MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

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このブログが電子書籍化されましたが

2017-05-26 | 雑記
このブログが電子書籍化されて、ひと月たちました。
(詳細は前回の記事に)

それで何か変わったわけでもないのですが、書いたものが一つの形になってさっぱりしました。

さて、電子書籍を見た人から、感想を聞きました。
一つ面白かったのが、媒体によって感覚が変わる、という感じです。

こういう個人のブログで記事が置いてあると、
・今度ヒマな時があったらちょっとずつ読もう(そのまま忘れてしまっても可)
・ちょっとでも面白ければラッキーなので、しばらく印象に残る

という感じですが、書籍で買ってしまうと、
・せっかく買ったのに読まないと気持ち悪い
・なので、まとまった時間で読んでしまおう
・せっかく買ったので、何か一つでもヒントを得て読み終えよう
という感覚があるそうです。

ついでに電子書籍の読み放題での利用になると、
・どうせタダなので、ちょっと気になればとりあえずダウンロードしておく
・読まなくても気にしない
・面白いもの以外、ばんばん飛ばし読みするのも気にならない
という感じだそうで。
たしかに読み放題の場合、とにかく多くの本をチラ見で見てしまう方が、読み放題を「使い倒した感」があるのかもしれません。

交渉術と関係ないですが、こんな風に同じものながら読み手の姿勢に媒体差が出るのも、時代の新潮流だと思いました。
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祝:電子書籍化!

2017-04-27 | 第三部:実戦で交渉に勝つコツは?
ニュースです。
このブログの交渉術を書いたパートが、電子書籍化されました!

MBAで教える交渉術: 海外ビジネススクールで交渉はどう教えられているか Kindle版 600円
(根越栄太著、Panda Publishing)

Amazon(Kindle版)で4月25日に発売されました。
ランキングなどを見ると、出足はある程度好調なようです。
(今日、Amazon Kindleストアのビジネス交渉・心理学3位)

内容は、このブログの本編部分を元に、読みやすく整理し直し、修正と加筆をしたものです。
本編をまとめて読みたい方には、おススメです。是非一度、ご覧になってみてください。
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優れた仕組みがいつしか組織を腐らせる

2017-04-05 | 雑記
古典・自動車つながりで、「GMとともに」を読みました。
(アルフレッド・スローン著、ダイヤモンド社)
「事業部組織」を世界で初めて本格導入し、それを磨き後の企業組織のデファクトを作る。
そしてそれを通じGMを世界的企業に導いた、名経営者が1960年代に出した回顧録です。


有名な本ですし、20世紀最高の経営書にもよく挙げられます。
中身は、自伝というよりは、GMの歴史に沿って
・当時スローンが考え導入した最新制度(事業部制、事業部と本社組織をつなぐ管理会計、成果ボーナス等)について、
・どういう背景で何を考えていたか
・実際にどうやって築き上げていったか
を描いたもの。

同時にスローンは、
・GMの成功の本質は、ただ制度を設計し機械的にそれを守らせたことではない
・むしろ、そういう仕組みを常に生み革新する、そういうリーダー集団であることが重要で、
・そのようなリーダーが生まれる組織の土壌こそ経営の成功に最も重要
と主張します。


でもその優良だったはずの企業が、50年後には破産して公的資金に頼ることになってしまう。
それはなぜか?

その理由は1980年代の日本車への敗北、とも言われますが、そもそも1960年代から組織が徐々に腐っている認識はあったようです。
築き上げた事業部制の仕組みが、官僚的・内向きで顧客を見ない老組織に変化していったのです。

実際に、コルベアという車が社内の反対に関わらず売上のために発売され、死傷事故を起こし社会問題になったり。
(『どんなスピードでも危険だ』ラルフ・ネーダー著、という本になっている)。
成功への管理の詳細な仕組みが、やがてそれ自体支配力と慣性を持ち、社員は囚われた奴隷になり、客観的判断が出来なくなっていく。
1979年には、GMの副社長がソースの「晴れた日にはGMが見える」という暴露本が出て、その一端が明らかにされます。
・仕組みが固まる中で中央集権化が進み、「14階」(本社14階の幹部層)が独裁権を持つ
・権限委譲したはずの事業部に本社が介入し、市場や顧客より内部事情で動くようになる
・派閥抗争の中で上司に忠誠を誓い、仕組み自体の保全と社内政治を重視する人々が昇進していく
など。

