MBAで教える「交渉術」

MBA留学先での「交渉」の授業内容を配信。といっても最近はもっぱら刺激を受けた本やMBAについて。

プロ野球のキャンプ

2007-02-28 | 雑記
毎年この季節になると、テレビのスポーツニュースでプロ野球のキャンプ風景をやっています。
なんだかんだ言っても日本では野球が一番人気スポーツで、それがシーズンオフなので他にスポーツネタが無いから、という部分もあると思いますが、それにしても多い。
二番手・三番手のサッカーや相撲でも、ただの練習風景をそこまで長々と取り上げたりしない気がします。

なぜ、日本人はプロ野球のキャンプ風景が好きなのか?

考えてみると、日本人はプロセスが大好きだから、ではないかと思ったりします。

確かに、スポーツを見る楽しみと言ったら、一般に豪快なホームランやシュート、ファインプレイかもしれません。
しかし一方で、その裏にあるもろもろの人間ドラマが、野球を人間くさく盛り立てている気がするのです。
年俸交渉の喜怒哀楽から始まり、キャンプインに向けた自主トレ、キャンプでの努力の過程、トレード選手の悲喜こもごもなど。
ストーブリーグの話題は、プレイ自体よりもその背景にある選手の人間としての感情や生活観を照らし出し、結果として野球選手は野球だけで評価されるというより、トータルなキャラクターとしてテレビに映し出される気がします。

端的に言うと、例えばプロ野球では選手が時によって「悪役」的に大きく取り上げられ、レッテルが貼られたりしますが、Jリーグに悪役がいるという話は余り聞きません。
(大相撲はプロセスや態度から悪役にされる力士が若干いますが)
もちろん、どこの国でも人気スポーツ選手にはスポーツを離れたゴシップや誹謗中傷があったりしますが、日本の野球ほど結果以外の部分も注目を集めるスポーツは余り無いと思います。

キャンプインして今日が何日目で、今日は誰が調子が良さそうで、などシーズンの結果にはほとんど関係なさそうな話題ですが、その過程自体を楽しみ、

-この選手は毎年この時期はこうだよな

とか

-こいつは移籍前はすっかり悪役にされていたけど、新天地ですっきりしていそうだな

などとテレビの前でつぶやきながらビールをちびり。
そんな楽しみ方も独特で面白いと思います。
(筆者など、シーズン中の野球自体を見るより、ストーブリーグの話題を見る方が好きなたちです)

近頃の若者

2007-02-26 | 雑記
昔から「近頃の若者は…」と言われることは多いと思いますが、実際のところ近頃の若者はどうなのか?
最近「近頃の若者」に触れる機会があり、ふと考えてみました。
日頃接するビジネス社会の中で見て考えてみると、若手ビジネスマンにどうも「働きすぎ」が多い気がします。

高度成長期も、それこそ「土日もなく働いたものだ」と言われたりするので統計的にどうなのかは分かりません。
(そもそも週休一日だったわけですし)
ただ、メンタル面でプレッシャーやストレス要素が増えているのは間違いない気がします。
終身雇用が暗黙の了解で、一つの組織でカルチャーにそまり生き残りを考えれば良かった時代は、それはそれでストレスもありつつ、一度受け入れてしまえば結構単純な世界だったように思います。

今難しいのは、オプションや依拠すべき基準が沢山あること。
転職市場もずいぶん整備され、新卒数年での転職が当たり前になっている。
成果主義の導入が(程度の差はあれ)進み、短期的な効率性がうるさく問われる。
他人の基準で「市場価値」が問われる一方で、「自分がやりたいこと」を明確にしろ、キャリアプランを練れ、キャリアは自己責任だ、と脅迫される。

こういう状況で、

-長時間働くことがスキル開発・評価アップに必要
-若いうちの苦労の差がキャリア勝ち組と負け組を作る
-最初は給料や待遇をつべこべ言わず、後で転職キャリアアップして取り戻せ

という押し付けられた認識が20代会社員層にけっこう広まっているように思います。
確かに、楽して儲けようという発想が良いとは思いませんし、むしろこれは誠実に現実と向き合う姿勢なのかもしれません。

しかし、どうも微妙な違和感があります。
本当に価値があるのは、自分にとっての天職を見つけること。
そんなに日本の若者はみんなビジネスが大好きで、「デキる」ビジネスマンになることが楽しいのでしょうか?
あるいはホンネではそれが「No」なのだとしたら、代わりのものを自分で見つけることができているのでしょうか。

