MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

もし僕らのことばがウイスキーであったなら

2008-06-25 | 雑記
掲題の本を読みました。
(村上春樹、新潮文庫)
作家の村上春樹氏が、シングルモルトウイスキーの聖地、スコットランドのアイラ島を訪ねる旅行記です。

アイラ島というのは、アイルランド本島に近くその北東にあり、昔から特性のあるウイスキーを産することで有名。
筆者もアイラウイスキーは大好きで何本か家に持って愛飲しているので、ぜひ将来一度行ってみたい場所のひとつです。

アイラウイスキーはその独特のスモーキーさが特色で、非常に癖のあるピート(泥炭)臭と海藻くささがあります。
島全体がピートで覆われているため川の水にもピートが溶け出すとか、醸造所が海の近くにあり海風が強いので、樽に海藻の磯臭さがしみつくとか。
有名なスコッチの多くはこうしたシングルモルトをブレンドしたものであり、そういう意味で、色で言えば原色のような極端さが感じられるお酒です。

実際に行けばまた違う印象を持つのかもしれませんが、本(文章と写真)で見る限り、アイラ島は静かで落ち着いた島のようです。
10年・100年たっても余り変わっていなそうな。
こういう島で良い酒作りを粛々やる、というのもきっとウイスキーのように味わい深い感じがします。
一方で、若いヒトは今島をどんどん出て行って、過疎化が進んでいるのも事実だそうで、じっと住むには刺激に乏しく退屈な場所なのかもしれません。
しかしだからといって変に観光地化したり、都会のマネをしていなそうな所が、この島の本当の魅力かなと思います。

古本を売る

2008-06-24 | 雑記
本がたまって書棚からあふれてきたので、古本チェーンに売りに行きました。
特にいらなそうなものをとりあえず15冊、文庫・装丁本・雑誌とりまぜて800円也。
買取の内訳を見てみると装丁本は定価の5%位で一番高く、雑誌などは10円。

古本チェーンに売りに行く理由は、

-捨てるよりは資源の無駄にならなくて良い
-二束三文だけどちょっとは小銭も入る
-零細書店と違い、とっつきやすい
-価格が主観でなく、ある程度どこの店でも同じルールで決まっていそう
-店が多くて近所にあり近い

というメリット。
だからそうした市場が伸びてきたと思うのですが、それでも仕組みとして、

-原著者に一銭も入らない

のはやはり気になってしまいます。
中古本チェーンのビジネスモデルの完成度の高さは理解しつつ、思いとして

+何らか知的財産の創造者が頑張ろうと思う仕組みになって欲しい

と感じます。
また中古書チェーンの多くが、売れ残ると価格を下げていくルール(と聞きました)なので、売れない本は元が高くても売価100円位になってしまう。
買う側からしたら有難い部分もあるのですが、やはりあまりに安くなるとその本の新品の売れ行きに相当影響するでしょうし、それが理由でそうした本が出なくなってしまうとしたら、それはもっと大きな損失な気がします。
とはいえ、需要と供給のメカニズムを考えると、そもそも需要の少ない本は紙の本・リアル店舗・ヒトの手の販売よりも製造・流通コストがもっと安い手段に頼るべきだ、というだけなのかもしれません。
(ネットで電子データを販売する、等)

ついでに言うと、要らない本の処理の仕方として

+近くの図書館に寄贈する

というオプションも本当は存在します。
実際に行ったことはないのですが、社会貢献的な感じもして結構魅力的な気もしますね。
(どうせ古本を売っても大した値段にならないですし)

プレゼンス

2008-06-19 | 雑記
「プレゼンス」というと、存在感というか、そこにいることを無意識に周囲に意識させ、影響を与える力。
プレゼンスの出し方は、色々な流儀があると思います。

会議でも、ひたすらしゃべって目立つヒト、うまく仕切って存在感を出すヒト、だんまりを決め込んでいるのに周囲が無視できない威圧感を与えるヒト…
色々いるのもまさにその縮図だと思います。

どんなやり方であれ、プレゼンスが全くないよりはあった方が良いと思うのですが、最近気になるのが国際的な文脈での日本のプレゼンス。
グローバルの会議等に触れる機会もあるのですが、やはり「ジャパンバッシング」とか「ジャパンパッシング」とかを通り越して、非常に冷めた目で