改革を提案すると、判で押したように上級幹部からは「それはいい、早速取り掛かり給え」といわれる。
でもバックアップは無く、いつまでたっても計画の実現に必要な予算も得られない、など。

最近、かつて優良企業としてもてはやされた日本企業でも、不正や売上不振で苦しむ例が増えています。
そこには、まさにGMと同じ病理(仕組みによる自縄自縛と腐敗)が多い気がします。
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「当たり前」に追われながら「当たり前」を創り出す

2017-03-16 | 雑記
『GM(ゼネラル・モーターズ) 巨大企業の経営戦略』という本を読みました。(山崎清著、中公新書)
前回の記事と同じ、自動車つながりです。
20世紀初頭からの自動車産業の歴史を、GMを中心に解説しています。

一つ面白かったのが、GMの戦略とクライスラーの戦略の好対照。
両社は、製造業の二つの普遍的な勝ちパターンを示していると思います。

GM=「売る」ことのイノベーションで勝負:
・買収による商品ポートフォリオ拡大(当時の群小自動車会社を次々買い、それを商品ラインとしてそのまま使う)
・販売金融やディーラーの整備と規模の経済の追求
・その起点は、馬車事業で起業して成功し資産を築いた投資家としての視点、創業者ウィリアム(ビル)・デュラント

クライスラー=「作る」ことのイノベーションで勝負:
・工場生産性の最大化
・それによるコストダウンと価格破壊
・その起点は、ビジネスを科学的に捉える科学者としての視点、創業者ヘンリー・フォード

まあこの違い自体は、自動車業界の人にはただの常識かもしれませんが。

一方で、現在と当時を比べると、大きな違いがあります。

今:
・自動車会社は大企業の代表で、顔ぶれも固定
・どこの会社も似たような組織構造で、どこで車を買うにもプロセスは大同小異

100年前:
・自動車は全く新しい発明で、有象無象のベンチャーが滅茶苦茶に競争
・どこが勝ち組か、業界がどの位成長するかも不透明でやり方も千差万別

この違いを考えると、フォードやデュラントら企業家の活躍が、数十年かけてスタンダードを創り出したように思います。
このような、世界規模で「当たり前」を作る、または変える社会変革が、そして個人がそこに足跡を残すことが、技術革新のスピードアップで20世紀前後から可能になっていると思います。
もっと昔であれば、個人の名前で分かる業績はほとんどなく、また変化は数百年かけて起きていたものなので。

これは大きなチャンスも意味しますが、同時に人生がますます慌ただしくなることも意味すると思います。
新しい「当たり前」が年単位で次々に生まれ、「これが新しいスタンダードだ」と新しい正当性を次々に主張する。
人も組織も、自分の頭で考えているつもりでも、いつしかその新陳代謝に追われる。
外から来る正義や「当たり前」に埋め込まれ、他人が作った正当性や規準に追われる。

そうした中で、どうやって冷静な視点を保ち、また自らも逆に新しい「当たり前」を創造して世界に価値を生めるか。
現代の企業家には、そのような資質が求められるように思います。
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藁のハンドル

2017-02-28 | 雑記
掲題の本を読みました(ヘンリー・フォード著、中公文庫)。
米国自動車企業フォードの創業者ヘンリー・フォードによる、1926年出版の経営論です。

原題はToday and Tomorrowで、近代的経営の意味と要諦と未来を問う内容です。
90年前に書かれたとはいえ、現代でも普遍的に通じるメッセージがあります。
特に、労働者が個人事業することと企業で働くこと(当時の新しい働き方)を相対化し、その行き来があって当然だとする観点が新鮮でした。
・今はいつの時代よりも、技術的に個人事業が始めやすくなっている
・そうした働き方は、他人の指図を受けないが収入の心配と緊張に始終追われる
・同時に今は19世紀までより、大企業が整備され就職して働く選択肢が確立されている
・そうした働き方は、常に他人の指図を受けるが、既存資産を使って収入や成長機会を得られる
・どちらが良いかは考え方であり、人は絶えずその領域を移動する
という感じでしょうか。
30-40年前だと「時代が古い」で片づけられそうですが、働き方改革が国家戦略になっている今日では、逆におそろしく現代的な論に見えます。

最近100年位前の古典を好んで読み、多くの点でハッとします。
当時は、おそらく今以上に急激な、技術に基づく社会革新が進んだ時代。
(電気・電信・自動車・飛行機・企業社会などが無い状態から、それが当然になっていく)
そして交易などの観点で、第一次大戦まで、今以上に規制無しのグローバル化が進んだ時代。
変化の激しい現代に通じるものがあり、また100年で人の考えることがどの位変わるか(変わらないか)を知るバロメーターになります。

