この猫は雨露をしのげる場所を知っているようですが、何にしても地域猫として河原を中心として生きていくのは大変でしょうね。きのうの夕方の散歩の時も、薄暗くなった霧雨の中に2匹の黒猫がいましたが、何を思って佇んでいるのか。こちらが思っている以上に逞しさがあるのではないかと思います、思いたいです。
一日中小雨、霧雨模様の今日の日でしたが、気温が高かったのが助かりました。歩いていると暑くなるくらいでした。最高気温は15.9度です。15度を超えたのは19日以来ですね。あすも暖かいようですが、いつまでもそうは続かないようです。まあ当たり前ですよね、もうすぐ12月、師走ですから。
雨の中ローマ法王は長崎を訪問しました。よく日本に来てくれました。歓迎します。
「核兵器は安全保障への脅威から、私たちを守ってくれるものではない」
「核の戦争目的使用は、犯罪以外の何ものでもない」
でも、今の日本の独裁者には何を言っても(カエルに失礼ですが)カエルの面にションベンです、通じません。 全てが独裁者のために靡いている現在の日本、政治の自堕落さは目を覆いたくなります。政治ばかりではありません。人事権を政権が握っていることもあり、官僚組織も腐りきっています。
サンデーモーニングである人が言っていましたが、シュレッダーの件から 「歴史をぶっ壊している」 とまで言っていました。日々歴史を政権に都合のいいように塗りつぶし、塗り替えている現状はまさに現在進行形の生きた”歴史修正主義”そのものじゃないですか。
このままではいけない、また日本を破滅に導いてしまうという危機感を持つ”長州人”はいないのでしょうか。責任を感じている長州人はいないのでしょうか。みんな花見に行きたい輩だけなのでしょうか。
たかが、”消去法”で選ばれた日本国総理大臣、日本の首相、つまりは”最低争い”に勝ったというだけの総理大臣ではないですか。それをいつまでありがたく押し頂いているつもりなのか、国民のありがたさ加減にも呆れるばかりです。井の中の蛙(またしてもカエルには失礼ですが)の状態をいつまで続けるのか、いつまで幻想を抱き続けるのでしょうか。
お昼を挟んで雨の中、松島から仙台までの実業団の女子駅伝が開催されました。ちょうどその駅伝も終わった頃に仙台二高から国際センターまでの道を南に歩き、東北大学の萩ホールに行ってきました。そうです、尚絅音楽祭に行ってきました。
今年で第5回目の開催となります。私にとっては尚絅大学と言えば、佐藤淳一先生ということになります。何しろテノールが素晴らしいし、合唱の指導も上手で申し分ない先生なのです。もう第九の合唱団を”引退”してから丸5年経ちますが、大きなステージに立って満員の観衆の前で歌うということ、歌う喜びを味あわせてくれた先生ですから。
(第九の苦労話、苦闘した状況は2010年の5月中旬からの日曜日のこのブログをご覧ください。2014年12月で終わりますが。正式には「仙台フィルと第九を歌う合唱団」です。)
尚絅学院の中学から高校、大学までの音楽関係者を総動員した音楽祭といってもいいのでしょうか。変化に富み、楽しい音楽祭でした。 中学高校大学の合唱団、大学の聖歌隊、管弦楽団の演奏のほかに、木管と金管のアンサンブルの演奏もあったり、ピアノの独奏、そして教員アンサンブルというユニークなものまでありました。
驚いたのは教員アンサンブルで、バイオリン、木管金管楽器をバックに佐藤淳一先生が歌ってくれました。それも何となんとナント”尚絅学院学院歌”なのです。いわゆる校歌です。私も尚絅学院の卒業式や入学式に何度も出席していますので、学院歌はもうほぼ歌えるようになりました。気鋭な透き通るようなテノールで淳一先生が歌ってくれました。
そして圧倒的だったのはピアノの演奏ですね。土田定克先生のピアノ演奏。3曲演奏しました。F・ショパンの「幻想即興曲」「マズルカ作品17-4」そしてA・スクリャービンの「エチュード『悲壮』作品8-12」です。
この「悲壮」は何かはじめて聞いたような気がします。この曲も「幻想即興曲」も指使いの早いこと、早いこと。圧倒されました。先生は1曲弾き終わるごとに、改めて全身全霊を込めてピアノにしばし向かい、気を取り直して?(そのように見えました)集中して演奏しました。
いやあすごかった、やはり音楽っていいですね、文句なしに素晴らしいです。音楽に乾杯です。
小魚の大群なのです。