-どうせ日本が言うことなど特にないんでしょ
-日本の場合、放っておいても高齢化と人口減少で沈んでいく国だし

という、「おっしゃるとおり」というしかない理解を前提に、

-かわいそうだから何か意見を求めてあげましょう、どうせ英語もできないでしょうし大した意見も出ないんでしょうけど

みたいに発言をふってくることがあるような気がします。
ビジネススクールでも、クラスによってはそういう空気になる授業が4年前の時点でありましたし。
勿論、結局個人が伝わる言葉でしっかり意見を発すれば、

-ああそうなのか、その考え方は結構面白いかも

と空気を変えさせることは十分可能なのですが、そこまでやる日本人が少ない(もしくはいない)場がほとんどになっているような感じがします。
その辺りはこちらも冷めた目で、しかし大胆に対抗していく必要があるのかもしれません。

雑感ですが。

最強の交渉者

2008-06-17 | 雑記
最強のネゴシエーターとはどんなヒトか?
誰もが持つ(であろう)素朴な疑問です。

以前にも書きましたが、交渉にはヒトによってスタイルがあります。
特にソフト派とハード派、あるいはそれらのハイブリッドなど。
ネゴシエーションオリンピックなどやったら面白いと思いますね。

+個人戦と、団体競技両方で金・銀・銅メダルを競う
+試合は短期戦と長期戦で競う
(例:制限時間1時間で合意に達しなければゼロ点、合意すれば結果に応じてお互い加点、耐久戦は24時間耐久ネゴとか)

みたいな感じでしょうか。
(これ真面目に考えていくとけっこう面白いですね)

また私見に基づく一案ですが、ネゴシエーター本人の資質だけでなく、周囲の文脈も含めて「最強」を形作る要件と考えると、例えば一つの「最強」パターンは以下のようなヒトではないでしょうか。

-強力なBATNAを持っている
-誰もが反対しづらい「錦の御旗」的な正論を語る
-ついでにネガティブな現実論でなく、非常にポジティブにお互いにとっての希望を語る

有利な立場になれば、往々にして勝手な事を言って恨みを買ってしまいがちなのがヒトの常。
でも誰も文句が言えない強力な立場を持っているのに、言うことが心憎いまで気配りも効いている。

こんなヒトにはビジネスネゴシエーションで文句が言えない気がします。

毎日が日曜日

2008-06-16 | 雑記
掲題の本を読みました。
(城山三郎、新潮文庫)
高度成長に陰りが見え始めた、オイルショック頃の商社マンを描いた経済小説。
「官僚たちの夏」に代表される、著者得意の分野(戦後を題材にしたノンフィクション的小説)です。

城山三郎さんの小説は戦争モノが中心で経済系のモノは読んだことがなくあまり興味も無かったのですが、予想に反し最後まで一気に読んでしまいました。
一個人には抗いがたい、組織の力学や出世の論理や日本全体の大きな経済のうねりなど。
主人公たちはそういう波の中でサラリーマンとして翻弄され、一喜一憂しつつ一生懸命生きて行く。
派手でもないし格好良くはないが、一生懸命生きていることは間違いないし、そうした個人の集合が社会を構成している。
熱い気持ちは分かるし、「制約の中での一生懸命さ」には非常に共感します。

一方で、時代が違う(1970年代が舞台)ので、違和感を感じる部分も結構ありました。
勿論、大きな前提となる部分として、

-日本経済が基本は上り坂で、本当の下りに入っていない(バブル前)
-(当然)冷戦も終結していない
-そういう意味で政治も経済も「55年体制」的なものから本質的な変化はまだない
-テクノロジーがアナログ的(例:インターネットが無い…当たり前ですが)

といった大きな違いはあるのですが、それらはどちらかと言えば個人から見れば外部条件。
むしろ大きな違和感を持ったのが、内面というか、主人公たち商社マンが外地勤務やグローバル化をどう捉えているかと言う感覚。

例えば主人公の娘は駐在先のアメリカ育ちで、英語は話せるが日本語はうまく話せない。
そのため、主人公たちは人前(同僚の前)に娘を出す時に風邪をひいているかのようにマスクをさせて、黙っていてもおかしくないように糊塗します。
なぜなら、日本語をまともに話せないことは恥であるし、「まともな教育を与えていない」印象にもつながるから。
勿論日本でやっていくには日本語ができないと困るわけですが、だからといって娘が小学校低学年くらいだったら、むしろ

