きょうの朝日新聞に載っていました。 『東大寺別当ら大川小で法要』 という見出しです。
奈良県の東大寺の北河原公敬別当(住職)のみなさんは震災後被災地を訪れ、法要を続けているそうですが、26日宮城県を訪れ、大川小学校にも足を運び、祭壇の前で読経し、遺族や地域の人々とともに祈りを捧げたとのこと。
(写真はいずれもきのう27日撮影です。)
東大寺の別当も祈りを捧げた大川小学校の児童や教職員の御霊を祀る祭壇です。
きのうお伝えした「子まもり」の母子像は祭壇の右側に建てられています。 左側の土の山のように見えるところは、瓦礫を何度も選別した後のボタ山みたいなものですが、土が圧倒的に多いものの、よく見ると木切れやガラス屑、ビニール類、子どもの靴とかも混じっています。
大川小学校の徽章・校章です。 校舎はかなりモダンです。
この石碑にはこう書いてあります。上の校舎の脇の溝付近に倒れたままでした。 石巻と合併する前は河北町だったのですね。 石巻よりも志津川に近い(直線距離では)ところでした。
『河北町立大川第一小学校
地球上の位置
北緯三十八度三・・・
東経百四十一度二(?)・・
海抜一メートル十二セ(ンチ?)』
海抜1.12メートル、すぐそばには北上川(追波川)の堤防があり、裏には山があります。山と川に挟まれたところに立地していた小学校です。
きのうの写真でもお分かりのようにすぐそばに、本当にすぐそばに杉や竹が生い茂っている山があるのです。 確かに急傾斜といえないことはないですが、元気な子どもたちなら十分上れる山ではないかと思うのですが、・・・。
私たちが着いた後も埼玉ナンバーや八王子、新潟ナンバーの車がやってきて、みなさん手を合わせていました。 警視庁のパトカーも警備なのでしょうか、やってきました。
合掌