鮎と戯れて・・・魚族に感謝

東北地方を中心とした短い夏のあまり多くない鮎釣りの記録。家族に感謝して。近くの広瀬川の環境等にも拘るも、オフは時事問題も

聞いたこと、見たこと、そして。

2006-05-02 22:34:24 | お知らせ

 (昨夜のブログは当然5月1日分と思っていたところ、内容に一部手を加えたために、8分が過ぎてしまい、今日2日になってしまいました。自分としては、だから、2日にはなっていても、1日のつもりです。(どうでもいいことですけど))

  昨日読んだ雑誌の記事(孫引きになりますが)。あるお笑い芸人の話とか;

 「男は、人生という真直ぐな道を振り返り振り返り歩く。だから、好きだった女、別れた女のことがいつまでも忘れられない。 女は、道を曲がって新しい方角に進むから、昔の男のことは振り返らない。」と。(「ダカーポNo,582」)

 今日の朝日新聞の声欄(読者の投書);「子どもは1日に400回笑い、大人は15回笑う」と。

 

  公害の原点といわれる水俣病が昨日5月1日で公式確認から半世紀、50年を迎えました。朝日新聞では色々特集も組んでいますが、今日の記事「沖縄大名誉教授宇井純さんに聞く『水俣』から何も学ばず」のなかで、各地の水環境が改善されつつあることに触れて次のように発言しています。

 「それは運動の結果だ。70年代前半に日本の水環境が著しく改善されたのは、各都道府県の公害防止条例による直接規制の成果だ。日本の水処理の費用が高くつくようになったから、企業は水の節約を進め、工業廃水の量は減り始めた。」と。

  宇井純といえば、全共闘運動が日本全国に燃え上がっていた頃の東大の助手でした。全共闘運動は、早稲田大の授業料値上げ反対闘争などが前哨戦としてありましたが、何と言っても日大と東大の全共闘が結成され、文字通り共闘したことが、燎原に火をつけることになったと思います。

 そのときの東大の助手として、公害問題に取り組んでいたと記憶していますが、先生なのに学生側に立って行動したということもあって、待遇は恵まれず、ずーと出世とは無縁、したくてもさせてもらえなかった。しばらくは東大に在籍したもののその後東大を去り、沖縄にいって研究活動していた人です。もう名誉教授という立場になっていたんですね。昨秋、心臓バイパス手術をして、現在闘病中とのこと。是非とも闘病に打ち勝って、市井の立場から言論活動を復活して欲しいと願っています。

  また、話がそれました。水環境のことですが、水といえば何といっても我々にとって大切なのは水道水です。

 そのことについて、愛読書「ダカーポ・No,582」の記事があります。「エコ最前線・水道水 水道使用料が減少を続ける中、全国で料金値上げのワケは?」と題して、有田一彦という水道評論家が書いています。

 使用料が減少しているのは、洗濯機や食器洗い機の節水能力の向上、水洗トイレの節水効果、もったいないという意識に基づく節水や雨水利用の普及の結果であり、雨水利用は公共施設でも進められているという。

 しかし、水道の水源開発費と維持管理費用は工事費・人件費の急騰で年々高くなっており、これが料金値上がりの大きな原因とのこと。 

 今東京周辺では、神奈川県の宮ヶ瀬ダム(事業費4000億円)は01年に稼動中、計画中の群馬県の八ツ場ダム(事業費4600億円)が完成すれば、1都4県の水道代の値上がりは必至とのこと。

 加えて、おいしい水対策にも費用がかかるし、全国の浄水場もそろそろリニューアルの時期を迎えることを考えると、水道代はますます値上がりするとのこと。

 最後に、日本の水道システムについて、日本の水道は、明治以来西洋を模倣して発展し、戦後は米国式の塩素処理を導入した。まず大量の水源を確保し、でっかい浄水場で化学薬品を使い、大量に水を作り出す方式。西欧では、正常な水源をもっとも大切にしているが、日本では水源対策はほとんどされていません、と。

  これはなにも飲み水だけではなく、河川の環境にもいえることです。残念ながら。川は、川の水はただで、いくらでも手に入るという意識、これを何とかしなければなりません。

 川は水がなければ川ではなく、魚がいなければ川ではない!が私の持論です。 そのためには、気仙沼の牡蠣業者を中心として漁協関係者が森に木を植える活動をしているいわゆる「森は海の恋人」運動、これをもっともっと進めていかなければなりません。「森は海の恋人」にはプラスαがあります。我々釣り愛好家には切っても切れない存在ので、「川はその仲人」が続きます。

 森と川と海はそれこそ三位一体のもの、密接なものとして総体として対策を考えなければならないのではないでしょうか。

  私はダムからの取水口・取水場所のなかを見たことがありますが、仙台クラスですらものすごい量の活性炭を投入していますし、その後の浄水場は正に化学工場です。水は工場から作られるといっても過言ではありません。

  明日正午から広瀬川や名取川で虹鱒の放流があります。釣ってもらうための放流で、稚魚の放流ではありません。餌を与えないで置いたにじますの成魚を午前中に放流して、正午から釣らせるというものです。今年初めて魚に触ることができるかどうか、入川してみようとは思っています。最高気温は17度なので、厚着をして入らないと。 

コメント (1)
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昨日の続き(「鮎釣り2006」から)

2006-05-02 00:08:00 | お知らせ

・はじめに;

 今日から5月、3月3日にスタートしたこのブログも何とかほぼ2ヶ月経過、記事はそれなりに一杯書くことができた。内容は別として。今はとにかく書くこと、書き続けることが大切な時期と自分に言い聞かせているところ。

 もっと写真を多用した記事を書きたいのだが、まだまだそこまではいっていない。写真は使っていかないと忘れてしまいかねないのが辛いところ。

 こんなことを書いて200字も稼いでしまった。

 ・本題;

「鮎釣り2006」には、学術的な論文(記事)も載っています。

東京大学海洋研究所・国際沿岸海洋研究センター教授・農学博士・大竹ニ雄氏。「アユの耳石から分かること」

・耳石からは、「河川で釣れたアユの耳石からその個体が孵化した日、降海してから再び河川を遡上するまでの日数やその間の移動のようす、遡上時の日齢遡上時期などがわかる」、「まさに魚の履歴書を記録したフロッピーディスクのようなものである。」

・海に入った仔アユは体長20mm(日齢30日)ほどに成長するまでは河口周辺の沿岸域で過ごす。体長30mm(日齢90日)を越える頃から河口へも出現するようになる。体長40mm(日齢130日)頃から河口に移動し、体長50mm(日齢180日)に達すると河川への遡上を開始する。

・アユの遡上は、早生まれで成長のよい個体から大型で遡上する。そのような個体は、河川に遡上した後の成長もよく、大型に成長する。

・秋~冬季の海象・気象が海域におけるアユ仔稚魚の生き残り、さらには遡上量に大きくかかわっている。

⇒河川環境のみならず波打ち際や河口域の環境をいかに保全していくかがアユ資源にとって大変重要である。

  以上のことは、「ここまで分かったアユの本」のなかのレポートとも関連してきます。この本の第3章以下については、そのうち書いていきますので、少々お待ちください。


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