-英語ができてうらやましいですね
-将来も海外で活躍できるでしょうね、そういう時代ですし

位のポジティブな反応は、現在だったらでそうなものかと思います。
根底にあるのは、

-日本人なんだから日本で生きていくのが絶対条件
-外地勤務など聞こえはいいが、生活の便利さなど実態は悲惨なもの
-国の経済成長のために、個人が犠牲になっていく「企業戦士」こそ一人前の男

といった、2008年の空気の中ではかなり理解困難な哲学だと思います。
とはいえ当時はこうした空気がむしろ当たり前で異論も出しようがなかったのでしょうし、またそうした空気はそのまた一世代前からしたら理解困難なものかもしれません。
それが良い悪いの問題ではないと思いますが、こうした個人を取り巻く空気や内なる生き方の前提の違いが、世代間ギャップを生んでいくのだと感じました。

クールビズ

2008-06-13 | 雑記
6月に入り、そろそろクールビスの季節になりました。
クールビズ自体は色々な企業を訪問して見ていると、結構定着したのかなと思います。
(導入時はマスコミの報道も小泉首相がまた変なこと言い出した、みたいな感じでしたが…)

やはり湿度が高く夏アツイ日本の実態に即して、非常に合理的だと思います。
30℃超えてるのにネクタイ締めてたら、それは世界中どこであろうと暑くて当たり前だと思いますし。
個人的には、夏でなくてもフォーマルな時以外、ネクタイは締めない主義です。
ネクタイもおしゃれとしてつけるには好きなのですが、机に向かう時に首を締め付けると、あまり生産性が上がる気がしません。

定着してきたクールビズですが、、なぜクールビズなのか?はあまり話題になることも無いと感じます。
単にその方が楽だから、ではなく、温暖化対策でCO2排出量90年比6%削減、という京都議定書の約束を守るための打ち手の一環。
しかしながら、

-本当に今のクールビス実施状況で6%削減できるのか?
-足りないとしたら、例えばあと何万社の企業が導入したら何%排出量が減るのか?
-他に取っている施策と比べて、どの位インパクトの大きい打ち手なのか?

といったベーシックな情報が、ぱっと分からないし余り意識されていない気がします。
どこかに最新情報が逐一開示されて、

-あと2.5%削減しないといけないので、あと85万社で今年は必ず導入しないと!

といったメッセージがもっと発せられれば納得感も高まると思うのですが。
クールビズ(+冷房節約)の副作用として、夜オフィスの冷房が止まって、残業が蒸し風呂地獄になる企業が結構あると思います。
(これが結構つらいですよね)
そういう暑さに笑顔で耐えるためにも、是非打ち手の効果測定や進捗モニタリングの情報・議論が広まればと感じます。

織田信長の経営塾

2008-06-12 | 雑記
掲題の本を読みました。
(北見昌朗、幻冬舎文庫)
歴史上有名な織田信長の行動から、ビジネス・経営における成功の秘訣について示唆を得るという本です。

全く個人的な意見ですが、結構知っている逸話も多く、「ビジネス・経営」にはあまりピンと来た部分が無かった一方、企画としての非常なうまさを感じました。
ポイントは、

-分かりやすい
-誰もが知っていてキャッチー
-戦国武将と経営という異分野をつなぐ話なので、(ある意味)何とでも書ける
-余りぴんと来なくても、「歴史」としてはその通りなので文句が出にくい
-歴史に興味があるとつい読んでしまう
-シリーズ化が容易
-しかも眠れるネタ(他の歴史上の人物)が無数にある

といったあたりでしょうか。
特にシリーズ化は既に着々とされているようですね。

企画だけ考えたら、ビジネス経験があるヒトならある程度「誰でも書けるのでは?」とも思ってしまいます。
しかし現実化するためには、頭で分かっている思いつきを具体形に落とし込む力、それを商品として仕上げていく力、というのが重要なのでしょうし、結果で差が出るのは案外そういうところなのかもしれません。
(そういう意味で「ビジネスの教科書」なんだと言われれば、結構ぴんと来ますね)

思考の落ち穂拾い

2008-06-10 | 雑記
ミレーの名画の一つに「落ち穂拾い」があります。
麦畑で収穫からこぼれた麦の落ち穂を拾い集めて、食料とするために黙々と作業に励む季節の風物詩。
一方で、そうした落ち穂拾いが「ちりも積もれば山となる」で、生活のためにどうしても必要だったのでしょう。

