ぐ形で、もしかしたらいやいやと?議員になった典型かなと思いました。

しかも、伊藤信太郎衆議院議員・環境大臣は私たちの地元宮城県の選出なのです。選挙区は加美郡中心のようで、故伊藤宗一郎議員の息子ですか。慶応大学やハーバード大学で勉学研究し、東北福祉大学の教授も歴任しているようです。しかも、なんじゃこれは、本気かと笑いを誘うのが座右の銘です。『行学一如』というのが座右の銘だそうです。大学で何を学んできたのか?何をしたくて政治家になったのか?この際よくよく考えてほしいものです。
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