また別の意味で面白かったのが、訳者である竹村健一氏のまえがきの一部。
単行本(1991年)では、
「国際社会からの孤立化や日米関係の悪化で、知らぬ間に、戦後最大の国難に直面している」
と、おそらく当時の湾岸戦争を念頭に日本の現状に危機感を呈されています。
その後、文庫化の時点(2002年)には、
「不景気が続き、日本は戦後最大の国難に直面している」
と追記されています。
「戦後最大の国難」が次々に襲っている感覚が読み取れます。
しかし震災を経た昨今の動きの早い国際情勢まで考えると、1991年や2002年に日本が「戦後最大の国難」にあったとは想像しがたいですね。
人は目の前の現実を見て追われているので、いつでも「今だけが特殊」に感じがちですが、いつの時代も自分の状況を特殊だと認識するバイアスがあるものだと思います。
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すばらしい新世界

2017-02-20 | 雑記
唐突ですが、掲題の本を読みました。
(オルダス・ハクスリー著、光文社古典新訳文庫)
1932年に書かれた、有名なディストピア小説です。

舞台は26世紀、2049年の「九年戦争」後の世界。
最終戦争を経て、世界から暴力をなくすため安定至上主義の世界が形成された。
世界は10人の「世界統制官」に支配され、大量生産と消費のシステムが完成している。
人はみな受精卵から生まれ、人口が管理されている。
生まれる時に階層が決められ、階層ごとに体格や知能が決められている。
結婚や育児はなく、性は自由化され誰もが親密で、気分が楽しく安定する薬が常用される。
老化は克服され、寿命が来るまでは若い体のまま。
20世紀以前の価値観は禁じられ、歴史や過去の文学も禁じられている。

そこで人はストレスなく、性や麻薬と若さを楽しみに「幸せ」に生きている。
しかし文明に服さない人々が前近代的な生活をする「居住地」が残っており…
という話です。

85年前なのに今見ても色あせない世界を想像した作者に脱帽します。
まして、現在は技術的に出来そうなところも多い。

止まらない技術革新と持続可能性の危機の中で、これからどういう社会があるのか?

考えさせられます。
読んでいて怖いのは、「そういう社会ももしかして(テロと紛争だらけの時代より)良いかも?」と一瞬思ってしまう点です。
個人の視点で見れば、この小説の世界では戦争の不安もなく日々欲求が大満足しているわけですし。

技術革新が社会を変え、社会変化が倫理を変える。
倫理が変わると、「おぞましい」ことが「当たり前」に変わる。

そういう技術と社会のあり方を考えるのに、SFは意外と手掛かりになると思います。
特に最近は、人工知能が社会を変えると話題なので、その辺りの議論にも良い気がします。
(過去の全SF小説をデータに、人工知能の描かれ方を統計的に分析する、とか面白そう)
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学位を取って10年以上残るものは

2017-01-04 | MBA
あけましておめでとうございます。
今年も、皆様にとって最高に楽しい一年になりますように。

MBAを取って十数年になりますが、今日まで残っているものは何か?
ふと考えてみました。

「知識」は、うろ覚えで細かい点は忘れたことも多数。
「ワクワク感」も、だいぶ年齢を重ね、「若いころの思い出」に。
「仕事に使えるネットワーク」も、そこまでは使っていない。
学位ブランドは、ドアオープナーとして一定の効果はあるが、結局は本人次第。

やはり、残ったのは「友人」ではないかと思います。

毎年冬になると、日本に旅行に来る友人がいます。
最初は夫婦で来ていたのが、子供が一緒に来る、子供が増える、さらに子供が少しずつ大きくなる。
こちらも毎年確実に少しずつステージが変わっていく。
そのような変化が風物詩になっています。

SNSで薄くつながった同窓生多数も含め、結局これが一番はっきり残ったものかと思います。
高いお金を出して行ったのなら、もう少し人脈も仕事に活用すべきなのかも知れませんが。。
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国内MBAの本当の問題

2016-12-09 | MBA
MBA話の続きです。

国内MBAも価値がゼロではない、と書きました。
しかし、国内MBA(というか大学経営系学部全般)には問題もあると思います。
それは、「海外トップ校なら一番中心になるタイプの教員が、そもそもいない」ということです。