ブログも思考の切れ端を忘れないようにとどめておく落ち穂拾いのようなものだと思います。
半端な中途成果物を忘れないように温存しておく、しかも自分の脳のメモリは使わずに、かつ人から見られても恥かしくないようなレベルを保って、というのは非常に有用です。
いつも高い質の成果を一気に出し切れるのであれば最高ですが、思考も時間もまとまったものが取れるケースは限られている。
中間成果物を無駄にせず、集めて一つの簡潔だが完結したアウトプットにもっていき、その集積で付加価値をつけるアプローチも、質の高い仕事には重要だと感じます。

バタフライエフェクト

2008-06-09 | 雑記
掲題の映画をDVDで見ました。
何年か前の映画で初めて見たのですが、非常に面白かったです。
(以下、若干ネタバレ有なのでご自分で見たい方は見てからお読み下さい)



主人公は少年時代から時々記憶に欠落があるが、大人になってある時自分の不思議な能力に気付く。
タイムスリップして昔の自分に戻り(入り込み)、今の記憶をもったまま新たな行動を選んでパラレルワールドのように多様な未来を作り出せる。
実は記憶の欠落は未来の自分がタイムスリップして当時の自分に成り代わり、行動していたポイント。
その節目節目に戻って、自分や幼馴染や家族にとって最適な未来を作り出そうとタイムスリップを繰り返すが、やればやるほど悲惨な未来を作り出してしまい…

というような話。
エンディングがちょっと寂しいけど希望にあふれたシーン(今思い出しても印象的だしすがすがしい)で大変良かったのと同時に、

-リセットボタンみたいに何でもやり直せると思わず、今ある現実を一生懸命生きることが大事
-何事も紙一重でどんな現実にもなり得るし、何かを得れば何かを失うもの
-そういう中でわりきりと覚悟をもってやっていくのが生きるということ

というようなイメージが湧きました。
中盤の描写は(ストーリー上意図的に)暴力的だったり、人間のエゴがむき出しでえぐい部分があり、途中までは大変イヤな気分になったのですが、最後まで見てみるとGood、という映画です。
(逆に途中であきらめて鑑賞中止してしまうと相当後味悪いでしょうね)

「炭素会計」入門

2008-06-07 | 雑記
掲題の本を読みました。
(橋爪大三郎、洋泉社)

地球温暖化問題の政治的構造と、日本が世界で果たすべき役割を論じた提言的な書。
「炭素会計」は著者の提案の骨子のひとつになっています。
かなり分かりやすく、非常に興味深く読みました。

「炭素会計」というのは、企業もそうですが市民一人ひとりの活動レベルまで排出CO2を明確化し、個々がトータルで排出した総量を計測し、排出量が多い者に金銭負担(負のインセンティブ)を課すことで排出総量を抑制する仕組み。
統制経済の一手法です。

それだけ聞くと日本の世論からするとラディカルで非現実的に聞こえます。
そこまでやるの本末転倒じゃないの、といった感覚。
が、欧州を中心とした国際的な議論では、既に現在と大きく変わらない地球環境を保全するのであれば(例えば2100年に温度があと+2℃、等)

-数量としてCO2排出量を何トンにしなければならないか
-そのために税・規制等どのような仕組みが実効性があるか

を相当真剣に議論しています。
炭素会計もそのうちの一手法。

たしかにグローバルのコンサルティングテーマのトレンドを見ても、こうした


-サステイナビリティ(持続可能な成長)

はこの3年前くらいから極めてホットなトピックになっています。
要は、主要国の政府や大企業がこういうテーマに対してどう対応しようか、お金を払って外部の知恵も借りようとし始めているということです。

しかしこの本で一番面白かったのは最後の部分。
「温暖化問題」の細かい知識や動向を離れて、著者が

-日本人がこうした問題に取り組むのが下手なのはなぜか

を論じている部分です。
あ、なるほどなと共感しました。
つづめて書くとニュアンスをうまく伝えきれないと思うので是非実際に読んでいただければと思いますが、

-日本人の総組織人化:
日本には、本当の意味であるビジョンを目的とし、そのビジョンを共有する独立した個人で成立する「コミュニティ」はほとんどない。
組織に所属していること自体が自己目的化した、組織人ばかりになっている。

