今日は昼ごろ名古屋から東京へ新幹線で移動。
東京駅からタクシーで都内某所へ向かいました。
ところが今日の東京は大雨で、道路は大混雑しています。
タクシー乗り場は大混雑で、待てど暮らせどほとんど列が進みません。
見ていると、八重洲口のロータリーは中央にどでかい「駅レンタカー」駐車場があります。
それが邪魔になって、駅に向かってくるタクシーが客を降ろしても、そのまま待っている客を拾えない構造になっているのです。
新大阪駅とは対照的な構造ですね。
こんな風に「一番必要な時にタクシーが無い」という状況は、シンガポールを思い起こさせます。
シンガポールではタクシーが安くて(初乗り170円位)半公営で信頼できる交通機関なのですが、時折来るスコールのような大雨が降ると、繁華街では一気にタクシーがつかまらなくなってしまい、結局スコールがやむのを待つしかなくなったりします。
よく土曜の夜に飲みに行って外へ出たら土砂降りで、やむなく待たざるを得ず周りの人たちもみんな雨宿りしながらぼうっとしていたことを思い出します。
閑話休題。
で、そうやって待たされている間何か知的な生産活動はできないものか。
そんな風に考えてふと思い出したのが、あるマンガのキャラクター(ジョジョの奇妙な冒険の神父)がやっていた
-素数を数える
ことです。
悪役がピンチに陥ると1から順に素数を数えて気持ちを落ち着かせる、という何とも記憶に残るクセ。
ただこれを実際にやってみると、
-100を超えるあたりでかなり面倒になってくる
ことに気付きます。
同じことの繰り返し感覚が強くなってくる上、九九では対応できない乗数(例えば13×13=169で、169は素数ではない、など)が登場してくるので一気に複雑性が増していくのです。
さらに素数を順に数えていくことに何らかの知的発見があるのか?
やっていると素朴な疑問も湧いてきます。
円周率を徹底的に細かく計算したり暗誦したりするのに通ずるものがありますね。
結局のところ、時間をつぶすには頭に浮かんだ雑感を携帯のメモに打ち込んだりしておくほうが余程後で役に立ちそうな気がします。
そんなことを携帯のメモに書いているうちに、50分待たされてようやくタクシーに乗れました。
首都のターミナル駅で真昼間にタクシーが一時間近く来ない国を体験するのは、そういえば初めてだったかも知れません。
(パリですらもう少しマシだった記憶がありますね…)
東京駅からタクシーで都内某所へ向かいました。
ところが今日の東京は大雨で、道路は大混雑しています。
タクシー乗り場は大混雑で、待てど暮らせどほとんど列が進みません。
見ていると、八重洲口のロータリーは中央にどでかい「駅レンタカー」駐車場があります。
それが邪魔になって、駅に向かってくるタクシーが客を降ろしても、そのまま待っている客を拾えない構造になっているのです。
新大阪駅とは対照的な構造ですね。
こんな風に「一番必要な時にタクシーが無い」という状況は、シンガポールを思い起こさせます。
シンガポールではタクシーが安くて(初乗り170円位)半公営で信頼できる交通機関なのですが、時折来るスコールのような大雨が降ると、繁華街では一気にタクシーがつかまらなくなってしまい、結局スコールがやむのを待つしかなくなったりします。
よく土曜の夜に飲みに行って外へ出たら土砂降りで、やむなく待たざるを得ず周りの人たちもみんな雨宿りしながらぼうっとしていたことを思い出します。
閑話休題。
で、そうやって待たされている間何か知的な生産活動はできないものか。
そんな風に考えてふと思い出したのが、あるマンガのキャラクター(ジョジョの奇妙な冒険の神父)がやっていた
-素数を数える
ことです。
悪役がピンチに陥ると1から順に素数を数えて気持ちを落ち着かせる、という何とも記憶に残るクセ。
ただこれを実際にやってみると、
-100を超えるあたりでかなり面倒になってくる
ことに気付きます。
同じことの繰り返し感覚が強くなってくる上、九九では対応できない乗数(例えば13×13=169で、169は素数ではない、など)が登場してくるので一気に複雑性が増していくのです。
さらに素数を順に数えていくことに何らかの知的発見があるのか?
やっていると素朴な疑問も湧いてきます。
円周率を徹底的に細かく計算したり暗誦したりするのに通ずるものがありますね。
結局のところ、時間をつぶすには頭に浮かんだ雑感を携帯のメモに打ち込んだりしておくほうが余程後で役に立ちそうな気がします。
そんなことを携帯のメモに書いているうちに、50分待たされてようやくタクシーに乗れました。
首都のターミナル駅で真昼間にタクシーが一時間近く来ない国を体験するのは、そういえば初めてだったかも知れません。
(パリですらもう少しマシだった記憶がありますね…)