国内でも海外でも、MBAの教員は大きく「実務系」と「研究系」の二種に分かれます。
(遠藤功さんの新書の通り)
「実務系」は、実務経験を素材に、実用的な知見、ビジネスの最新動向、ビジネス的な思考法などを提供する。
「研究系」は、学術研究を素材に、学術的な知見、理論の古典と最新動向、科学的な思考法などを提供する。
ざっくり言うとこんな感じです。

それ自体は良いのですが、日本の場合、「実務系」「研究系」それぞれ海外トップ校と差があると思います。

<実務系>

「実務系」の場合は、日本では有名企業の経験者が好まれる傾向が強いと思います。
誰でも知っている企業の元役員、有名コンサルティング会社の元パートナー、等。

しかし私が触れた海外トップ校の実務系教員は、「有名企業出身者」でなく具体的な専門家こそ注目を集めていました。
例えば、年齢は若いがプロの交渉人として生活している人。
コンサルタントでも、自分の事務所を作って特定分野に特化して国際的に活躍している人。
ビジネスマンを相手にした精神分析の専門家、等。

勿論、ピンポイントのスピーカーとして有名企業の経営者等も呼ばれていましたが。
単に「元マッキンゼー」のような有名コンサルティング会社の幹部だから教員です、という人は皆無でした。
まあ、参加者の相当数がそれこそマッキンゼー等から企業派遣の若手なので、
「いつもの上司と同じような人の話を聞いてもしょうがない」
というニーズ面もあったように思いますが。

いずれにせよ、海外では具体的にどういう希少価値ある視点と実績を持っているか、が強く問われていたと思います。
その点、程度の差はあれ「有名なゼネラリスト」の実務家が比較的尊ばれる点に、日本の特徴があると思います。

<研究系>

「研究系」の場合は、今の日本の大学には二重の限界が出ていると思います。
一つは、研究のガラパゴス化。
日本の経営関係の学会はとても活発で独創的なのですが、完全に国際的なグローバル統合の波から遅れています。
最近は、海外の研究成果をビジネス向けにキュレーションする本などが増えてますが、国際発信は少なく完全に輸入超過。
国際的に一定以上のレベルで研究発信している人がそもそも少なすぎる状況が、第一の問題です。

もう一つの問題は、「象牙の塔」問題。
記憶をたどると海外では、多くの「研究系」の教授がコンサルティング等で積極的に実務に参加していました。
研究が好きだとしても、同時にセルフマーケティングや自分の理論を使ったコンサルティングも大得意。
そういう教員の方が話も面白く、MBA参加者に人気が高い教員だったりします。

日本でも社外役員・監査役・研修など企業に関わって活躍される研究系の教員は少なくありません。
しかし、その呼ばれる理由は基本的に「先生だから」「当たり障りがないから」なのが実態ではないでしょうか。
自分が研究提唱する理論を反論されても売り込み納得させ実践し、研究にも役立てるような人は日本では少数派です。


そういう意味で、「実務系」も「研究系」も今一つのまま、解決の決め手を欠いているのが国内MBAの問題だと思います。
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日本人にMBAはいらないか?(続き)

2016-12-07 | MBA
「MBA」に価値は無いか?
もう少し補足で考えてみたいと思います。

私が自分で行って価値があると思ったのは、海外トップ校で世界の相場観を知ることであり、多様性の幅を広げることでした。
その点、話題とした新書とやや似た見解です。

ただ、私は著者と違って「だからといって国内MBAが無意味だ」とも思いません。
理由は二つ。

一つには、授業でピンポイントに「これが知りたい」ニーズを満たせることはあるからです。
例えば、仕事で企業価値評価をしてきたが、もう一度基本から最新までおさらいしたい。
マーケティングをしてきたが、自分の経験知を定番の教科書のおさらいから、体系的に整理したい。
生産管理や管理会計の知識が無いが、一通り幅広くイロハを知っておきたい。
こういうニーズは人によってあると思います。

本を買って孤独に読むより、専門家や同じ関心がある人と集まって話すと、学びは効率的でしょう。
その意味で、アラカルトの勉強には価値があると思います。

しかし、それだけで大学二年間などフルコース行く必要があるかは別の話。

そこでもう一つMBAに価値がある理由は、やはりブレイクを取って人生のリズムを自分で作ることだと思います。
一年か二年か、仕事から少し距離を取って過去未来を振り返る。
そういう自分専用の思考時間を、「MBA」の名で正当化し可能にすることが実態としての価値ではないでしょうか。