-組織人のマイオピア(近視眼):
会社でも何でも、「組織人」となってしまえば、組織にとっての短期的な(少なくとも自分が所属し続ける期間に)損につながる意思決定は極めて難しい。
まして長期の未来に対するビジョンが基盤にあって成立する集団がないので、長期にかかる難しい意思決定を行おうとする動機も無い。

忖度すると主張の中心はこんな感じでしょうか。
「組織人化」などは自分にとっても耳の痛い話だと思いますし、確かに今の日本には、ビジョンや構想力が社会のどの部分にも欠けているように感じます。
ビジネスに関する事象で言えば、アントレプレナー人材の裾野の狭さ、質のバラツキかもしれませんし、またそれ以上に、構想を掲げる人間や集団に対する社会的な嫌悪が根底にあるのかもしれません。
「起業家」に対する社会のイメージも、ホリエモン事件やITバブル後を経た今も、「必要悪」もしくは「玉石混交」のように、まだ決してポジティブなものではないと思いますし。

ちょっと論がはずれましたが、面白い本でした。

フューチャリスト宣言(3)

2008-06-05 | 雑記
もうひとつ掲題の本について。

梅田さんの著書は「ウェブ進化論」、「ウェブ時代5つの定理」、「私塾のすすめ」と読んでいます。
(ほかにもありますが、まだ読んでません)
これらをまとめて、掲題の本も含め、この方の本は対談が一番面白いと感じます。

「ウェブ進化論」は3年位前に、当時梅田さんのことも全く知らずに読んだのですが、正直に言うと

-なるほどよくまとまっている

と感嘆し感激する反面、

-書いてある内容自体はほとんどどこかで聞いたなあ

という感じでした。
当時しばらくそういう関連のコンサルティングプロジェクトをやっており、実際にウェブの世界で戦っている"業界人"を相手にしていたせいかもしれません。

また昨年読んだ「5つの定理」も、アドレナリンが出ることは出る反面、

-これどこか別のソースで見たな

という引用も多く、いまひとつ燃え上がれなかった感じがします。

一方で対談となると、「ウェブ」そのものよりも、より具体的に

-個人として何を目指すのか/どう生きるのか

に焦点が当たるように感じます。
その中で、

-対談者たちのともすると極端だが情感のこもった思い
-ビジョナリーとしての覚悟
-対話を通じた異分野の共感

のようなものが嗅ぎ取れるので、面白いし自分も頑張ろうと感じるのだと思います。

偉そうな事を書いてしまいましたが、こういう異分野の一流同士の名人戦のような企画はやはり面白いですね。

(ちなみに梅田さんは自著へのウェブ上の評論を検索して全て見るように書かれていた気がしますが、だとするとこのブログなども何度かご覧になっているかもしれない---そう思うとまさに「ウェブ時代」の面白さですね)

フューチャリスト宣言(2)

2008-06-04 | 雑記
掲題の本について、続きです。
非常にエネルギーをもらった気持ちになりました。
何が自分にとって印象的だったかというと、以下の2点と思います。

1.「ビジョナリー」を体現していること

本は梅田さんと茂木さんの対談形式で、さまざまな話題に触れています。
直接その中でそう触れられているわけではありませんが、やはり二人が提示するライフスタイルや志の持ち方が、ビジョナリーなヒトに共通するものだと感じます。

-「ウェブ進化論」とか「脳科学」とか、狭い範囲の専門家がたまたま露出度が上がっています

ではなく、

-ある専門分野をレバレッジの原点としつつ、
-自分の内なる声に耳を傾け(好きなことで勝負し)、
-専門分野およびそこから派生する社会や自分の生き方にビジョンを提示し、
-組織に依存せず独立プロフェッショナルとして
-実際に自分が何かを体現したり、多くのヒトを動かしてインパクトを残す

という感じでしょうか。
そういう生き方自体が、本書の中でも触れられているように日本では結構嫌われるあるいはつぶされる生き方でもあり、多くの日本人が目をつぶってしまっている部分である気がします。

-そういう変わったヒトもいるけど、自分には関係ないよね
-最近流行ってるけど、すぐ落ち目になるんじゃないの(ていうかなって欲しい)