また、「仕事が人生でものすごく大きな部分だ」という暗黙の前提が、けっきょく高度成長期から全然変わっていないように思います。
フランスの知人の価値観からすると、
「仕事はしょせん仕事。スポーツと一緒で、常にトレーニングが必要で、結果も明確に出るが、あくまでゲームに過ぎない」
という感じです。
もちろん、以上は東京である程度の有名大学を出た人たちを見ていて感じることなので、若者全体から見たらごく特定の層だけにあてはまる話かもしれませんが。

何でもアリな時代なだけに、自分を楽しく活かせる道を見つけたいものです。
(自戒も含めて)

黒澤明vsハリウッド

2007-02-17 | 雑記
掲題の本を読みました。
(田草川弘著、文芸春秋)

「トラ、トラ、トラ」という真珠湾攻撃を題材にした70年ごろのハリウッド映画の話です。
黒澤明が日本パートの監督となったのに、すったもんだのあげく途中で解任される事件をドキュメンタリーに描いています。

ディテールが面白い話なので詳細はおくとして、映画監督に求められる資質について考えさせられました。

作品の芸術的な価値ばかりにとらわれてしまうと、スタッフにあれもこれも強く要求してしまう。
強く要求して怒鳴りつけていれば、スタッフの人心は離れていく。
それがますます芸術的価値を高めるプレッシャーを生み、事態は悪化していく。
さらにスケジュールも伸び、予算もどんどんオーバーしていく。

+芸術的価値
+スタッフに能力を発揮させる指導
+スケジュール・予算管理のプロジェクトマネジメント力
+(一部ではありますが)商業的な成功へのマーケティング的嗅覚への理解

と、相反する多くの要素を同時に求められる職が監督なわけです。
映画の現場は一人ひとりのプロフェッショナルの集合体であり、そうした専門集団を束ねる苦労はビジネスプロジェクトにも通じる(というかより色濃くその特性が現れる)気がします。


初対面の教科書

2007-02-05 | 雑記
掲題の本を読みました。
(おちまさと著)

「企画の教科書」というヒットの延長で、「初対面」というちょっと気になるトピックを扱った異色本です。
とはいえ教科書と言うよりは、この本自体が企画の例とも言うべき感じがします。
(読んでもあまり初対面がうまくなるとは思えないですね)
発想が自由になって気が楽にはなると思いますが。

最近こういう「XXの教科書」系の企画本が増えている気がします。
いわゆる学校で扱う教科とは全く違った実用分野で、かつある程度コツが体系化できるもの。
結局のところ昔からあるハウツー本の一種なのですが、

+きちんと構造化された構成
+読みやすい語り口・ワーディング
+見やすい・分かりやすいレイアウト
+ユーモア交じりのトーン

といった、楽に読ませる・ビジュアルで直感的に伝えるための技術が昔より格段に向上しているため、一種独特の世界を作っている感じがします。
昔の実務教科書というと、たとえば「分かりやすい税務」などとタイトルがありつつ文字ばかりでフォントも小さく、けっこう目が疲れるし六法全書よりは分かりやすい程度、というのもけっこうあった気がします。

書き物の文体が時代と共にどんどん変わってきたのがこの2000年位の歴史だと思いますが、「ビジュアルも含めた直感的理解の復権(または台頭)」というのは、その中でも少し独特な進化の方向性な気がします。

雑感ですが。

温泉マナー

2007-02-04 | 雑記
週末泊りがけでとある温泉に行ってきました。
冬の寒い時節がら、週末でもありけっこう混雑していました。

こういう、ぱっと土曜の朝に出て日曜の昼に帰ってくるリフレッシュ旅は好きなのですが、今回はちょっと驚きがありました。

その温泉では

-かけ湯をしない
(風呂場に入ってきて体を洗わず、いきなり浴槽に入る)
-サウナから浴槽に直行
(汗まみれでサウナから出て、かけ湯やシャワーや水を浴びずにいきなり浴槽に入る)
-手ぬぐいを浴槽に入れる
-シャワーの水を浴槽に入れる
(壁面を向いてシャワーで頭を洗って、洗い水を後ろの浴槽に飛ばす)

など、信じられない行動のオンパレードでした。
そんなに狭い風呂場でもないし、まあまあの値段の宿だったので驚きました。
全員外国人かと思ったらそんなことは全くなく、かわされる会話は全て日本語。

子供がサウナから汗だくのまま飛び込んできた時はぎょっとしましたが、誰も何も言わないわけです。
別に法律に違反しているわけでもないし、たしかに決まりがどこかに書いてあるわけでもありません。

何が公共の場で当たり前の配慮なのか、定義が揺らいでいるように感じた週末でした。
グローバルで見たら、例えば西欧の衛生観念は100年200年前とは比較にならない位飛躍的に向上していると思いますが(風呂にもろくに入らず排泄物は道に捨てて放置するのが当たり前だったのが、今では全く違いますね)、日本の場合ちょっと違う側面もあるのかも知れません。