話題の新書(遠藤功さんの本)は、そういう発想こそが怠けグセで中途半端でダメだ、という感じですが。
確かに、能力向上や効率の点で、ぬるくやればそこそこしか成果は出ません。
しかし、人生100年時代で考えると、既に「学び直し」・「キャリア軌道修正」・「複線キャリアの同時管理」は不可避と思います。
昔のように仕事と私生活を二分し、一気に駆け抜け一本道でゴールまで行ければ分かりやすいのですが。。

仕事の比重が絶大に重い時もあれば、(介護や育児も含め)そうはいかない時もある。
エッジをきかせるために、常に何らかの新しいスキルをゆるく学習し続ける。
あることを半分趣味で始め、いつの間にかそれが仕事そのものではないがちょっとした仕事のエッジになる。
無料で引き受けた人助けが、いつの間にかそれなりに引き合いの多い状態になる。

このような状況は、意外に一般的ではないかと思います。
MBAに話を戻すと、国内MBAを始めることで、自分の意思で自分の生活にこういうリズム感やゆらぎを作ることが出来る。
MBAに実利があれば尚良いが、遠藤さんが指摘するように日本ではMBAで収入が上がらないとしても、それはそれで良い。
大した成果が出なくても、最低限学位を取って、社会的に「私は努力した」とは言える。損にはならない。
こういう感じで日本人にMBAの価値があるのが実態では、と私は見ています。

要は、別にどうしても学位や知識が欲しいわけではなくて、MBAがある種の「ちょうどよい選択肢」になっている感じでしょうか。
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結論を言おう、日本人にMBAはいらない

2016-12-06 | MBA
最近著名コンサルタント(遠藤功さん)が新書で出した、掲題の本を拝見しました。

本の趣旨は、「基本的にMBAには言われるほどの価値が無い。現場視点で考え続けることこそ大切」のような感じと理解しました。
アマゾンの書評は、これへの批判で盛り上がっているようです。
面白いテーマなので、MBAに価値はあるのか?少し考えてみたいと思います。

まず、この本にはいくつかの世界観の前提があると思います。
私は、著者のニュアンスを下のように理解しました。

― MBAにも色々あり、どのセグメントかによって話が全く変わる
― 海外トップ校は、グローバルエリートの特殊コミュニティであり、そこに仲間入りする時点で既に価値がある
― 海外中堅校だと、新鮮な海外経験としては価値があるが、それを超えた実務能力の飛躍的向上は無い
― とはいえ、企業派遣も減った今、個人がそれら海外校に行くのは費用も要求水準も高く、あまり現実的でない
― なので、国内大学が最近整備を進めてきた国内MBAに「とりあえず」で行く人がどんどん増えた
― しかし、そういう国内MBAに「とりあえず」で行っても、大した効果は無い
― なぜなら、今の国内MBAは参加者が同質的な日本人の集まりに過ぎず、教授陣も国際的に通用しない水準だからである

こんな感じでしょうか?
これらについて、私も大筋はその通りだと思います。

著者は早稲田大学の教員を辞めたそうで、辞め際の暴露的に見える本なので書評が炎上しているのかもしれません。
辞めて悪口を書く位なら、内部から責任もって改革しろよ、と。
一方で、話題作りのためにわざと挑発的な題で炎上商法の本を書いた感じもしますね。

中身の話に戻ると、私もMBAに価値があるのはそのコミュニティに入ることと、多様性を理解し体現することが主だと思います。
海外トップ校を出ましたが、授業の中身に特別な価値があるとしても、正直それはほんの一部の科目だと思います。
(たとえば交渉術とか…)
読みたければ教科書は誰でもアマゾンで買えるし、講義も今時動画で見られるわけですし。
MBAで「戦略」の授業を取ったから、現実の戦略立案に何かが役立ったと思ったことは、一度もありません。

そうではなくて、
― こういう世界トップレベルの学校に来るのは、どういう水準の人たちなのか
― 彼らと伍して対等に競争し仲良くなるには、どういう前提をおさえないといけないのか
― そういう中で、(国籍や仕事経験を踏まえた)自分の強み弱みはどこにあるのか
― そういう中で、自分が勝てること(好きなことやありたい姿)は何なのか

といったことを、本当に自分ごととして、短期間で濃密に煮詰める。
あるいは他の参加者の悩みを見ることで、同じ時代に全然違う人たちがたくさんいるあり方を知る。
そういうことに、自分にとっては価値があったと思います。

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