みたいな。

昨年末に有名なビジネス本「ビジョナリーカンパニー」の兄弟本である「ビジョナリーピープル」という本を読んで感動しましたが、それと同じようなメッセージを提示されていると感じます。
本当に悔いの残らない人生って、そういうことを徹底的に考え抜き、ある種の覚悟を決めることかもしれません。
もちろん、考えぬいて選択した結果が、大企業などの組織に属して自分のやりたい夢とリスク最適化を調和することであっても全くおかしくはないと思いますが。

2.未来に対するオプティミズム

私は結構悲観主義で、何でも批判的に考えてしまう方なので、

-極端なスタンスをとってでも未来が良く化ける方に賭ける

という意思力、またその信念は見習いたいと感じました。
こういうのはシリコンバレー特有だといいますが、そういうマインドは身に着けたいものです。
変革を起こすヒト、インパクトを残すヒトというのは、ある部分を越えたところでそうした楽観性や割り切りを持つのでしょうね。
でもその裏側には、現実に対する強烈な思い・このままじゃいけないという焦燥感・それを自分に関係あることとして受け入れる責任感があるのだと思います。

全体にアドレナリン指数の高い本でした。

夢を語る力

2008-06-03 | 雑記
「あこがれにあこがれる」

「美しい日本語」で有名な斉藤孝さんのフレーズですが、筆者の心に最近"刺さって"います。
(意味は、ヒトは他人そのものにあこがれるのではなく、他人が夢に向かい志を追い求める姿にこそ、あこがれ共感しエネルギーをもらう、という意味だと解釈します)

実は今ある構想を追っており、大きくキャリアチェンジしようかと考えています。
そうした中、最近は将来に向けて自分の志をできるだけ会うヒトに伝えようと努力しています。もちろん

-将来に備えた人脈作り

でもあるのですが、

-志は語れば語るほど磨かれ、結晶化し、具体化する

とも思うからです。
説明する過程で、

-何がしたいのか
-今やっていることと何が違うのか
-そのアイデアのどこがヒトと違うのか、面白いのか
-どうしたらそれを実現できると思っているのか

といったことを、嫌でも考えてまとめざるを得ないからです。
これこそ個人.comのビジョンと事業計画の原点です。
(事業戦略とするにはより具体的な外部環境の分析が必要ですが)

考えてみると、組織人として生きてきて、こうした志を100%自分のものとして語る機会が限られていた気がします。
大学生の頃は制約もなく勝手なことを言えていた気もしますが、一方で現実が全然分からないのであまり思いも具体的にならない。
大人になってこそ語れる夢があるし、その方が「若者」の夢より逆に熱いかも知れないな、と感じます。
今までそういう熱を発信してこなかったことを反省。

また思わぬ副作用として、

-志を語るとアドレナリンが出て何か元気になる
-志が通じる相手とは、志を語ることで一気に距離が縮まる

とも感じます。
(分かる人には分かるんでしょうね、この感覚)

構想の詳細はこのブログでもいずれご報告できると思います。

フューチャリスト宣言

2008-06-02 | 雑記
掲題の本を読みました。
(梅田望夫/茂木健一郎、ちくま新書)
極めてインプレッシブかつアドレナリンが出る本でした。
読んでいて脳が熱くなる感じがする、久々の本。

この本自体、非常に感銘を受けたので書きたいことがたくさんあるのですが、とりあえず英語ブログの話を書いた後で目に付いたこと。
茂木健一郎さんは「クオリア日記」を英語で公開されているんですね。

http://qualiajournal.blogspot.com/

英語でやるのはポテンシャルは大きいけど結構大変だな、とは自分でも正直感じていましたが、ビジョンを持って既に実践されていることを知ってより尊敬しました。
さすがに更新頻度は落ちますが、日本語ブログで全く別ネタも毎日更新されている点が、驚異ですね。
英語だとブログもPVが10分の1位、とのことですが、そこは仮説どおりチャレンジの大きさを示しているのでしょう。
メジャーメディア露出・知名度がほとんどなく、純粋にコンテンツで勝負しなければならないこともあると思いますし。
アクセス解析をすると、世界地図で本当に様々な地域からアクセスがあって、「こんなところから見てくれたのか」という満足感があるとのこと。
面白いですね。

筆者も5年以内には英語版ブログに挑戦したいと思います。
(できれば実名で…「交渉術」の英訳でなく、別のテーマで臨みたい)
ついでにいうと、梅田望夫さんが英語でのブログ発信を本格的にされていない、というのは逆に驚きですね。

この話続きます。